京都面白大学第3講(3限目の授業)「KK対談 未来精神病理学探究」:加藤敏未来精神病理学部長 2024年1月4日20時ー22時30分

[音楽] こんばんはよろしくお願いし ますお忙しい中ありがとうござい ますこんばんはありがとうございますあ 加藤ですこんにちはどうもあの今日から もう臨床始まってるんですね今日ねはい 今日から来てましてねな頭でコロナが発生 コロナクラスターが発生しました京都で コロナのクラスターコロナクラスターあの 京都ですか私あの栃県私病院でああの山 小山藤見大病院でコロナが発生たんですね 臨位大変ですよ私やってああええあ今日は ねはい今のZOOMはこれ他のは参加して ないんですかはいあの他の人は参加せずに ですねあ分かりあの2人だけであの汚なく 語り合ってああなるほど あの京都面白大学のはい第3回目の授業と して授業授業として授業授業今日の夜に ですねや私がちょっと編集してええあの あの配信しますのでああのもう レコーディングしておりますので今日のお 話はですねまず大体こんな感じでいきたい と思うんですけどねはいはいまずまあ15 分ずぐらいを1つの目安にしながらはい はいはいまず第1番目にはい あのま その精神病理学のはいま過去現在未来と いうこと を未来あの口出しするしていただきたいん ですねあはははいそれであのえ1番の焦点 は未来精神病理学とはいいう問になります はいで加藤さんには京都面白大学の未来 精神病理学部長に就任していただいたので どんどんですねええもう1回あの精神病理 学の復活というか物件をそこであの提唱し ていっていただきたいんですねはいという のはですね私の問題意識の中でかさんの 初期の重要な論文の中でヤスパースを非常 に重要視されてますねはいでヤスパースの 精神病理学が出たのが1920年代ですか はいちょうど第世界点5ですかね5ですね 加藤さんの本私何冊か持ってる4冊ぐらい 持ってんですそのうちの2冊分裂病の構造 力動論これは今後出版からのものと総合 市長省の語と系それ今後出版からですね はいはいこの2冊とですねも1冊これは まだ 新しいものだと思うんですけれどはい 精神 病理精神療法の展開20螺線から30螺線 へはいはい はい中山書店はいはいこのま3冊をね あああともっと創造性のえなんでたかね分 ですねはいはいはいのも読んであの中には ヘルダーリンドンとか色々出てきているの

ではいはいあのゴッホだことか芸化の問題 がですねはいであの私たちが家憲でやって きた新身変容技法研究会においても アントランアルトのはいはいおその彼の 体験や表現とはいえ新人変容技法との 絡まりについてはい論を展開していただき ましたそれもあのYouTubeに全部 アップロードしておりますのでああはは あの時の講座もはいアルトでしたねはい そういうことをやってきたので はいあのその 190020年代 からあのアルトが活動するま 戦後あの割と早い時期ですかね1940年 代はい550年頃までの流れについては 加藤さんは随分あのいくつかの節目節目の 所作や芸術家を通して考察されてきている のではいはいまずその辺をどう今は 振り返って見ているのかということとはい あいつ頃ことですか今おっしゃったのは 1920年代からですね50年ま戦後割と 間もなくの頃のこの30年ぐらいの精神病 理学の展開っていうのを今振り返るとどう いう風に捉えておられるのかっていうこと を1回確認してこれを最初の15分ぐらい でえお話ししていただいたりまた私が ちょっと質問するかもしれませんがはいの ところをまずは話をしていただいて結構 壮大です僕全く準備ないあの準備なしで ですね自在枚でいきたいのではいはい 大丈夫ですはいあのあの全然ですねあの 後付けが後からでも構いませんからはい はいはいあの次の第2回目の座などの時に あの前行ったあればねはいもうちょっと 考えてみると実はこういうのはあの性格で あるという風に訂正してもらっても全く 構いませんしこれはあのホームページ上で の文章でのテキテキストでのあの訂正でも 全然できるのでいこテキスト考えるわけ ですねこれあの文字起しをしてはあは ホームページ上にあのあの映像はもちろん あのレコーディング映像は動画で配信し ますけどはいはいあの言葉としても テキスト化したものをちゃんとあの読める ようにしておきたいなとは思うんですねあ 素晴らしいことですねはいそれを蓄的にし てねあの次々とまやて本になっていったら 本になるものがばいいなとは思うんですね はい素晴しいです加藤さんも本をまたね 新たにまたあの芸術論も含めて是非出版し てほしいのでえ大と思ってたくさん溜まっ てんですけどなかなか時間なくてまあその あの手入れ手がかりにもなるかと思います はいそれでですね今日は本当にあの楽しみ に加藤さんのあのお考えをねはいあの自由

時代にあのえ発表していたいんですよ はいでまずそのあのえヤスパース あたりのあの精神病理学の始まりのあの頃 の問題意識っていうのかありよそれをです ねほぼ100年後の今とねはいあの 照らし合わせるっていうのが今日の1番の はいポイントでありかつそれをその出し することによって未来のですね精神病理学 を構想するというのかはいというのは私は あの今はあのもう精神病理学という学問 自体がうん非常に衰退してしまってうん 医学部なんかではあのそれをこう口座とし ても科目としてもあの継承されて展開され ているというねうん代でも数あのえ木村ビ さんとかがはいいた頃はその精神病理学の 学問的な力が非常にあったこれは1970 年代ぐらいだと思うんですけど非常に 面白い展開があったんですよねはいはい そうですねあの間の間のですねはい え精神病理みたいな展開とかですねはい あの京都学派はもそれを応援したと思うん ですよね京都のぱ哲学神学の想像ですね 面白い時代でしたねはいはいそうですね 非常に想像的に結びついた時代ですよね その頃にも私のあの非常に久しくしていた 加藤清さんなんかもああなんかねあのえ グループの中にいたんですよねその周辺に いたんですよねはいはいで私加藤清さんと は対談州冷静の時代という対談州を真住者 から出しておりましてあ折り目正しい人人 たねあとさんねあの折り目正しいというか ぶっ飛んでましたよぶあそうですかそう ですか自分はね平山の雑でやったと言って ましたからねああなるほどはははで私はね 今はねまそんなあのこの前から私は兄弟 早朝になった夢を見たとか言ってますから 似たようなことをぶっ飛んだことを言って ますからちょっとあの古代妄想性があるの かもしれませんがなるほど父さんもあの その当時分裂病と言ってたんですけど分裂 病の 西のあの研究者の代表的な1人で東の研究 者の代表的な人が安永ひさんでしたねその だから安永さんと加藤清さんが分裂病の 東西のあの70年代ぐらいのですねはい はいあのあの領有だったと思うんですよあ はいうんでその後あの木村敏さとかが兄弟 にはいたんですけど東の方にはですねえ そう面白い人がいるのかなという風に見て いたらはいあ加藤ビさんという人が加藤佐 さんとがいたということ僕はだいぶ後です から最近になって知ったもんですからね はいはい確かにもっと早い時期に加藤さん の本を読んでいたらももえお近づきになっ て確か遅かったですねうん遅かったけどで

もねおまきながらでもねこうやって話が できるので私とは非常にありも嬉しく思っ ております私も検されてますよさてそそこ でそのヤスパースあたりの時代の問題点 っていうのを今はどう捉えているのかはい はいそれをちょっとお聞きしたいんですね はい精神病理学の始まり先ほど過去と おっしゃったのがこのヤスパースの時代 1950ですねそうです現在は現在また別 のことになりますねはい現在はまた ちょっと別の問題になるこれはAIとか ですねはいロボットとかが出てきた時代の 問題意識っていうもの精神病理ってことに なるのでなるほどはいだからあのそれは もう100年前にはほぼなかったわけです ようんはいはいあの技術的にもねそこまで 言ってなかったでも今やあのアンドロイド も臓器植もいろんな形で人間そのものの あるいは人体そのものの構造が大きく 切り替わってくるような状況の中にあるの でうん昔精神物理と言われていた その精神の方もそういう中でどうなるのか うんAIに精神が 生まれるま間違いなく心をか感情みたいな ものは一てていと出来上がっていくと思う んですねはいでもそういう風になってきた としてもうんどういう風に人間関係です から間関係の中で様々な病理的現象もあの 発見したり収まったりすると思うのではい でそれをまた現在から未来の問題として 考える必要があると思うんですねはいそこ で改めてですよこれは私の検討式ですけど 見通しですけどはいもう1回精神病理学が 復活する時代がやってくるんじゃないかと 思うんですよはいあのそうですねはいAI コンピューターねAIロボットの時代に ですようん違う角度から精神病理があの 見直されるとか必要になってくると私は 思ってんですねうんその時にあのAIとか えロボットとかアロイとかそういう いわゆる人間的ではあるけれど人間その ものではない存在ま擬似人間というか義 人間ってか一種のアバターのような存在 分身のような存在と本体との関係性みたい なものがこれ本体と言えるかどうか分かり ませんけれどどうなるのかっていうことが すごい精神病理の大きな問いかけになるん じゃないかという風に思っておりましたね はいはいそこであの未来精神病理学部と いうのを是非加藤さんにその辺の問題意識 を過去を踏まえつつ未来の問題として展開 していただきたかったっていうのが学部長 にですね学部 長していただいた理由なんですねはいはい はいそこでどうぞ就任の弁

とあのどういうことを考えておられるかて いうことを自由にはい分かりましたどうも あです僕はね蒲田さんのこの著作をね実は 僕自身は実はあんまりちゃんと読む気が なかったんですねでさんの著作に関しては 僕が読みやすく読んだのは神と仏の出国 ですかあれなんかちょっと読んですごいな と思いましたそれでただねかかさん実は 未来京都大学の未来研究所で研究の毎年の 発表会があって私も呼ばれてありました ありました20年ぐらい前ですその時に 上松さん初めて死にましたねええええええ と思っあかさんで初めてお会いしましたね あの時がますれ違いでねその後は全く交流 もなかったんですねそうですその中であと 松さんから去年その哲学とあまいわ臨床教 会ですかそこで宗教と医学の問題ではい はい臨教会はいそうイインターフェイス 問題ですねそうですねで松さんのま幅の 広い造形の驚きましたで松さん著作は後で 見るとね最近もあのなるほどと思うんだ けどますごいあれですねこの広い幅広い地 を展開なさってんですねでもうす幅広い ことは間違いないと思いますね深もあり ますね深もねで日本新党から始まりながら 驚いたのはあのヨーロッパ神秘主義なんか も実は既にあれです最初にも論にられてん ですね名の研究から入ってますからねそう なんですねだからすヨーロッパ哲学にも 新学にも新はい進学ですそっと同深い方 っていうことでも驚きましたこれ 最近ながらいうとこなんですねそこが ヘルダーリンにも繋がってきましたね僕は あの日本思想に関してもねあの日本層が ちょっと進学であるって言い方ありますよ ねはい日本の テオロングがどっかで通じ合うという面が あると思うんですね新しの神秘それは 間違いなくですね平田あにおいてそうです ねえ繋がりつ対象性を持つとだからクも 日本学が進学心の学と言って神の学って 進学につながるという視点がですねはい それ言ってる神とヨーロッパで言ってる 神学の神これは一見違うって言って多神教 とあの異神教で違うなんていうこと言うん だけどもただ僕はねやっぱり京都性がとり だけ日本新党の場合は物ですかも物とかね 物っていうそれははい実はヨーロッパで 言ってる神をなす言葉としてこのまももを 見ていったんじゃないかという点でも共通 性があるという風にちょっと思ってんです ねまそういうことであのそういうことが 多分ねあの蒲田さんがヤコブ命名はいと 日本の新党の中に強突で見出すその神の この1つのま場所というかねそういう問題

で私自身もだから精神医学の中でもの神の 問題に非常に最近 あの1つの着地点というか自由な点ま修練 点を見出してるとええええから私と蒲さん の共通が出たという風に私は最近あの 面白く思ってますよねこの1年去年ですか もう何回もはい あの去年の2月からですからね慶王大学 病院のそうですねで宗教医学の話からです ねはいはい命の研究会でしたねはい松さん がもすごいですねヘルレ研究会立ち上げて そして立ち上げて私それあの幸に全部参加 させていいてねはいあのゼ研究ね研 のそんな中でいろんな一層ね松さんと私 共通点っていうのを感じましてはい気され ましたそこでですねあの面驚いたの蒲さん がね私のこの精神病学の本に関してね ものすごく理解深理解して会持ってくれ実 はね精神学の若い連中はですね心あるもの は僕の本に関心を持って僕の教たくさん来 てくれましたそいう中で実体が私がが教授 罪あ相当実は研究者で出たんですね私の弟 筋が今でも現在の日本の精神約をはい支え てるんですねそういうあどういう方々です か あの若くはねあの京都大学の あの尋問県の尋問尋問学かなのはい本拓也 って言ですね若者まだ若者ヤスパース みたい若者が京都大学の女教授になったん ですね教授なろとこだけど彼がまだが40 行ったかいかないかぐらいえ何ていう人 ですか松本拓也って結構若者の有名ですよ 松松本孝也それは優秀ですね彼は私の本当 直接の弟子なんですね彼は高知大学出て うん読んで僕のと来たいってことで警士 もう1年2年僕の研究が行きましてねその 前から僕のとこ接触あってえはいそこで ヤスパースヤスパースハイデガムとかて いう中で彼は精神の1つのあのまメ並んで そういうことからどんどんどんどん進んだ というのが最近の1番のまあの私の弟子だ しからもうちょっと年が上だとあの結構 論客言ましてねあの井原ゆて井原ひではい こ あの埼玉台のあの小部員の人が教授になっ てますけどねはい中論客ですねはいあと そういうことの清三というこれ神戸台の 上京人であ講師になったのかなその後神戸 で活躍し てる閉症の論客がいいんだけど彼も彼女も 弟子ですね結構実は日本全国に少し広がっ てるということがありますはいその中で私 の精神病学の1つの基礎としてこの私 ヤスパースがあるんですねでもう1つね あの木村ビさん安永さんと並んでね私の弟

まあの指導者としては宮本太て先生がはい 宮本田尾さんね私も本読みましたえだから 宮本田尾さんがビスマンガなんかをですね 金ビス役してるとはいどちょドイツも2人 留学してましたねということではいあの 宮本ビトだからあの時代的にはね宮本便が 統合少々分裂の世界って書いてそれが非 評判になったと柴崎都の弟子なんですねま 関東の流れでしょうかあ島田栃あの東大 東大ですねえに対して あの京都学科木村みはいそうですねはい これは木村みさんが1番いいれだから加藤 共いわゆる哲学思想っていうかねあの京都 の哲学の流れ西田太郎党の啓発を受けると いう中であの来てるとそういうこと言うと ねあの対象的に宮本田尾はどちらが哲学 文学なんですね分がありましたそれに対し て木村ビは哲学ですよねまさしくねうん そうという警がちょっと違うんじゃないか と思いますあの西崎太郎の影響はやっぱ 強いですからねそうですね長か全体の学宮 さんが文学や芸術どそうなんですねそれに 違いがあるで私に関してはね私は木村木村 便により近いとこがあって哲学のに関心が あったということありますそそういう中で 私が学生の頃太郎先生がえあるフランス のむ訳すということで私依頼が来ましてね それ学生時代ですねで訳した中であの見せ て親しくなってええ自来ないかとつ自がま できたばかりですねああそれで私が自治で 開学して3年ぐらいして行ったんですねだ から私行った頃まだ一局が曲が少ない時代 でしたええそこであの宮本田尾はあの やっぱドイツの伝統を住んでるもんだから その頃やっぱドイツのねやっぱり精神 ドイツなドイツのロームたくさんいました ね朝からですねパンを食べドイツのパンを 食べましてねあの消ありましたよええで 宮本太さんはまあドイツ語分かるもんだ からはいで平なしてゆっくり食べてました コーヒーのみなはい私たちはもう朝7時 ですよ朝寒い中行ってねはい翻訳なんかし てやってましたはいそんな時代がありまし たそれも1つやっぱりあのその頃はそれ こそ翻訳もないしうんの操作で診断もない からDSIないからねはいはいでやるしか ないっていうことで現読んでね難しいロム 読んでそれは訓練にありましたねいい訓練 でしたねやっぱ言葉って私思うんだけどね 全部分かっちゃ困あるんでうんうん人工 文字困るんでねやっぱり不透明なものが あるわけで言葉ってのは国が一番不透明な んですねうんうんはいそれを学ぶというの は非常に勉強になりましたねで言葉の不 透明性よく学びましたねでそれやっぱり

残ってんですねだから今でもあの私 フランス語ドイツ語両法やるけどドイツ語 のガイスとかジレとかねああいうのっての は波してね外しってあ分かってるわかん ないなとこあるわけですよその不透明性 ってやっぱ大事それがどっかで残ってるん じゃないですか言葉ってのはどっかで物質 性があるっていうマテリアルな面があ るっていうのはドイツを消毒会でやっぱ 読むわけですねつ分かるとうん私フランス も今でも実はラッカの読書がやってんだ けどはいやぱ言葉のその不透明性と感じ ますよねで発音さしてね今でもだから私の 読書会があって発し発音してもらうですね はいそすと音でやっぱりこの1つこのある 理性がある学と想もだからあるスティルが あるからうんあの例えばヤヤスパース スタイルがありますよねはいでも学ぶのに 外国語でこの読むという大事だという感じ がします現在今あの本当哲学の本もね哲学 の学生さも前お代の講演会ってわかった けど大学の学生がヤスパースさえも現象で はなかなかみんな読めないて日本語読んで んですねあれでは学そうって分かんないな と透明性があって初めてわかるという印象 がですねうんそんなちょっとマ工場の中で ですねヤスパースに関してですね ヤスパースはねあの私がやはり惹かれたの は彼が先進学やりながら同時に哲学も最初 からこう射程で入れるというとこあるて私 もそういうとですねはいで彼は あのハブ大学で飲酒を積みながら博士文 それがで精神よりが総論にな るっていうことでまものすごいあのま臨床 もやりながら思想化であったから物を 捉えるのがうまかったんですねで書いた その後哲学の転身したって言うんだけど 転身ってよりは彼やっぱり精神学的な精神 病力ってかね人間を考える描写を考えなで 人間が考えるま両方人間考えながら描写を 考えるし病者から人間を学ぶという双方の 動きがあったと思うその双方の動きの中で 彼がそ哲学の研究の中で有名な実存的な 人間のあり方つまりこの実存解明とかて いうね3本出しますねあれはまさしく精子 学のこの伝統の中で書いてるとうんで彼が 政治学の この政治学総論アルメのプスパトロギーっ てあの本がだ1912年に最初出んでし たっけねでそれはまだ薄い本なんだけど そっからなんと1般2半3般と8FAM まで行くんですね8FAMまで行くとその 時既に彼は哲学のの原子学ま実哲学って いうかその本を3冊出してるんですねその 本の内容も精神力現象アルガリ精神病学

総論にはかなり反映されてるんですねて いうかあの班を語の中でそういう哲学も 結構入ってるという点で彼の必要と まさしく精神学と学が同期してるという 感じがあります私もどっかそういうとこ ありましてねあの患者さんから哲学的な この1つのインスピレーションを受けると 人間のあり用っていうものをこのどっかで 消せると同時に人間のありを私に考え ながら今度それを患者の治療の中で患者の 理解の中でこのどっかでそれを応用すると かそういうま描写とまセ人間そ人間も かまった人間その総方向の動しながらね あの考えたと考えてことは精神学的な思想 と同時に哲学思想っというか人間をなり方 を決めるとそういうような流れがあって その辺はヤスパースと非常に似てるなと いう印象がありましたうんうんうんでこの 辺はやっぱり大事なとこだと思うんですね それでもう1つねアプラス大事なのは まさしくそのフタールに学んでフタールの 現象額 そものそのものへというそういうざの エスパスがどっかで あのフタルが世界の気行ったそういうもの を彼は始めたわけだけどどっかで ヤスパースは精神病理学の中で精神描写の 記述という点では このフタルが提供した記述っということを 実践したんじゃないかと思うんですねある 点ではだからこのオントロジーていう存在 論っていうことをヤスパースがやこれルが まずいんだけどその場に局所局地的な存在 論があるだろうとレギナオントロジー レナルオントロジーっていうことを言って いてそれをある点で精神病力のレベル精神 のレベルで実践したのがエスパスていう 言い方もできると思うんですねはいで ヤスパースがそういう点では その人間の1番不思議な病気としてやっぱ 統合書があると分裂病があるんですね やっぱ人間がうんそういうこと普通であっ たり人間が春期になって急に人間のあが 変わってしまうと人間後輩が起こると しかしどっかで冷めた面もあるというそう いう面がある不思議な病体とか非常にすぐ ものすごく人間のありを この深いとこではあのどっかであの照射し てると人間のあり自体が描かれるとそう ですねここに注目するとやはそれを哲学的 な思想の哲学思想のどっかで誠治が 軍に見られんだということを言うんですね 支援があるとうんうんそういうことから彼 は そ統合書の人ジで陥った人に対して前向き

のいい目を評価するとその気はあの加藤 さんにも大きく引き継がれてるわけですよ そうですねはいでそれでまヘルダーリン なんかその1つイラだっていうことで ヘルダーリン持ってくんですねだ ヘルダーリンが自分のその体験を死にして とその始まるということそうねはいですね でそうしたがやっぱり精神学のこの いわゆる山に陥った人を見るその人話すて いうその経験も大きいと思いそういうこと からヘルダー理解深めたということがある と思ううんうんうんつのに人間の信淵って いうものがこの月東書でどっかでこの表に 出ると表に出た中でそれを削減にできると したというのがヘルダリンだっていうま 大きくてそんな理解なんですねでヘダに 学ぶということある点では この人間のあというものの支援っっていう ものをを彼の死に見ることができると人間 の理解で非常に深いところで統合少々と ヘダに繋がってるということでさらには実 はそういうものがまま五歩もそうなんです ね五歩だから彼の有名な1920年代の この良政学の本があるわけですねのご おじるという本 がすいませ んそうそういうごホ論とヘルダリのこれが ある点では今私が会長もやった名石学って いうゆパソグラフィというあ病石学はい はいパソグラフィーってこれどうや両か わかんないけどあのあの宮本田尾さんが 会長をはいそういうこれ宮先生が日本で 代表者で声明をつけたと学で本流やったの 宮本先生ねはいそれを私もちょっと投資し てそれはヤスパースが1920年に書いた このヘルダリの番号保論が中心なんですよ でまそういうことで安ある点では あの今本先生が他に注目していただいてる 凶器内質はねヤスパースに乱れだとつまり 狂気エルリの強皮というものをはいどっか でこの前向きに捉えるとでこの哲は展開 するという点があるで実存解明とか彼最後 後半の有名な実存という問題考え方ですね これも彼はどっかで人間は不安に落ちると で人間はそのナパするってこと言ます人間 存在がねナパする時に その正しくヘダなんかそれを自体のありよ てものを気にしてるということ評価する 存在に怖い存在ぶつかる存在ぶつかると 評価するっていうことがあるんですねうん うんということからあのヤスパースの やっぱりすごいところはまず精神病の事態 っていう気したである点ではクレペリン ブロイラーって人が精神分裂病あのロイラ は精神分と言ったあですけどもクレマはあ

クペルを増圧しようと言ったんですねその 有用っていうものを解剖学人間の脳の成果 学生理学じゃなくてまさしくもう哲学的な 形から気したこれがやっぱり政治学の1つ の原点だろうと思うんですねはい非常に 貴重だろうと思いますうんでそれがま私の 市出発になっでそれを継承して私に展開し てるというところがあると思うんですね それに対してねちょっとあの流れというと ね今流れを添いてるのは あの島崎都宮崎道としてま私に来るような 流れなんですねはいとこれまある意味では もう木村学科のがやっぱり大きいわけだ けどこの木村便の現象学はい とそれからま今日まとりあえ京都学科 でしょうかね木村敏先生の流れねは大きな 違いはね木村敏氏はあまり行政科学に関し ては論じてないんですよ病性学については ねはい彼はま確かに人1なんだけど私 は病んだ人その人直接会える人を対象する とつまりあのえいいわゆるヘルダーとです ね う哲学的な対象になる人でもその精神会は やっぱ合わないとまさしく人と人と出会い の間本に提しないと論じなってこともあっ て法音的な人つの彼なりの金義があったの か病性学に関しては非距離を置いていまし たねただ私はそうは言ってもねやっぱり 極め付きのそういう天才悩んだ人がいる そっから学べの大きいという点では病性薬 のこの1つの厳選と大きいんだと思うん ですねその辺がちょっと違うと思います もうと木村さ違うのは彼は間ってこと言う んだけど間間人と人の間でその間に何が あるかっていう場合にねやっぱり彼が ヤスパースが論じたよう問題してような また同語長々が この9世紀で世界の8体験でこの彼が露呈 するような暴力的な存在っていうその レベルから物という今のあの物のるのもの でいんだけど物のけのもその物のこのある 点では暴力的なあよこれはね木村民の あまりあまりまだ出ないんですねもと人と 人間なんだけどその間に関してはその怖い ものは入ってないし狂気も入ってないって いうことがあってむしろ間と間のの主張が 狂気に落ちるってことそんな僕大き違うと 思ってるんですよまそういうようなあの私 なりはあの原学のビさんの流れとず違う なっていうことでは前から あの思ってるとこでしたそしてあのそう いうことでヤスパースがどう私の継承され たかに理解するかっていう点で言うとまず ヤスパースがその病的現象っていうものを 1つのこのどう理解できるかていう領解

不能ってことで統合書言われますよね こんなこと言ってわかんないとはいしかし わかんないに分かるとあるだろうと公事な 了解をするとその時に持ってくるのがこの 暴力性の存在といったものあヘに言った 狂気のこの肯定的なそういうこの本来人間 にあったものが露呈してくるとそういう中 で工事のこの領解をしたというの工事の 領解っていう問題学を設定したということ があるはいでそれは私はもこのの了解と いうものさらに好みよってことからそれ こそ あのいわゆる哲学想あるいはあの ヘルダーリンのみならずアルトとかね そんな人に学んだということがあり ますそれで高の領解っていうものをさらに 進めるというのが精神学の人流れだと思う んですねただ私が1番その辺強く言ってる ところがあるんでしょうかねそと彼女の 領解を進めるとね神の次元にぶつかって くるんですよはいその小松さんが言って 人間の冷静っていう問題ですね冷静繋がっ てくるとそう思いますねこの了解っていう ことから初めて相手へのこのレスペクト 尊敬っっていうもの相手の理解でけそう いうことで前もちょっと問題した共感って ことに関してもあの寄り添いてこと言うん だけども共感寄り添いてのなかなか難しい で私の患者でもこんなよし困ると怒った人 いましたねこんな単純なこと言われたら 困るとただ今のいわゆる緩もそうなんだ けどこの死の次元ってやっぱ了解不能な面 があるわけですね物の事なはいをこの 取り込んだそういう問題知恵があれば工事 の了解できるしそうするとま工事の寄せと いうか共感もできるというなそんなことを 私は感じております差しそういうとこ でしょうかねもう1つ続いてくと分かり ましたはいいいですかねはいもうちょっと したら私がリスポンスしますねはいはい はい差今15分ちょっと超えてくらいで よろしいですかねこれ差し当たりははいひ についたところではいはいはいはい質問し ますはい今のあたりでいいですかはいそう それであの私面白いのはあの若松さんと 対話が面白くてね はいあの対話的に私もですねはいあの早朝 学部長対談ですのでねはい徹底そこの ところはあのえ胸筋を開いてええお互いの 農水も開いてはいればと思うんですねはい そで私の問題意識から今の加藤さんのね はいえ問題提供をねちょっとパラフレーズ いくつかしてみますとねはい私はあの最初 に読んだ哲学所がハイデガーの存在と時間 だったんですねあはいでこれは1年かけて

大学の事業でやったのではいそこのところ でハイデガーの存在と時間を読んでその次 に読んだ哲学書は え柏山錦糸郎というはい早稲田大学の教授 から学んだヘーゲルのあの精神現象学と いう本だったんですねはいはいこの2冊は どちらも1年かけてえ えハイデガーの存在と時間とヘーゲルのあ 精神現象学を学びましてこれいつぐ読んだ んですか先生は1970年初期です学生の 頃に近学生ですあ私あの哲学ですのであの 学科は所属した学科はああそうですかあの 国学院の哲学家なんですねはいそこに千田 義道という東大を出た若いねあそう現象学 の先生がいてその田道さんのなるほどが ハデ川を取り上げたんですよあでその後 早稲田から柏山郎さんが来てあ来た なるほどうんでヘーゲルの精神現象学を 取り上げてくれたんですねはいあそうです かそれ初めて話ねはい私はあのえ ハイデガーのあのえ哲学もそれなりに厚み があるんですけどねはいどっちかと言うと あのうんヤスパースの方が私には分かり やすかったですあ確かにねはいなぜ分かり やすかったか言うとうんあのヤスパース的 な問題意識と私があの17歳ぐらいから 持っていた問題意識がスパークするところ があったんですねはいうんそのスパーク するところは何かと言うと暗合問題です 暗号確か暗号さっきの私言って哲学の彼の 展開です実存の問題ますよねはいていうの はですねあの工事の領解にもつがっていき ますけどねはい世界は暗号だという ビジョンをはいあのえま謎と言ってもいい んですがあの合理と不合理の攻め合いと 言ってもいいんですけどはい合理的なよう に見えて極めて不合なうん不合理なもの カオスコスモスと言ってもいいんですけど ねうんカオスのようなあの不利なものが どっかにあるこのある超越的な穴のような ものがあるためにそっからですね私の中で は死が脇をってきたんですね火山の噴火の ように自分をこう貫いてくるわけですよ 言葉がはいこれが私が使用始めた書き始め たきっかけですのでこのうん天才ですね これねヘルダーに匹敵しますね松さん強烈 なねこの火山談のようにねうん自分の中 から吹き出てくるんですようんだから自分 が加工になったような感じでうんあの言葉 がですねもう止めることできないんですね それは今でも今日でも基本的に同じなん ですけど今でもこれすごいですねなので このそういうどっからやってくるのかって いう問があったわけですよああこの言葉が うんそれが私の死の死を書き始める謎で今

でも玉の問題とかそういう玉の人という本 を書いたりこれは博士ロボにたんですけど ね はいそういう問の1番根底にあるもんで それがあのヤブメとか空海のね研究に 結びついていったんであって1番はそう いう不思議な言葉がどっからやってくるの かっていう問いでその問はですねまさに ヤスパースの投げかけた問でもあったん ですねはいうんつまり人間っていうものが 病理に見舞われるあの時はもちろん精神 病理あるんだ けれどそこでですねまあの病理見舞われ るってことはヤスパース的なまとめをする と限界状況に行くっていうことですよね はいうんせ限界状況に行って苦しん苦しむ わけですよねはいもものペインやもう 行き詰まりやまそれは病理ということに なると思うんですねうんもう現実との あまりにもあの楽さとか食い違いとか適合 性を失うとかいろんなところであの苦を 生じさせたり摩擦を生じさせたりするわけ ですよねはいだけどそういうような経験を を通して限界状況に至った時にある絶対 意識に至るが現れるっていうようなこと 言ってるでしょはいはいはいヤスパースが ねうんうんでこれがね言葉が出てくる源の ように思うんですよねえこの超越的な体験 ですねある種ねうんこれあのヤコブ米名も 全く同じではいあのあるも苦しんでくれ これ魂のトンネルとま魂の闇ですねうん 神秘主義者が必ず通過していく道と言われ ている1つの普遍的なパターンですけど うんそういう魂の闇路をたどるわけですね うんうんこれは一種の限界状況でその限界 状況突破が限界突破が起こるんですようん その限界突破は暗号によって導かれるん ですね証明されるというかはいその時に インスピレーションとも言えるしビジョン とも言えるんですけどうんっとこうね 立ち現れてくる何かがあってそれが私の 場合は死の言葉だったわけですけどうん あのヘルダーリンも全く同じだったんじゃ ないかと思うんですけどもねそういう暗号 の世界これがヘルあのヘルダーリンえば ギリシャ神話的な暗号に取りまかられてる ディオティーマとかねはいうんあのヒベ リオンとかあのディティですね特に重要な のははい女魔術師ある超的な術導き手と いうものがいて暗号なんですけども暗号 解読にうん何かこうねサジェッションを 与えるんですねはいうんそういうこう意識 の工事な領解っていうものが起こって死と いう作品も生まれてきて全くですね定時な 領解だけの世界に陥っていたらちょっと

分裂は分裂的であってまとまらないと思う んですようんうんやっぱり1つのなんか こう人をあの神感させるような作品にまで それが結びつくっていうのは高次な領解の 領域までこう導かれているということだと 思うんですよねはいはいその作者がはい はいで確かにそういうある種あの限界状況 突破の中で絶対識というのが超越的証明に あたってうんこれは神のに頭をさらすと いうことでもあるんですけどもうんそう いう何かにさらされるわけですね照らされ 出されるわけですねうんそしてそのそれ まで はまさに暗号なんですけれどよくわから ない不明先ほどの加藤さんの言葉で言えば 不透明な言葉なんですけどうん不透明な 言葉にパラっと光が差し込んだ時にその 暗号の象徴性がもっと豊かに石のマンダの ようにですねわーっとスペクトルを見せて くれるわけですねうんまさにその神話が 展開していくようなものですねうんそして ヤスパース は絶対意識のこのありよをあのまその純粋 言語あの第1言語って言ってんですねうん うんそして神話やあの芸術作品に現れて くるような言語は第2言語っていうかま それがもこうですねあのえより理性的な 世界に設置点を見出したこの第2言語って そしてそういう風なものが1つの軸って いうか 導きラインとなって第3言語の刑事上額の 言語は出てくるとうんこの第1言語第2 言語第3言語という層をなしている言語の ラインっていうのはうんあのある週あの薬 ウ弁償法の哲学者なのでうんまある種弁償 法的な展開 を示してんですよねうんそういうような まあ一種の え正反合じゃないですけども否定性 ものすごい否定性にぶつかって限界状況に とったあの立ち至った時にそれを超えて いくある種5のあの工事の世界へのジャン プっていうか工事の業界が生まれてくる 瞬間に立ち合うとうんこの工事な領解が 生まれてくる瞬間っていうのがえ ヘルダーリンにも皆見られるしもちろん アルトにもあると思いますうんはい ほとんど優れた芸術家はそういう体験を 少なかれしてるんじゃないかと思うんです よねはいで私は空海もうんあのヤベもそう いう時期があったんですようんうんで空海 は大学をドロップアウトしてせっかく入っ た大学をですねみんなの期待を受けて今の 東大や兄弟みたいなとこ入ったわけですよ ねうん奈良にってねうんでももうみんな

周り見ると何にも考えてないいいとこの ボンボンま家柄だけがいいだけでもものも 考えていなければあの心出しもあるかどう かもわかんないようなやつら でなんかそういう中でそのああた新しく ですね大きく時代がうねって動いている時 にこういう中で大倉省の役人になったりね 文科省の役人になって障害を過ごすんかと 思うともうやりなかったと思うんですね 空海なんかはうんだからもうドロップ アウトして国造問法というマントラを 100日間に100万弁捉えるような3輪 使行者になって家を飛び出て山中でこもっ て修行し始めんですよ国文事法といううん これもかなりきつい修行でうん1日1万弁 か10万弁だかあのこれ122時間取られ て100万弁とえるんですね122時間で ねうん1万面ですね房ればありそかという 信言をうん100万弁捉えるんですね 100日間でうんその空海がその国造具 文字法のね修行したというあのえ洞窟が私 が生まれ育った徳島県安南市桑野町の 我が家から歩いて行けば3時3時間ほどの ね山の中にその お龍の祝があるんでですよあそうですか 空海と上松さん近いんですね非常に近い ですあなるほどああそうですかそれそれで 空海を取り上げてみたんですけどねで空海 で空海がその青年時代にそういう山に こもって山って夜なんかでそういう洞窟の 中であの100万弁も捉えていたらね絶対 おかしくなりますようんはいそれだけで うんでいろんな幻聴が聞こえるような あるいはもっとこう周りのね環境音なんか もものすごくやっぱり微細に大きく聞こえ てきますか相当なえ こうあの感覚拡大拡張のねはい中にあって 混乱もあったけれどそっからこう冷めて 目覚めていく時にはものすごい透明感にも 見舞われたと思うんですねそそういう闇の 中での修行をやっていけば間違なくその 世界の神秘不可思議とか謎みたいなものに はもう肌身で感じられるのでうんでそれが しかし仏の世界観の中でうんに解けてくる ような工事な領解をねうん見せてきてそれ が金星が自分の口の中に入ってくるような そういう神秘体験になっていく金星という 金星明けの明城はい金星ビーナスビーナス がですねの校長高中に入ってくるていう風 にうんま空海は明城ライエスとしか書いて ないんですけどね3号市域の中でああ明城 と書いてんですかはあは明城ライエ数うん 明城ライエ体験は後にさらに新聞州のあの 伝承の中では神秘化されてそれが口の中に 入ってうんこの金星っていうのは国造菩薩

の象徴なのでああそうなんですかと一緒に 一体になってで神秘体験がねこの今日が 完成者と満行になった印だという風にま あの信言集の人たちはそう理解するわけ ですよ驚愕的理解を ねで私はまそこまで言えるかどうかは ちょっと半分疑問ですけれどしかし空海が 間違いなくそういうあの魂の闇闇をたって 限界にあのぶつかってそっからある種の 絶対意識的なものにを垣見ていると思うん ですようんヤスパース的に言えばそして 空海の中で第1言語の世界と第2言語の 世界と第3言語の世界が非常にクリアに ですねうんあの切り出されてくる原点は そこにあったと思うんですねうんつまり 第一言語体験っていうのはそのマンテは すらえ唱えているわけのわからないま日 極まりないような信言ですようんうんで大 2言語のレベルというのはそれが空気ば 指示になって高野少量集とかあの彼の哲学 的論文みたいなものも全部死と論考が一体 になってロジックがあの1つなりになっ てるんですねうんうんだからあの私的な 文章と 私的な言葉と論理的なものがもうあの緊密 に不可分のものとして結びついているので うんまハイデガーのヘルダーの死の解明 みたいなまテキストに近いのが空海のほぼ ほぼあらゆるテキストでうんそこはね やっぱり空海が第2言語を駆使できたん です よあのヤスパース的に言うと第2言語は 神話とか芸術的な品に現れるけれどまさに 空海は詩人として特に監視ですけどもうん その死でそれを表しているそして論的な 部分論理の部分が第3言語刑事上学的な 空海は促進成仏論とか非常に重要なあの 密教的なあの論理をですねあの密教進学 密教教学をあの論理展開してるので非常に 明積なあの論理も展開してるんですねだ からヤスパース的に言いますとねその第1 言語第2言語第3言語というものを全部 間違いなくクリアに体験しかつ駆使できて いるんですねうんうんなのであのそういう ヤスパースの問題意識は空海を1つの 手がかりにしてものを考えてきてま空海と ヤブ命名をね手がかりにしてものを考え私 にとってはヤスパースの方がハイデガー よりもありかに分かりやすいていうかあの 問題意識が共通してたんですねそれで加藤 さんが精神病理学の1番根本のところで ヤスパースを非常に重視しておられるのを ねうん読んだりしてはい改めてですね ヤスパース問題がうん哲学においても精神 病理学においてもあるいはこれから先に

おいても うん未来においてもですね彼が投げかけて 問いかけた問題は非常に重要である神秘 主義の問題を考える時も非常に重要である とうんえ思うようになったっていうのが これは加藤さんの本から学んだことです うんそう面白いですねはい今のお話ねもう あのある意味じゃ蒲哲学と想が全面展開 っていうとこですねこういうあの ヤスパース で が日本のこの空海行くとすごいですねこれ ねでかさんの空海の面白いですねで ちょっとね確認なんだけどヤスパースがて 第1言語って具体的に何を言ってんでし たっけ第1言語はあの えー具体的に言ってることはうん あの えどこで書いてたっそう僕はちょっと 分かんないけどあの先きた実存解明かな 実存解明とこああはあと思うんですけどね やぱ葉ならないとこですか大1 元号や暗号と言ってたでしょあ暗号あ 暗号暗号がですね第一言語の源ですよね源 なけそ源でそれが あの神話っていうのは暗号みたいなもん じゃないですかはいそうそうそう神話と第 2言語でしょそうそうですねは何に当っ たんのかなちょっと思ってや何を言ってる かと思ってうんそれと関係ですねうんあの 大暗号はですねはい第1言語と第2言語を つなぐものだというのが私の考え理解です なるほどはいで第1言語はですねいわば 暗号の元になっているあしの神秘体験 みたいなあもっと暗号の元ですか暗号の元 っていうか暗号暗号化させる体験ですね ああなるほどはあははそういう意識という のかあそういう意味ですね分かりましただ まだ言葉が第1言語をはっきりしないって とこです ねあの第1言語はそういうこう体験の フォリアじゃないかと思うんですよ なるほど私の場合はあの火山弾がバっと 吹き出てくるようなこの火山談のような 言語の感覚っていうのが自分の中に 生々しくあるわけですねはいはいうん体の 中から火山断が飛び出てくるようなこう いうなんかちょっと得体のしれ ない何かがやっぱりフィジカルにも スピリチュアルにもどちらにもうあのあの 繋がりながらあるんじゃないかとこれは 第一言語世界じゃないかと思うんですね ましたしかしかあなるほどそれは即合理化 できないのでうん はいそそれをですねある種あの理解可能な

了解可能なところへはいえ表現できたもの が神話や神話っていうのは1つの物語性を 持っていたりするのでまあるしこう えこうグアとかアレゴリーとかですねあの こう類とかそういうようなそういう ナラティブによって理解できるところあり ますよねはい暗号的であったとしてもはい でもちろんあのそれがえもっとですねま メタファーみたいなものもそうですけど 象徴的な世界にもつがってで死はメタファ メタファーみたいなものを非常に重視する の で私的言語っていうのはメタファー的言語 ですねはいでメタファーていうのは物とも の意なこの異次元なもの異物同士を 結びつけることができるというま神秘合一 みたいなものをメタファーは達成言語で 達成しますからはいメタファーの発生っと いうことと暗号の発言っていうこととは 繋がっていると思うんですねはいでそう いうその世界がメタファーであ るっていうことの意味論とかうんあるいは メカニズムとかまコンピューターで言うと アルゴリズム手順みたいなものをちゃんと こう明示して取り扱い説明書みたいな取説 みたいなものを書いたらこれは哲学体系に なりますよねはいうんまそれは科学にも なりますけれどこういうのが学問の世界に なると思うんですよねはい第3言語の世界 は学問的言語っていうことになるでしょう かねで第 2言語はある種芸術神和芸術的言語ですね うんで第1言語は完全なる秘密言語ですね 神秘言語みたいなうんはいこれは仏教的に と信言ということでしょ仏の言葉という ことになりましあのキリスト教的に言うと 神の刑事の目次力みたいな予言とあるとか はいうん刑事であるとかうんはいそういう 神の言葉ですよねうんそういうものが やっぱりあってそういう神の声が聞こえる ような瞬間っっていうのはやっぱりあの魂 の闇路を通った人はどっかでですね あの聞き取るというかぶつかるんじゃない かと思うんですねはいま空海はそうであっ たしうん仏の言葉を聞いたっていうかあの ヤコブウメも神の言葉を聞いてんですよま そうですねでこのヤコブベの神の言葉を 聞いたものが彼のオーロラを始めとしたえ 彼の学的な所作群にもう障害かけてそう いうもなものを書き表していくのではい もう最初の神秘体験っていうのは数分とか あのそのいう10分とか短い時間の中で こう証明をですねまヘリン的に言うと神の 雷雨に頭をさらしていたわけですよはい うんそこできしたものを生涯かけて彼

は第3言語の世界につまり刑事学的な哲学 言語の世界へまとめてそれを米名進学とし て展開したとうんはいそういう風に考えて おりますはい面白い私ね今その暗号暗号に 関してのね私の一は私の理解しやすいあの ツールはね実ははいあの精神描写の体験な んですよ臨床で私はね暗号っていうものを す強く感じたんですよヤスパースも暗号と いうこの考え自体はねヤスパースが いわゆるハイデルベルグ大学の病院で患者 をと面接するそういう中で感じたもんじゃ ないかという気をしてそういうこと書い てる実はね精神病の患者が月のフにや当少 の感じる初期というのはねまだ全く意味が わかんない妄想もできないなんか自分に 周りから意味が差し向けれてるとでも わかんないつま謎が自分にさめ謎の家長に いるっていうそういう体験から始まるです ねはいできないんですよで怖いしはいどが 見るという体験ここには暗号っていうもの が自分にどっかであると超越的なもの外 からなんか自分が暗号を感じとるというか その体験これ実は彼はねヤ意味体験って 言ってですねベイトエラピスでこれまた 重視してんだけどある意味がなんかさし ベド方向で見んだけどベ方向が差ししかし その意味はわかんないっていうそれを宮本 たは言語言語危機と言った言語は普通の 言語じゃこの到着接近できないうん解明 できないんでこの意味のわかんない自分の 言葉がどっかで破壊されると日常限が破壊 される言語期っていうこと言ったんですね 確かにそういう面があってだ言葉が普通の 日ではこの到達できないその回でこれはだ から暗号でヤスパ実は暗号あんまり閉塞の 意に変えてしめていけないていうことを 言うんですねうん暗号暗合でどっかで大事 にしとけということ言ってますそれ大事だ と思うんですね年精神病者の体験でまず 最終出発点がね理念的な場合もあるけどで も現原理的にはねその暗号まだ意味が充実 できないそういう意の体験があるとこれれ を彼は暗号と 哲学の彼の哲学書の中で行ってると言うの は私の理解なんですねだから彼にとっては 暗号っていうのはあ精神者の体験から彼 なりにはこのある種の原因性を持って感じ られたそれ今度自分のこの哲学の中で暗号 ティムの自分のあにこう構想するという名 があるんじゃないかと思うんですねはい 蒲田さんとね私の大きな違いはこの蒲田 さんは言葉がどんどんやってくるっとい 体験をできるわけですよ全督私はそれ なかなかできないてかできないもなんです ね私はだから言葉外から宿ってくるという

やってくるという体験は実際そんなできる わけじゃないんですねそこ大きな違いです ね逆にで精神病者の体験を通し今なんか 意味がわかんないなめた体験をするそう いうことからあそうかこういう人はそっ から言葉が出てくる体験するということで 感情を通して今の神秘的な体験を学ぶって いうことがあるんですねかさんはそれを ある意味肌で感じるということやっぱそれ 大きな違いですよねつまりかさんは ヘルレンがなんですよ私は間違いなくそう 思いますね誕生日も同じですしねあそうだ でね私はあの子供の頃からねはい鬼を鬼が いると言ってね周り随分手こずったんです よああすごいなそなるほどだから鬼がいる と叫び泣き叫んで鬼が見えるんですよそ それ徳島の話ですかあ徳島の話子供の頃 からに徳島どこですてア市桑野町という とこっていうのは徳島市がちょっと南です ね徳島からする とはい海がありますあの亀の産卵とかね 海亀の産卵とか有名な蒲田崎とか非常に 近いとこですけどねああまだうん近代文化 が入る前の日本のあり方が結構残残って とこですね多分空海のあれお変さんもそう ですからあすごいレプレモダンですねでね 今の大とねうん 加藤とするとねはい比例関係で言うとね私 ヤスパスの側でね蒲さんヘルなりなんです よそうですね間違いなとですね哲学でって ハデからもね言葉がやってくるっていそう いう体験してないと思うんですよ言葉の 自性体験っていうかねはいむしろやっぱり ひってとヤスパにあるだろうとはいただ やハレガの場合はねヘルなに近づこうと するんですどっかでねはいそうですね破 するとそこが大きく違いますねうんそれは ねていうのはハデがもう死を書いていたん ですよねはいハデハイデ川なんですね ハイデ川も死を描いていた死を書い死を 書いてましたはいだからハイデ川も詩人で ありたかったんでしょうそうでしょうねだ からよりそれ近づこうとするっていうのが あったと思うんですねはい近づこうとする とでたそれはなかったと思うんですねだ から先ほどねあの京都学派島の木村ビさん とはいあの宮本田尾さんの違いをねはい 言われましたけれどはいはい あの宮本さんは文学の方に関心を持って おられたとそうですねで木村ビさんの方は 哲学の方に関心を持っていたとはいはい はいこの辺のこうなんかね自分の立ち位置 っていうかより強く惹かれるものの世界 っていうものはその人の一面をやっぱり 表しているのでそうですねねやっぱりその

文学の方に強く引かれてしまうといううん 精神性っていうのは何かっていうことを うんあの考えるとですねはい あのハイデガーはあんまりあの体型性が ないですようんどっかで主人的な目あり ますね確かに非常にそういうね直感的な ところがはい結構あって初期からうんだ からそこが一種のあのドイツ関連論をあの 経験したあのドイツ鉄からからすると ちょっとあのこう破れているっていうか 破れかぶれっていうかそうですねそれに 比べるともうヤスパースは一等最初の書物 から精神病理学創設でしょうはいはい そんなあの体系的な著作がねパチっと かけるですからねはいうんもう非常にこの 整理されきっている哲学的なこの哲学的な は概念構築の世界ですからはいそういう 哲学的な概念を見事にですねうん セレーションできる人ですよねうんそう ですねこれはあのハイデガーの体質とねし ねしくくねくねしたハイデガーのうん粘り に粘ったようなあの分隊のねハデ哲学の 世界と体質がり違いと思いますですねはい でやどっかやっぱ冷静なんです確かにね 非常にね冷静かつ明積ですねそうですねだ からその明積さはある面必要なんです けれどそうですね当時にあの暗号という 問題に関してははいあの明積すぎるとです ねうん暗号消化したりうんうん暗号を整理 しすぎるとうん暗号の持てるマレクが失わ れてくるのでうん確かにそうですね やっぱりそこの暗号のマレクはむしろ ハイデガーがヘルダーリンの死の解明で うんよりあのこう浮かび上がらせることに 成功してると思いますねそうですねはい それ面白い点ですねである点ではだから あのヤスパースはね今人間の謎はいの足 非常に明確に打ち取ったというかねそう ですねはいそう思います定になんですねで それが対し出発になると僕の中場所もね どっかでその明確な場所を示してくれたと いうのは大きいとこただ私もどっかでやぱ 離れるとこはやっぱあってね彼はあるて れ冷鉄というかあのオコというか冷静すぎ ちゃってちょっと面白ないというな感じ ですねまそれは非常に感じますだけどもね 加藤さんあのあえてヤススの弁護するとね うんうん あの医者にはそういうクールダウンした ところがないとそうです逆に周りから信用 されないでしょう患者がからそうはいはい だから患者の方が沸騰してるわけですから はい医者も一緒に沸騰してもらうとそう ですあのあのえ共感それ共感してるかの ように見えるけれどちょっと

やっぱり医者としてのうん割りとしてはい やっぱりクールでなければはいクールで スマートでなければいけないというのか はいそれはヤスパースとしての絶対的な 職業倫理でもあったんじゃないかと思うん ですよねそれ私確か彼は医者としての精神 解立場っていうものをしっかり保持し ながらてはいそで僕はあの今の ねヘルダーリンとヤスパースの違いって いうてに言うと ねルダリはま凶器に落ちる中でどっかで資 言うんだけどやっぱりパッションの中に 入り込んでるんですねどちらかととそう 言っても冷静ありますよねはいそれ以上に ヤスパースはそうした思想からちょっと そのマイク投げそこにこの一面的に没入 するんじゃなくてねうんくというそれを 冷静さそれ関東に言ねそれクリティックだ と思ってんですよあまさにあのその クリティックはありますねこれが大だとだ から今医者のそれが大だということなん ですねただ信各あのあれですねヘダも読ん でると非常にあのどこか冷静なメバなん ですねだからどっかで一作家というのは クリティックの面もどっかで持って るっていう印象はなくはないですねはい1 つはねあのヤスパースとあの えハテがの大きな違いはねアネクドートと 言うとハンナアーレントにたあの可愛い あの18歳20歳の女性のま女流哲学者想 家に対する大の違いでもうやますね入てそ 私もねそれはね言いたいところでしたね 全く同感ですねどっかで書いてそれ書いて んだけどねある人なるほど言ったけど アレントに本当に恋しちゃうわけでしょ ハデ川はね川はねハデ川はそこに埋没して 近づきすぎたまだですねアーレントもき ちゃうわけだけどそのそれに対してある 相談に乗ってくれたのはヤスパースなん ですねだからヤスパースのその冷静さま あるし鉄とも言えるあのその絶妙な距離の 取り方とハイデガーのそのある意味でバサ バサぶりというのかうんうんこれはあの とっても対象的ですよね面白いですからで それはねさらに言うとナチスの問題ナスに 対してもねはいはいアスパの距離を分け ですよスス行っちゃうわけですねはいはい でも彼彼のの哲学層になでもの問題も 大きいです信仰というものはいかにね宗 うん宗教色つくととんでもないことになる とはいこれは宗教哲学信仰と言って規制の 宗教から距離が起きますよねはいまさしく その暗号そのものに定するということを彼 言うわけですねだヘダになるわけじゃない しうん死になるわけしむしろ暗号するもは

大変なことなんだけどそういう工事の悟の 境地で彼は哲学いますよねそれに対して あのそれこそあの1934年代ドイツの 危機の中でハイデガーはなじるに没にした わけでしょ最後ねはいあるみたいそれ 大きな違いですよねつまりあのどっかで ハイデガってのはファッションが大きく分 だからドイツのどっかであのナシムのナシ のま種の全体主義に入ってしまうというの がずあるんじゃないかとしますよねこれだ からハイデガーの危険性はそこの辺のあの うん その魔物に取り込まれていくというねそう ですねだクリティックの問題ですよ はいそれでですねはいあの現代から未来の 病理学の問題としてはいま今話したことが 確信的な問いだと思うんですねうんつまり ヤスパースヤスパース型のうんあの心と いうのか極めて鉄にうんプルダウンして 物事の現象をそのメカニズムも含めてうん あの取り扱うことができるという位置位置 を担保している人間のあり方これはまま1 つ機械に表彰されてくるんですけどもね うん機械は完全にメカニズムですから1つ の要素関元主義とも言ってもいい部品に よって成り立ってるのでその精密な部品と の組み合わせによってその機能強化をして ある1つのシステムを構築していくわけ ですよねうんでそれはあの哲学の体系を 論理的にカチンとロジックで構築する世界 とも繋がってくるんです けれどでそういうものが壊れる時 にあるいはそういうものがそういう機能性 を喪失する時に どのようなアイデンティティクライシス みたいなものを含含むのか機械だってある 段階にまで行けば機械が壊れる時に単なり 壊れて修理できるという次元と機械その もののあのアイデンティティの崩壊みたい なものを持つ感情と意識のレベルが起こり 得るんじゃないかと私は思ってるんですね うんつまりそのハデガ的なこのある種その 魔的なものていうか魅的なものにぬ納税的 なものにうん入り込んでしまうというのか まハナアーレントがあのあし海納税みたい な部分をうんまさに暗号をね発信してたと 思うんですようん存在としてですよはいで アーレントは魅力的な人ですからうんその あのヤスパースにもハイデガーにも暗号的 な存在としてうんいろんなスペクトルをね 見せてくれたと思うんですねはいでもう あのハデが無臭になるわけですよねうんで もヤスパースはそれを非常にクールダウン して全体性をうまくあの放せ彼の哲学で いう放せしながらまその中にあるあの

大きな問題のあのこうあの枠組を捉える ことができたと思うんですねあの医者とし ても精神病理学者としてもはいだけだけど もえその えアーレントがそれで満足したかどうかは 別ですけどもうんあの安は頼りにはなった ガイドにはなったでしょうけれどうん1番 自分の心の中にあるなんていうか確信って いうのかうん闇っていうのか確信みたいな ものにタッチしてくれるかが うんヤスパースではそうは得られなかった かもしれないとはいあのあのいろんな サゼッションは得られてもうんあのそう いう自分に触れて触ってくれてる感という かうん自分のことが分かってくれてる感 っていうのはうんより少なかったんじゃ ないかと思うんですよはいうんアガの方に うんむしろあのアーレントもより分かって くれてるように思ったんじゃないかと思う んですねそれ錯覚であってもですよはい はいうんそれだけのあのこの海のを見抜く まなざしと心 をスピリチュアリティをねハデは持ってた からはいはいうんなのでハイデガーはだ からこそアーレントと恋人関係を保って しまうことにもなって踏み越えてしまった と思うんですけどねうんはいその踏み 超えることによってお互いに傷ついたり いろんな問題が起こってきたりもしたとし てもですよまあるある週そのハデ川は海勢 の方に行くという人だとうんそのハデ川の 海勢に近づくというどうしようもない 引っ張られていく力があのヘルダーリン論 にもやっぱ濃厚に見られますよますよね あそこまでこうね引き込まれっていうのは 半端じゃないですようんヘルダーリンの死 の世界にはいそれはあのアーレントの世界 に引きずりこまれるのもやっぱりひきずり こまれる能力っていうのか勇敢さっていう のかうんあのやっぱりこうまあるしの世界 観まあのハイデガーが非性と投げ込まれて いるという感覚をすごく重重視します けどこの投げ込まれているという 感 はやっぱり大きな世界感情でうんこれは 世界ない存在という時のインディアベルト ザインという時のも基本的な感情ですよ 投げ込まれている うんそれが実存の不安とかゾルゲという ことにも繋がってくると思うんですけどね はいまその辺のところがあのああの ヤスパースとあのハイデガーの両者の違 いっていうのはこれからAIやロボットの 時代になってより顕著にうんこの辺の問題 があの顕在化するんじゃないかっていうの

が私の見立てなんですねはいはいですから 精神病理学はその時にもう一度息を 吹き返してもらいたいしうんその精神病理 学のハイデガーやドイツのああいうこの 病理学的哲学の問題とかをちゃんとその辺 のところをねこの時代の状況の中でこう 組み立て直して欲しいっていうか問えて 問いして欲しいという気持ちが強くあり ますうんはいそれは加さんに期待する ところです非常にはいいやまあの今の今後 の今のねう発に関ししては松さんが今度の ねはい大学ですかのマニフェステーション マニフェストに行ってる中ではいあ なるほどと思ったの宗教っていうね軸はい これやっぱりこの人間とって深けだろうと できないはいなってるよねでま今の ヤスパースの点で言うとねやっぱり ヤスパース は宗教宗教だ規制の宗教をちょっとあのま 脱構築しながら絶信仰って言ってんだけど ええ嵐の信仰というか宗教の知恵って やっぱりねあの無視できないということ それは僕はなうと思うんですよね私もそう いう方向なんですよはいそれに対してハ 以外の場合は宗教が最後ね彼はいわゆる このレッツゴと最後の神っていうことで やっぱり出てくんですねええも手信仰と いうグラーベンと言ってないだ進行と言わ ないんだけどやっぱりこのはいあのヘダが 問題した東としての神というか雷なりが するだけの音だけの神っていうかねはい それを評価しながら最後の神っていうもの はこのザインも防戦引かようなね後期の ハイデガーの 著作でそういうことを言って僕はそ評価し てんだけどねはいどっかでいわゆるこの今 宗教宗教はあのいわゆるクリスト等々規制 の宗教があのま大きな現世からなんとなく この消されてくるんだけどそう言っても やっぱり宗教の地位は大だというのは ヤスパースもハイレガも共に言ってると いうのが僕あると思うんですねはいそう ですねその地大事それに対してちょどっか でなあの京都学科がね木村美の考えが非常 に浸透したんだけどだちょっと距離がある のはね彼にとって宗教地が全く出てこない んですねね僕の理解はうんあれだけあの ヨーロッパ室を語りながらね彼はね宗教は 一言も出さないと間間で行ってるとはい 日本的な発想かなという気ちょっとします けどただ日本新党も彼はあまり浸透リズム もあまり影響受けてないですかね受けて ないですねこ西田鬼太郎はねノイスノーマ ていうこと言あノのはい本は超超ノエスて かウルトラノイス神だってことを言ってん

ですねつ彼は切の質を受けるもんだから うんルの要するにあの彼の宗施策の頂点は やっぱ神なんですね彼はねで総互証人って いう時も自分 が木村がよく引するね自分は他人と関係し ながらもう1つ関係を持つという時のその もう1つの関係で神なんですねその神の 事件を村は全くかこ言てどしてるとこれも 日本的需かなと思ってね君の必いいんだ けどぱ間の問題から彼の あの西田太郎の需要の仕方もねやっぱ神の 事抜けてるっていう印象を僕強く持ってん ですよそそういう1つあの え和哲郎と西崎太郎の違いもその辺にあり ますねあそうなんですかうんあの鉄はね あのまあの非常に賢いスマートな人です けどはいそういうその絶対意識みたいな とこ行かないですよねうん彼はねえあの 西崎太郎もやっぱり純粋意識とかそういう こと言っちゃうじゃないですかはいはい うんうんうんうんあるいは京都学派の中で 絶対ムーみたいなものとかね絶対ムねはい あの でヤスバースもそうですよねうん絶対意識 みたいなあの限界状況を突破した時のま うん超越性のこう立ち現れっていうのは うんハイデガーの言葉言った オファーオファうんオフェバーオフェです かオーフェンバールングかですか刑事です ねはい刑配性性ですねオンバひかれひかれ そのひかれの部分をがあの闇に進まれて いる中からバーっと開かれていく時のこの のこの強度というか熱みたいなものをうん あのすごく重要な問題としてこの開けの時 のねうん力っていうものを重視したわけ ですよねなるほどうんうんであのそこを しかしあの重視しすぎるとうんこれをあの こう明積に意づけられないようなカオス みたいな部分を含んじゃうのではいあの ロジックとしては破綻をきたすという ところがありますねだからそこで難行して 純粋意識とか絶対意識とか絶対もなんて いうのはトートロジーみたいになって絶対 無は絶対無だよみたいなうん体験は体験な んだよそういうものがそういう世界がある んだよとかねうんあのうんままイデアロン ではないけどなんかそういうようなものを うんあの限界概念を作っちゃうのでうん そこで止まってしまうところがあると思う んですよねはい哲学としてはそっから先が ないからうんだから厚い鉄路はそこは うまく回避してうん間でうんやったり フードでやったりうんまあの孤児巡礼とか そういう周辺をねうん迂回をたどることで うまくですねうん避けながらあのこう日本

的な市とか日本的な文化の位みたいなもの を非常に明積にスマートにうんあの 切り取って見せてくれたと思いますね賢い とても賢い人だと思いますねだけど賢さ だけでは我々は満足できないのでうん やっぱり西田手鉄西田鬼太郎みたいな1番 純粋意識の厚い部分を熱いままに感じたい みたいな心があるじゃないですかはいだ からそこの中に行くとカオスに引きずり こまれる井戸の中にねはいかっぱに 取り込まれるようになっちゃうので なるほどはいま魅力でもあり魔力でもあり うんま京都学派にはですねうんまその辺 のえ西田フリークもいっぱいいますから うんうんだそれだけの影響力を与えただけ すごい人ですけれどねうんうんだけどあの あの哲学的な論理を名鉄に通していくには そこはやっぱりいっぱいこうネック ポイントにもなるのでうんうんまその辺 両義性を持ってるなと思いますうんはい 分かりました確かにねで私ねあのはい今後 のねま精神病学の展望それある意味では 今後のはい世界の中での人間の展望にも つがると思うんですけどねそうまさにそれ ですね私はも学生時代から医学部入ってね 医学な研究に対して批判的だったんですよ はいつまり医学で人間全部分かんのかとれ だけ精神医学がそうですよねはいも遺伝子 が分かれば全部もう病気分か るっていうことでものすごく楽観的な時代 が1980年以降のゲノム時代なんですね はいでみんなそれとっかかったでこれを 解明すれば病ゲーム分かるとはっきり言っ てましたで僕はそれ最初から批判してたん ですよそんなことはあるかとでそ見とかっ たていうことでやっぱりわかんないって ことなんですねはいそかねヘーゲルががね さっきの原子学の実は柏山金二郎のはい私 言にバス大学のねはい方ずっと聞いてた です彼毎週ね学生の時代からやっててね ええええ史郎さんの声聞いてましたその時 娘さんがNHKの柏山文さんなんだけどね そうそうそうですたはい本当にあのこ先生 でしたねで彼の熱い翻訳も読みましたで ちょうどね学生で僕本当自由なことやって てあの哲学のなんかとこのま若手の先生 なんかと一緒にねヘーゲルを現象で読んで んですよええあのフメ精神現象学を読んで ましたそれで実はねあの現象学結構好き だったんですよ彼のトスなかなか難しくて ね何回でそれも不明で太明のも好きなん ですねってねそれはあの精神病理学に行く 1つの同ですね今でもそのじる文章もある んですよそれぐらい軽も好きでしたはいな んですねそのヘーゲルがね現象学の最終の

とこにねええやっぱり既にヨーロッパで イギリスフランスで三角革起って科学が 盛んでしてね科学ではい科学で人間理解 するかと科学批してんです彼がはいあ なるほどもう平原も批してるとま哲学使命 だから哲学ちょっと遅れてきててね科学的 な研究技術に対してそれ保管する形で人間 理解のもう1つ表示くすというのがあっ たらかなという風に思うんですねでそう いう点では兵の現象学も面白かったですよ つまりあれも非常に精神学の考え精神描写 を考える場合のいろんな素を出してくれ てるんですね実はねヘーゲルのあの現象学 の中でね先ほどかさんがおっしゃったね 言葉が飛び込んでくるはいということはね 一言出てくるんですよあるとこでうんが 圧倒的にこう人間に迫ってくるってこと 書いてるとこせたんですよどすご関心して けど彼のね彼の妹はあの時代の今先先の方 なんだけどクレッペの相を患った人なん ですねええ重症な形で入院してんですよえ 何病だったんですかフリーですデメクあの 東少々分裂病なんですよええ彼はねそれ 知ってると思うんですよ妹がはいはいく わかんないけど現とか妄想があった人だと 思うんですよすぐ下の妹がうんだからそう いう狂気をから知てる人です狂時々彼あの 精神現象で言ってんですよねうんなるほど なと思ったんですようんそれは非常に興味 深く思いますがそのあの興味深い1つの 背景にねはいあのえハイデルベルグ大学 でしたっけねゲル はのねだからとルダマ同なんですよねあ それとシェリングがねシェリングそれあの 同質だったと量でそれであのまさしく ヘルダーリンのあの友達の友人の狂気も 知ってんですよ彼はですよね当然てますで 狂気知ってる中で現象が書いて るっていうのは僕解うんうんさそイエス キリスト教の方に彼は若を求めんだけどね それで絶対地まで行くじゃないですかあの あの接神原現象がねだからそこが究極的な 救済のね弁償的はその最終地点でしょ ゴールになってるわけですだからそれは彼 にとっての自己存在危機の救済としてああ いうのが出てきたと思いますよどっか哲学 っってのはね自分の問題をどっかで投映し てるってのあんならないかって実してるん ですけどねうんでもそのヘーゲルの問題の 解決の仕方はうんヘーゲルは救済したかも しれないけれどうんあの哲学としては ちょっと1つあの問をこう弱めてしまった というか小さしてしまったように彼はどっ かで円閉じだったっていうことですねそう いうことですねでもう1つ理解は円は開か

れてるよって理解も確かあるんですねだ あれは平原の思惑と違ってうんで平原のな 僕そんなあの現象が結構好きてバっと読ん だことあるけどまあだすラボでね哲学も 歴史のヨーロッパの歴史を全部さうんで 閉じちゃうわけでしょあんなことないです よ妄想的な理解じゃないですかうんああ いうとこあんですそれはやっぱり妹のま 問題とも絡むような気しますけどねうん うんまいしてもねヘーゲルが現象学で科学 やしてるっていうの僕は非常にあの増加し たんですようんで学生時代入っても医学的 盛んでやってました僕うんそれ確かにいい けどもたそれだけ面白くないって僕の考え てねうんうんそであのとということ島野生 先生はい島す先生のすさんのお父さんね 平気で批判しだったノハでできわかんない ですかったらうん難しい顔してましたよで そそういう中で君島す先生は君宮をたせ いいと言ってくれたんですけどねいうこと で絶えだから僕は科学的な研究思考方法と 対応する中でねうんうん精神力を考えたっ ていうとこあるんですよはいはいそ中で 現在も遺伝子研究私結構だから関心があっ て色々あの読んでみましたで私の 思い通りにをする遺伝子分かったけど しかし躁鬱病統合少々わかんないっていう ことが出てきてんですねでこれが最近も僕 が実は書いてんだけどねむしろ遺伝は環境 の要素で非常に変わるといこと出てきても 実は僕はそう思ってますけどね1番ねうん 遺伝次元論は打席したんですよ打席してる とうんいうところが今の最1番最初 2020年の研究出てきてるんですねええ ええ僕論文になると思うんだけど結構最近 の研究しましたそうするとね遺伝子で遺伝 子話があったけど遺伝子品は崩れて るっていうとこですねただまだ血によ遺伝 子は高にあるわけだけどねそそうするとね 人間の有用というのは物質では解明でき ないむしろ物質が関与してるけどもそれ だけじゃないとで単純には自然関係もそう なんだけど環境意しうんそれ以上に自然 関係以上に大きな環境は遺伝子の発言をそ に影響を与えるのは言語ですよねうん 芸術相対っていうものはあのより自される という点で言うと人間理解の場合に医学が まそうなんだけど医学もということ高血圧 あるいは糖尿病等がうん遺伝子では解決 もしろ遺伝子の一遺伝子病も確かあるけど 1遺伝子病さえもね遺伝子持ってて発言者 にいますからね関係士も大きいってことが 出るんですねうんっと私が学生時代考えて いたやっぱり人間存在っていうものは やっぱり心身っていうかうと体う身とあの

身という身身身はすにま実はライプなんで 精神が入ってんだけどま物とねかバディと ね身体あの心マインドもやはり心と心って 感情ですねと並んでやっぱ謎めいた次元で あるねスピーチ次元の精神ってもの やっぱり必要だというのが出てきてるじゃ ないうんそういう点でいくと遺伝子の研究 から一層ね今後の人間理解人間学っていう ものはやっぱりあの言語の問題言語によっ て人間想像するとその言語の発言の元に なる謎めたもの物の次元これれってもう1 回浮上してくるっていうのは僕あるんじゃ ないかと言思うんですよあたらだからうん 人間なが再生すると浮上するといういうの 僕は出んじゃないかと癌でさも僕はそう いう意志もありると実は思ってますけどね 決定者じゃないけどもねと治療に関しても だから薬物ではなくて遺伝子操作だけじゃ なくてそ限界があるとまやっぱり広の精神 的なコミュニケーションそこにはだからう 医学のこれ精神療法だけじゃなくて宗教に よる癒しっていうものもきとうんうん物を 書くうそいうるエクリチュールのもん芸術 の捜索これ自体もだから癒しの効あるし 人間を癒していうかもう人間を高めるって 飛躍の方向ねそれあるとそういう方向思想 のレベルもね示唆すんじゃないかと実は僕 は感じてますよね精神病学もいての一層 重要な精神学精神医学でいう癒しのレベ ルってやっぱ精神病医学ですよねうんもう 1回左用かされるっていうのは私の考え ですけど今うんそんな風に思ってますあの 私はあの去年あの え12月に大腸癌が発覚してええ大変でし たなとねで1月に50cmぐらい切って 腸癌をはいそしてそれがステージ4であっ てリンパ節や肝臓や肺に転移していてええ それはあの 抗がんしてんですね今交換剤治療癌の治療 もすごいですね今ね分子標的ないんですね あの分子標的剤ではないです標準治療の やつあれ聞くとすごいですねあれねそれが 聞いたんですよねあだから非常にあのそれ やっぱ医学の進歩ですね確かだからその 西洋医学のね標準治療になってるものは 一定程度私我が身をあのもものようにして 試してみましたからはいそれは一定効果が あると間違いなく思っていますそ大きい ですね私ねだけどそれを一定効果をうん もたらしさ環境がありましたね先ほどね 環境ね2つあるんですようん1つの環境は 冷えですねああはあはもう1つは私自身が 歌を歌うことと死を書くことですね やっぱり語ですクリエイティブなもの 大きいですねえはいこのあの言語的な

クリエイションとうん自然環境がねこの ヒザのこの私の家の周りのもたらすこの力 はいこの2つが間違いなく抗がん剤治療を はい支えるだけの体力や気力やはいあの こうなんかをですねうんあのして支えてる んですようんそれすごいですね塩を描く こともそうですねだからそそうして今脳に 転移してきたのでさらにそれがあの兄弟 病院で放射線治療やってあ大病院やった うんはいこれが一定程度ですねはいあの 効果を持ってさらにですねうんあの良く なっていったら間違いなく今度はですね うんあのやっぱりそのその今言った2つの こう要因ですねそま自然環境的要因と言語 環境的要因っていうかうん要するに言語的 なクリエーションっていうのがどれほど この脳にねうんあの脳の癌の転移をうん あのこうある意味でコントロールするて いうんじゃないけれどうんあのこの え悪いようにえ行くのをうん抑えるぐらい の力を持つということが自分なりにねうん こう確信できるんですねああそうですねま 免疫のがあります免疫力を高めればいい わけですよねま免疫力を高めるのは自然地 力をそのままこう高めていこうなんで基本 的なあの生きことだと思うんですけどね はいはいさらにその免疫力を高めるという あるフィジカルな面にうんあの死を書くと かっていったようなそういうそのよりあの 言語的なクリエーションみたいなものうん 俳句でもいいんですよはいそういうのは あの作用するというね自分があのここれ までやってきたことのはいあの伊波のね 心髄にある暗号がですねはいもっと象徴的 に溶けてくるんですようんああハイデガー のいうこの脳の状態がねどういう風にあの これから維持できるかできていくかって いうことをうんあのこう自分の脳髄で試す とですねうんあ空海の行ったあのね国造 愚問事法の暗号世界とヤスパースが言って いた暗号世界第1言語世界と第2言語世界 と第3言語世界の関係性みたいなものの中 でこうこう統括されていくというか浄化さ れていくっていうかはいそういうものが どこかあるはずだとうん まそういう風なことをねあの未来の精神 病理学やあの農科学を含めてあのあの身体 病理と精神病理と切り結ぶはい様々なね 新しい展望と展開をうん え待ち望み期待するところでありますあい です確かにねで言語自体が大変な生命力 ですよこれね確にその言語のの生命力をね うんずっとあのヨーロッパの神秘式だと カバラーとかがえそれをずっと大事にして きたわけですよそうですねであの東洋では

ですねあの特に密教がそれを最も重視して きたわけですよはいで同居でもです ね気候に気候の中で6次血というのがあっ て歌を歌いながら肝臓とか人造とかそう いうの直していくんです ね シララと言いながらあの一を歌う瞑想の ようなことをしていきながらうん腎臓とか かんだあの五三ロプをですねあえこう直し ていくような瞑想法みたいなのが気候の中 にもあるんですよあそういうのはすに歴史 的あるわけですねありますそれで私が学ん だ長明瞭という老師がねあのあのガビえ幼 気候法の第14世の電人電人っていうのは 伝承者なんですけどそれを直々に教えて もらったのでうんそういうあの臓器のま あまりあの臓器だけに特定するとちょっと あの誤解を生むんですけどねうんそういう ものを信言っていうか1次決って言うん ですけど66次6つの字であのそれをねえ こう直していくようなあの循環を良くして いくようなそして循環を良くしていくこと によって基本的に自然地欲を高めて免疫量 を高めてそれ自体をあのこうあの脅威の ものから脅威でないものにしていくって ことですからねきこなんていうのはうん うんなのでその自然の気を取り入れてい くってことなんですねはい基本的にはで 体内にある自然の木とそれをあの融合させ てより一層自然免疫力っていうか自然治癒 力をあの最大限にえ自己開発するというか 自己自己発言するというはいうんまそう いうようなこともそこにま一種の言語療法 がはいあの加わると私は思うんですねそう ですねもう言語量とかもう言語がどんどん 自己構築してくということであのそういう ねこの前もねあのえ放射線治療してすぐに ねNHKでえ6年間次もう10年続いて いる講座が次1回ありましてね乞食を全部 読むという講座その後日本諸教を全部読む という講その講座がありましてね私の事業 講座はえ90分のあのえ講義なんですよ おおで放射線治療して頭が暑かったけど そのまますぐ行ってすごいで90分の ところ120分ね延々と語り付けましたね うんそNHKのあのNHK文化センター 京都というところでねやってるんですねま カルチャーセンター朝井カルチャー センターみたいなあそうNHKでのねそれ をやってね自分で思いましたよあの100 あの90分やでないとま基本的に行けない ところを120分30分も介してやっ ちゃったあすごいですその力はどっから 来るかていうね治療の直後にねうんと言い ますとねやっぱその時に自分でつくづく

思ったんですけどねうん乞食がねの世界が ねはい自分の中に受肉されている感がした んですよあそうですねだからこう神話の 世界が自分の脳も含めてもう細胞の隅々 までなんかこうあの乞食の世界が生き渡っ ていてそれが基にな日本初期を呼んでるの で乞食と日本初期が常にこう照らし合う 合わせが鏡のような形で自分の中ではこう 浮かんでくるわけですねすごいですそう すると日本初期だけを読んでいても日本 初期の高度会だから日本初期を解説し なきゃいけないんだけど日本初期で終わら ないんですようんだから 例えば新薬聖書の世界を読み解いて語る時 に進学者がうんものすごいもう旧約の世界 にこことこことここが暗号のようにですね こう響き合ってるというかあの 照らし合わせ照らし合ってるみたいな神の 言葉はより直接的には旧約の方に支援だと か濃厚に出てるんですねうんうん でイエスキリストのメッセージというか 言葉そのもの福音は割とシンプルに新聖書 に語られてるんです けど旧約の方はまるであれ自体が暗号の ような書物ですからあれ読んだんですから 旧全部読まれたすごい大変な私私は旧約 聖書が大好きであれ読ますごいなあの何度 も何度も読んでますよなるほど昔はあの ギリシャ語で読もうとして挫折しました けどねギリシャ子のセプタジンタという うんあのあのあるいはあの新学書の冒頭 部分とかねうんあの初めにロゴスがあった とかうんインRKえロゴスなんとかって いうねまそういうの読あれすごいですね あれヨーロッパの1つの言語の倉庫庫です よあれはねで旧約聖書はね素晴らしいと 思いますよ何度読んでもあす特に四辺が 好きですああなるほどあ東大ですねあれね はい 1501遍とか154編だたか素晴らしい と思いますね今日日本思想を造形をあり ながらもうあれですねキリスト教の方にも 原点のに続いてるわけですすごいですよね うん平田麻はキリスト教を随分学んでるん ですよねあそうなんですかだから平田あに おいてですね初めてその西洋的な地とうん あの日本的なね神地っていうのが突した第 1段階だと思うんですねタは江戸時代 でしょ江戸時代ですそうやってその聖書 読んでですかああの頃そのあの頃はあの もう解体新相も含めてカルから来てナバの ものがでその家康の時にセミナリオができ てますからね新学校はいっぱいできてまし たからあそうかできてるから翻訳でもあっ たんですかね翻訳でもあったしうんそれ

からあの 翻訳所も読んでますよあの聖書読んでます よ平田さああすごい面白いですねもちろん 翻訳ですけどねうんうんそれで あの家康え家康のによってあの金額になっ たので印書になって完全にうんあの主学の 時代になっていったのでうんうんあのその まあの 地下地下でははですねうん秘密で呼ばれて いたわけですよなるほどうんでそういう あの学問は江戸時代割と自由な交流を持っ てましたからうんなるほどこういう中で本 のやり取りもうん情報のやり取りも結構 あったですねあほどねそうですそれから 平賀現代とかいくつか長崎に行って新しい 文物をどんどんどんどん取り込んで江戸に 持ってきたりもしてますからねあそうです 新しいその南蛮まオランダ 乱Halfうんその学問からその後に英学 になっていくですね乱Halfオランダ学 から英語学の方にやってそれでフランスが 入ってきてうんうんで次に米国になって いくわけですけどまそういう流れの中で やっぱりこのキリスト教 のあのこう聖書を含むあの問題性みたいな ものはね伊の段階で正面衝突してきてます よねでその次の段階があの折口しぶぐらい の時にりの中でもキリスト教がですね もっと実音的な問題として神の問題ま一本 の神とうんねあの向こうの神っというねま 神の存在性みたいなものが彼の問の中で うんで一神教と多神教の問題とかあの新党 は多神教と言われるけど折口は新党も一神 教だって言ってますから言ってんです確か にね日本が負けた時に彼はキリスト教を 評価するっていうなんかまそれそれもそう だし新党そのものの中にも一神教的な浸透 はあるんだよっていうこと言ってますね そうですねうんで一般にあのス神教とね 常識的に理解されてるけどそうじゃないん だよと新党の本質の中に心教的なあのね 信仰もあるとうん僕なんか読みましたよ 面白いこと言ったねうんだからそれは ちょっとね逆転の発想みたいなねうんで 平田の中にもねちょっとあの共通のね 問いかけがあってうんでで私などがその新 の中でそういう問いかけするのは第3段階 サードステージに入ってきましたね なるほどま加藤さんとの出会いの中で思 ですねさっきのねはい アーレントがはいお要するになめたはいね その輝に聞かれたのはあのハガていう言い 方しましたよねあはいはい今実はねあの 折口し出しましたでしょはい折口しはね彼 は女の子女性論を書いたでしょ処女の処女

の重要性処女の需要性日本の古代のの神話 あるいは歌の中で女性の問題でと花嫁に 行く手前の処女の重要性ってことどっか見 てますよね何の中ででしょうね読み返して みますけどなんて処女の重要性言ってん ですよ彼は今度はあのタイトル分かりまし たらまた教えてくださいメールで面白いな と思って実はねそれはどういうことかって 言うと今 のハデがっていうかねごめんなさいあの ヤスパースの限界はねええの問題論じ男性 という女性の問題をはい不正男性は不正 はいこれは法律に繋がるはいそれは謎めた ものなんですねそ論じてないってのがね1 つ限界ではい僕がラカンの方にこう評価し ていくんですけどねは女性の問題を化す 男性を男性に法ていうことで自体かするま ヘブライがそうですよはい女性はだから まさしくなめたおっしゃった力だし怖いん ですねはいそういう問題そういう女性の 問題を論じるのは実はねはいこれ宗教で 言うとねキリスト教とプロテバカトリック プロテカトリックなんですよはい土星の 隠れた場所を取材するってのはプロテス その私あのイエスとのマリアのマリアを 消しちゃいましたでしょ確かに消しちゃう それ大きなもが特徴だなと思ってだから ヨーロッパの海外の芸術でまさしくこれ パトリシズムで開くんですねはい教会行く とプロテス教会では全くあの何もないって いうかあのそういうことルターの信仰だけ だから内面進行だけでものがないんですよ 寂しいんです よ芸術が花開くのは絵画は少なくとも女性 なんですねマリアなんですよはい女性のだ から愛ていうものパッションをはき出さ せるのはカトリックですねでハガは カトリックなんですね元々すはねそうです ねあのさんあの私はねそこにもう1つね グノーシス主義をあの立てるんですおして 確かはいそうでねうんあのハンスヨナスが ハイデガー哲学の中にグノーシスの残業を 聞き取ったようにうん私もハイデガー哲学 の根幹にグノーシスのうんあの コンステレーションがあるという風に思っ てるんですねはいうんうんそれであの カトリックの中の最大の遺というか ヨーロッパ思導師の中でキリスト教師の中 の最大の遺のグノーシス主義はですねあの ユダもそうだしマグダラのマリアもそうだ ですけど悪とされているものの中に善を善 とされているものの中にそうでないものを 非善を見るという逆転の発想があるので うんそのこのの位のような思想がねうん あの生まれてくるこの辺のねあのもの

があのイフと宮をといたあのルドルフ夫の 夫はい出すハイリハうんはいえ聖なるもの うんのねこう本質の中にあるヌノ税うん このぬ納税的なものが超越的な体験のの 1番やっぱりこう最初の暗号のね発出の まさしくそうですよね元ですねはいそこを ハイデガーはうんよくよくあのあの分かっ てい てそのぬ然的なものをアーレントに 感じ取るものがあったんじゃないかと私は 思うんですねはいだからまさし女性にこそ 1番特権的に物ってかねうん入りが出 るっていうのは間違いないんじゃないです かねこれはそれを正面から言うのが カトリックの画なんですけどはいで ヤスパースはあのもちろんプロテスタント ですしうんそういうこうあしこう金欲的な ねうんこ節度っていうのかあしその食用 倫理も含めてはい節度のある人で節度が あるからゆえにここで抑えて体系的なもの を構築する力も同時にあったわけですけど ね全体をはい見通すようなうんだからそこ のところの大きな違いもあると思いますね そうですねだあの色四則在空の色ねはい色 やっぱりカトリシははっきりしてるんです よはいとに対してヤスパスは色がないん ですね色があっちゃいけないそれが風の方 先ほどのね主のマグルマリアの問題ねええ くマリアマリアはイエスが愛して人でしょ イエスの恋人ですということがグノーシス 主義ではええ言われてでその2人の間の 子供までいてブル美術館の長の孫ですから ねあのダヴィンチ行動ではねそういうね グノーシス主義の1つの一派もあるんです よ実際なるほどね面白いですねイエス まさしくねカトリシはまの原点は女性が 必要なんですよそれもね いる世から排除されたようなはい女性これ 面問題これを主題化するのがラカなんです 実はうんこれ大きな問題ですねこの2人の マリアの問題ねはいはいはいこれは非常に 大きいですよねどっかで海外でも講演した ことはあんだけどねこれはヨーロッパへ 行くともうマグナムマリアたくさん出て くるんですようんちゃんと置いてます東海 にもすごいですようんうんでせあの キリスト教もね初期キリスト教愛の問題 たくさん論じてんですねええこれ神の愛な んだけどねはいそ神秘体を起こるはいこ その神の愛がど封じラですルザーがそんな ことおかしいって言い出わね正当なんだ けどはい理性的なんだけどどっかでもその 式の問題がないと超的なものがどっかでま 理性的なもの抑えられていう構造があんの かとしますねそれまで今後の宗教の精神

病理の問題で大問題だと思ってますけどね 僕はだからあの精神病院の中でもね フロイトなんかの警も大事だということを よ感その辺も木村美さんと違う点しはい はいあの宮本さんそこまでは問題しなかっ たですねはいはいねうんていうとこあり ますその女性論で言いますとねはいあの2 2人のマリアの問題もはい非常にえ大きい 問題ですけれどもう1人もう1つね2人の イヴイヴイヴエヴァエヴはいイブですね はいはいうんその2人のイブってどういう 意味かと言うとねうん1人のイブは間違い なくアダムの妻であるイブなんですけどね はいであの え様々な遺伝所の中にうんイブ以前のイブ のような女性がいるあなるほどそれが リリスリリスリリス ああこれがあのエヴァンゲリオンでも 大きなエヴンゲリオンというね アニメーションでも大きな問題になって くるんですけどリリスってどこの人ですか リリスどこの人地域はリリスはどっから 生まれたですかリリスそれまさに神話的な その女性ですイブはだから聖書を出てく でしょはいいや要するに神話として出て くるリリスもどこのあ出てくるんですかね リリスはリリスはですねうんあのその旧約 聖主の中に所在はないと思うんですねない ですねああなるほどそれで例えばあのその カリが伝っていった先の北欧神話なんかで うん姿を変えてうんあの えあの え知母神のようにうんあの その現象女性のように立ち現れてくる魔的 な女性ですねあそうですリリスねあうん このリリスのような存在ですねあうんが あのイブ以前のイブのよなうんうんでそう いう問はねうん日本の中でもねうん アマテラス以前のアマテラスみたいな ああ例えば伊波以前の伊波みたいなうん あのこうあの乞食が描くところの神以前の 根源神みたいなことを給する時代が中世に は生まれてくんですようんだから中世の 思考の1つ はやっぱり絶対の根拠この不確かなカオス の時代に絶対の根拠グルンとうんそれがま 米米ではうぐウグルとみたいなとこまで 行くんですけど無というあ無ですねうぐ はいそういうあの底のそこ根源の根源の ところに何があるのかという時にリリスと いう女性存在が立ち現れてきてなるほど イブでは収まらない女性性はいうんのあの それは結構あの悪も闇もうん欲望も いろんなものをひっくるめてのあの存在な ので結構考えるべき余事のある問題この

リリースの問題はいうんそれあのあの次の 段階で二重のマリアにも繋がってきてです ねあの2人のイブと2人のマリアっていう のはどうかでやっぱり称し合ってるなと 思うんですねうんその辺もねあのま精神 分析的に言ってもユグ的に言ってもですね うんまあの非常に面白い問いかけですよ そうですねつまりアニアニスなあの調和 っていうか足ハーモナイズされたものと グレートマザーのような破壊的にこう働く ような部分もま両面性を持っていて アンビバレンスでうんそのリリスという あの 女性あの根源女性を置くことによってその カオスとコスモスの関係性がうんより一層 あの神話的には明確になりますうんうん 面白いですね今その辺はその辺をねあの 問いかけたのはヨーロッパの思想伝統の中 ではあのグノーシス主義やカバラカバラ うんうんなどとか錬金術とかうんその辺で あの象徴性がまより暗号的に出てきますね なるほどね面白ないですねあのタロット カードの中にも出てくんじゃないでしょう かねそのリリースっていうのはあん聞いた ことますよどですかあのあもう あのあのもう止めどなく話は続くあのこう いうこの進学論争にもねいや松さんと議論 面白いですそれでこれですねあのあの今晩 中にYouTubeにアプロードしますの でねあの佐藤さんの周りの精神会員の人た にもねはいちょっとあので意見をあのてみ てください いやね蒲田加藤のね議論会話面白いです から戦さ的に僕 も経対談よろしくどうもはいはいじゃあ また次の第3の機会はですねはいあの春 以降にええ設定したいと思いますので2回 目3回目とはい連続して重ねていきたいと 思います今日はあの突然のねあの病院で コロナがクラてるというね大変な時にあの 緊急対談応じていただきましてありがとう ございましたでで今日は失礼いたします はいですよろしくどうもあり せそれでは最後 に総括 コメントします ええ 加藤哲さんという非常に 深くかつ明積でえ問題定期的 な思想力を持ったま え優れた精神病理学者を未来精神病理 学部長学部長に私のうん勝手な個人の早朝 権限で え任命させてもらいましてそして今日は 総省学部省対談として

未来精神病理学をですねえ2人でえ徹底 闘技をしたいというえ目論みでえ今加藤 さんにそれをあのお願いしてそれしたら 忙しい コロナ対応を病院全体でもしなきゃなら ない時あのすぐに応じていただいて今日の この対馬があできましたこれを今日のえ 京都面白大学 の第3次元目の事業としてYouTube 公開をしていきますそれを精神会の皆さん にもです ねま是非あのこう ええ見ていただきたいんです ね実は私は先ほどちょっとあの話の中で出 ましたけどこういう本 を うん出しまし た その本 の中 でま統合市長省の問題は 結構 このです ね冷静の時代という対談集を加藤清さんと 蒲田当時の対談集をですね 2001年3月1日にえ春従者から題して いるんです ねで先ほど話しましたように西野加藤 清東の安永浩司これはその当時のえ分裂病 の大下研究の大会だったで加藤清さんは 1921年神戸生まれで京都大学医学部を 卒業して え1972年から国立京都病院で精神科を 設立してその胃腸となっ て えそれをやめて京都博愛会病院精神科顧問 を経て熊病院の顧問意思やだ あ色々やって精神病理精神療法学会芸術 療法学会などで切実に貢献したとでまね アートセラビーというか芸術療法なんかの こう想像的展開の走りの人でも ありま加藤さんともっともこういろんな こと一緒にやりたかった けれどま私が心身変容義法研究会なんか 立ち上げたのも加藤さんがいてくれたら こんなことは絶対やったしもっと色々 面白い展開をしただろうなという思いで ありますで私自身はですね あのあの東の安永浩さんが私を うん精神え病理学 の精神なんとかっていう雑誌にですね えいい帰り性なんとか障害なんとか障害と いうような え あのあの病名をつけてくれてえ雑誌でま

一種の診断報告みたいなをねしてくれてる んですよ私の本を読んでのことだと思うん ですねですからある種描写学的研究のあの 実験代になったとも言えますね先ほどの ヘルダーリンのことをえ加藤あ あのえサ石はダリンをこのあ分裂病のあの 創造性とか分裂病の構造と構造力労働とか 統合主張治療に向けてまこういう中で色々 と展開されてきていて凶器内法性思想 なんかは非常に加藤さんの書かれた論文の 中で私自身が光れもし納得もしたとこです で私はあの この この前出し たま有合のつもりで出し た えいず死ぬかもしれないと思って出した命 の奇数という刺繍をう港の人から今年の7 月に出してそこにもあの結構詳しく書いた んですけどね 間違い なく統合視聴症的であり ますある時脳内でバチンと音がして1m ぐらいジャンプするぐらい跳ねとんで そしてその40日間全く眠れななくなった 時期も経験したりしてまいろんなも本当に 死にかけたっていうかいつおかしくなって も気が狂っても あおかしくないような状況に何度かさらさ れながらえ今日ですね生きながら得ること ができたのは間違いなく私の中に統合軸が どうしようもなくあるじゃその当軸って 何かと言うとクカやヤコブ明目と表明する なんかあの超越的な この絶対性みたいなものがあってそれをあ 子供の頃は鬼がいると言ってたんですけど ね鬼とは私にとっては宇宙であり巨大な 存在ですねまジャイアントですね巨人です ねその宇宙というか巨人から見つめられ てる見られているぞという感覚がずあった わけですねでもそのいつしかですねその 巨人鬼があ神話がそういう世界だったんだ ということは理解できて理性の中にって いうかあのあの了解できるような段階に 入ってきてこっから私のま第2言語世界 っていうのができてきたとも言えるんです ね そしてこの口の中から火山弾が バンバンバンとこう出てくるようにして こう死が吐き出されるような体験になって それがこの命の奇数にまですく死を書き 続けていくその死を書くことていうのは私 の中では自分の中にある何か が不純物なのか人物なのか分からない何か が飛び出してくるわけですねま考えて書く

ことはありません からその飛び出してくるまあ1つの自分を 通過してくる暗号ですねその暗号がかっと こうね体を通過してくるわけですよ火山談 が断という 暗号それを最初に評価してくれたのは寺山 修二さんでした けどで寺山修二がいなかった私はこういう ずっと書き続けるという行為をしてこ なかったと思いますけどまたその暗号を 子玉の思想として読み解くようなこともし なかったと思いますけどまとにかく博士 論文は子玉の思想こた論と宗教言語の比較 宗教学 的研究ということでえつば大学で学位を 取得しましたまそんなようなことがあった 背景があるものです からで加藤さんとは本当にね えいい時期に出会ったとも言えるし遅遅 すぎた出会いであったとも言えますでと私 が え あの20年ほど前に 20ちょうど20年前かなあの岡山大学 医学部の大学医学研究家の大学院に入って そこでえ社会環境生命 科学え先行の中で えコミを置いてえ6年間博庭に在籍てたん ですね2003年から20009年までか な6年間 その時にですねその岡山大学の精神科の 教授に聞聞きましたま私は加藤清さんを 尊敬してるし加藤清さんのようなま精神 病理学を学んでそれをおこうベースにして 面白いあの弱体論とかあのこう無の問題と かま西田鬼太郎のうんあるいは久松新一の あのそういう西谷刑事とか影響をも受けて ますからもろ京都学派のうん中にどっぷり 使っていた加藤さんが わしゃあの天台雑の生まれ変わりじゃぞ みたいないいこと言いながらねこう私の前 に立ち現れて来たわけですよで私があの 兄弟にあのの教授として不にすることに なったのはですねこれは間違いなく私の中 ではですよこれも一周統合視聴責的な妄想 にあの近いと言われるかもしれないけど 平山の山の方からですね川井はさんがお田 君え兄弟ってもっとおもろいことやって くれよっていうね私をあのピックアップし てペっとね兄弟に掘り込んだ私はだから ハイデガーじゃないけど人せ投げ込まれた と思うんですね京都大学の中 にそれで今年の1月2日になぜかね兄弟 早朝になるという夢を見たんですよそして 歌を歌ってんです

よえその家みたいなとこで演説してんです よね兄弟を日本一のあおもろい大学にする ぞとか兄弟を世界一のおもろい大学にする ぞとかそれで歌の中では今おもろいえま 兄弟とはなしては言ってませんけど面白 大学いい大学面白大学ヨ大学白 大学 日本一のね日本一が宇宙1と書 てもう世界一で遅い と弱いと宇宙1だと宇宙の中で地球みたい なこのような星があって人間存在という こういうものが出てきてそして日本という うねこういう風ができてそういう中から おもろいものが出て くる出てこなければおかしいと出てくる そういう無の力があると私は信じており ます確信しております か日本神話はその土壌になってるんですね 間違いなく ねそれでねその ええおし大学よからくおし大学A大学え じゃないかえじゃないかえじゃないかと 爆発のあの絵じゃないか踊りのように踊り がこうねバーとね出てくるんです よおかしいですか ねまともかくあ [音楽] その人間はおもろいことをおもろいことに 惹かれおもろいことをやるやり遂げるやり にくそういうこもどうしようもないえ こうものに押し出されてきたし引きずられ てきたしそういうを生み出すことによって ね自分を見つめると同時に自分を浄化させ 実現もさしてきたというところがあると 思うの でで私は平沢に登ってえ890回登って あの爆天を ねしてきたんですけど爆天は天地人に 捧げる行為で祈りの行為です がその中でですねしてるとやがて自分は こう鳥になってですね思長になって宇宙へ 帰っていくことができるんだぞという ねそういう思いでやっておったことは 間違いありませんで私の中で思そ長になる という ね次の思そ長になるんだという思いニチの 超人理論じゃないですけど私は人間には なりたくないの であの地球のようなあの星になりたいとか そういうはしち思いますけど ねそ育成する星それが面白大学でもある わけですけど ね京都面し大学っていうのは1つの星です 地球のようないろんなおもろいことをやる ものを育てていく種を育てていくえ星です

そのそういうその星になりたいとはずっと 思ってきました新おもろいことをね育てて いくようなムの力はそのものの発言である ような星でありたいと思い ます命の星ですねそして命の奇数でもある とそこでですね加藤さんともう72歳にし て出会ってですねこのようにええ対話を 重ねることができるということは本当にか さんありがとうございました私にとっては

十代のころは、詩を書いていることが恥ずかしかった。武道少年であったはずの自分が、いつのまにか、文学少年になっていた。1968年三月、17歳になりたての春に、10日間ほど四国・九州の自転車一人旅をした後、突然、火山が噴火するように詩を書きはじめたのだった。そして、いつしか、詩を書くことが日常となり、もっとも重要な日課となっていた。
 だが、そのことを人に知られるのも、人に言うのも恥ずかしく、ひたすら隠していた。恥ずかしさのあまりに。

 2022年2月23日、定年少し前の70歳になって、突然「吟遊詩人」となって能の「諸国一見の僧」のように全国を行脚すると宣言して、兵庫県在住の詩人の福田知子さんのプロデュースで、たつの市で地元の詩人たちと「詩と笛の三日月ライブ」と題する詩の朗読会&神道ソング歌唱のイベントをしてもらった。「たつの」は日本有数の醤油の町でその名も「龍野」であり「立つの」だから、自分の吟遊詩人のスタート地点としてピッタリだと思った。
 人生というものは、あるいは老化というものは、凄いことだ? 臆面もなく「吟遊詩人」を自称するようになるなんて。17歳のときには考えられなかった厚顔無恥である。恥ずかしくて「詩」を書いているとか、「詩人」であるとか、一切言えなかった十代・二十代の自分を考えると考えられないほどの変化だ。それどころか、今こそ先陣をきって「吟遊詩人」の文化を復興したいと本気で考えているのだから、時を経て、変われば変わるものである。

 「たつの」イベントを皮切りに、サードアルバム『絶体絶命』(Moonsault Project,2022年7月17日リリース)と第四詩集『絶体絶命』(土曜美術社出版販売、2023年5月30日)を持って、金沢、新潟、北海道(旭川・札幌・函館)、横浜、吟遊詩人の旅を続けているうちに、10月の末に異様な腹痛と腹鳴りが起こり、急速に体調が悪化した。そしてそれが、ステージⅣの大腸がんであることがわかった。
 がんを告知された翌日、医師にイレウスリスクを聞かされていたが、上京して中野でライブリハーサルをし、翌々日の12月18日に碑文谷のライブハウス「APIA40」で、50席満員御礼の「絶体絶命」フルバンド五人編成(ゲストフルート奏者一名)90分15曲の一世一代のライブを敢行した。医者からすれば無謀だったにちがいない。しかし、それを成し遂げなければ死んでも死にきれないと本気で思っていた。そのときのライブは以下のyou tubeですべてを公開している(絶体絶命レコ発ライブ全公開 2022年12月18日@東京・碑文谷 APIA40:https://youtu.be/HF6auvkahpA )。
 
 がんを宣告されたとき、動揺はなかった。むしろ、来るべきものが来た、と覚悟が定まり、感謝と勇気が湧いてきた。
ステージⅣの大腸がん(上行結腸癌、盲腸癌)になった経緯はいじょうである。術後の経過とその間の活動についてはだいたい次のようなものである。

5,12月17日に「絶体絶命」ライブのリハーサル(東京都中野)、18日にイレウス覚悟で碑文谷の「APIA40」で5人編成のライブを行なった。終了後すぐに京都に戻り、翌19日入院、精密検査を受け、21日にいったん退院。
6,12月27日に精密検査の結果、やはり大腸がんであることが確認され、検査結果と手術計画を確認。その結果、消化器外科部長で副院長の木下浩一医師が主治医となって、2023年1月11日に手術することが決まり、年末年始は自宅で過ごす。
7,の間一歩も外に出ず、『悲嘆とケアの神話論―須佐之男・大国主』(春秋社、2023年5月3日刊)の原稿を完成し、1月4日に春秋社に原稿を送った。
8,1月10日に再入院、翌11日手術。リハビリが始まり、順調に回復していると思いきや、乳糜腹水という合併症となり、2週間の入院が1ヶ月延長。その間、2週間の絶食療法(これが一番きつかった)。その間、オンラインで上智大学グリーフケア研究所大阪の「スピリチュアルケアと芸術」の授業(2コマ180分)を2回こなし、詩を書き続けた。入院中に第五詩集『開』(土曜美術社出版販売、2023年2月2日刊)が出来たので、木下主治医や宮川牧師に献本。
9,2月8日退院。退院後も、詩を書き続け、『いのちの帰趨』(港の人、2023年7月22日刊、故大重潤一郎監督の命日)にまとた。
10,2月16日、PET検査。19日の退院後初診察で、大腸がんが肺に1ヶ所、肝臓に7ヶ所、臍下のリンパ節に1ヶ所、転移があることが分かり、ステージⅣであることを主治医から告げられた。
11,3月20日―21日に「顕神の夢」展の作品出品のため上京、同26‐28日ふたたび東京出張。後者は第五回いのちの研究会のセミナー(慶應義塾大学医学部&付属病院のある信濃町キャンパスで開催)でステージⅣのがんのことも話しながらコメンテーターの役割を果たした。特に後者は2月25日から抗がん剤治療(標準治療)を始めた翌日の上京だったので不安はあった。副反応はしっかり出た。手先や足先や唇のしびれや寒さによる顔面硬直など。この時、加藤敏さんと再会。

 がんになって悲嘆(Grief)を感じたことはない。むしろ、感謝を強く感じ、いっそう覚悟が定まり、死ぬまで「遊戯三昧」で行きたいと思う。琵琶法師や諸国一見の僧やフーテンの寅さんならぬ「ふーてんの東さん」として、「諸国一見のガン遊詩人」として、「諸国」を行脚していきたいと思っている。

 詩人については、これまで三人の預言者的先達の言葉を肝に銘じてきた。

詩人とは人の世に涙あるかぎり、これを変じて白玉の言葉となし、言葉の力をもって神
や魔をもよびうる資質のものをいう。」(石牟礼道子「こころ燐にそまる日に」大鹿卓『新
版 谷中村事件ーーある野人の記録・田中正造伝』解題、新泉社、2006年)

詩人の存在意義というのは、太古からの人間の普遍的な体験を言葉で表現するところ
にある。
詩人は彼個人の哀しみや歓びを、それが人間的普遍性をもつような形に凝固させなけ
ればならない。詩人の魂には、その民族、その宗教、いえ、全人類の集合的記憶が蓄え
られている。(トマス・インモース『深い泉の国「日本」―異文化との出会い』春秋社、
一九八五年)

詩人というのは、世界への、あるいは世界そのものの希望(ルビ:ヴィジョン)を見出す
ことを宿命とする人間の別名である。(山尾三省『アニミズムという希望―講演録・琉
球大学の五日間』野草社、二〇〇〇年)

 そのような「詩人」でありたいとねがい、つとめてきた。けれども、そのような「詩人」であるかどうかは、わからない。この詩集などを読んだ読者がしかと判断してくださるだろう。

 ところで、最近、ヘルダーリンの詩を読んでいて気づいたことがある。それはヘルダーリンが1770年3月20日生まれであることだった。「はるのことわけ」に書いたように、梅原猛さんも後藤人基君もわたしも同じ日に生れた。それにより、なぜか一挙にヘルダーリンの詩がよくわかるようになってきた。特に、『ヒュペーリオン』など、自分で書いたものであるかのような錯覚に陥った。不審に思われるなら、また不遜だと思われるなら、ヘルダーリンの『ヒュペーリオン―希臘の世捨人』(渡辺格司訳、岩波文庫、1936年)とか『ヘルダーリン詩集』(小牧建夫・吹田順助、1959年)と拙著『悲嘆とケアの神話論』(春秋社)の「神話詩」を読み比べていただきたい。わたしはヘルダーリンの「詩人」観や「詩心」や「詩想」との共通性にしんそこおどろいていたのだ。
 ヘルダーリンは、次のような「詩人」観を表明している。

だが,われらに相応しいのは,おお詩人たちよ
神の雷雨のただ中に頭を曝して立ち
父の光を,そのものを手ずから
掴み,そして歌にくるんで
民に天の賜物を頒つことである
(「あたかも祝いの日のあけゆくとき」手塚富雄訳、『ヘルダーリン全集第2巻』河出書
房、1974年)

これを読んだとき、慄然とした。「神の雷雨のただ中に頭を曝して立ち/父の光を,そのものを手ずから/掴み,そして歌にくるんで/民に天の賜物を頒つ」という感覚に何とも言えぬ共感を通り越した「狂(喜)感」を抱いたからだ。ここに自分と同類の「詩人」がいる、というような感じ。この中で異なるのは、「父の光」というところだけである。わたしの場合、それは「大妣の光」であり「自然の光」であって、「父」と特定できるものではない。
しかしながら、「神の雷雨のただ中に頭を曝して立ち」というのは、十七歳で青島を訪れ、その衝撃で火山弾を吐き出すように詩を書き始めた自分の感覚を絶妙の表現で言い表わしてくれていた。うれしかった。これを読んで。自分は一人(独り)ではない、としんそこ思った。それを読んで感動していたときには、ヘルダーリンが三月二十日生れであることは知らなかったが、誕生日が同日であることを知ってさらに納得がいった。
自治医科大学名誉教授の精神科医の加藤敏さんは「狂気内包性精神病理学」(『精神医学史研究』Vol.24、2020年6月発行)と題する論文の中で、ヘルダーリンの上記の詩に対して、<この詩で述べられる「神の雷雨」にさらされるという事態は,強度の高い存在が立ち現れて詩人に押し付けられ,詩人がこれに所有されるということを指し示す.詩人にとってこの強度の高い存在の圧倒は不安や恐怖のなか彼を魅惑し,享楽をもたらす.『存在と時間』以後,ハイデガーのひとつの鍵言葉となる「聖なるもの」は,「恐るべきもの」であるという様相をもって立ち現れる強度の高い存在を指し示す./精神医学の見地からすれば,こうした在り方は,統合失調症急性期の世界変容に通じる.ヘルダーリンは月並みな患者とは異なり,急性期の体験のなかにあって,これから逃げようとせず,逆にそこに敢えて踏みとどまろうと務め,強度の高い存在の突出を言葉によって首尾よく捕りおさえる.これがヘルダーリンの詩作にほかならない.>(83頁)からという解釈を与えている。
わたしも自分が統合失調症的な人間であることは重々自覚してきたので、このことは身をつまされる感覚でよくわかる。しかし、わたしには神仏というか何か超越的な力でマンダラ的に「統合」されるものがあるために、統合失調症であるわけではない。にもかかわらず、統合失調症の症例分析などを読むと、自分のことのようによくわかるのだ。
加藤敏さんによると、ハイデガーはヘルダーリン論の中で、「詩人とは外に投げ出されたもの」、「即ち,神々と人間の中間の投げ出されたものである」(『形而上学とは何か』大江清志郎訳、理想社、1969年)とか、「根源の近くへと来る」(「ヘルダーリンの詩の解明」手塚富雄・齋藤信治・土田貞夫・竹内豊治訳『ハイデガー選集』3、 理想社、1955年)とかと述べていると指摘している。これまた「吟遊詩人」を自称するようになったわたしにはよくわかる。

本書の詩篇は入院中と退院後の2023三年1月17日から3月21日(春分の日)までに書いた30篇(20篇は入院中、10篇は退院後)で、ほとんど推敲もしていない、そのままの「素」の詩篇である。読者のみなさまのこころとたましいにとどくことをこころからねがっている。

                   2023年4月20日 鎌田東二拝

  春さきの その先までも 行き着くと
この世の涯に 往けるとおもう

詩集『いのちの帰趨』(港の人、2023年7月22日刊)「あとがき」

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