「防災を言葉で伝え続けていく街に」 街の魅力づくりや震災伝承に取り組む陸前高田市 東日本大震災から15年へ 岩手県 (25/12/02 17:00)

東日本大震災の発生から来年 3月で15年となります。 被災地では町の魅力作りや震災の伝承を今後どう進めていくかが課題となる中、新たな取り組みで未来を気づこうとしている陸前高の人たちを取材しました。 陸前高田市 東日本大震災では当時の人口の7.4%に あたる1807人が犠牲となり、前半回し た家は4047に登るなど甚大な被害を 受けました。 これまでに土地の傘揚げや住宅の高台移転 、そして死が進めてきたハード面の復旧は 完了した一方、町は新たな魅力や震災の あり方を改めて見直す時期に移りつつあり ます。 はい、来た。はい。 陸前高田市出身で現在も市内に住む熊正ふさん [音楽] 66歳。 NPO 法人桜の森プロジェクト陸前高田の代表理事を務めています。 先月9 日、高田松原津波復興公園に桜を食事するイベントを開催し、県の内外から集まった参加者と共に 25 本の内ぎを植えました。熊さんはこの町は決して桜の名所ではなかったと語りつつも震災前に親しまれていたこの町の桜を懐かしみます。 [音楽] [音楽] 公園だったりそういう、え、場所であのお花見をする人たちはいらっしゃいましたし、川沿いにもですね、植えられてて、え、少しずつですけども増えて大きくなってたいう記憶があります。 去年3 月から桜を植える活動をスタートさせた桜の森プロジェクト。楽しかった。 市内に3000本以上することを目標に これまでにおよそ100 本を植えてきました。 被災した陸前高市に東北図一の桜並の名称を作り上げ利用されていない土地の活用といった課題解決ともに観光進行や交流行の拡大につなげることを目的としてます。 [音楽] 市民だけではなくて多くの方々にあの被災 した地域がこういう風に蘇ってきてると いうところを見ていただくためにもやはり 桜が満回にさいたっていうこの時期 を陸前方 には必ず行ってみようねという風に思って もらえるような場所にしていきたいなと いう風に思います。 この日宮県から参加していた熊神さん9歳 です。 小学校の授業で自分が生まれる前に起きた東日本大震災を知り陸前高田市など被災地の復興を後したいという思いが生まれ父親と訪れたと言います。 [音楽] 桜が大きくなるのに植えました。 [音楽] ま、今日娘と一緒に参加したので、またこれが自分たちが植えた桜だていうのを、ま、確認しようなとはい。思いました。はい。 震災連勝の新たな取り組みも始まっています。 ちなみに夢ちゃん、 この1 本末が残ったことによってもしかしたら陸前高さがね、残るきっかけにもなったのかなって。 市内に住む高田松原津波復興公園のパークガイド武蔵さん。 園内の震災以降を案内し、災害の教訓を伝えるこの活動は今年で 5年目を迎えました。 で、世の中が落ち着いてきて、あと震災は知ってるんだけども、なんとなくみたいな、そういう方々に、あ、そうだったのかわかりましたっていう言葉をもらえるように心がけております。 入りますか? この日武蔵さんが来園車と共に乗り込んだのは市が今年 5 月に本格運用を始めた小型の電動カートグリンスローモビリティ通称グリスロです。 東京ドームおよそ28個分の広大な敷地に 5箇所の震災以降などがある円内。 以前は徒歩や自転車で巡ることしかでき ませんでしたがグリスロの導入により回り きれなかった場所まで1度に巡回できる ようになりました。 さんは多くの審査以降に触れられるこうした新たな取り組みが災害の記憶を保ち続けることにつがると考えています。 歩くよりもずっと深くお話を伝えることができます。やっぱり気になってたからご乗車いただいてるわけでなのでその気持ちに感謝しながら伝えております。 [音楽] 震災以降の1 つ戦中学校でも記憶の風化を防ぐ取り組みが行われています。 [音楽] 以前は外観しか見ることができませんでしたが、都市が保存整備を進めたことで 4 年前からはパークガイドの案内で校舎へ入れるようになったのです。 見学量は元々団体料金だけでしたが、グリスロの導入に伴い少人数でも見学できる個人料金が新設され、より口が広がりました。 壁もなくなってるね。机や椅子もなくなってる。でもたった 1 個椅子があるんです。上をご覧ください。 え、 あんなところに椅子が引っかかってます。 え ねえ。 すごいでしょ。 どうやったらあんなとこに。 そうね。どうやったらあんなところにね。泥をかぶったオルガンなど発直後の姿をとめる校舎の中には以前よりも多くの人が訪れるようになり、決して忘れてはならない津波の恐ろしさを改めて伝えています。 [音楽] [音楽] 年月が経つに連れ町の姿転のあり方に変化が求められる中、熊さんと武蔵さんが見据える陸前高市のこれからとは [音楽] [音楽] この桜の花が咲くということによってそこで何かしようという風な意欲が出てくるような場所になればいいかなという風に思ってます。 みんなでお花見をしながら喜べる日が来るのが待ちしいなと思ってます。 震災を経験された方々がどんどん少なくなっていく中で防災を言葉で続けていく町になってほしいなと思います。歩けるうちは伝えていきたいと思います。はい。 震災の発生から間もなく15年。町の魅力 を高め記憶をつぎ続ける人たちの歩みが 未来の陸戦高を気づこうとしています。

東日本大震災の発生から2026年3月で15年となります。
被災地では街の魅力づくりや震災の伝承を今後どう進めていくかが課題となる中、新たな取り組みで未来を築こうとしている岩手県陸前高田市の人たちを取材しました。

陸前高田市…東日本大震災では当時の人口の7.4%にあたる1807人が犠牲となり、全半壊した家屋は4047棟に上るなど甚大な被害を受けました。(2025年10月時点)

これまでに土地のかさ上げや住宅の高台移転、そして市が進めてきたハード面の復旧は完了した一方、街は新たな魅力づくりや震災伝承の在り方を改めて見直す時期に移りつつあります。

陸前高田市出身で現在(2025年12月)も市内に住む熊谷正文さん(66)は、NPO法人「さくらの杜プロジェクト陸前高田」の代表理事を務めています。

11月9日、高田松原津波復興祈念公園にサクラを植樹するイベントを開催し、県の内外から集まった参加者とともに25本の苗木を植えました。

熊谷さんは「この街は決してサクラの名所ではなかった」と語りつつも震災前に親しまれていたこの街のサクラを懐かしみます。

さくらの杜プロジェクト陸前高田代表理事 熊谷正文さん
「公園で花見をする人たちもいたし、川沿いにも植えられ少しずつ大きくなっていた記憶がある」

2024年3月からサクラを植える活動をスタートさせた「さくらの杜プロジェクト」は、市内に3000本以上植樹することを目標に、これまでに約100本を植えてきました。

被災した陸前高田市に東北随一のサクラ並木の名所をつくり上げ、利用されていない土地の活用といった課題解決とともに、観光振興や交流人口の拡大につなげることを目的としています。

さくらの杜プロジェクト陸前高田代表理事 熊谷正文さん
「市民だけでなく多くの人たちに『あの被災地がよみがえってきている』というところを見ていただくためにも『サクラが満開に咲く時期に陸前高田市に必ず行ってみよう』と、そう思ってもらえるような場所にしたい」

この日、宮城県から参加していた熊谷柑那さん(9)は、小学校の授業で自分が生まれる前に起きた東日本大震災を知り、陸前高田市など被災地の復興を後押ししたいという思いが生まれ父親と訪れたといいます。

宮城県から参加した熊谷柑那さん
「サクラが大きくなるように植えました」

熊谷柑那さんの父 竜也さん
「きょう娘と一緒に参加したので、『これが自分たちが植えたサクラだ』と確認しに訪れたいと思った」

震災伝承の新たな取り組みも始まっています。

パークガイド 武藏裕子さん
「この一本松が残ることで、陸前高田市も残るきっかけになったのかな」

市内に住む高田松原津波復興祈念公園のパークガイド・武藏裕子さん(65)。
園内の震災遺構を案内し災害の教訓を伝えるこの活動は2025年で5年目を迎えました。

パークガイド 武藏裕子さん
「世の中が落ち着いてきて『震災は知っているけど、なんとなく』みたいな、そういう人たちに『そうだったのか』という言葉をもらえるよう心掛けている」

この日、武藏さんが来園者とともに乗り込んだのは、市が2025年5月に本格運用を始めた小型の電動カート「グリーンスローモビリティ」、通称「グリスロ」です。

東京ドーム約28個分の広大な敷地に5カ所の震災遺構などがある園内、以前は徒歩や自転車で巡ることしかできませんでしたが、グリスロの導入により徒歩で回り切れなかった場所まで一度に巡回できるようになりました。

武蔵さんは多くの震災遺構に触れられるこうした新たな取り組みが、災害の記憶を保ち続けることにつながると考えています。

パークガイド 武藏裕子さん
「歩くよりずっと深く話を伝えられる。(被災地が)気になっていたから乗車いただいているわけで、その気持ちに感謝しながら伝えている」

震災遺構の一つ、気仙中学校でも記憶の風化を防ぐ取り組みが行われています。

以前は外観しか見ることができませんでしたが、県と市が保存整備を進めたことで4年前からはパークガイドの案内で校舎へ入れるようになったのです。

見学料はもともと団体料金だけでしたが、グリスロの導入に伴い少人数でも見学できる個人料金が新設され、より間口が広がりました。

パークガイド 武藏裕子さん
「壁もなくなっているね、机やいすもなくなっている。でもたった1個いすがあります。上をご覧ください。あんなところ(天井)にいすが引っかかっています」

参加者
「どうやったらあんなところにいくんだ?」

泥をかぶったオルガンなど発災直後の姿をとどめる校舎の中には、以前よりも多くの人が訪れるようになり、決して忘れてはならない津波の恐ろしさを改めて伝えています。

年月が経つにつれ、街の姿と伝承の在り方に変化が求められる中、熊谷さんと武蔵さんが見据える陸前高田市の“これから”とは…。

さくらの杜プロジェクト陸前高田代表理事 熊谷正文さん
「このサクラの花が咲くことによって、そこで何かをしようという意欲が出てくる場所になればいいと思う。みんなでお花見をしながら喜べる日がくるのが待ち遠しい」

パークガイド 武藏裕子さん
「震災を経験した人たちがどんどん少なくなっていく中で、防災を言葉で伝え続けていく街になってほしい。歩けるうちは伝えていきたい」

震災の発生からまもなく15年、街の魅力を高め、記憶をつなぎ続ける人たちの歩みが未来の陸前高田市を築こうとしています。

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