吉岡稔真 それでも、前を走りたい
北九州市のカルスト大地平尾台に向かう急 な坂道はF1先行吉岡豊島を育てた練習地 として知られて いる軽選を目指して吉岡豊はこの作を登り まし たデビューして強くなってトップレーサー になってタイトルをとってもこの坂を登り まし た大怪我に苦しんだ時もこの坂を登りまし た全ての彼の姿を知っていますでも新しい 年を迎えてもう彼の姿はここにはありませ ん2006年12月30日慶王閣競輪 場競輪グランプリー06に赤の3番車で 戦いを挑んだ吉岡俊はその大部隊を最後に 競輪会を去る決心をしてい た最終3コーナー7番手からまくる吉岡は は逃げる前段を捉えることができず着 レース後正式に引退を発表し たいやもう聞こえたからさら涙 がレース中に悪いすけど 本当涙前が見えなくなったそんな俺の後ろ に九州て2人は 何も言わずについてくれ たって何も言ことない です大会の最後に急遽引退セレモニーが 行われ た17年間の手生活にの位置で幕を た多くの競輪ファンが引退をむと同時に 温かいの言葉をかけてくれ [音楽] [拍手] [音楽] た最後まで自力にこだわり最高の大部隊で 前を走った吉岡 敏今本人が引退の相と知られざる17年間 の選手生活を語った [音楽] 2007年1月17日自宅でくつろぐ吉岡 敏を下純子が尋ね た新しい年を迎えてはい選手になって 初めて何もないお正月でしょそうですね どうでしたうなまアド感みたいなものが あるんでまあゆっくりきたかなと思います けどもう本当にいつレースが始まるとか 練習しなきゃいけないいうことがない朝 っていうのはもう何十年かぶりですけど やっぱうん寂しいって言えば寂しいかも しれないでも気持ち的にはすごく楽ですね 経画から帰ってみてねやっぱり多分 たくさんの方からいろんなあのお手紙でと かお電話とか来たと思うんですけどどう でしたはいまあの電話なりメールなりよく あの入れてもらったんですけど うんまそれを聞くとちょっと思い出して ちょっとああっていうとこありましたけど
でもた大体のあの電話メールの最初の 一文字とか言う言葉が嘘つきだったのでえ 何なんとなくいや今までほらそういう 雰囲気がこうあった中でまさか本当やめる んじゃないろうなとか言われながらそんな ことあるわけないじゃないですかって言っ てきた自分があるからはいはい大体人こと がまず嘘つきとかはい騙されたとかそこを なんとかこう切り替えさ切り替えるように うんうんまお願いしてで挨拶新年の挨拶 みたいなでもそれだけやっぱり引退して 欲しくなかったっていう皆さんの気持ち でしょうまそれはすごく嬉しいですよねま でも本人自分はもうそう次の日のこと考え なくて良くなったってことはすごく うん安心っていうか自分の中で安心ができ たかなと思います けど楽になってみて振り返るとどうです その17年間ってうんよく先輩からあの デビした時に選手になったら1年は早いっ てよく言われてたんですけどま実際選手 やってる時1年っていうのは本当に次から 次いに特別権が来て早かったんです がやっぱ怪我とかしてちょっと苦しんだ時 はちょっと1年も長く感じましたけどでも トータルで17年間っていう言葉で17 年間って簡単ですけどでもそういう部分で も早かったですね うんあの12月30日ねグランプリ改めて 振り返ってどうでし た うーんまあの前傾の日にあのちょっと あのそう いう言葉が出たので引退っていう言葉が出 たのでちょっと周りの方にも迷惑かけたし 関係者にも迷惑かけたししま1番目がけた のは やっぱグランプリ走る88名の選手また 九州の2人になんか目をかけたかなと思っ たんです けどま逆の意味ではそれが出たことで自分 の気持ちにま正直ということないですけど 吹っ切れてま自力で最後も通せたってのは ま自分の中で も良かったなと思ってますけどね自力に 対するこだわり うんそうですねで もうんデビューしてスが上がってから ずっとその自力できてその自力にやっぱり ファンの方がずっと指示してくれたと思っ てますんで やっぱり予紹介イコール自力っていうの は自分の中でも意識してることだったんで まそれを最後に通したっていうのは士の 若手がいる中で通したってことは
うん良かったなと思って ますあの引退のま引退の仕方とかね タイミングとかいろんなことについて自分 なりにある程度考えたものはありました うーんやっぱりもう1回タイトル取って やっぱ自1取ってっていうのがあったの でまそれだけを目標にこう去年1年間 頑張ったんですけどまダービは取れ て うんぱグランプリで自分の身体を決めれ るってのは1つ自分の中で もこれも1つかなってのは考えましたけど 自分なに筋道というか花道というか作れた なっていう感じがしたうんそうですね うーんグランプリを花道にし たそんな吉岡の思いをさした両親が慶王格 に駆けつけていた シーズンオフのない競輪選手その引き際を 中野光一に聞いた選手って初めて選手に なってやめるまでが1シーズンだからその 1シーズンをどうやって過ごしていくかと いうで自分で勝手にそのある程度の休みを 作ったりとかまただその怪我をしながら休 みっていうことがねやっぱ吉岡にも多かっ たみたいだしえその辺が非常にその なかなかコンディションをね保っていくの がえ大変だったみたいなとこもあるよう ですけどもまあやめるっていうのはその 気力がないたらやっぱりやめるしか仕方が ないしあの何よりもやっぱり不安の皆さん にあの自分の姿をどう見せたいっていう 思いがやっぱりプロとしてえあったんじゃ ないかなとまだから別に決断としては悪く ないという風に僕は思って ます今回新聞報道が先走りした吉岡の 引退改めて本人にその真相を聞いたあの 引退をね決断したその直接のなんて言った のかな引き金というか 理由ま根本的な理由はもうやっぱり自分で 満足なこう結果が出せなくなったってこと ですねうんやっぱり そのま色々考え方あると思うんですけど それは先方変えるとか色々あると思うん ですけどやっぱ根本的にそのだんだんその まくり がまくりとか先行とか自力が打てても ま特別競り6日があるあったりま記念で 言えば4日があったりとかしてその4日間 戦える体が もうその辺ぐらいから少しずつできなく なってきたんですよね一着ということに こだわるそれはもちろん大事なことだけど それだけじゃなくてやっぱり自分らしい 競争が開催中できないそうそうですねやぱ もう一分でよく言ってましたけど見せる
レースが多分できなくなってきたとうん 自分の中で判断したんですけど 中野小さんがね引退する時にあなたが現れ たからあと託されたでしょうんうん少し あたは形が違ってしまってるような気が する光景ということについてはどう思う うんま光景まその時の流れもあります しまそういう部分ではあんまり考えては ないですけどまでもその自分がまそのこう やって引いたことで九州の選手がまた1つ 頑張ってくれたらいいなという気持ちも ありますけどね うんあの17年間の現役生活でしたけどね うんくしくも中野さんと一緒悔いはない うんまあその記者会見の時にも言いました けど悔いがあったらああいう席を設けて ないと思うんですよね悔いがないから決断 したわけだしま答えとしては悔いはない です ねじゃあグランドスラムあって聞きたく なるうんま結果達成できなかったですけど でもそれを目標にずっとやってきたことで 答えその答えは出なかったです けどま悔いはないです ね悔のない17年間の競輪 生活そのデビュー3年目に岡は記念すべき 大きな1ページを記し た 福 井上し武沢光鈴木誠早々たる実力者を相手 に望んだ第45回日本選手権決勝残り1周 8番藤田和彦に前を抑えられた岡は1 センターから外に動きそのまま 前自転車をスピードにせ前を捉えると 目指すはゴールラインのみ 21のG1初優勝はデビュー最短記録をも 乗り換え た今年出だしちょっとつまづいてたんで 少し焦りもありましたけどもう兄弟と首長 とあんまりらずゆっくりとやっていけと いうことだったんでもうちょっと自分では すごく焦ったんですけどもうじっくりやっ てみまし た優勝した岡 さ実は高校時代まで1のスポーツ歴が なかっ たあの高校で何のスポーツもやってなかっ たって吉さんがね急に森山賞に鍛えて いただいて選手になってうん多分そのプロ スポーツの世界も何も分からなかったし 競輪の世界も本当あまりよくわからない デビューしてるでしょでも全然限界を作ら ずに物差しも持たずに入った世界じゃ なかったはい怖くなかった怖かったです けどでも1つ1つは新鮮だったしまして
その森山さんの 師匠の練習がその競輪選手になるとして 必要な練習と思ってたのでこれをの練習し ないと選手になれないと思ったからそう いう部分では逆に高校の時に何かやってた とかそういうのじゃ なくその綺麗な体のままあの森山さんの とこに生れたのでまそれが逆にまた僕に とっても良かったかなと思ってますけど ね普通の物差しでることのできない岡の強 さ一緒に戦った選手はそれをどう感じてい たの か吉岡君の走は やっぱり一気にこうローからトップまで バーンと上がってっ ちゃうまF1じゃないですけどその オートマチック的なこギアチェンジする 必要なくバーン高いちゃん僕はどっちかと いうとこうマニュアルでギアチェンジし ながら 換をつけながら走るっていうそういう違い をやっぱり自分に求めたっていうか同じ 走りスタやっぱり勝てないですからあの 仕掛けのタイミングとかそういうのがあの なかったですねあの関係ないというかはい で僕たちはそういう中でレースをしてきて こうなったらこうなってここら辺で来てっ ていうそういうなんか仕かけのタイミング とかでずっと走ってきたんですけどま僕も そんな強くなかったんですけど当時はまだ あのま吉岡君はそういう仕掛けの タイミングとかは関係ない走りだったです ね 自分ま車間が切れてても追いついてきたら ここで行ったらあんまりいいタイミング じゃないとかそういうこと関係なくに 追いついてきたらそのまま行っちゃうって そこがもし本大げさに言えばそこがもし赤 だとしてもそっから行っちゃうって感じ ですよねだから感なん でやっぱり その自分とその次元の違いていうか そのもう1つ2つ上行ってるレースのあの 支配の仕方だったんですねはいでそれ彼が それ分かってるやつたかどうか分からない ですけどもうそういう走りだったです吉の 強さっていうのは踏みっぱなしの強さって いう感じねあの流すとかじゃなくてずっと 踏んでずっと加速してる感じ感こんなに 最後まで踏めるやついるのかなっていう ぐらいのやっぱそれが1番強さとしては 感じましたねあの初めて世界戦に僕がヘチ で行った時に練習やらしたんだけども他の 選手とはも全く違うようなあのスタミナと あの一瞬も脇何本やっても疲れないみたい
なねいつまでも同じペースで踏めるような まそういう力を持ってましたからねあ 嬉しいです ねまでも正直流すっていう言葉は知て なかったんですよ ねそうよねだ1mの僕あの流したことない ですからね1分5秒とか出した時もああ そうだ流してとか踏んで流してとかいうの 知らなかったんですよ30ぐらいなった時 に踏んで流してってのを初めて覚えたん ですよ30で はいいやだからまだ逆にどこで流していい かわかんないわけじゃないですか流しちゃ はいけないと思ってたからはいうんだから 若番から常に長野さん犬さんと逃げてる時 もその緩急とかよりかは流すことわかん なかったから多分フモもスイッチ入ったら そのまんまずそうだから神さんがいた みたいにここで仕掛けてくるここで仕掛け たらこうなってかなとか言うけどそうじゃ なくってもう流すとこかわかんないから ただふパなしですよねこっから仕掛けよう と思ったらもうそっから後はゴールまで うんそう あ中野さんが言うように4コナ回あっても まだ踏みなすんだもんっていうそんなこと は考えてなくてそれ当たり前だったんうん そうですだ踏みなしたって自分の意識は ないわけですよただゴール磨けて踏んでた だけだってそう現役の時にそれを何回も 言いたかった言ったらね負けそうだった から黙ってました けどその自分のスピードドってものは俺は スピードがあるぞって意識してたいや意識 はしてないですけどやっぱりあがいタイム とかタイムを気にしますよねそう逃げても 逃げ切ってもそれが11秒前半とかなれば あ今回調子がいいとかうん後半なればあ ちょっと重たいのかなとかもう12秒台と かなった時はあれみたいななんだこの タイムみたいなだから練習でも事前の練習 でタイムが良かったから自信持てまし たっていうコメントがよく出てたねうん そううーなるほどね俺のこのスピードは どうだ見てくれ今考えても誇れるぞって いう思い出のレースったら 何思い出のレーススピードで誇れる レースそれはやっぱグランプリじゃない ですかね92年の92年あの12月に10 秒9ですから ねまそれもあのメンバーで誰タイムが出 たってことはうんすごいことだと思うしま あと平塚には結構そういう部タイム的な ものがいいんですよね平塚で10秒後の バングレコードも出したしね日本記録も
やっぱバンクレコードはもう 嬉しい嬉しいといるかはやっぱそこに自分 の名前が刻まれるわけですからねはいま いずれなくなってくかもしんないですけど でもそれは嬉しいです最近でも塗り替え られなくなってきてる気がするんですけど ねそれはやっぱりあれ選手がもろくなっ てるんですよねああだから1つ言えばうん 音質育ちはいあのもうプロなってになっ たら もういいっていうかちょっとこう自分で ライン引くみたいな満足しちゃううんハグ がなくなってじゃないですか ね一着以外見向きもしないハングリーな岡 デビュー2年目にg2ダービー福井で決勝 に進だこの大会勝ち上がりで岡の番手を 巡り中野一と井が競り合い岡の名前が一気 に全国区となっ た結果井上が吉岡と決勝レースを走ること になったがゴール前井上に刺され悔しい 思いをし たしかし翌92年日本選手権競輪では1覇 を 達は地元 の走で優勝すると初の大隊競グランプリ 92では初出場初優勝を成し遂げ た以降吉岡は毎年ビッグタイトルを取り 続け99年の全日本選抜優勝でグランド スラムに大手をかけ たしかしその後吉岡は長い低迷を 迎えるまず1番最初にスランプらしい スランプに至ったというの何がきっかけの いつ頃それはもう小松島競輪で落車して 鎖骨追っ た時からスランプスランプていう かまケリ選手になった時点で鎖骨は もう当たり前だと思ってたのでただそれ が若い時っていうかまその20代で怪我 するのと30近くなって怪我して30過ぎ て怪我するのとはちょっと治り具合全てが 違ってくると思うんですよねでも同じ感覚 で僕はそのままレースに出ようとししてた んですけど結局それがバランスが崩れたり 何が崩れてま結局3年 近くどん底に入ったんですけどその時が やっぱり唯一のうんスランプですかねうん 自分の気持ちが一番苦しかったでしょ 辛かった苦しかったですねね何やっても 結果出な今まで何こうちょっといじれば 結果1着取れたいとか1着取れずにもその 勝ち上がっていく段階の必要な勝ち上がっ ていく着は取れてたのが取れなくなってき てそれこそ は急着でそれもちょっと離れ気味で8人の お尻を見ながらゴールするとかいうのが
あったのでそういう部分では あら なんかいじること自転車をいじったりする ことがなんか逆の意味でどんどんどんどん 自分を沈めていってんのかなっていうのは あったですよ ねその時吉岡は長嶋巨人のトレーニング コーチだった佐木と出会った最近は後に 巨人軍を支える上原投手ら若手選手を 数多く育て上げていたあのアスリートの 場合はあの左右のバランスていうよりも 対角線のバランスが非常に大事になってき ますんで特に岡さんのはあの左方からあの 体感を通して右の股関節特に右の股関節が ちょっと緩い状態でしたね当初は単調なも 子供がやるようなね単調な リハビリテーションから始まったんです けどもでま最終的にはもう白直前までえ 追い込むようなトレーニングもやっていっ てあとは体感のバランスあのねじれを修正 するということうんあとはもう全身の キャパシティというその筋力トレーニング でもう絶対的な筋肉いうのを確保してえま バルクアップしていけばま車でいう エンジンの部分を大きくしていけばもう あれだけのスター選手ですからうん必ずや 復活するだろうとあの信じてました言われ ましたね子供のするような子供の段階から きつかったってことですからねでもそのま ささに見ていただいてまそれまでなかった ものも教えていただいてねでもさっきも 自分でもしゃったけどすぐには結果が出て こないでしょこううんレ特にそれは やっぱりず辛いとか苦しいというかどう しようと思ったうま焦りはありましたね うんやっぱ選手やってるね選手誰でもだと 思いますけどどうしてもすぐ結果を求め たりそういうのがやっぱまケリ選手の悪い とこもあるんですけどやっぱどうしても僕 もすぐやっぱ結果を求めてしまうのでそう いう部分ではうん 多少佐木さんとこううん 話の中でやり合うこともありましたしま それがま徐々に自分の中で あのきちんと受け止められるようになって から はまちょっと佐木さんとま本当に向き合っ てやってみようかなっていうの気にはなり ました当初疑心暗期で始めたトレーニング だったんですけどもだんだんと顔付きも 変わってきて うんこれはいけるんじゃないかなってま僕 も心の中ではそうやって思ってましたま 巨人軍のそういうトレーナーをしてたので そういう筋肉を鍛えるよりかはその体感体
の中の部分を鍛える方が多かったのでま それが初めてその自分がやってきた トレーニングの中で初めて聞く言葉だった んですよねだからそこはちょっとこう興味 もあったしはい実際やってみたらもう息が 上がるぐらいきつかったんですけどは 終わったと思ったらいやこれウミング アップですとかねええっていうのはあった んですけどそうだそれぐらいやっぱ体感が 必要ってのは初めてその時に学んで教えて もらったってことですねじゃやっぱりこう いわゆる目から鱗みたいなことが結構あっ たわけですねうんそうですねただそれが 全て競輪に直結されるかってのはないです けどうんただその気持ちの中での1つの あのプラスにはなりましたからねうんま僕 はもうコンディションに対するアドバイス しかしませんでしたあとはもう自転車の ことは本人が一番分かってますしそれは もう僕が話すことでもないと思うんですよ ねえ特に選手っていうのはあのやっぱり 自分の持ってる何か美学がありますから うんそれをやっぱり引き出してあげるのが ま僕の役割かなと思うんですねまいい環境 いい気持ちでその視野に望めるようにえ そういうことに気を使ってまし たきっかけ はポンと来るんですけどでもそのきっかけ から確信まではだいぶかかりますよ ねあこれでいいのかってでも1回その どん底を見てしまうとこれでいいのかって いうのが本当にこれでいいのかっていうに なってしまうんですよね取りれたみたいに 寝ててもその絵が浮かんでくるんですよ セッティングする絵がぱ夜中でだろうが そのあて目が覚めてわざわざレーサー パンツ履いて下の道場に行って夜中はま1 時だろう2時だろうがローラーまた越して その頭に浮かんだ絵をセッティングして 乗ってあら全然違ったみたい なその迷いは成績に現れ た2002年の久記念決勝なんと吉岡が4 番車で走ることになった3番車神山一郎4 番岡 屈辱のレース結果はが優勝岡は4 着競輪会選手になってる間はヨーロッパが 来たくないなっていうのは自分の中であっ たしはいうんまそれはもう1つ自分の発分 材料にはなりましたよねいや考えたのは 特に横に神山さんがいらしてま神山さん3 番車でらしたってその辺がこう気になっ ちゃったんじゃないかなって思ったい逆に それの方が良かったんじゃないですか ねさんと離れたい神さんがいないレースで 4番車切るよりかはいて4番車来た方が
自分のやっぱり ずっとそういううん特別経理の決勝とかで 戦ってきたね先端が横でその3番車来てる 時に自分4番車っていうのははっていうの はありましたよねまあでも隣に並んで るっていうだけで その車番を気にする気はそんなになかった ですけどねあの本当のねもうたまたま4番 車の その成績というか点数だっただけで持っ てるものはやっぱ僕は肌で感じて知って ますからあの同じような気持ちで走りまし たけど ね2003年10月13日第16回共同 通信車配競輪決勝吉岡敏復活の時が来 た2番岡は最終2センターから捲り 追い込みで前段に迫る とを捉え1着で ゴール実に4年ぶりのビッグレース 制覇そして吉岡はこの年のグランプリ出場 も格にし たその年それで4年ぶりですかはいケリン グランプリで2着やっぱり自信ついた自信 がついたといるかは4年の苦しみがやっと ここでファンの前でやっとこの解放された というか やっぱどんなレースをしてどんな答え出し ていってもやっぱり大部隊で走ることが やっぱファンにとってまた僕もファンに 対してもやっぱその気持ちの現れたと思う んでやっぱ そのグランプリに戻って超えたっていう ことは僕の中で はファンに対してやっと答えを出したか なっていうのはありまし たでもその後やっぱりの自のタイトル なかなか手届かない時期はまた続いて しまったでしょそれは自分ではどう 受け止めてましたうんうんうんまそれだけ 選手との差 が こう縮まってきてるああ自分との差も微妙 にうんズレが生じてきたんだのかなと思い ますよねやっぱグランプリに戻って来れ たっていうこととこれからもう1 回前のようなまあ1年間通してその コンスタントに戦える体っていうのを考え た時にちょっとずつそれがずれにまたなっ たのかなと思いますけどうんでもそのま 聞いてたその17年通してずっとそうかも しれないけど何がそこまであなたをその バンクに向かわせるというか経理 にやっぱり1番 はファンの方が応援してくれてその中に 自分のやってきたことを見せたいそして
イコール1着でゴールしたいそれだけです よねもちろん不安の声もありがたいだろう し後押しはしてくださるかもしれないけど 自分の気持ちはどうなの自分の自分で自分 のレースにかける気持ちという かうんやっぱりSQ一般で特別競輪を走っ てきたらやっぱそこのランクから落ちたく ないていう気持ちは多分出てくると思うん ですよね それが長い期間そこに在籍してけばだから やっぱりSQ一般に1回登り詰めた時に 得れるものと得れないものがあると思うん ですよねその中からまた今度S1に 登り詰めてそこからこの特別競輪を取る までの登り詰める部分そしてその グランプリを取るそのそこに行く 登り詰める部分1つの段階があってそれを 味わったものはやっぱり [音楽] 落ちたくないというのとこのまま終われ たくないっていうのがある からどうしてもそこをなんとか微調整して まあ言い方悪ですけど調子悪く悪くても 結果を出すぞみたいなそういうので望む とこだったです [音楽] ね落ちたくないそして終わりたくないそれ は若くして競輪会の頂点に立ち 常に超一流であり続けた岡だからこそ抱く 戦う男のプライドなのかもしれ ない2006年1年前ですねその時点で こう心にきすもありましたうんま自分の中 ではですねやっぱりその前の年の2005 年のオールさの時に自分の心の中にふと そういう文字ができた時点 でこれまで その悪い時でもいい時でもその応援して くださったファンの方とかのためにもこの まま自分 が線を引けばそこで終われたと思うんです けど勝手に自分で000を引いていいのか なっていうもう1回その特別経理のタトを 取っ てそこで初めて線を引く引かないっていう のをその答えとして出せるんじゃない かっていうのを考えていたので2006年 の時は特別経をまず標準もう基準に考えて あのやっていこうとは思ってましたよね ただね年がけてそう思ったとしても最初に 来るのは地元の経祭じゃないですかこ れって結構きついでしょうんいやでも逆に 良かったと思いますねそこからやっぱり もうすでに自分としては特別経のスタート が切られてうん1年間その気を引きしめて うんやっぱ地元走るってのは普通のと特別
走るのと気持ちは一でも入れ込みは違い ますからそういう部分で はいい形でいいスタートはけれたと思い ますねでやっぱりそれがあったからこそ ダービーの活躍ですかそうですねま経祭に 向けて練習した結果あこの練習をすれば まあある程度答えは出るなっていうのは 確信っっていうか掴んでたのでそれをもう ちょっとうん応用を使ったり色々考えて微 調整した練習 で望めてやっぱダービで答えが出たのでま 良かったと思いますねやっぱりその ダービーという大きな大会を手にでき たっていうのはうん良かったですよねうん それがやっぱ僕も思うんですけどやっぱ やっぱいい星のもえてると思うんですよね やっぱりダービーああいう大きな舞台で 大きなタイトルの中で決勝戦が先行医者に なるっていうのもないと思うしそしてその また先行者でそのダービーというタイトル が手に入れられたってことは自分の中でも 大きかった しまそれ はその時初めてまた自分の中で線を引ける の引いてもいいのかなっというのは考え ましたけどはあ初タイトルと同じラビュー をまた手にしたことでうんまちょっと神様 に許してもらえたかなっていうことですね うんま神様がチャンスを与えてくれたかな と思ってましたしね はいそのチャンスと は競輪選手としては最も大きな 舞台グランプリで引退するということだっ たの [拍手] か 嬉しかったことて何でしょう うんやっぱり そのまあ高校時代そういうスポーツして なかったんですけどそう いう優勝するっていうその優勝の喜びとか を味わえたこととまあと は同年代の選 あの同年代の人人たちよりか はま少しは早く親高校ができたってことか なうんでも激しくも厳しい17年だったん じゃないかと思うんだけどうんで も最初の約92年から走ま特別経営とかに 出してま90年デビューですけど約10 年間99年まではまある程度毎回特別競 走ってグランプリもの走ってという スタートから10年はいい よ良すぎるぐらい良かったと思うのでその うちの3年4年が悪くても差し引いても いい方にしかないと思うんでねそうそう
いう部分では まあちょっと後半垂れで垂れてしまったの が悪かったですけどでもま競輪人生として は僕は最高に良かったと思います ねそんな吉岡豊島さん ライバルと言われた神山裕一郎にとって どんな存在だったの かまた今の選手のライバル関係とその僕と 吉岡君とのライバル関係とやっぱ多少違う と思うんですよね はいま僕だけ思ってるかどうかわかんない んですけどその深さが違うと思うんですよ ねはいま競輪のそのいろんな この奥の深さですよねうんそこまで追求 できたっていうか彼いなかったらやっぱ ここまで追求しなかったと思うしそれこそ 本当 にセッティングにしてもまサの高さにして もそのずにやってたと思うんですよね やっぱり軽にやっぱり勝つためには やっぱりねきっちりもうやってかないと 勝ってないと思ってたんでそれこそ本当 セッティングダスにしてもほと0.5mm 単位で いじったりもしてましたしそういうこと にまやっぱ自分はやっぱりその競輪に没頭 させてくれたあの本当に偉大な人ですよね 僕には はい僕もやっぱ亀さんを見てやっぱ 頑張ろうという気になるし怪我してこう やって家でゆっくりしててもやっぱり神屋 さんがテレビの画面に出てくれ ばやっぱ負けたくないっていうのもあるし やっぱここに戻りたいっていう気持ちも出 てくるしやっぱり神さんがいてくれて やっぱ自分 も1つ1つ成長的だと思うしま神さんに 対してやっぱライバルていう言葉は失礼 ですけど僕はいい あのま僕たちの僕の言葉とし ていい先輩がいたと思ってます ね ねどですか手な本当ですかえ あもま最後の大部隊でグランプリで吉岡 さんと走れたことを本当に栄に思ってます これからもその走れ走走れたことを心に 刻んでえ頑張っていきたいと思いますあの 吉岡さんにもらったアドバイスをえ しっかり考えて練習頑張っていきたいと 思います競輪会をあの引っ張ってくれた大 先輩なのでえこれからえゆっくり休んで また第2の人生を送ってもら 思いますえ吉岡君えっと寂しい限りですが えこれからも裏方の方で競輪会を支えて くれるようよろしくお願いします17年間
ね毎日毎日あの本命を背負って走るのも 本当に大変だったと思いますえこれから ゆっくり休んでえまた第2の仕事頑張って くださいまこれからいなくなると思うと ちょっと寂しいかなまけどまだ間に合う もう1回一緒に走りましょうお前に少しで も追いつけるばと思ってえ練習に励んでき ましたえ今の俺があるのもお前のお前が 頑張ってくれたおかげだと思ってるんで 本当に感謝してます引退したってのは すごい残念なんですけどでもっと一緒に 走りたいって気持ちあったんですけどま あの残念なんですけどねまあの吉岡さんに ね一歩でも近づけるように自分はこれから 目標にして頑張っていきたいと思いますえ 長いやと言っていいのか短いやと言って いいのか分かりませんけどもまあ十分出し 尽くしたと思うんでお疲れ様でした やっぱり松井秀樹みたいなタイプですよね えもうその背中を見てどんどんと若い選手 がついてくようなうんまそういう同じよう なオーラを感じましたあの不同心をいつ までも貫いてえ第2の人生も本当に頑張っ て欲しいと思いますまこれからやめてから の人生の方が長いんでえしっかりと じっくりと腰を落ち着けてえこの先自分が ねえ何をやりたいかということをえ考え ながらそしてまたそのお世話になった競輪 会にはえきっちりとした形で音返しが できるようなえそういうことをですねこれ から考えてま一生懸命やっていってほしい と思います今競輪選手生活を振り返って 感謝と言ったら何に誰にどんな感謝します かそれは もうまず両親には感謝しますけど まず先輩方そしてファンの方ですねには 感謝したいですねま苦しい怪我をして 苦しい結果が出ない答えが出せない時に やっぱり大事なそういうお金をかけてくれ てる中やっぱヤジもバ声も問いますけどで も明日頑張ってくれと か帰らずに明日走ってくれよとかいうそう いうことを聞いた時にやっぱりやっぱり そのなその言葉がやっぱ 支えそのたそのためにも自分が答えを出さ ないといけないと思ってたのでまそこが やっぱ1 つ自分の中でファンのファンあっての自分 ということをよく言ったんですけどそこ からだと思いますねはい吉岡さん本人から 見て競輪選手吉岡敏どういう選手です か難しい なファンに支えられた選手ですか ねファンに支えられてまその中に選手先輩 選手そして後輩選手そして自分の弟子い
ますけどでもトータルしても やっぱりま17年間全てにおいてファンに 支えられてきてるわけですからうんそう いう部分ではファンに支えられた選手だと 思い ます新戦17年間ありがとうございまし たいう場を作っていいた関者にも深ご 申し上げ ますえしますは本当に俺だけのの中でえ身 を引くことができますこれからもをく応援 してください今日はどうもありがとう ございまし [拍手] た綺麗な体だ からで強くなる努力ができたハングリーだ からガムになれ たそんな吉岡だから自分やファンに嘘が つけなかっただから引退の道を選ん だそんな不器用な男吉岡 俊新しい世界でも前を走り続けるに違い ないHV