【世田谷美術館】なんと昔は◯◯だった #ショート #古地図 #散歩 #明治時代
ここは世田谷美術館。上には東京都中央 おろし売り市場。下には色々な森が もサモサしています。で、世田谷美術館 ですが観覧量は200円。毎週月曜提供と なっております。式お料理のアート作品見 てみたいよね。そして良い子のお友達は ここが昔どんなのだったか見てみたいよね 。というわけで明治時代まで時間を遡って みましょう。 [拍手] [音楽] なんか久々の嫌な予感。定期中何にもない 。いや、畑はある。そして現代では森の中 だけど、当時は家が立っていたとは。時間 進めよう。畑だらけ。ここ本当に世谷か。 変化なし。子供の森もあんまり変わらない な。おお、中央に何か近代的なものが 見える。ここで劇的おろし売り市場。美術 館がある場所に謎の建物。なんだ、あれは 昭和61年会館だっ
世田谷美術館のある砧(きぬた)公園周辺は、江戸時代から現代にかけて大きく姿を変えてきました。
⸻
世田谷美術館周辺の歴史
1. 江戸時代以前
• この一帯はかつて武蔵野台地の端に広がる原野や雑木林が多い地域でした。
• 世田谷は江戸の外れに位置し、農村地帯として米・野菜・薪炭の供給地の役割を果たしていました。
⸻
2. 江戸時代(1603–1868)
• 砧周辺は幕府の直轄領(天領)や旗本領が混在し、農業を中心に発展。
• 農民は年貢米を江戸に供給し、近くの大山道(おおやまみち)などを通じて江戸との交流が盛んでした。
⸻
3. 明治時代(1868–1912)
• 明治新政府のもとで、周辺は東京府に編入。
• 1889年に砧村が誕生し、世田谷の中でも農業地帯として続きました。
• 一方で砧林と呼ばれる広大な林地があり、薪炭の供給地として重要でした。
⸻
4. 大正~昭和初期
• 1923年の関東大震災後、都心の公園不足が問題となり、
内務省は郊外に大規模な公園を整備する計画を立てます。
• この計画の一環として、砧林を買収し、
1934年に「砧緑地(きぬたりょくち)」として開園しました。
• これは現在の砧公園の前身です。
⸻
5. 戦中・戦後(1940–1950年代)
• 戦時中、砧緑地の一部は陸軍の施設や農地として利用されました。
• 終戦後は進駐軍が接収し、一時的にゴルフ場としても使われました。
⸻
6. 高度経済成長期以降
• 1957年、接収解除後に正式に砧公園として再整備されます。
• 都心からアクセスがよいことから、花見やピクニックの名所として人気に。
⸻
7. 現代
• 1986年に砧公園内に世田谷美術館が開館し、
芸術・文化と自然を融合させたエリアとして親しまれています。
• 現在はジョギングコースやサイクリングコース、桜並木が整備され、
都内有数の緑地・文化拠点として多くの人が訪れます。
7件のコメント
住居だったところがモサモサの森になってるの
興味深いですね!👀
木がモサモサしてます
モサモサした森に遠足で行ったことがあります。当時(昭和40年代前半)は砧ファミリーパークと言ってました。元々はゴルフ場だったのを緑地公園に改装したところです。
大人になってから世田谷美術館には何回か行きましたけど、砧公園にはほとんど行ってません。駅からはやたら遠く、車で行っても駐車場が絶望的に少ないので、、
世田谷は基本田舎やし明治までなーんもなかった。開墾された畑ばっかりやで。
逆に、昔、家が有ったのが意外過ぎ!w😁😁😁
獄の墓も遡りやるんかなあ?
世田谷は昔…渋谷村若林豪の先ですから…畑だらけでしょうね…☺️
家は両親共に東京で田舎が無いので経堂の親戚の家に子供の頃良く遊びに行くと…
昔のアルバムに経堂の駅写真が有って駅前は松の木が何本か有って駅の左右が畑と草っ原でした。☺️
世田谷村ですね…☺️