しおんじやま学び場オンライン2023年12月2日「大阪府八尾市 幻の由義寺!最新の発掘調査について」

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行った調査の気団の北星隅を見た写真に なりますはい えいかがでしょう かえこれ向こう落ちてるのかだからはいえ このえ段の北の端がま大体この辺りでその 外側にですね河原がたくさん体積してるで ここもです全ても削られてはいこの辺一体 も階段の土がま残っていない状況も削られ はいで上もですねもう土のか上面しか残っ てないんですけども中にこうやった石これ もですねあの先ほどの石上に置いてますっ ていうような石の同じような性格で考え てるものでしてうんでまえボコボコ穴が 掘られてる状態で素もちょっとなま原一同 現位にあった素もないですしえ気団外装の まそういった装飾された石がこう同じ場所 に正しい場所にあったやつもないっていう 状況ですねでここも大きな穴が掘られて ましたこの掘られてた掘られてたなです はいでちょっとあの意の頭が出てきたので ちょっとあの確認を含めあの深めに掘った んですけどはいそれがここの壁になって ましてえ細かい半旗ていう難っていうのは 細かい半熟してるってことがま確認でき ましたでこの今の状況を言いますと塔がま 立てた時っていうのはこういう風にこうキ のがうんして段外装がますけられてるん ですけどもま建物がま撤去され塔がまた 燃えたりとはい外される機能しなくなった 時にこういったこの外側の階段外装のこの 石とかがま抜き取る時にまくがま出るん ですねでその抜き取った時に出たくがこう いう風にこうま溝上にこう残るのででま 業界がの破片を含む溝っていう風にこう いった溝が段のこの土の外側にこう巡っ てる溝がこう四方を囲むように出てました のでその範囲がま等のあの範囲であろうと いう風ちょっといいですかはいこのここら 辺でも外しますでこういった石も置いてる いこへんでるこれももうへあの地面の高さ が大体このぐらいなんです軽大地の高さで こことかの石を取るのにこう削ったり削っ たりとか持っていくとま溝ができるとあ そうですねもう抜きま抜き取ったもある からねここにいろんなそうい ゴミとか入って半熟の部分とでこういった 水水っていうこうもうまなんですかねもう 全部外された状態はいはいていうそうです ねこの滑って外された状態っていうのは このようはい状況ですでこういった溝が うんこれが上の段のですね上から見た状況 のま図面になってくるんですけどもあの 茶色で塗ってるのが塔のキの高まり土が 残っていた範囲まいわゆるこのの半蓄草 って見えてる部分でこの抜かれた残ま溝

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それがキのあの東のラインうんうんですか ね角兵におそらくこの溝掘られてた可能性 があってでこの溝があ掘られた上にこうキ が積まれててここに東のライが食るという 風にこういう風にこう目安というか工事 する上ではいさっきのクが入ってた溝とは まその正治えっと上の段の下にある下に ある溝なのではいだからさきの崩は当然 その外にある外にあるはいなのであのここ の長作ではその溝は見つかってないんです けれどもここではそういったあの作る時の キダを作る時の目安ま四方にあのなんです かねここのがキダの範囲っていう風にま 掘った溝の痕跡とか使ってですあでその段 のこの幅とか大きさをそうですねあの目 あの工事施工場を掘られた溝を埋めて るってことですね埋めてだからなんかこれ あの色河とかもはいこれ入ってますでえ こういった大きなあの正置があるこの下の 部分であの段が見つかったわけなんですね で え今の現地表現代のこの赤のラインって いうのがあの実際調査する前の高さ現代の 今の高さでえ現地でこうやって持ってる このぐらいですよっていうとでえこの跡 なってからあの仮整備を行ってるんです けどもそれが大体この11.5ぐい ああしてますなので今調査してるにはこの 上の盛土を外してさらにこれを取でやっ てるのであのダボりって言うんですか深い ところにあるんですねで現地表から大体 1.8mぐらいですかねうんで湯デラ東の 団の土この黄の部分が実は残ってまして この地表から行くと本当にすぐ下ってあ そうですあのこの地表っていうのが先ほど の29年の写真であったあの畑の状況の あの畑の高さですねだから保護しとかない ともうあそうですそうですあのもうはい すぐ高弾になっくるんです本当にもう20 230cmぐらい掘ったらもう機が出てき てた状況やったのでまいわゆる保護してる ようなうんえ土になりますでこれも硬いん ですこれも取ってで現代の畑の土を取って 当団が先ほど見つかりましたで仮想確認を しましたらこのピンクのうん仮装の来約 2m下で見つかりましたうんそれがこの 状況でえこの土この現代の土のこの山の この辺りですかねでえこの黄色の土って いうのが段の土でちょうどこれなんですよ 上のとでこの緑の聖地の土がこのこれです あこれに下がってきて下がってきてるはい はい下がっていってるものででこのピンク が この砂粘土砂 になってるこの半本当に5cm10cm

5cm10cmぐらいの厚みでずっとと 体積してる状況っていうのがありまして これがあの東川から奥に向けて撮った写真 なんですけど綺麗にあの半熟になって るっていうところでこれで言うとこっちの 方が幅があるってね上のあのはいあの おっしゃる通りで あの半地のその細かさが違うっていうのも またうんポイントであのま厚みが5cmだ と5cmで揃えるとかでなくてこの間の この土年な土っていうのがも10cmとか の厚みなのでやぱ作り方がちょっと ちょっと違ううんまさの東台と比べたら かわいそうですけど全然違うって感じ熱に 作ってないまあの緻密さがちょっとかけ てるのかなと思うんですがまでもあの すごくですねうんあのあこれもちょっと 軟質やったんですよ結構その手がりであ 掘れるってスコップでもすぐに入れるよう な状況でえま掘りやすいとあれなんです けどちょっと水気も多かったようなこと 覚えてますでこのと河とかも入ってたりと かするんですけどなんかそそういうえ仮装 の階段がこうなっってで手前の方はこれか 正置やからもっと緩くていうかこう線も何 本か入ってますけどそうですねあの感覚は もう15cmから20cmの一層の単位で こう積んでいってで高さをここまでうん 合せてにの塔ですよね作ってるのでこの 仮装の段を元にして正置して作ってるはい いうとこなりますあましねこれが上の上層 の機が土でここがま細かい作りなってるん ですがその下はもこういう風な仮装機に なってますうんでさらに下をちょっと 掘り進めますとえ掘り込み事業っていう あのま盤改工はいですねの痕跡になります で掘り込み事業っていうのはももこの地面 からさらにこうさ中にこう掘り下げてで またあの性質の異な土をこう埋め戻して いくもう改良工事なってますでこれもあの ないこの掘り込み事業がないお寺もあっ たりするんですけどもおそらくま湯寺て そのま先ほどのま地理的な環境からして やはりこう一旦は下もこういう風にあし ないとちょっとまずいっていうので普通の 地面に更に掘ってまたこんな感じでこう装 築をして固める固めているかつ え石をですねゴロゴロですねもう50cm とかま20cmま20cm見えてるのが 20cmじゃない本来もしか50線自体の 石がゴロゴロなかもしれないですがもう いっぱい出てきましてあそうですこの下の 図はなんか下にちょっと石っぽいのがある はいこれは本当に模し傷であってでこれ ちょっと石敷きみたいになってるんです

けどもこんなんではなくてゴはいゴロゴロ 掘り込み業の中に入っていたこんでえこの 左のところの写真がえこの掘り込み事業の そのここがあのなんですかこのまこの部分 ジア地山っていうとちょっと表現あれなん ですがいわゆるこの仮想機の仮想団のその 当時のま経済地に近いの高さですねそこ からこう下に掘ってこの石ですはい ゴロゴロ石を入れてでかつこう年のとか砂 をこうぼに混ぜてえ改良して るっていうことが分かりましたでここも ですねちょっとネズミ色なってるあ茶なっ てますここも一旦なんかこう水気が入った 痕跡なってますしこういう風になってるん ですがそ側にもですねあの白いなんかあの くが入ったえ状況を確認してまして え階段外装の抜き取った痕跡ちゃうかな見 てるものですこっから右側だからその段の の中ですねなるほど はい掘り込み事業のま肩とかま落ち込ん でる部分になりますでこれがあのちょっと 反転させます本来の的にはこういう風に 地面があって掘り込んでいる状況になり ますでこの石がはいそうでゴロゴロ入っ てるような状況ここにもゴロゴロ入ってる で抜き取った後のていう感じのイメージ ですねゴロゴロ入ってある状ですねでこれ ま方向で出たこっちですねあの段があって でこの先の部分がこの掘り込んだものに なりますでこのオレンジがあの このて白ではいジンが作られる前の体積の 土なりますねで左がそのその後の正置 く置してる状況なんですでこの状況まその 先ほどのこの去年ですね見つかった状況 からこれまでの調査成果ま確認しますと やはりこの掘り込み事業っていうのは確認 はしてましてこにこう北川でうん差がある で西川でもこ差があるという風に型が確認 できますうんで えこの普通のお寺作りっていうまここだと 掘り込み事業がってその上にもうすぐに段 のつがっていくんですけれどもはいここの 土がなんてかスコーンてこう抜け抜けてる んですねほうあのほやたらここの掘り込み 事業終わって土積んでいったらすぐにこの 半からに間にこの土が入ってるこれがその 先ほどの正置の土しああはいはいはいはい はいここも折り込んででここ半熟してこの 上に段を詰めばいいんですけど間に一層え 23索ぐらい入ってるこれがせ聖地の土に なってるのであの北とか西見つけた時には 作り方がちょっとおかしいなっていう風に 見てたんですねなんかその間にこんな土が 入るのはなんでやろううんうん思ってたの が今回のあ

この間のこの土ですよねが入って るっていうことで間にそういう正置の土 がい ことが分かったそこでこうま体ですねはい 上のデラの作る状況にこう合わせたって いうですねでさらにまその仮装団の外側 これも調査が終わりますっていう本当に 23日前ぐらいそんな多いですも大変やっ たんですがはいあのこれがちょっと悩まさ れるものてそういう段ガソにしかも湯での 調査一番出てきますうんでゴっぽい感じに なそうこれもう本当にえなってましたよで あのこの壁でも見ていただいたこの上の このカがいっぱい入ってるのがあここの高 さがゆデラの塔の段の形大地の高さぐらい になってましてよねその上にあの塔の河原 がこう体積した後の時代の土になってます で何もないこの部分これが成虫ですはい はいなのでこれで1mぐらい高さそんな 1mぐらい下のところでうん綺麗なんです 石がゴゴ出てきましていずれも加工痕跡が 綺麗に残ってるんですねでちょっとあの この東川のあこの隣のやつは東大寺のはい 階段部分の写真越さしてもらったんです けどもこういう風なこの斜めにカットした 階段のこの針出す南東部分ですかうんこの 石が結構長くて80cmぐらい残ってるん ですけどおそらくこの石じゃないかなて いう風にちょっとこの部分っていうのが ユラの階段あ下の仮装機の 階段の北東隅ぐらいに当たるエリアなん ですよはいはいはいなんで階段のこういう 風に張り出し部分にバタっと倒れたうん 石出じゃないかなという風に思ってます いずれもあの元々こういった綺麗な場所に あのつけてあった石ではまだそない動い てる可能性あるんですけどもまお近くに あった本当にまこういう風に本来立ってた んじゃないかなっていう風に考えてるもう ここら辺のやつがバタ倒れてみたいなはい ていうのが見つかったのでえこの仮想団の 建物っていうのがこのようにもう作られて たんじゃないかなっていう風に言て ちょっと去年考えてたもんになります うんうんこれが東のあの裾のラインですね そこからえ外側でこういう風なまとまって 石が出てきてますでえ今年ですねあの 引き続きその今の仮想団が見つかってんで え西と北の掘り込み事業のラインが 見つかったので東西はま17.1mって いうのは長さ分かりまして南北が北は出 てるんですが南がえ分からなかったのでえ 今度段の南側でえユラの当のキの状況と 加速キの南の橋っていうのを確認するのが 今年の調査になりますでこの黄色で囲っ

てるところがえ調査したところで白く囲っ てるのが期段の1ぺ 21mになりますでえこの線のですね南の 橋っていうのがこのこれがあの業海岸の この抜き取った溝の痕跡っていうのがこう 東川から取ってるんですけどもこれがえ 並んでましてでここがあのその段の南の橋 になりますで段の上面はもうあの先ほど やはり70cmぐらいしか残ってなくて その上にこうやって石がうんゴ残ってるん ですけもいずれもあのこれとかこれも同じ 高さになってきますのでこういう風に意を 団を作っていく上で吸えてるうん状況って のは確認でき たでえ気団えで気団とね仮想団の南が橋が 出るであろうエリアこの場所をまさらに 仮想確認しましてここがその立ち回ったと なるんですけれども上からユゲデラの団の ですねえちょっとこあのな感覚はあるん ですがあの粘土の土砂粘土え粘土っていう とこでで間に聖地の土が入ってましてで ここのから下が仮装の機の土細かいですね あここ細かいですそうですここ細かくて 3cmから5cmぐらいの厚みでえこれも 砂と粘土砂と粘土うんでここから下が石を ゴロゴロ入れたフルコミ事業のとこになり ますでえ右写真で今右上の写真と掘り込み 事業のこの掘り込んだ面がここになります でここがもう南のうんラインになります これが型ですねうんでえこのさらにこの石 があるこの奥がこの状況でこの50cm ぐらいの石とかうんゴロゴロですね入っ てる状況が確認できましたでまたこの ちょっと平たい面をですね外側に向けた石 がありましてでこの石がちょっと連続し てるんじゃないかっていう風に考えてまし こういったあ作ってるうん仮想機を作って いく上でまだなんかこうま並べてる可能性 があるようなそんな意思も見つかってき ましてこういう風にあの下の状況っていう のが分かっていまあれ感覚で意思置いてで 間土を入れていてて感じですの幅が 30cmなのでそういった1尺開けて なんかやってるのかどうかっていうとこも 確認今後ちょっとまできればなと思ってる んですがまいずにしてもこの水がですね すごく湧くような状況うんうん えやはりこなあのとで度もここだけ ちょっと厚みがちょっと違うんですがあの 砂年度砂粘度っていうのを交互にこ固めて え作ってるというその状況が確認できて ますうんでえ今の掘り込み事業のこの型南 が見つかりましたのでえ 西東見つかりましたでえこの幅が17.1 Mで北も見つかってますで今回南りました

のでその幅がま長さま16.8うんという ことでま四角囲むとまこういう風なま約ま 17m四方の平面に復元できるっていう ところになってますうんでえ上の段ま上 っていうか上層の段がこの黒のラインに なってましてま上に北に1.6m西に 4.3m南にも2.3.2ですかねこの いう風にこう拡張したはいでえしている状 になってますで土もなんぜかその突き 突き出されたというかバージョンアップさ れたところの土はなんかほとんど見つかっ てなていう意味ではなんか柔らかいって 言うんですかねそういうなんかあまり 付け足された土っていうのをすぐに取れる ような土やったのかなと思って残りも すごい悪くてうんなのでこういったあの溝 の痕跡だけはま見つかってはいるんです けどもこういったオレンジのキダの血って のはもこの部分とか北のこのていうですか ねまもう見つかってないのでま後の時に 削ったとは思うんですけどはいはい はいはうんほほこの四角のこの部分はあの ましっかりこう下の段もあるので上からま さらにこうバージアップして作ってる時で も結構辛くしまると思うんですけど外側は 残り悪いなっていう拡張された部に関して は少なないなっていうイメージ でしなので位置関係としてはこの赤が仮想 のキうんうんでばま大きくしてこういう風 なはいていうのにま大きくなってたていう 大きくしたていうですかねなんていうと うんでまあの仮想団のまいつできたの かっていうところでえまホコ事業のそう いった土からですね発駅長子以降のま平川 がま見つかっておるぐらいでなかなか ちょっと時期があの確定したものがまだ 見つかってませんであ1番下のさらに1番 下にねそうそうはいあの先ゴロゴロ石が 入ってるってい中からはいからこの平川 使ってましてでえなのでまそれこの発生期 中頃以降にはなってくるんですけれども デラの塔がま完成したっていうのが770 年というところでうんうんさきのイラスト のやつですねはいでえユゲデラて登場する のこの742年の記事にこう登場するん ですけどもでま765年にあのはまだこの 弓削る寺ラっていう風に書いてますで動で おんでるっていうのまあのいっぱい記載さ れてますけれどもこの時にはおそらくま あのま全身の弓削るのお寺が立ってたんで あろうとは思うんですがでここから760 年に湯野宮っていう風にこう遊戯宮子作り になってますのでこの65年以降に おそらくその仮想段ま小さなま17m四方 の建物段から上にの21m級にえま大きく

した拡張したんじゃないかなっていう風に 考えているんですけれどもうんそれがあの なんでしょうどこまでできてたのかって いうところもちょっとまだ分からない ところであの気団外装の意思が見つかって いるので1さ立ってたものを解体して 立て替えたっていうことも言えますしもう 1つはあのま設計変更というか本来あの 17mやったけどもっていうところで設計 変更して21m9に計画変更して途中で 工場を中断してやめたのかというなま いろんなことが考えられるんですけど下の ところにはあやって石が今崩れて割れた やつとかであるってことはある程度その 気団の外装もしてていう状態やけどあれは その埋めてるとこですそうあれはもう残地 した状態そうで使はま使ったやつもあるか もしれないわかんないです全持っていっ てるあのまもう時間がなかったのかもう ほったらかしにして埋めて上の期をすぐに 整備してさらにさらにしてでさらに持って ま1.3万にしてはいいうその下のお寺が どどの段階のどれかことそうですどこまで できてたのかとかっていうところであの 単にあの東からだあに石がたまたま残って たのかとかで最後にその施工する外側なの かそれともその全く関係のないところの意 がこう見つかったのかっていうところも ありますのでちょっとまだまだあの下の この仮想団っていう取り扱いていうのが あのどこまで進んでたのかなっていう ところはあのあの明らかにちょっとして いきたいなと思ってるところから調査でだ からああいう第に仮想に気団が見つかっ てっていうだからそこをどういうこの系例 としてねこんだけ分かってるところなんで こ入ってくるのかっていうそうところで 色々こう解釈が違ってまこの765年に こう礼拝されてる時にまあのこんな規模の お寺ではっていうま面白話で言うとです けどあの宮に見合へんから大きくし ましょうよっていうようなところで バージョンアップさせたっていうのもなん かまた面白い話この時はなんか湯市のお寺 に来てるっていう感じでも暗もあるからあ だからそこら辺がどこまでその本当に湯市 のウデレベルなのかそうなんですよでそこ であのやっぱりそういった宮最強ですよね 作りに合わせたまだからデラの塔を弓削る 本を作ってたタイミングなのかうんそこの 時間軸ですよねそこがちょっとまだうん 難しく てそうねだからそうかこの湯弓削る湯寺 ラっていうのはその湯氏が立てたいたその 742年とかだったら例えばその湯のウ寺

みたいかもしれないけどこの765年 ぐらいだったらもう小徳天皇が息をかかっ てそうです作ってるその弓削るその字を 変える前のかもしれないいろんな可能性が あるってことですねそうですねなるほど なでそれとかもですね今後そのあの河原の まあのまなか見つかってないんですよね下 の段からの河原とか見つかってないって いう状況とかからするとあの建物がま工事 進んでなかったんちゃうかなとかあま いろんなことが考えられますのでどうにか あのあの石の性格って どういうにあの広がってたのかそこだけ 残ったのかいうところも確認しないといけ ないなっていうのがすごい課題にはなって はいますからその掘り込み事業の中にあっ た河とかていうのはだからそれ以前の変て ことですねえそうですねあの建物あそう ですはいに関わらないか弓削まゆがその 仮想団を作る時に入れてる入れてるですね だからそこら辺とかっていうのでも見てき てももしかしたら分かってところもあるか もしれそうですねなでなかなかそのこれが 確実に今弓削るの寺の気団かっていうのも まだうんていうところもあのありまして なかなかちょっと結論がま出てないんです け複雑なものがでがちょっとややこしい ものができてしまったねだからちょっとま あのままとめとしましてちょっとなんか まとまってないんですがあのまま事実とし てはあの一辺約平17m四方の復縁できる 段が見つかったということですよねでま この団のま規模っていうのがま諸国の 国分寺まこの17mぐらいっていうのがま 平均っていう風に言われてましてなので そういったものに匹敵するま大きさになっ てくるのかなと思い ますですねはいはいですで えまだあのこのすごい調査でも思ったん ですけどもすごい水がが湧くようなこんな ところに塔を立てるのかって先ほど ちょっとありましたがそんなところで やっぱ塔を立てなあかんていう理由があっ たと思うので無理な ないいうのがあったと思うのであえてその 場所で作らないといけないっていうことで やっぱり地面をま掘り下げてま粘土とか砂 とか石を固めながらこ戻すこういった盤 海力工事をましていたっていうことがま 分かったんですねで上のそのユゲデラの 気団は逆にその掘り込み事してないんです よねはいはい下のをベースとして作っはい はい石は入ってるけどまそれは半の中の やつはいはいで下の段を生かしつつうん上 の段は立ってた70とって言ってるんです

けどすごいあのま掘り込み 事業せずま下の団をベスで作ってるって とこはそれもそれですごいなっていう ところなんですけどそんなあこんな場所だ からこそっていうのかねそういうのや発掘 調するでそ体感す すもう駆しながら水とねあのに行ってそう ですね今の写真とかでももう今すぐにって いうところがなかなかもう綺麗にして いただいとて感じですでまこの4つ目 なんかもそうなんですけど建物立ってたか どうかっていうところですよねそこが私は も立ってたっていうとどうにかして言い たいんですかなかなか あのもう少しあと1歩なところがあって うんうんまあの可能性は高いという風には ちょっとあの言いたいのかなと思います うんこれは川村さんの思いますどうにかし たいんですがまま自分で確認していかない といけないなと思でまあのまこの土層体積 状況からもあのユゲデラの下にやはり正置 されてますでやはり土層体積状況からも やはりユゲデラの全身の弓削るの寺の塔の 可能性が高いのかなという風にこれも考え てますまとて異物とかがそまだあはっきり とま出てないとこもあるのでまあの まだまだちょっと謎の大きいというかまた 新たあたな体を産んでくれそうなるとあれ ですねその河とかっていうのでもこうどう どういう差があってとかそうですねあの あの既にま報告されてるその河の中でこの 下に使われたあ弓削の方に疲れた河って どれなのかとかそういったとこもまあの見 ていかないといけないっていうところが あるのでうんあのまなんて言うんですかね ま代の整理ってのはましていかないといけ ないのかなと全詳さっきもちょっと言た弓 削るデラでもその湯氏の弓削る湯デラとあ ウデですねウデていうのとえそういう小徳 天皇がっていうそういう考え方もあ るってことですかその弓削る湯デラって いう弓削る湯寺が元々この地域にあってで そのお寺のあの建物をまあのバージョン アップさせたっていうイメージですね カモラ的はそっちの方の方で考えてはい ますけどはいだからそれはだからその究者 によって考え方がまた変わってくるところ ですかなのでその今回見つかった下の仮想 団も本来弓じゃなくて湯でを作ってたやつ をあのちょっと規模大きくしようかって いうとこまた違う話であるのでうんなから 短いだけにいろんな可能性があるほんまに そそう意削るなのかっていうところですね はいだからそういうこそああいうねこう いう場所っていうのもあるその半熟のね

細かさとか荒さとかもあるしうん逆にその 大きさ大きいですね17mいうの めちゃめちゃ大きいですねだからそうなる とやっぱりその国家権力の作ったっていう 風にも考えられなくもないしていうところ でいろんな可能性がある中でっていう ところですかねストーリー的にはまあの宮 作りにっていうところでは面白いっちゃ 面白いんですけど元々17m級も大きいの でうんうんうんこれ自体があのデラって いうのもあのなくもない物とかあそう時間 的な制約から考えてとはいはいですねだ からどどどういう歴史権の中で生まれてね 残ってるのああいう状況なのでまくあの 推理というかそうですねなのでこの弓削る テラの塔がまだ別の場所にあるのかとかて いうのもま言われたらゼロではないって とこもあるんですけれどもまもうあの場所 っていうところは間違ないかなと思うん ですってのは間違いないですね 方ねなのでそれがどういう寺で本当に立っ ていたのかあの外装までして設計変更 かかってはいそうですでまたあの深さまで 見つかったのであの深さで他にも他のお道 がある可能性あるんですよ今のとこその確 確確地内であの確かに確認しましたけれど もあのなんかそういった痕跡っていうのは 残ってる可能性があるうんかなと思った 課題またちょっと多くなってしこれは なかなか大変なお題 をでまあのいずにしましてもまその下の 気団っていうま塔がまできてたのかには 抜きにしてもまそういったものをま 作り替えてまた新たな等にま計画変更し たっていうのは他にま類例はないので今回 のま発見っていうのはある意味ではあのま 貴重なデータをま提供してくれたのかなと 思ってますなるほどそういった感じでで ちょっとこれねその資料もらって後にです ねあのちょっと今ちょうどあこれ画面書て っと時間がごめんなさい伸びててありです けどあのちょっと今こういうな平常教の 資料感で女帝の祈りっていう徳はい女帝の 勝てたあの最大 時最大このの展示はあのすごいですねはい っていうので今やってるところなんであの くね同じにそうですね立てた大寺とねこの デラとみたいな何はけばですか中身はやめ ねあの展示物でいっぱいあるんですけど私 はちょっとすごいびっくりしたます写真が 1枚実はありましてその機のそ最大の段の うんうんあのほなん立ちわった写真がある んですけどそれがもうデラと同じような 作り方をしてるんですよねその石をうん あのですこれなんですよこれを見も僕は

あのその展示見た時に写真だけちょっと まじまじと見すぎてびっくりしたんです けどもこんこれちょっと新しいなんかなん ですか似てるなっていうとこうんであの ちょっと詳しくちょっとまた勉強しないと いけないやなっていう風に16ページ16 ページあの展示でもパネルで写真があり ましてもうびっくりしましたそれはなんか その寺のタ団の作り方とすごい共通してる 部分があるんじゃないかなっていう風にま 考えるとこそうこれで見た時に思ったあの 掘り込みできよそう番のやつがその最大時 のえ等等は8角形そうですねまず東両頭8 角形やったのがっていうとこで四角に設計 変るいうでま言うたら普通の弾に立って るっていう弾になってるんですはいだから そういうねその設計変更みたいなっていう のが実際ここでは行われるあるいう感じな のでなんかそういったのも踏まえるとこの ねあの湯でっていうのがねなのかかていう ところいろんなねデータある中でていう考 はい工ワの難しさであり楽しさでありて いうねあの先ほどの写真とかねあの柏の やつとか見るとやしがいかに残りの 悪いいうところていうのがあるのでそう いってなかなかねこうデータをまず 引き出してていうところなんでもう まさしく今途中なのでそうですねあの他の 建物も含めてねこう調べていってもらって またね話また変わって当然変わっていくか もしれないんでていうところなんですがえ そういった中で1つなるかもしれないって いうので実はこれでま話たしは今日終わり なんですがなので真実ははなかなかねこう 分からないっていうところでこの続きはっ ていうお話をですねえ実は告ということで はいえゆのシンポジウムがはいえされると 一応作ったでこで実はあの12月の17日 にあの八の方でえこの党を考えると難しく ねあのその今日は全段階みたいな全段階 っていう感じでえっとまこういった状況な んでこれはどう考えますかっていう シンポジウムも17日にされるとはいいう 内容なのではいなのでえっと今申し込み 受けてはい中ですぜひなのでぜひお近くの これあのオンラインではしませんごめ遠方 の方は申し訳ないんですがあのぜひ興味 ある方は来てもらってこれ辺にねあの報告 は多分今日みたいな話の中になると思うん でその後ですねこの基調公演それぞれそう ですねあの基調公園であの党を大きくする ことは可能かっていうこの箱崎先生のです ねお話っていうのはあのずっとこの箱崎 先生はあの湯寺のの発掘をまずっとあの 指導いただいてましてもう5年以上まもう

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見えてきたのかなと思うと面白いそうね それのも今悩んでるところていうのを知っ てもらったかないう風に思いますはい えっと質問とかも多少 えあ同は歴史えに日本大にられてますでは ヒーロー扱いなのでしょうかそうですねも ヒーローじゃないでしょうかまあの同居 オスとよりか同居のあのま再評価やったら 失礼ですけれどもあのね悪草っていう風に は広まってますけれどもここまであのお寺 のまこういった整備とかですねあのこう いった大きなガラっていうのが多分あった と思いますのでそこはあの評価されるのか なと思いますしだい今変わってきてると 思いますねはいそうそう本当に円あの勝 ってのを死んだ段階ですぐ殺されてるあ そうですねあのゲトっていうのもあの ほんまにま車戦のように線ではないので うんあの やはり強化される方というか思いますとで あのヒローかどうかはあれですけど悪人で はないまそういう風にあのま最評価最です ねはいも思いますはいであとえっと式駅前 よりはま高い土地です高低差っていうのを 前聞いたきますえ聞いた気がしますとでえ 軟弱な血であっても川の反に備えてここで ま相て気団を添えたしないたんでしょう かっていうあのまなんま確かに地面掘って みるとすごい水は湧くとはいえあの流せが と玉串ガをこう分けるぐらいのうん力が あるなんですかね逆に強い一番であった 可能性もあるのであのそういう意味では あのま絶対に悪い場所ではないとは思うん ですけどもあのまあまあ水合いていうそう あの中で言ったら強いところ山側にとかべ あの比べたら川をぐっとこう分けるぐらい の力が力というかしかし番うんやったと 思うんですけどもとはいえとはいえあのっ てみたらも バババ験するようていうような感じでした ねあのバケツ必須なところだったの覚えて ますけどはいいう感じでまあまあ引き続き そういったところで調続けてもらうって いう感じでえっとシンポジウムの司会の人 からえぜひシンポジウムにご参加ください コメントもありましたんではいえバトルと かもちょっと見てみたいと気しますがはい その辺りはえまた12月の17日という ことではいえ参加される方はぜひお願いし ますこれいはいはいはいはいあとですね今 あのえこちらですかねはいはいあの日本 列島店白された日本列島店っていうのが あの文化所産でされてる分の展覧会があり ましてま全国湯のあの出物が全国行って ます山梨で今え津島白館に行ってまして1

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2023年12月2日(土)14:00~15:30に、八尾市立しおんじやま古墳学習館主催のオンライン講演会「しおんじやま学び場」をライブ配信しました!

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※視聴後のアンケート【回答期限2023年12月31日まで】
2023年12月31日までに視聴の方は、ご感想を下記リンク先から入力してください。是非ご協力いただければと思います。

【しおんじやま学び場オンライン〔2023年12月〕アンケート】
https://forms.gle/VcXTzy4FXU7ZGNRZA

配信内で使用した冊子です。
「由義寺の塔の物語」
https://www.city.yao.osaka.jp/0000042218.html

八尾市主催「由義寺跡シンポジウム2023」について
https://www.city.yao.osaka.jp/0000071040.html

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※トラブル等でライブ配信が中断した場合、再開後の配信は、当Youtubeチャンネルトップページから行いますので、 https://youtube.com/@haniwa-emperor から「ライブ」をご覧ください。
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2023年度は「勝手に大阪・関西万博!?」として、大阪府を中心に関西+αの魅力的な博物館や史跡を紹介していきます。そこで2023年12月のテーマは「大阪府八尾市 幻の由義寺!最新の発掘調査について」です。

大阪府八尾市にある国史跡 由義寺(ゆげでら)跡で実施された最新の発掘成果を、現地の動画や発掘時の写真などをつかって紹介します。講師は調査担当者である八尾市観光・文化財課の河村さん。幻の由義寺と言われる巨大寺院がどこまで解明されたのか!?是非、配信をご視聴ください!

【スケジュール】
13:50 ライブ配信スタート、八尾市立しおんじやま古墳学習館の紹介などボチボチスタート
14:00 あいさつ&本日スケジュール及びオンラインでの参加について説明
14:10 その①由義寺跡へ行き方(最寄駅からの経路を動画で説明)
14:25 その②由義寺跡の発掘調査成果について(スライドで説明)
15:00 まとめ&フリートーク
15:30 終了

【お話】河村 卓さん(八尾市観光・文化財課職員)
【聞き役】福田和浩(当館館長)

【定員】なし
【会場】オンライン(YouTubeライブ配信)
【参加費】もちろん無料
【申込】不要、YouTubeライブ配信しますので、事前の申込は不要です。
【協力】八尾市観光・文化財課
【問合せ・主催】八尾市立しおんじやま古墳学習館

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その他、ご不明な点があれば、
八尾市立しおんじやま古墳学習館 担当・福田 まで、お問い合わせください。

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