山口自転車とオートペットの七不思議!【ゆっくり解説】
こんにちは。つ麦だよ。んだもんなのだ。 今回は山口自転車工場。またマニアックなやつ選んできたな。 何を言ってるの?ズんだもん。ママチリ作ったのここよ。 嘘。 モペットの分野で一時期は山続きを量がするほどだったんだ。 へえ。そんな馬鹿な。 自転車って長ついているってことは元は自転車屋さんだったの? そうだね。対象時代から続く自転車屋さんです。創業者は山口茂彦越市。当初は輸入者の修理や部品加工が中心で 1922 年に対東区向こう島に工場を建設。関東大震災や大教皇を乗り切り、自転車会での地位を確立していきます。戦前の場は現在でいいくと田区の第 3小学校の近くだね。 帝国に戦前に工場があったんだ。 これが戦前の工場ですね。 でか、こんなに大きかったんだね。 いや、でもこれで中堅ったみたいだよ。 これで中堅なの?平手はもっとすごいんだ。 戦前の自転車産トップさんはこのようになるんだけど、山口も戦前から有名メーカーとして数えられていたみたいです。残念ながら戦争で被害に会い戦後日本社は対東区町。 [音楽] 今は竹町って言わないみたいなんですけど、現在の山口ビルがあるところに今社と山口センターがあったとされる。頭脳センター。 頭脳の電動室何それ? [音楽] 工場は埼玉県の川口市町に設置。これが当時の工場みたい。 結構大きいね。 山口自転車型のメーカーと少し異なる点は 2点。まずは経営者が政治家です。 並走なの? 娘さんの方が当選が早いですね。明るく花やぎのある雰囲気から下町ちの太陽と呼ばれたお方です。どこの政党なの? 当時は日本社会、現在の社民党ですな。 [音楽] 多分みんなうまって思ったかもしれないん で解説しておくと当時の日本社会は マルクス主義的な佐から共同組合い主義 キリスト教社会主義的な中道さらに恩恵な 改良波まで抱えた政党です。山口静さんも 戦前の3対星人とも言われる香川豊越のも あって当選した人物でありますから ちょっと現在の認識とは異なるのかなと 感じました。 詳しい人いたらご教授ください。 万歳参照3体人ってすごい肩書きだね。 香川芝らしいですよ。 なんかかっかい。経営者権議員だったってこと? [音楽] そうだよ。2 速のわじとか言われてたみたい。娘さんも取締まり役と県です。 それは結構珍しいね。 もう1点。 山口はアッセンブリーメーカーなんですけど、通常のアッセンブリーメーカーとは異なります。言ってみればハブレ姿経遠に近い工場を持たないメーカーだったんですね。 どういうこと? 通常のアッセンブリーメーカーは基本的に自社工場を持ち様々な企業からエンジン、フレームとか核部品を取り寄せて自社工場で組み立てます。 [音楽] うん。 山口の場合はここがなかったんです。 なんで工場はあったんでしょう。 だから山口の工場を見ても作ってないんですよ。 え、 どこで作っているかわからない。 [音楽] ジ田から生えてくるであるとかどこからともなくそろそろと湧いてくる。 それが幽霊工場と言われる遺伝で国産バイナ不思議の筆頭であったとのことです。何それ?なんか面白そう。 空くりは後で説明しましょう。 オートバイは1952年丸 5号からスタットします。藤自動車のガス電エンジンを搭載。丸という名称は自転車と一緒です。 自転車から取ったんだね。 今でも自転車の丸は人気みたいですよ。オートバイは全然人気ないみたいですけど。 1955年あたりまでは丸号が主力者種。 200型とか250 型は廃気量ってわけじゃないんだ。 そうだね。55年までは125cc 以下しかないよ。ガスデンエンジンは非常に評判が良かったものですから、 1955年の時点で8600 台は売り上げる。日本でもトップクラスのメーカーへ成長していきます。 エンジンはガスデンだけなの? ほかまだよ。としてはガス電の方が多かったとされる。 1956年に250ccYD600 型を発売。これが初めての 125cc以上のモデルです。 ストと7.2馬力最高速80kmH 洗練されたデザインですね。 Rズフォークツインサス両サイドカバーも形状も素敵です。 デラックスって書いてある。 実用者として申し分ないのではないでしょうか。さらに同年 250cc山口マスターを発売。 わあ、すごい家だね。 これどうやって書いてるんでしょうね。 誰か美技術に詳しい人教えてくれません?ちょっと気になったのがすごいフレームの形状が綺麗だなと感じました。自転車屋さんのノーハウがあるのかな? どうなんでしょうね? あれ?これに起 そうだよ。系列サイクル 2期等12馬力最高速は 103km。H 実用とスポーツ両方法行けますよってモデルだったみたいです。 そして1958 年から怒涛の回劇が始まっていきます。ワクワク。 ま、マシンは正直2倍しないんだけど、 そういうこと言わないの。 この生産台数を見てもらいましょうか。 うわあ、すごい。8万台。 1960年には14 万台へ到達していきます。 14万台。 ほとんどがモペットなんですが、モペットとは入れとんでもない数ですわ。 確かに。 58年、59年のラインナップとしては こちら50cから200ccまで幅広い ラインです。大ヒットしたのがオート ペット。このモデルが58年以降主力と なり、いろんな派生モデルが誕生していき ます。へえ。でもそんなに売れていたって ことは品質も良かったんでしょう。そうだ ね。加えてもペットブームがホondダを 筆頭に起きていたんだ。200cc デラックスのロードテストも好評でした。 最前点は指摘されて配んですが、高速や定制は国産車トップクラスフレーム設定に無駄がなく宣伝されていますねとか平均以上であるとのことです。 [音楽] これ何キgぐらい出るの? 110 から115km。Hとされてるよ。 早。 面白いのがこのロードテストの出席者がいるんですけど。橋先生、富塚先生、影山先生、伊藤先生、ネオ先生のご名。 山口の関係者は12人。驚いたことに 12人の中、山口の人間は 3 人しかおらず後は明治大学と日代のアルバイトだったらしいわ。 いい度今日とるね。 オートバイ放の著である伊藤へ吉先生はま、びっくりしたらしいですわ。 え、君バイトなのみたいな。 そうそう。一応全部役職が書いてあるんですよ。なんか実際は違ったらしいです。 レッスもメーカーとしてはかなり白上で山口の関係者は 1人も見落に来ていなかったそうです。 へえ。レースに興味なかったのかな? まあ、山口両先生と農人の兵の仕方が他のメーカーとはちょっと異なることはお分かりになると思います。 1960年には山口ST125を発売。2 サイクル2期125cc。 10.8馬力機なのでかなり早いですね。 ツーストだけど現代のバイクとも色ないね。 ガスと高のお金ですね。株っぽいのもここで出している。後にシンプロペットに進化します。 株じゃん。 まあ似たようなモデル各者出してましたからね。 1961 年のラインナップ。目新しいのはオートペットスポーツ。 これ50cc。 そうだよ。SPAとSP があるんですが高性能です。 価格は6 万円以下ですね。当時はどのくらいの収入なの? 1960年で年収26万円前後3 ヶ月分の給料で買えるようになってきたくらいかな。 なるほど。戦前と全然違うね。 1960年の末田360が30 万円だったらしいから一般庶民でも自動車が手に入りやすくなってきた時代に突入してきたってことじゃないかな。 1961年に株式会社が山一市証券を通じ て公開され部市場に上場公開に明る山口彦 は京都は関係ない業界に不教の嵐が不幸と 当社党と本田は伸び続けるこれまでの歴史 がそれを何より物語る政治家っぽい そうだね花話しい株式公開だったとされる よ になっちゃうんだけどね後グループが向上 を申し込むと当社にはお見せすべきものは ないと素られたそうです。え、そこから 山口には工場らしい工場がないのではない かという噂が立ち始めたんだ。でも相手出 てきていたんでしょう。そうそう。 伊藤先生もですね、大部品入者防社長に 山口の工場の所材を聞いたそうですわ。そ したらいや、分かりませんよ。いや、気が つきませんよ。 ですかなという回答が帰ってきたそうです。 絶対知ってるよね。それ 不思議に思うのは当然でこちらが山市一証券の山に関する資料です。経営状況とか株式事業内容の詳細が書いてあります。これちょっと見て欲しいんですけど従業員が計 859人。川口の工場は 249人しかいなかったんだ。 250人で14万台も作れるの。 いくらアッセンブリーでもまず不可能ですね。加えて 1960 年前後の時点で山口は自転車でも業界ナンバーワンだったんです。 すげえ。自転車もすごかったんだ。 これは半年の生産実績ですね。オートバイはこの年大年間 14万台。加えて自転車がほぼ 40万台。40万台。 でも頭脳センターも結構大きかったからそこで作っていたんじゃないの? いや、ここでは作ってないよ。 1回は生産管理室、 2回は品質管理室、 3台は技術管理室、 4 回は販売管理室、地下がモータープール。まあ、最高牙でしょうね。 あれ、じゃあどっから湧いてくるの? それは分散していたんでしょう。 どういう風になっていたかというと、川口 工場とは別に向こう島自転車、向こう島 モーター武蔵のモーター。これが機関工場 。加えて全国宣言の関連工場という膨大な 下ネットワークが山口の工場の正体です。 宣言 これを動かていたのが山口のセンターって こと。それだけ分散していたら分からない のだ。当時の常識で言うとここしか見ませ んからどこで作っているのか分からないと 感じたかもしれません。さらに全国に直営 販売会社200代第2点2万以上という 強力な販売が投資していたというわけ。で もエンジンはフレームは自転車屋さん ネットワークで行けたかもしれないけど エンジンは無理でしょう。マーガスデン と高でせっせと作っていたわけよ。9万期 資料によればラスは9万5000 期の生産能力はあったそうです。 すげえ。噂まで出てたってことは生産体制は曖昧にしていたのかな? [音楽] どうかな?経済系の雑誌には書いてあるんだけどね。もしかしたら業界常識に合わせて信用を失わないためか、大きな向を持つイコール実力という価値観が当時はまだ根強かったのかもしれない。今でこそ 3 秒によっては当たり前の経営タイムですけどね。 1962年のライン。すごい数。 モペットは残念ながらブームが去って再盛紀の勢いはない。 125cc売れていたみたい。なんでそんなに一気に下がったの? [音楽] ま、結とか何やらもあるんだけど大きかったのは免許制度の改正です。 1960年に50cc 以下でも免許がいるようになったんだ。 急落した数が50から125cc に移行してましたので絶対数はほぼ変わってないですね。どうせ免許取るならもう少し性能のいいバイクにしようかと思ったのかな。 [音楽] ま、そうでしょうね。ふふふって言っても 4万台近く売れてるんだけどね。 125ccは5万台弱を記録しています。 5万台はすごい数だな。 売れていたのが出発インかベリー 125というモデルです。 短期投級馬力最高速 95H 実用者としては十分すぎる性能です。 早いな。こ有の好きな人は好きかもね。 そうだね。 1963年山口Sとベリー125UT 型を販売。しかし残念ながら 1963年4月にふわたり1億5700 万円を出しへ至りました。 神戸大学経済経営学会で考察されてましたので、その資料を元にぎゅギゅっと約するとア旋ブリー型の限界独自技術力が弱い。 いやいや、限界突破してるでしょう。 台数はそうですね。あとは販売固定費の重さ。製造固定費は少なかったんですけど、販売固定費がめちゃくちゃかかっていたそうです。なんか他にも [音楽] [音楽] 4つほど施設みたいです。 こんなに本社とは別で このガーデンにイベント施設もあったみたい。あとは岩ケーキの反動不教。ホンダなんかはここで向停止して減しています。しかし山口はここで在庫膨で対応が遅れてしまった。最後に財務体出の脆弱さ。営業キャッシュフローは満性的に赤じ仮入れと同子で演命する金融成長に依存していた不強で一気に行き詰まったとのことです。 [音楽] なるほどね。まあ難しいこと分かりません けど、こ田鈴木山で年間10万以上の モペット生産を達成した唯一のメーカーで あることはすごいことですね。何も広告費 をかけても物が悪ければここまで売れ なかったはずだよね。そうだね。現在見る とあれ意外と良くない気がしてくるわ。 クラシックな外観が好きな人にはいかも。 山口家の手から離れ丸にサンタとなり自転車は続いていったそうです。現在でも当時の自転車は人気があって結構高値で取引されているみたい。バブルみたいなメーカーだったね。 [音楽] そうね。山口の自転車懐かしいなと思う人もいるかもしれませんね。以上になります。参考になったよ。是非とはチャンネル登録、高評価お願いします。ご視聴ありがとうございました。それじゃまったね。 [拍手] よし。
#山口自転車 #山口自転車 バイク #オートペット #honda #yamaha #目黒製作所 #kawasaki #キャブトン #軍用バイク #くろがね #suzuki #motorcycle #ずんだもん #春日部つむぎ #ゆっくり解説
日本の戦後のオートバイの歴史を解説。
過去のバックナンバーや資料を元に制作していますが、記録としては情報が薄く、諸説あり、現段階で検証が不十分なこともあります。
参考文献
・モーターファン 1948-1965 バックナンバー 三栄書房(株式会社 三栄)様
・国産モーターサイクルのあゆみ 八重洲出版様
・国産モーターサイクル戦後史 八重洲出版様
・日本の二輪車図鑑 三樹書房様
・日本のオートバイの歴史 三樹書房様
・モーターサイクル日本史 三樹書房様
・二輪車 1908-1960 三樹書房様
・広島モーターサイクルレース全史 三保浩一郎様
・名古屋オートバイ王国 冨成一也様
・しずおかオートバイ列伝 財団法人静岡県文化財団様
・日本のオート三輪車史 グランプリ出版様
・ワールドMCガイド ネコ・パブリッシング様
・冨塚 清 様著作品・高齋 正 様和訳作品 などなど
※呼称が間違っている場合もあります。
※文献により諸説あり、年数、名称が異なる場合があります。
VOICEBOX:春日部つむぎ
VOICEBOX:ずんだもん
8件のコメント
70年近く前、ヤマグチとトヨモーター、乗ってました。
実用車としての双璧でした、ヤマハ、ホンダはスポーツ車でしたよ。
トーハツも動画制作要望いたします!
湯布院の博物館でスポーツSPBを見ました。一見華奢なんですけど、惚れ惚れするようなフレームワークですね。
ウチの近くの自転車屋さんが「山口ベニー号」の看板を今も掲げています。台東区ですので、地元メーカーに向けたリスペクトの表れでしょうか?
こんばんは、お疲れ様です、本当に良く調べてますね、毎回、凄いです、しか言葉が出ません、ヤマグチのバイク、モペットは記憶にありませんが、山口ベニーサイクルは記憶にあります、ミヤタ(宮田自転車)、ナショナル自転車、ツノダ自転車、等、フラッシャー付きの自転車が流行した頃のお店の看板を見た事があります、ブリジストンのロードマンという自転車が市場に出回った後に自転車屋さんごと無くなってしまいました、墨田区には、本所ドロヨケ製作所だったと思いますが、現在も操業していると思います、荒川区も自転車関係の部品、アクセサリーの企業が有りましたが現在は北関東等に移転して、ほとんど残っていないそうです、天候が不安定、熱中症🥵、流行り病にも気をつけて、くれぐれも事故や怪我に注意してください、次回の動画も楽しみにしてます。
10:30付近のセールの案内の左上「自転車税廃止記念」がとても気になります。
震災前の気仙沼
とある商店の店先に置かれていたオートペットを思い出す
駅前に山口ベニーサイクルの看板有ったの思い出すなぁ😃💡
1950年代のフレームは自転車はラグ式ロー付け、単車は溶接だと思うので直接的な接点はなさそうですね。
自転車の薄肉スチールパイプTIG溶接が普及したのは、ここ30年くらいの事だと記憶している。
自社工場を持たないブランドは現代でもスポーツサイクルやギター類では多数派ですね。
これらは部品規格がある程度統一されてるので問題無いが、単車の部品寄せ集め製造って、純正補修部品がちゃんと入手出来たのか、入手出来たとして果たして無加工で互換性が有ったのか気になる🤔
レースって大事なんだな…………。