レビ記14章 聖書解説 「ツァラアトに冒された者がきよめられるときのおしえ。」
[音楽] もう一度私たちはサラートの治療法は与え られていないことを主張しなければなり ませんこれは清めの儀式です前の章では サラートと診断するための詳細を見ました 明らかにそれがなんであったかはいずれに しても当時の治療法で癒された人そして超 自然的に治った人たちもいました今日 サラートの治療法があることを私たちは 知っていますサラートは富士の病ではなく 聖書もそのように言ってはいません サラートは恐ろしい病気で私たちのに罪に ついての素晴らしい霊的なレッスンを 教えるために使われていますこの章は サラートに犯された人の苦境の暗闇に一筋 の光と希望を投げかけ ますサラートの治療のために意思の書法が 何も与えられていないことを覚えておき ましょうこの章はむしろ治療した後の清め の儀式を示していますこれは罪とのあがい をほのめかしています人がエデンの園で罪 を犯した時罪が神様と人の間を切り離し ました罪は人間を聖なる神様の前で罪ある ものとしましたまた罪は人間を罪によって 汚染しましたサラートは罪の汚染の象徴 ですこの章の顕著な特徴は独自の清めの 儀式と家に出るサラートの伝線病の処置 です明らかに感染という感慨を強調しつつ 家はサラートに犯された人と同様に処置さ れ ますレビ14章1から3節ついで主は モーセに告げて押せられたサラートに犯さ れたものが清められる時の教えは次の通り でなければならない彼を祭祀のところに 連れてくる祭司は宿営の外に出て行き調べ てもしサラートのもののサラートの幹部が 癒されている なら私たちは祭司がサラートのものを癒し に出かけていくのではなく彼がすでに癒さ れているかどうかを見るために出かけて いくことに気づきますこれは大切なこと ですこれがサラートに犯されたものが清め られる時の教えです主は天国のご栄光を 離れ人間が罪のサラートで苦しんでいる罪 に呪われた地上に来てくださいました皆 さん私たちはサラートに犯されているので 天国の社会の中に登っていくことはでき ないのです人間が月まで行ったのは情的 でしたが月まで行っても人間は自分の罪を 処理ことはできなかったのです主イエスが 天のご栄光のうから出てこの地上に来て くださることがどうしても必要だったの です主は天国のご栄光を後にしてこの地上 に降りて来られました祭祀なる方が サラートのもののところに来なければなら なかったのです主は今も罪人の罪という 疫病を癒されるためにつのところまで わざわざ行ってくださることを強調する 必要があります目視録3章20節によ私は 戸の外に立って叩く誰でも私の声を聞いて 戸を開けるなら私は彼のところに行って彼 と共にに食事をし彼も私と共に食事をする 神様だけが清めることがお出になります 第一ヨハネ1章7節巫女イエスの地は全て の罪から私たちを清め ます4から7節祭司はその清められるもの のために庭の生きている清いこと杉の木と 黄色のより糸とヒソを取り寄せるように 命じる祭司は土の器に入れた脇道の上で その小鳥のうちの一話をほるよう命じる 生きているこりを杉の木と黄色のヨートと ヒソと一緒に取り脇の上でほったこの地の 中にその生きていること一緒にそれらを 下すそれをサラートから清められるものの 上に七度振りかけて彼を清いと宣言し さらにその生きているこりを野に 話すこのように変わった儀式は他のどこに もないと私は思います他の全てのイニは マヤそして後には宮の裁断のところ捧げ なければならないと神様に命令されてい ましたこれは例外ですサラートに犯された 人はマヤから閉め出されていましたから 祭司がその人のところに行く必要があった のですお分かりの通り十字はこの市場に なければならないなかったのです主は 私たちに会うために私たちのいるここに来 られなければなりませんでした私たちは神 様から閉め出されたのです私たちはこの 世界で希望もなく神様もなくよそ者で遠く 離れていました主が私たちの必要にお答え になるためにここに来られなければなら なかったの ですこの生贄には2話の生きた清いこりが 使われました1話はほられましたキリスト の死を表すためですもう1話は生きてい ましたキリストの蘇りを表すためですこれ らは福音の2つの局面です2話のとり死と 蘇りですそして杉の木が使われたことを見 てくださいこれはキリストの完全な人間性 のシンボルだと私は思いますこの木材は 腐敗しませんヒロのよりとは明らかにヒロ の羊毛でしたヒーロは血を信じる信仰の印 だと私は信じていますヒソプは締っぽい ところの岩の上に入る植物ですヒソプは 個人の信仰を表し ます土の器はキリストの人間性を語ります 主はご自分の上に私たちの憎私たちの人間 性を背負われました土の器は私たちが持っ ているこの体です人間性の弱さと血管が 強調されています流れている水は生きて いる水ですこの水は神様の言葉と神様の見 たの両方を語ります儀式は風代わりで 美しいものです小の一夜は生ける水の入っ ている土の器の上でほられますこれは自分 をご自身ご自分を永遠の見たによって捧げ られたキリストの死を表します読がりの 典型的な意味を実行するには庭の鳥がどう しても必要でした生きている鳥はほられた 鳥と同一化させるためにほられた鳥の地に 浸されまし たその後で生きている鳥は飛んでいく自由 を与えられましたキリストは私たちの罪の ためにされ私たちが議とされるために蘇 られましたそれは私たちにキリストのうち にしっかり立つ自由を与えられるためでし たそして私たちは主にあって蘇らされ 私たちは天国の彼方で神様の右手にある主 のうちにいるのです信者は上空を飛ぶ鳥の ように自由で宗教や儀式や決まりから解放 されているのです今信者は主イエス キリストの奴隷なのですキリストの奴隷は キリストの身心とやり方に従いますヨハネ の福音書14章15節もしあなたがたが私 を愛するならあなた方は私の戒を守るはず だ ですそれをサラートから清められるものの 上に長振りかけて7という数字は完結と 完了の数字ですこれがサラートに犯された 人が強くなったかどうかという質問に永遠 に決着をつけますこの世界には2種類の 人間しかいませんサラートに犯された人か 清められた元サラートに犯されていた人 ですつまり失われた罪とか救われた罪とか ですそれ以外の人はいません行ける水と地 がこの儀式で1つにされ ますヨハネの手紙第15章6節このイエス キリストは地と水とによってこれ来られた 方ですただ水によってだけでなく水と地に よって来られたのですそして証をする方は 三玉です三玉は心理だから ですヨハネはイエスキリストは人間になら れたその最初から神様であられ十字架の上 でご自分のたい父を流された時も神様で あられたと主張します第1ヨハネ5章8節 三玉と水と血ですこの3つが1つとなるの ですサラートに犯された人に関する儀式と 捧げ物はこのことを確認しこの偉大な心理 を描き出してい ます8から9節清められるものは自分の 衣服を洗いその毛を皆そりを落とし水を 浴びるそのものは清いそうして後彼は宿営 に入ることができるしかし7日間は自分の 天幕の外にとまる7日目になって彼は全て の毛その髪の毛と口髭と眉毛を削り落とす その全ての毛を剃り落とし自分の衣服を 洗い水をその体に浴びるそのものは 清い今社会の中に戻る前にこのさらなる 儀式は彼の古い生活が終わって新しい生活 が彼の前に広がっていることを示します 衣服は生活の彼のライフスタイルを象徴し ます体の全ての毛を削り落とすことは徹底 的で革命的な変化が彼の人生に起こって いることを強調します皆さん信者が キリストの元に行く時変化がありますこの ようの前に守備一貫した歩みをするために は肉を片付けてしまうことは絶対に必要 です主イエスは言われましたまたの福音書 7章16節あなた方は身によって彼らを 見分けることができます武道は腹からは 取れないし一軸はあみから取れるわけが ないでしょうこれは今も主の者たちを試す 試験官です 7日間はテストと検査の完全なサイクルを 示します彼は社会に戻る前にテストされ なければなりませんでした私たちは時とし て新しく会心した人にあまりに早く証を させてしまっていると私は思います私たち は新しい信者をしばらく見ているべきです そこに新しい人生がなくてはなりません この期間が満ちた後この人は念入りに自分 を洗いました神様の子供は絶ず洗れるべき ですヨハネの福音書15章3節あなた方は 私があなた方に話した言葉によってもう 清いのですヨハネの福音書17章17節 心理によって彼らを 清め分かってくださいあなたの御言葉は 心理 ですあなたが神様の御言葉で一ぱいになる まで清められるとか神聖にされるとか神様 のために取り分けられるということはでき ません御言葉で一ぱいにされることが何と 大切なことでしょう信者にとっての7日間 つまり完成の時間は神様がご自分の教会を 地上での旅を完成させられる時ですその後 神様は教会を清められたものとして自分に 立たされるのです エペソ人の手紙5章25から27節夫たち よキリストが教会を愛し教会のためにご 自身を捧げられたようにあなた方も自分の 妻を愛しなさいキリストがそうされたのは 御言葉により水の洗いを持って教会を清め て聖なるものとするためでありご自身で 趣味やシやそのようなものの何1つない 記憶傷のないものとなった栄光の教会をご 自分の前に立たせるためですそれまでの間 信者は成果される過庭にありますこれは 実際的な側面です信仰と実行の全身という 毎日の成長がなければなりません健康が 肉体にとって必要なのと同じように聖に なることは霊的な生活にとって必要なもの なの です10節8日目に彼は傷のない雄の小羊 2等と傷のない1等1歳のメスの小羊1等 と穀物の捧げ物としての油を混ぜたコミコ エパと油1ログとを持って くる清められたサラートに犯された人は今 主の回収に入りにふさわしくなりましたが その人が回収の中に入る時には他の イスラエル人と共にいて回収の1人1人が 神の見舞に携えてくる生贄を捧げなければ なりませんでした2等のオスの腰筋と1等 のメスの腰筋決めの細かい小麦粉と油 そして一のアを持ってきますこれや全ての 捧げ物は平均的なイスラエル人が通常一生 の間に捧げる捧げ物ですこれは清められた サラートに犯された人が完全に受け入れ られたことを示しまし た11から20節清めを宣言する祭司は 清められるものとこれらのものを主の前 会見の天幕の入り口のところに置く最初は その雄の個室1等を取りそれを油一路と 一緒に捧げて財貨のための生贄としそれを 法権物として主に向かって揺り動かす罪の ための生贄と前哨の生贄をほったところ すなわち聖なるところでその雄の個室を ほる罪のための生贄と同様に財貨のための 生贄も祭祀のものとなるからであるこれは 最も聖なるものである祭司は財貨のための 生贄の血を取りそれを清められるものの右 の耳たぶと右手の親指と右足の親指に 塗り付ける最初油一路からいくらかを取っ て自分の左の手のひに注ぐ 祭司は右の指を左の手のひらにある油に 浸しその指で油を七主の前に振りかける 祭司はその手のひらにある残りの油を清め られるものの右の右たと右手の親指と右足 の親指にすなわち先の在merのための 生贄の血の上に塗る祭司はその手のひに ある残りの油を清められるものの頭に塗り 祭司は主の前で彼のためにあなをする祭主 は罪のための生贄を捧げれから清められる もののためにあないをするその後での生贄 がほられなければならない祭祀は裁断の上 で前哨の生贄と穀物の捧げ物を捧げ祭祀は 彼のためにあがいをする彼は 清いここのアクションは全ての捧げ物を 含む1つの繋がった儀式であり清められた サラートに犯された人は今他のどの イスラエル人とも同じように幕屋の入り口 に立っているのです彼は自分がまだ罪を 犯しキリストの清めの地が精霊様によって 自分の人生に塗られる必要のある積である ことを自覚するためにトガのための生贄と して雄の腰筋を携えてきますも一等の雄の 個は罪のための生贄ですなぜなら清められ たチャラに犯された人は清められてもまだ 罪の性質を持っているからですメスの腰筋 は神様がキリストを見られる通りの キリストのご人格を全面に示すための前哨 の生贄のため です油と混ぜられた君の細かい麦粉は キリストの人間性の美しさを全面に示す 穀物の防げもを語ります右の右耳多分に ぬられたちは今彼が神様の巫女が次のよう に言っておられる声を聞くことができる ことを示しますあなたの信仰があなたを 癒したのです右手の親指の地は清い手で今 彼が神様に使えることができることを示し ます右足の親指に乗られた地は清められた サラートに犯された人が今神様の道を歩む ことができることを示します頭に注がれる 油は今彼が完全に神様に捧げ捧げられた ものであることを示し ますこれら全ての捧げ物は清められた サラートに犯された人がキリストを通して 神様に受け入れられるそのキリストを語っ ています清められたサラートに犯されて いる人だからということだけで彼には何も 特別なことはありませんどういう風にして か自分は人と違っていて特別なのだと感じ ているクリスチャンをあまりに多く見かけ ます彼らは他の人々から身を引き自分たち は彼らよりも優れていると考えます皆さん 私たちは1人1人が全て他の全ての人が神 様を元に行くように行かなければなりませ ん全ての人はキリストを通して神様に 受け入れられるようにならなければなり ませ んペテロが主イエスに自分の足を洗わない でくれと反抗したことを覚えて いらっしゃるでしょう主は答えられました ヨハネの福音書13章8節もしは私が洗わ なければ私はあなたは私と何の関係もあり ませんあなたにとっても私にとっても 素晴らしいレッスンがここにあります確か にサラートに犯された人は連れられました 確かにその人はさらっとから清められまし たでも彼は回収の他の人たちと一緒に神様 の前に立ったのです彼はそれでもまだ神様 の見舞いに罪として立ち絶えず清められる 必要があったの です21から32節にはその人が貧しい 場合に何を生贄として携えてくることが できたかを説明していますサラートに犯さ れていた人が手の込んだ儀式を行う余裕が なかっただろうことは十分に考えられます ここでも貧しい人のための神様の対策は 素晴らしいものです貧しいからという理由 で締め出される人は誰もいませんその人は 山本かイバを代の生贄えとすることができ まし た33から36節ついで主はモーセと アロンに告げて押せられた私があなた方に 所有地として与えるカナの地にあなた方が 入り私がその所有地にある家にサラートの 幹部を生じさせその家の所有者が来て祭祀 にそのような幹部が家に現れと言って報告 する時時は祭司はその官房を調べに入る前 にその家を開けるよう命じるこれは全ての 全て家にあるものが着れることのないため であるその後に祭司はその家を調べに 入る家というのはサラートができる2は 変わった場所であることを告白しなければ なりませんこれが厳密に何を意味している のかを理解することは難しいことです おそらく何かカのようなものかカプ病が家 の顕在に入ったのでしょう祭司は緑か赤み がかった筋がないか家を調べなおか後に その電線病が広がっていないかどうかを もう1度見ましたこれが象徴しているのは 私たちはこの地上で私たちの体である古い 家に住んでいるということですそしてまた 私たちが住んでいるこの世界は罪によって 汚染されています私たちが住んでいる古い 家はサラートで満たされてい ます43から47節もし彼が石を取り出し 家の壁を削り落としまた縫い直して後に 再びその幹部が家にできたなら祭司は入っ てきて調べそしてもしその幹部が家に 広がっているならそれは家につく惑星の サラートであってその家は汚れているその 家すなわちその石と目と家の土全部を 取り壊すまたそれを町の外の汚れた場所に 運び出すその家が閉ざされている期間中に その家に入るものは夕方まで汚れるその家 で寝るものはその衣服を洗わなければなら ないその家で食事をするものもその衣服を 洗わなければなら ないもしも祭司が修復した家に感染の 名残りを見つけたならその家は取り壊され 取り去られれなければなりませんでした サラートに感染したこの地球を神様が 取り壊される時がやってきます神様はこの 地球を記憶されます新しい点と地が起こり それらには罪がないの です48節祭司が入ってきて調べてもし その家が塗り直されて後その幹部が家に 広がっていないなら祭司はその家を清いと 宣言するなぜならその幹部が治ったからで あるサラートに犯された人の清めの儀式の 時と同じように庭の鳥の儀式がこの後に 続き ます54から57節以上はサラートの あらゆる幹部海晴衣服と家のサラト腫れ物 カブ光る判定についての教えであるこれは どんな時にそれが聞かれているのかまた どんな時にそれが清いのかを教えるためで あるこれがチラーについての教えで あるこれは儀式の主要な目的は教えるため であることに注目してくださいこれは どんな時にそれが汚れているのかまた どんな時にそれが清いのかを教えるためで あるこれは偉大な霊的レッスンであり 私たちを教えるためのものですあなたも私 も霊的なサラートにかかっていますもしも あなたか私のどちらかがイエスキリストを 信じることなしに天国に行ったとします すると私たちは汚れている汚れていると 叫び天国から閉め出されるのですキリスト のうちにつまり私たちは愛せ愛されてい方 のうにやって受け入れられているのです あなたは清めのためにイエスキリストの元 にやってきたサラートに犯された人ですか それともあなたはまだ汚れたままでしょう か [音楽]
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基本的に毎日、聖書1章分をマギー神学博士の解説付きで配信しています。是非日頃の聖書の学びの糧に、まだイエスキリストを信じていない方はキリスト信仰への導きとなるように、ご視聴下さればと思います。
((世界100ヵ国で翻訳・ラジオ放送されて愛されているマギー神学博士の聖書注解番組「いのちのみことば」からの抜粋です。)
https://ttb.twr.org/
※本編から一部抜粋
〇御言葉
(レビ記14:54-57)「以上は、ツァラアトのあらゆる患部、かいせん、衣服と家のツァラアト、はれもの、かさぶた、光る斑点についてのおしえである。これは、どんなときにそれが汚れているのか、またどんなときにそれがきよいのかを教えるためである。これがツァラアトについてのおしえである。」
〇解説
これは、儀式の主要な目的は、教えるためであることに注目してください。「これは、どんなときにそれが汚れているのか、またどんなときにそれがきよいのかを教えるためである。」これは、偉大な霊的レッスンであり、私たちを教えるためのものです。アナタも私も、霊的なツァラアトにかかっています。もしも、アナタか私のどちらかがイエス・キリストを信じることなしに天国に行ったとします。すると、私たちは「汚れている、汚れている」と叫び、(天国から)締め出されるのです。キリストのうちに、つまり私たちは、愛されている方のうちにあって、受け入れられているのです。アナタはきよめのためにイエス・キリストのもとにやって来たツァラアトに冒された人ですか?それとも、アナタはまだ汚れたままでしょうか?
〇あとがき
主イエス・キリストがまことの救い主であられることに間違いはありません。主イエスこそあなたの救い主です。あなたも主イエスを信じ受け入れ、救われてください。
「渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。」
(ヨハネの黙22ー17)
「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」(詩篇119篇105節)
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