豆まき/鳴門大橋
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”豆まき まめまき
曲 日本の童謡 詞 日本の童謡
「えほん唱歌(ヱホンシャウカ)」に掲載されていた節分のまめまきをテーマにした「鬼は そと、福はうち・・・」という出だしの童謡です。歌詞は全て平仮名となっています。あまり知られていない曲のようです。
節分は2月3日に決まっていると思っていましたが令和3年の節分は2月2日です。
理由は、うるう年やうるう秒と同じ理由で、地球が太陽を一周するのにかかる時間が365.2422日だからです。
歌詞
おにはそと
ふくはうち
ぱらっ ぱらっ
ぱらっ ぱらっ
まめのおと
おにはこっそり
にげていく
おにはそと
ふくはうち
ぱらっ ぱらっ
ぱらっ ぱらっ
まめのおと
はやくおはいり
ふくのかみ”
音楽研究所からです。
市民歌
市民歌は、市制施行1周年を記念するとともに市民の愛市意識を高めようと、昭和23年7月に制定されました。制定にあたっては、鳴門の渦のすばらしさや市勢発展を表現した明るい内容の歌詞を一般から公募し、応募のあった169点から選びました。
1.
雲騰(あが)り 光さやけく
明けそめし 新生(しんせい)の都市(まち)
観光と 文化の使命
鳴門鳴門 我等の鳴門
ああ誇(ほこり)あり 我等の鳴門
2.
市民みな 心一つに
歓びて 故郷(ふるさと)讃(たと)う
海山は 永久(とわ)に美(うるわ)し
鳴門鳴門 我等の鳴門
ああ栄(さかえ)あり 我等の鳴門
3.
黒潮の集りよせて
瀬戸わたる 渦のひびきに
若人(わこうど)の たぎつ雄心(おごころ)
鳴門鳴門 我等の鳴門
ああ壮(さかん)なり 我等の鳴門
”大鳴門橋(おおなるときょう)は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊橋。1985年(昭和60年)6月8日に開通した。
本州四国連絡高速道路が管理しており、本州と四国を結ぶ三つの本四架橋ルートの1つである神戸淡路鳴門自動車道として供用され、四国地方と近畿地方の交通の要になっている。
概要
橋長は1,629メートル、中央径間は876メートル、幅は25メートル、主塔の高さは144.3メートル。鳴門海峡の渦潮に影響を及ぼさないようにするため、多柱基礎工法とよばれる特殊な工法が採用されている。橋は上下2層式となっており、上部は片側3車線の道路(現在は計6車線の内、中央4車線を使用)、下部は将来的に鉄道 (四国新幹線)を通すことが出来る構造となっている。ただし、明石海峡大橋が道路単独橋で建設されたので淡路島より本州方面への鉄道整備に関しては紀淡海峡トンネル等別途トンネル建設ないし架橋が必要となる。
大鳴門橋の両端にある伊昆高架橋・門崎高架橋(兵庫側)および亀浦高架橋(徳島側)が6車線分の半断面(両高架橋共に上り線(神戸方面)の3車線分)を使用して暫定4車線としているため、最高速度が時速70キロメートル (km/h) に制限されている(車線幅が一般道路並であるので、開通当初は60 km/hであった)。
地形上風が強く、速度規制(通常時70 km/h、規制時40 km/h)がよく行われる区間でもある。
淡路島南IC〜鳴門北IC間のキロ当たりの通行料金は普通車で約161.97円となっている。
開通当初は橋上で鳴門の渦潮を見ようとするドライバーが後を絶たなかった。そのため橋上区間全体にわたって路側帯には「停駐車禁止 路側走行禁止」〔ママ〕と標示されている。また、橋上には至る所にスピーカーが設置されていて、ドライバーに警告を発している。
淡路島 – 鳴門間は鳴門フェリー(日本で最初の本格的なフェリーとも言われる )、淡路フェリーボートのフェリー航路が廃止されたため大鳴門橋以外に渡航ルートがなく、現在では徒歩および軽車両・原動機付自転車・小型自動二輪車・ミニカーで淡路島 – 四国間を行き来することができない。また、歩行者や自転車が通行できるような専用の通路の設置も現状では困難となっている。
徳島県を代表する観光地のひとつであり、鳴門側から橋脚付近まで、橋桁下部に設置された延長約450メートルの遊歩道である「渦の道」を進むと、展望台から鳴門海峡のパノラマや、足元から45メートル真下に鳴門の渦潮を見下ろすことができる。鳴門の渦潮と共にこの橋は徳島県の代表的な建築物として県民から愛されており、地元ローカル番組の『おはようとくしま』ではほぼ毎日この橋が映し出されていた。
鉄道部分の利用
先述のように橋桁下部空間は鉄道を敷設しうる構造として建設されたが、明石海峡大橋は鉄道を通さない構造で建設されたため、淡路島 – 本州間については別途ルートの整備が必要となる。
代わりに、紀淡海峡に鉄道を通して和歌山[要曖昧さ回避]から鳴門に至る、もしくは明石海峡に鉄道トンネルを掘削することで、大鳴門橋を活用しようとする模索は続けられている。2000年4月、徳島県では橋の鉄道予定空間を利用して鳴門の渦潮の見学施設である渦の道を建設し、鳴門公園の新たな観光スポットとして人気を集めている。
鉄道建設・運輸施設整備支援機構は2007年度まで紀淡海峡にトンネルを掘るための地質調査を続けてきたが、予算の有効利用の観点から見直しの議論が起き、2008年度は予算を執行していない。
サイクルツーリズムの興隆を受け、鉄道部分を利用して、徳島県と兵庫県が共同で淡路島一周のアワイチなどとの連携を視野に入れた自転車専用道路を敷設する計画があり、徳島県知事飯泉嘉門[8]、兵庫県知事斎藤元彦は相次いで2023年度内の事業化の意向を示した。2023年度に事業化した場合2027年度の完成を見通す。「渦の道」を残した形での整備が課題になっていたが、可能であると判断された。展望台部分は押し歩きすることを想定している。
なお、着工後に四国新幹線建設の見通しが不明確なことと建設費の圧縮を理由として、一度に1列車しか橋上を通過できない「単線載荷」への設計変更が1980年になされているため、仮に鉄道が敷設されても大鳴門橋の区間は実質的に単線運行となる(参考:参議院建設委員会議事録1981年6月2日)。
附帯施設
高圧送電線 – 架橋以前は四国電力の鳴門淡路線(66,000V)が1961年(昭和36年)に海峡横断鉄塔によって空中架設され、1972年(昭和47年)から187,000Vで運転されていた[13]。架橋にともない鉄塔は撤去され、大鳴門橋添加設備として関西電力による鳴門淡路線が設置されて南あわじ地域に送電されている。
経緯
鳴門海峡に橋を架けることは周辺地域の人々にとって切実な願望であった。1914年(大正3年)に地元出身の政治家によって衆議院に架橋議案が提出されたが、当時はそれを可能とする技術が日本にはなかった。
明石海峡と鳴門海峡に架橋し、淡路島を経由して鉄道で本州と四国を直結する構想は古くから存在しており、1953年(昭和28年)には鉄道敷設法別表に2つの架橋区間が追加されている。その後、1969年(昭和44年)の新全国総合開発計画での記載を経て1973年(昭和48年)には大鳴門橋を含む本州四国連絡橋の工事基本計画が運輸大臣より指示され、3ルート同時着工がいったん決まったものの、その直後に起きたオイルショックに伴う総需要抑制政策の一環として工事は凍結されることになった。
1975年(昭和50年)に生活橋として最初に着工された大三島橋に続き、本橋は1976年(昭和51年)に着工された。上記の通り元来は鉄道橋として構想されたものであったが、1973年(昭和48年)の基本計画で鉄道道路併用橋とされた。1975年に着工が決定した際には「従来の方針で諸般の準備を進める」とされ、その規格によって建設されている。
供用前
1970年(昭和45年)7月 – 本州四国連絡橋公団を設立する。
1973年(昭和48年)9月 – 本州四国連絡橋の工事に関する基本計画が指示される。
1973年(昭和48年)11月20日 – 建設大臣より着工延期の指示が各自治体に出される。
1975年(昭和50年)8月18日 – 関係省庁決定により、児島・坂出ルート(瀬戸大橋)以外で工事凍結を解除する橋の1つに選ばれる。
1976年(昭和51年)7月2日 – 起工式が行われる。
1977年(昭和52年)12月 – 橋脚の掘削作業を開始する。
1978年(昭和53年)3月 – 建設・運輸・国土3省庁で大鳴門橋の道路単独橋への変更が合意。
1979年(昭和54年)1月 – 総工費に対する道路負担部分を増やし新幹線建設費も極力切り詰めて併用橋とすることで、建設省と運輸省間で合意。
1979年(昭和54年)11月 – 鳴門側橋台アンカーフレーム立柱式を挙行する。
1980年(昭和55年)7月 – 鳴門側主塔立柱式を挙行する。
1981年(昭和56年)3月 – 淡路側主塔閉合式を挙行する。
1981年(昭和56年)6月 – ケーブル架設工事の安全祈願祭が行われる。
1981年(昭和56年)6月 – 建設省が本州四国連絡橋公団へ明石海峡大橋の道路単独架橋の可能性について調査を指示。
1981年(昭和56年)8月 – パイロットロープが渡海される。
1982年(昭和57年)6月 – 主ケーブルの張り渡し作業が完了する。
1983年(昭和58年)4月 – 橋桁の敷設工事を開始する。
1984年(昭和59年)3月 – 橋桁がつながる。
1985年(昭和60年)4月 – 大鳴門橋架橋記念館「エディ」が開館。
1985年(昭和60年)5月 – 85鳴門ピア・ウォークで17,200人が大鳴門橋を歩いて渡った。
供用後
1985年(昭和60年)
6月8日 – 大鳴門橋の供用を開始、開通祝賀式を挙行。
8月 – 国土庁長官、建設大臣、運輸大臣により明石海峡大橋を道路単独橋として整備する方針が合意。
9月 – 供用開始からの総通行台数が100万台を突破した。
1992年(平成4年)6月10日 – 供用開始からの総通行台数が2000万台を突破した。
1998年(平成10年)4月5日 – 明石海峡大橋の開通によって、淡路島を経由して本州と一つのルートでつながる。
2000年(平成12年)4月22日 – 鉄道空間を利用して「徳島県立渦の道」が開業した。
2005年(平成17年)6月 – 開通20周年を記念したイベント「大鳴門橋管理路ウォーク」が開催された。
新幹線中止・道路単独架橋問題
1978年(昭和53年)3月9日に建設・運輸・国土3省庁は、大鳴門橋の道路単独橋への変更を固め、4月に鉄道建設審議会にて本四淡路線を削除することとした。「国鉄財政が悪化しているのに、開通の見込みの立たない鉄道を併設するのはおかしい」との異論が以前から政府部内にあったものである。”
ウキペディアからです。