原爆救援列車「道ノ尾駅」🚂 #長崎市 #原爆救援列車 #道ノ尾駅 #焼き場に立つ少年 #shorts

☆原爆救援列車「道ノ尾駅」
・平和への祈念と被爆体験の継承を目的として、原爆投下直後に「原爆救援列車」の基点となった道ノ尾駅に「原爆救援列車」の説明板とC57形蒸気機関車の車輪を、令和4年8月9日に道ノ尾駅駅舎正面へ設置された!
・このモニュメントは、長与駅に設置した原爆救援列車モニュメントと同様に、長崎市中央公園に設置されていたC57形蒸気機関車の車輪部分を、長崎市より寄贈を受け、移設したもの!
・道ノ尾駅は、「原爆救援列車」の基点となっただけではなく、駅前広場には臨時救護所が設けられるなど大きな役割を果たす!
・負傷者の運搬に活躍した救援列車の活躍と臨時救護所として道ノ尾駅が果たした役割を後世に伝えるとともに、原子爆弾で亡くなられた方々を追悼し、二度と核兵器による惨禍が繰り返されないことを願って、設置される!

☆「焼き場に立つ少年」ウィキペディアより抜粋  ※ネットで検索ください!!
・アメリカ合衆国のカメラマン、ジョー・オダネルが1945年に撮影したとされる写真!
・10歳くらいと思われる少年が、口を固く結びながらまっすぐに立っており、視線をまっすぐ前に向けている!少年は、目を閉じた幼児を背負っている!この幼児は少年の弟で、すでに息を引き取っており、少年は火葬の順番を待っているものとされる!
・被写体の少年の身元は、2023年現在も明らかになっていない!この写真が撮影された時期について、美術史研究家の吉岡栄二郎は、1945年(昭和20年)10月6日もしくは7日頃ではないかと推定、撮影された場所は、長崎のどこであるかは明らかでなく、そもそも長崎ではないとする指摘もあるが、2021年のNHKの調査により、長崎本線道ノ尾駅近くの踏切と地形がほぼ一致することが判明!
・1945年、オダネルが川岸の火葬場において『焼き場に立つ少年』を撮影する!1946年、帰米後、オダネルは『焼き場に立つ少年』を含む写真フィルムをトランクの中にしまい込み、封印する!
・1989年、アメリカ国内で反核運動が展開される中、オダネルは、ケンタッキー州にある教会において、原爆による被爆者の像を目にし、核の恐怖を伝えていく決意を固め、およそ43年ぶりにトランクを開ける!
・2007年7月、長崎県美術館で催された展示会で、『焼き場に立つ少年』が特別展示される!同年10月、『焼き場に立つ少年』が長崎市に寄贈され、長崎原爆資料館に展示される!2017年の年末、ローマ教皇のフランシスコが、この写真を印刷したカードを、署名と「戦争がもたらすもの」という言葉を添えて、世界の教会に配布するように指示を出す!

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