夜の京都を漕ぎ廻る #6 清水寺〜 #京都 #ポタリング #自転車

京都の夜を当てもなく自転車で廻ります。
今回の出発地点は京都市東山区の清水寺です。
ゴール地点は動画をご覧になってのお楽しみとします。
のんびりと走っておりますのでのんびりとご覧ください。
#京都 #ポタリング #自転車 #夜

※日本語と英語の字幕を付けています

We cycle aimlessly around Kyoto at night.
The starting point this time is Kiyomizu-dera Temple in Higashiyama Ward, Kyoto City.
You can enjoy the finish point by watching the video.
We ride at a leisurely pace, so please sit back and enjoy the video.
#Kyoto #pottering #bicycle #night

※Includes Japanese and English subtitles

0:06 ご挨拶と説明
0:16 スタートと清水坂
2:08 東大路通
4:38 川端通と鴨川
5:43 河原町通
8:44 ここを右に曲がります
9:09 今回のゴール
9:25 今回のルート

△ 動画内に出てきた場所など
清水寺
 https://www.kiyomizudera.or.jp
六道珍皇寺
http://www.rokudou.jp
六波羅密寺
https://rokuhara.or.jp/
みなとや幽霊子育飴本舗
https://kosodateame.com/ame/
宮川町
 https://www.miyagawacho.jp/
すば
 https://www.instagram.com/subasoba
因幡薬師
https://inabado.jp/

6件のコメント

  1. 清水寺・清水坂・松原通! 幾度謡ったことか、謡曲「熊野」で、主人公が病篤き母を思いながら清水寺に向かう道筋の有り様を、脳裏で逆回転させながら、移りゆく街景色を眺めておりました。 このような素晴らしい動画をご用意いただき、本当にありがとうございました。

  2. 日中の混雑が嘘のような静けさですね🎶夜のポタリングとは暖かい時期ならではですよね😊
    これからの季節は昼間でも自転車で走るのは辛くなります🥶

  3. 急に冷えてきましたね。
    夜漕ぎ回るシリーズ愉しみですがもうそろそろおやすみ季節ですね(^^)
    次のゴールは京都駅方面とよみました。(^^)

  4. 朝晩だいぶ冷えますね。本当、夜の京都は美しいですね…✨いつもUP有難うございます。

    ボケ防止に現れました😎✨今回は与太話ですが、よければどうぞ。

    すこし山のほうに昇ると、霊山観音の所に、京都霊山護国神社があります。

    立派な神社です。ここは幕末以降、国の為に命を落とした志士や兵士たちが祀られています。政府の為か、私的な戦没か、わからないときは議会で議論してまで真剣に対象を決めたそうです。まさに靖国神社の京都府版で、公的で非常に重要な位置付けでしたが、今やこちらまで上がってくる方は少なくなり、殉国の士の扱いも、時代とともに変わってしまいました。

    よく来られるのは、龍馬の墓が見たい方々みたいです。墓地には多くの士が眠っています。龍馬の遺体を仲間が担いで坂を上がったので、龍馬坂?みたいなのもありました。

    さて、ここからは、以前、染め物屋のおばあさんから伺った話です。

    大正くらいはまだ丸山公園は住宅街だったんですよ。あの広い中に、家が普通にたくさん建ってました。その中の一軒で育った方です。家に大きな釜があり、京友禅の職人さんであるお父さんが仕事されてたり。

    園児の頃は、「ちいちいぱっぱちいぱぱ」とみんなでお遊戯していたら、ウーウーと空襲警報。「じゃあさようならー」と来て間なしなのに、15分くらいでさっそく下校。そんな日々だったそうです。お母さんが、空襲の時に、燃えてしまったら嫌だからと、お気に入りの上等の着物を、床下に埋めたそうです。戦後掘ってみたら、全部カビていて、めっちゃ落ち込んでおられたとか…円山の、この辺りが御家族の若き日の生活の場でした。

    円山公園辺りは祇園に入るので(祇園甲部と乙部=祇園東が分かれたのはもっと後)、この辺りの女の子は、6才になったら全員当たり前に舞を習いにいき、小学校くらいに「どうや舞妓さんなるか?」と師匠さんに訊かれるそうです。私はいやや、いうた、とのこと。もちろんOKと答えたら、だらりの帯の京舞妓コースです。現在はもう洛中出身の芸舞妓さんてほぼおられませんが、当時くらいまでは、生粋の京女が勤めていました。

    当時は児童の法もありませんので、当時の舞妓は今の小中学生くらいです。

    空襲を受けたのは西陣と馬町ですが、馬町に関しては、「余った爆弾を落としていかはった」という噂になっており、半分崩れたビルが長いことそのままになっていたそうです。被害者が多く、京女の寮生さんらを、看護婦代わりにして、お寺に運び込んで看病させたそうですが、古都京都までやられたと聞けば、国民が絶望するので、親に手紙を書くのにも、厳しい緘口令が敷かれたそうです。お寺はさながら野戦病院でした。

    八坂さんの中村楼から南に下るのは下河原通りですか、あの道の一本北に、ねねの道って今呼ばれてる道ありますよね?あの辺は草ぼうぼうで、誰も行かないジャングルだったそうです。「痴漢が出るから(下河原から上は)絶対行ったらアカン」とそのまたお母さんにいわれて育った、とおっしゃってました。つまり、下河原通りまでが、人里でした。

    ずいぶん前に、高台寺の御住職が、背の高さよりある雑草や竹の茂る、荒れ放題だった寺を今の状態に整備するのに、本当に苦労した、とインタビュー受けておられて、まさに話が合致します。。(続きます)

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