【モンキー125ツーリング】日本武尊の埋葬地?鈴鹿 長瀬神社

今回は、三ケ所めの埋葬地候補を、見てきました!

*由緒
伝聞旧記は天正の兵乱にかかり散逸したという。その後、いつ誰によって書かれたとか分からないが、古老のかきとめたものなどを参考にして大凡を誌した考証録があった。
明治9年神社取調があって、時の神主田上重通がその考証録を書き改めて提出したものが現在残っている。すなわち、長瀬神社縁起録である。それによると、主神は倭建命で住吉三神を併せ祀り、相殿神六座を迎えて、長瀬神社住吉大神と称したという。また、その創始は、景行天皇の皇子日本武尊の霊を長瀬郷長沢村に祀って長瀬神社と称した。
次に「長瀬」の読み方は「奈加世」というのだと倭名鈔を引用している。そして、その社名の由来を語って、「長瀬」は「能知瀬」の訛ったもので、「のち」は「命が終る」の意味だと、日本武尊の最期を偲ばせる土地柄を示している(参考熱田大神縁起)。一説に長瀬は中瀬の誤りだとし、住吉大神に縁があることを物語っている。

*日本武尊御陵道
日本武尊御陵道の道標について
当社の本殿奥にある塚は「武備塚」といいます。江戸時代尊王論の風潮とともに、日本武尊の稜の探索が始められた時、この塚を亀山藩(藩主・板倉勝澄)が、尊の稜と定めました。
この道標は、明治元年に現在の亀山市本町(三本松)の鳥居の横に建立されたものです。その後、道路の拡張と、明治十二年内務省の再調査により川崎町田村の王塚が尊の稜に指定されたこともあって、ここに移されました。しかし今なお尊の稜については諸説があります。
長瀬神社宮司

#歴史 #ホンダ #日本武尊

Leave A Reply