年間第19主日「あなたの手は命のパンを受け取る形になっているか」【こうじ神父・取って食べなさい】

年間第19主日(ヨハネ6:41-51)「あなたの手は命のパンを受け取る形になっているか」【こうじ神父・取って食べなさい】

8月、危険な暑さが続いています。下五島の教会は、エアコンの付いている教会とそうでない教会とあります。それぞれ事情があってのことでしょうが、身を守るために主任司祭のいる教会はエアコンを設置してくれたらと願います。
何かを手にする時、先を争って手にしようとする場合と、順番にいただいたりする場合とでは、手の出し方が違うと思います。先を争って手を出す時は、手の甲を上にして、上から掴もうとするはずです。順番に並んでいてももらえないかもしれない場合は、それも仕方の無いことかも知れません。
一方、順番に何かを手にする時、それは配られたもの、並んでさえいれば受け取れるものでしょうから、手の甲は下に、手のひらを上にして受け取るはずです。手の甲を上にするか、手のひらを上にするか。あらためて考えてみると面白いと思いませんか?
ここで尋ねたいことがあります。今あなたが手にしようとしているものは、手の甲を上にして掴みと取ろうとするものですか、手のひらを上にして、大切にいただこうとするものですか、どちらですか?ということです。
今週の福音朗読で、イエスははっきりと「わたしは命のパンである」(6・48)とおっしゃいました。ここで先ほど考えたことを当てはめてみましょう。命のパンであるイエス様を手に入れるのに、あなたは先を争うように手の甲を上にして手を伸ばし、掴み取ろうとするのでしょうか。それとも手のひらを上にして、与えられるその時を待っていただくのでしょうか。どちらでしょうか。
これはまさに私たちが聖体拝領をするときの動作です。司祭が「キリストのおんからだ」と言って聖体を授けます。私たちはどのように手を準備するのでしょうか。先を争って掴み取る手の出し方ですか?そうではないでしょう。もし手の甲を上にして掴み取ろうとするなら、中田神父はその人がカトリックの洗礼を受けた聖体拝領の準備のできている人かを不安に思うかも知れません。
興味深いと思いませんか?聖体を頂くみなさんの手の形が、私たちに命のパンであるイエス様との向き合い方を教えてくれているのです。私たちが命のパンにあずかるためには、順番を待つ人のように、心を整えておく必要があるのです。もっと言うと、命のパンが手のひらに授けられるその時をじっと待つ。そんな心構えが必要なのだと思います。
残念ながら、福音朗読に登場する群衆は、手を伸ばし、手の甲を上にして、先を争って掴み取ろうとする人たちになっていました。手の甲を上にして争って集まる人たちからは、命のパンであるイエスはこぼれ落ちていくのです。
神の恵みを待ち望む時。祈りに答えてくれる神に信頼して顔を上げる時。照らしを求めている時。苦しみの意味を教えてくださいと願っている時。あらゆる時に私たちは手のひらを上にして、手の甲を下にしていなければ、恵を受け取り損ねてしまいます。
私たちはこれまで、命のパンをいただくためにイエスとどんな向き合い方をしてきたでしょうか。身近なところでは聖母マリアが私たちの模範です。聖母被昇天のミサで、そのことに少し触れてみたいと思います。
私たちの手は、命のパンを感謝して受け取る手の形になっているでしょうか。恵みをいただくにふさわしい心が準備できるよう、主に照らしを願い、ミサを続けてまいりましょう。

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