古墳の郷 吉備路 : 桃太郎伝説の舞台・備中高松城水攻め【岡山・総社】

今日は岡山県総社市~岡山市にまたがる吉備路を巡る旅です。いにしえの姿を今なおとどめる吉備路は、古代吉備の国の中心地であり、歴史ファンを魅了する遺跡や古墳が集積する地域です。自由に立ち入りできる古墳としては全国一の規模を誇る造山古墳をはじめ、桃太郎伝説の軌跡をたどる旅です。
かつての吉備王国とは、備前・備中・備後・美作に広がる王国で、弥生時代から古墳時代を通じて大いに栄えました。
まずは吉備路のシンボル、備中国分寺の五重塔。備中国分寺は聖武天皇の発願によって創建された国分寺のひとつとされています。
また、この辺りは古代赤米の生産が活発で、赤米で作った甘酒もいただきました。
かつて、大和に匹敵するほどの力があった古代吉備の国。巨大古墳や、弥生時代の墳墓などが、その勢力の大きさを物語ってますね。
造山古墳は古代吉備王国の首長の墓といわれ、全長350mの巨大な前方後円墳は、自由に立ち入りできる古墳としては全国一の規模だそうです。
古墳前方に残る石棺は、九州阿蘇の凝灰岩をくりぬいて作られており、当時の吉備王国の力を思い知らされます。その後、古墳前方部にある荒(こう)神社の手水鉢として使われていたという事です。
古墳後方には土塁が今でも残っており、これは昔、羽柴秀吉が織田信長の命によって毛利攻略を命ぜられ、備中高松城を水攻めにしたのですが、その際、毛利方の陣城として使われたのがこの造山古墳でした。
備中高松城址に行ってみると党委の様子がよくわかります。実際の水攻めは、城の周囲に約2.7キロ、高さ8mにも及ぶ堤防を築き、足守川をせき止め、そこへ水を流し入れるという方法でたそうです。なんと壮大なスケールでしょうか。
城兵の助命と引き換えに切腹した清水宗治の辞世の句の隣には、宗治が葬られた首塚・胴塚が祀られています。
毛利軍との和平成立後、秀吉は世にいう中国大返しにより明智光秀を打つため、京に引き返しました。まさにこの備中高松城の一件が、歴史のおおきな転換点となったわけですね。
吉備津神社は備中国の一ノ宮で、次に訪れる吉備津彦神社は備前国の一ノ宮、ともに大吉備津日子命 を主祭神としています。これら一宮の真ん中に、吉備の中山と呼ばれる神体山があり、吉備津神社はこの山の北西の麓に、そして吉備津彦神社は北東の麓に位置しており、ちょうどここが備中国と備前国の境目となっているわけです。
この吉備津彦命が朝廷に従わぬ者を倒して吉備の国を平和に導いた―という伝承が桃太郎伝説のモデルになったようです。
吉備津彦神社の鳥居からまっすぐに続く参道、拝殿、そして本殿が一直線に並んでおり、夏至の日には、この真正面から太陽が昇る配置になっているのだそうです
本殿の豪華さでは吉備津神社には及ばないものの、吉備津彦神社は大変端正で、美しさを感じます
祭文殿と渡殿の間には、半地下通路が設けられており、より本殿に近い所から参拝することができます。本殿に近い分、ご利益も濃いかも…
続いて鬼ノ城です。桃太郎伝説での、鬼役ウラの本拠地を訪れないわけにはいかないでしょう!
実際には大和朝廷によって国の防衛のために築かれたとされる古代山城。 鬼ノ城は歴史書には一切記されておらず、その歴史は解明されずに謎のままなんだそうです。
ロマンがありますね。
私はカタール・ドーハ在住の肺移植外科医ですが、時々日本を訪れては日本の美や文化、海外に誇れる素晴らしい観光地を外国の方にも紹介しています。この動画が国内外の旅行者の方々の旅のヒントになれば嬉しいです。
#吉備路
#japantravel
#okayama
#古墳

Leave A Reply