門司城(豊前国)【わずかな石垣】

皆さんこんにちは本日は文字場をご紹介し ます文字場は現在の福岡県北九州市にあり ます昔の無前の国ですアクセスとしては 文次公駅から徒歩50分ほどです城の駐車 場はないですが近隣の公園には駐車場が ありますそのため途上口のすぐそばまで自 用車やバイクで来ることができます徒歩の 場合麓から文字の本丸までは距離があり 勾配もあるため体力を消耗しますまず始め に私は令和6年春に文字城へ行ったのです がほんまるで3等の犬に遭遇して吠えられ その後も下山途中で2回犬と退治する危険 な場面がありましたこれから文字場に行か れる方は十分にお気をつけください私は 単に運が良かっただけで襲われることは なく無事に脱出できました面と向かった 3度とも恐怖で動けず 立ちん坊がその場を立ち去ってくれました 後で調べたところ大声を出したり慌てて 逃げたりするのはダメなようです3等とも 飼犬には見えずおそらく野犬だと思い 北九州市に通報しようかと考えたのですが 問い合わせ先が不明なため対応に悩んで おり ます現在の文字場はメカ公園の一部となっ ており登山道が整備されています公園の 駐車場近くに文字場への案内版がありそこ から舗装された道を進めば本丸に たどり着くことができます道なりに進むと 途中に文字上の歴史が記された石の説明版 と山の神の神社があります 口述の理由により城の意向はほとんど失わ れていますが山白の地形は残っており本丸 ではわずかな石垣も今も見ることができ ます文字上の歴史については現地の説明版 と概要欄に記した参考文献を参照しており ます文字上は九州の最北端に及び得る古上 産の山頂にあります歴代鎮西要略によれば 平安時代の終わり原理2年西暦1185年 に平の清森の4男平の友森が家臣の木道助 に命じて気づかせたのが始まりとされてい ますなお文字城は浦の級長は友の瀬戸に 望んでおり現在の文字条周辺には原平活線 に関する指跡などがあります鎌倉時代の 還元元年成立120044年幕府は海賊 珍部のため下の国の全国士であった藤原の 地下を無前大監式に任じました藤原の地下 は文字ヶ6号現在の文字区全域を配慮し 文字城を挙上として自らの名を文字下の神 地と改め文字市の外なりました南北町時代 文字市一族は別れることになり文字は北町 型として南朝型の同族と争っています戦国 時代に入ると無前の国は大友大内モ氏の各 勢力の接点となり激しい争いの家中に 巻き込まれました歴代鎮西士には転生7年 西理1579年に中国地方のモリ照本が 九州を攻めるため都会し文字城を囲み大友 林が迎撃こと同年吉川元春と小川高が都会 し文字城に入り竜三寺高信に所場を送った ことが記されています他にも秀吉の九州 閉廷において転生15年成立1587年に 丸本三郎上門城と木戸十条房が文字城を 守った記載もあります慶長5年成立 1600年に細川が無前に入国し文字場を 集して長岡影左門を上来として置きました が現な3年西暦1617年に廃除となり ましたそして時が立ち明治25年海軍の 要塞となってほとんどの意行が失われまし たわずかに本丸大手にあたる部分に石垣の 一部が残るのみです他に本丸には文字の 石碑があります 文字城は舗装された道以外も勾配は急に なりますが土の道があり舗装道から本丸に 通じています私は犬たちとの2回目の退治 後舗道を駆け降りていった犬たちを見て これ以上遭遇しないために土の道を進み 本丸から降りましたしかし土の道と舗道と の合流地点に犬たちが待ち構えており3回 目のとなりました万事キスかと思い 立ち止まっていたところ犬たちは舗道を 登り本丸方向へ戻っていきました本丸から は今も美しい海の風景と周囲の街並みを 眺めることができますあに私が来た時は 天候が良くなく霧がかかっていたため晴れ た日にまた行ってみたいと思っています 無線の国にお越の際は寄ってみてほしいの ですが犬たちには十分にお気をつけ くださいご視聴いただきありがとうござい ました

歴代鎮西要略によれば、平清盛の四男 平知盛が紀伊通資に築かせたのが始まりとされています。
明治時代、海軍の要塞となり遺構が失われたものの、本丸にわずかな石垣が残っています。

【肥前ことば】
https://youtu.be/ApNCNan0C0E
【参考文献】
[1] 日本城郭体系 第18巻 福岡・熊本・鹿児島、新人物往来社、昭和五十四
[2] 犬塚 盛純(著者)・外山 幹夫(解題)・高野 和人(編纂)、歴代鎮西志、青潮社、平成四

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