【熟年離婚 愛子60歳】マイホームをローンで購入したが熟年離婚して
私の名前は愛子どこにでもいる普通の パートでしたまさか自分が60歳になる まで働くとは思っていませんでした子供が 成人してからというもの夫との2人暮らし ですがとにかく暇でした夫に働いてもいい かと尋ねたらボケ防止にもいいんじゃない かと心よく受け入れてくれたのでした しかしそれももう10年以上前の こといつの間にか60歳を迎えるにあたり 天然退職する社員だが目立ちまし た私も60歳になるということで契約更新 を考えようという話が出てきたところ です私が働くスーパーでは高齢者になって も雇用してくれるため自分の意思があれば 働けるの です実はこのスーパーと出会ったのは学生 時代のアルバイトからでしたまだ独身だっ た頃からアルバイトを始め1度は退職して 他で働いていたのですが結婚して子供が 成人するに再度働かせてもらっていたの ですスーパーとしてはかなりの死にでもう 40年近くお世話になったと考え深いもの があります実は私は契約更新をしないこと に決めていますというのも夫と相談して いるうちに老後は2人でのんびり暮らそう という話になっているのですサラリーマン として頑張った夫とゆったりとした老後を 暮らすのも悪くないなと感じていたの ですパートのばさんととしては毎日忙しく も淡々と業務をこなし充実していたと思い ます夫と共に特に贅沢もせず毎日を生きて きたためそれなりに貯金もできていまし た老後を過ごすには十分と思っていたの ですただこれから仕事をしなくてもいいの かと考えると一体何をして過ごせばいいの だろう不安と言いますか漠然と暇な毎日に なるのではないかと考えていたのです そんな時夫が言いましたマイホームでも 買わない か私たち夫婦は贅沢をしない意思があり 自宅もずっと賃貸でし た子供たちには負担をかけたこともあった でしょうですがそれなりに幸せだったの ですだからこそ夫の提案には驚きました 老後を迎える時にマイホームを購入する なんて私の頭では思いつきもしませんでし た仕事が亡くなった後自分の生活を考える と一体何をしていいのか検討もつきません でしたの で夫の提案を受け入れてみることにしたの です本当は私もマイホームが欲しいと願っ ていたのかもしれません貯金もあるし 大丈夫だろうその程度の甘い考えだったと 思いますそうこしているうちに私たちは 60歳を迎え仕事に行かなくても良い日々 がやってきたの です夫と長い時間を共にすることになり 会話する時間も増えましたそしてマイ ホームの購入を現実的に考えることにした の です置いた体を支え合いながらモデル ルームを見て回り素敵な家の数々に老後を ゆったりできる夢を買うそんな気持ちでし たただ心配だったのはローのことです夫の 退職金もありある程度の貯金はあるとは いえこれから収入がなくなる私たちが家を 購入するにはロンを組むしかありません でした年金をもらい始めれば返済にも困ら ないと考えており審査さえ通れば夢のマイ ホームが手に入ると思っていたの ですやっぱり綺麗なキッチンがいい わ夫と一緒にモデルハウスを見ながら夢が どんどん膨らんでいきました夫も言いまし たうんと贅沢してみよう今まで節約に協力 してくれていた夫でしたから贅沢をしよう なんて言葉を聞いた時にはなんと言います か不思議と安心したのです夫も我慢してい たのだと思ったのですマイホームは男の夢 と聞いたことがあります夫も立派な男性 ですから夢の1つも叶えたかったに違い ありませんただ現実的な年齢を考える私は バアフリーも忘れないように提案しました 夫は笑いながらそうだなと言ってくれ私も 安心したの ですその後色々と調べると丁年後の人でも 組める論を見つけことができました リバースモゲージ型住宅ローンというそう で年利は高めですが毎月の支払いが利息 だけなので支払いやすいのが特徴だとか 年金暮らしになる私たちには持ってこいの ローンがあったの です元々高齢者のために作られたローンだ そうで私たちのように60歳でも審査に 通りやすいのだそう ですそれを知った私と夫はゆっくりと詳細 を確認し論審査してもらうことにします 結果は意外にもすんなり通過し私たちは マイホームを手に入れる手段を確保できた のですそれからは夫と話し合いながら ゆっくりと家を決め無事に住宅を購入する ことができまし た頑張ってきてよかっ た数ヶ月後に住宅が完成した時夫が感激し ているのを見て私も言いましたこれからも よろしく2人の時間を大切にしていこう 仕事も子育ても一緒に乗り切ってきた夫と なら最後まで幸せに生きていけると思い ました私も嬉しくて幸せで老後なのに まるでこれから人生が始まるような期待感 を感じていたに違いありませ んしかしそれから数ヶ月後私の元に1本の 電話がありまし た私の母から ですお父さんが認知症で私たちも高齢者に なっていましたが私の両親は顕在でした もちろんいつかは最後を迎える時が来ると は思っていましたただ認知症がひどくなっ たと言われるとどうも心がざわついて しまい介護のために遠方の実家へ足を運ぶ ようにしたのです夫にも話をしたら家族は 大事だと言ってくれやっぱり私を理解して くれるのはこの人だけだと感じたものです しかし実際に実家までの距離は車で1時間 はかかります夫の運転で一緒に向かいする のは夜になります私たちも時間には余裕が あったはずなのにいつの間にか忙しい毎日 になっていたの です老人ホームも探してみましたがどう やら空がないようで待ってくださいの 一点張りでした毎日実家へ送り迎えする夫 もだんだん疲弊していくのが分かり ます私も疲れがたまって自然と夫との会話 も少なくなっていきました時を同じくして マイホームにも異変がありました 夜遅くになると騒音が聞こえてくるように なったのです住み始めた当初は全く気に なることもなく平穏な毎日でしたしかし 私たちが知らなかったのです実はこの地域 にはヤンキーグループが多いらしく温かい 季節には集団になってバイクを乗り回し夜 までたむろしているようなのですあまりに ストレスなので警察や不動産屋にも相談し ましたが現実的な対応は何もないまま安心 して眠ることも許されず 毎日の介護で私たちは疲れきってしまった の です少なくなった夫との会話も気づけば 毎日喧嘩になっていました介護を引き受け なければそんな言い方ない でしょう私も疲れていたのです売り言葉に 買い言葉で毎日のように言い合いが続き ましたそんな生活が1年も続いてしまうと 夫も私も考えることは同じでし たれ ましょうストレスに負けたのです夫も同じ ことを考えており2つ返事で受け入れまし た慰謝料などの面倒な取り決めはほとんど 夫に任せましたが財産分野は綺麗に分け られ私も納得して別れたの です熟年離婚という言葉をニュースなどで 見たことがありますまさか私 があれほど幸せだった人生がいとも簡単に 崩れる日が来るなんて全く考えていません でした 別れてからというもの私は実家へ戻り介護 をする毎日になりました来る日も来る日も 父親の認知症に付き合い ますあんた誰じゃお父さんの娘ですよどれ だけ繰り返しても一向に覚える気配はあり ませんそれ以上に父親から忘れられた娘の 気持ちお分かりになるでしょうか寂しいと か悲しいとかそんなものではありありませ ん虚無感というのでしょうかどうすること もできないやるせなさが毎日を灰色に変え ていくのです近くにいる母の声も気を負う ごとに弱くなるのがわかります食事を作る のは私ですが父と母に食べさせるのも私の 役目 ですもちろん自分の両親ですので当然なの ですしかし誰かに頼りたい改めてそう感じ たの ですそれだけではありませんでした実家が ある場所は田舎ですが昔は綺麗な場所でし たしかし改めて生活するようになり気が ついたことがあります毎朝家の外に出て みると異臭がするのです最初はゴミの回収 業者でも来たのかなと思っていましたでも 毎日毎日きつい匂いが漂います知らなかっ たのです実家の隣の家がどんどんゴミ屋敷 になっていたのです私が生まれた頃は隣の 家も綺麗な家で若い夫婦が楽しそうに生活 していましたしかし今はその若い夫婦では なく別の人間が住んでいるそうで気を王 ごとにゴミが増えていったよう です私が気づいた頃にはテレビで見るよう なゴミ屋敷になり匂いを周囲に振りまいて いたのです夫と暮らしたマホも思い出し ます夜中にそが聞こえてきて眠れなかった あの日々しかし匂いよりマかもしれない ゴミ屋敷の匂いは朝だけでなく夜にも匂う ようになりましたひどい時には家の中にい ても分かるようになってきたのです市役所 などにも電話しましたが誰も取り合って くれません介護に疲れ離婚に疲れ騒音や ゴミ屋敷にも疲れ ますただ我慢しようと心に決めて父と母の 介護をしていましたしかし1年後に父が 帰らぬ人になりましたそしてさらに半年後 父の後を負うように母も亡くなりました 狭かった実家が急に広く感じます隣の ゴミ屋敷からは未だに匂いが漂います元夫 はマイホームのロンが払えなくなったよう で今はどこで何をしているのかも分かり ませんもしかすると私もこの家を手放して ホームレスになっているのかもしれません 未来はまだ分かりませんが老後の人生を 楽しもうだなんて贅沢しようだなんて そんな考が間違っていたのかもしれません 幸いなことに私の子供は幸せそうで来年に は新たな命が生まれるそう です1人暮らしになった私の元に1歩の 電話がかかってきまし た一緒に暮らさないか末っ子家族からでし た私は自分が介護される日を想像し断ろう としたのですが合意に一緒に住むと言って くれましたそして驚いたことに末っ子は 次男の家の隣に住んでおり次男夫婦も私の 様子を見に来てくれるようになりまし たそして2年が過ぎてある正月でした たまには家族みんなで正月 しよう長男から兄弟へ電話があり数十年 ぶりにみんなが集まると話されました私も 一緒に行ってみるとそこに元夫の姿もあり ました長男から言われまし た父さんは俺んとこにいるは言っていまし た母さんは俺んとこにジナは最後に言い ました正月の料理は俺ん地でやっぱり家族 っていいものかもしれませ ん私は道男と申します64歳です 多くの人は結婚されますが私は独身を貫い た女性です最近では若い世代でも結婚生活 に疲れ離婚率が高まっていると聞いてい ますですが私にとってそれはわがままだと 思うのです私が生まれたのは昭和です戦後 の生活が減り食べ物すらろになかったいえ 世の中は潤い増していく最中でしたが私の 家にはさほどお金がなかったようです父は 働いていましたが母は専業主婦でした学生 時代には少ないお小遣いをもらいながら女 は裁縫だと言われていました私たちが高校 卒業する時は女性の権利を主張する人も 増え法律を変える動きがありました結果と して男女雇用機会均等法が義務化されたの が昭和61年すでに産女を迎える年になっ ていましたもちろん私も結婚を意識したお 相手がいなかったわけではありません しかし縁がなかったというしかない でしょう30歳の頃にお付き合いしていた のは竜二という方でした金融機関に努めて いる男性で魅力も包容力もある素敵な男性 でしたしかし結婚には至らなかった理由は 彼の浮気によるもの平成になる時期のこと まだ平成大府教が訪れる前竜二さんは いわゆるお金持ちでしたお金に物を言わせ 女性たちにも金銭をばらまき主翼を 満たそうとしているようでした見かねた私 は彼に文句を言うと女は黙ってろ一言強く 言われ私も黙ってしまったの覚えています それからというもの私はずっと1人で 暮らしています恋愛をしたいと感じても 特にお相手ができるわけでもありません すでに64歳もう結婚の望みも期待もあり ませんただ皆さんに知っていてほしいの ですコロナにより1人になった方方は 寂しい思いをされているでしょうしかし私 のように以前からずっと寂しさを隠し ながら生きているものもいるのですコロナ 禍の出来事をお話ししましょう2020年 私が62歳の時のことですニュースで新型 コロナが噂され多くの人が騒ぎ始めたあの 頃です私は病にふしていましたコロナでは ありません年齢を重ねるたびに体は言う ことを聞かないもので私は肺炎をこじらせ てしまったのです医師が言うには廊下と共 に背水編の筋肉が衰えてしまったとのこと です筋肉が衰えただけでなく免疫機能が 弱くなり本来吐き出せるはずの誇りや散り などを吸い込んで肺炎を引き起こしたと いうのです以前から少し咳が出ると思って いましたしかしまさか肺炎になっている なんて思いもしなかったのです体調が悪 すぎるということもなく少し風でもこじら せたかなという程度でしたしかし意思から 入院を進められ入院することになったの ですですが新型コロナが広がり始めたのも ちょうどその頃でした当初の予定では私の 入院は2週間ほどのはずでした1週間ほど 入院した頃のこと夜中に運ばれてくる患者 さんが多くなり救急車から下ろされるその 姿を何度も目にしました咳き込む体で辛い とはいえ夜中に何度もトイレに起きて しまう私の体はそういう状態でした薬治療 の入院でしたが良くなるまで意思のそばに いられるものだと思っていましたある朝 起きると言われたのです美子さん悪いんだ けど看護師さんは気の毒そうに病室を開け てほしいと頼んできました私も自分の体調 が大切ですなんとか入院できないかと言い ましたしかし病院の決定は変わらなかった 私のような度の半円では新型コロナ感染者 に病室を明け渡すほなかったのです荷物の 整理をして自宅に戻りました意志から伝え られたのは薬がなくなったら病院に来る ようにということだけ診察も兼ねて週に 1度は病院に行く約束をしまし た自宅に帰るとまた1人の暮らしが待って いましたもちろん食事も自分で作らなけれ ばいけませんし買い物にも行かなければ 食材なんて置いてありません 昔から1人で生きてきたとはいえ自分が 病気の時に誰もいないのはもうこの世に いるのかあのようにいるのかの区別さえ なくなってしまったようでし た私の両親は50代の時に帰らぬ人となり ましたもちろん子供もいなければ旦那も おりませ ん友人たちの中には古くから遊んでいた人 もいましたが年齢と共に1人また1人と あの世へ旅立っていきました人生100年 次代と言われる現代でも60代は周囲の人 は消えていきます少しずつ1人ずつでは ありますが私の前から消えていくのです誰 もいない我が家には消えていく寂しさが あるだけでしたこのまま私もいつかそう 思う日々が続きました席はひどくなる一方 でやはり入院が必要だったと感じます2 週間ほど経った頃あまりに咳が治らないの で病院の先生に再入院をお願いしました 今は病室を開けられなくて医師は簡潔に そして無慈悲に言い放ちましたいえ分かっ ています新型コロナに感染した方には重傷 者が出ています命の危険性は私のような 軽度の肺炎より圧倒的に確率が高いの でしょう私が我慢すればいいのです結婚 意識した竜二さんの浮気を我慢したあの日 のようにただ体の不調を忘れたように我慢 した日々を暮らせばいいのですその先に あるのはきっと暗い暗いあの世の世界 でしょう例え反映を直しても私のように 高齢者になるものはいつ消えてもおかしく ありませんただ我慢すればいいのです昔 からずっと我慢してきたのです から咳だけが胸の奥を締めつけます歩く速 さは遅くなりだんだん病院が遠くに感じ ます何もない世界だけが私を生きていると 理解させます食べ物の味などもう何年も 美味しいと感じたことはありません1人で 食し1人で片付けをする老人ホームにでも 入れば友人ができると言われたこともあり ましたですがお金がありません私は60歳 まで働きましたが年金がもらえるのは来年 のこと今は貯蓄を切り崩して生きてきまし た働けばいいと思う方もいるでしょうが 初老の体は言うことを聞きません 働きたくても体が動かないのですそんな私 を雇ってくれる会社などあるわけもない でしょう私の少年が暗いのでしょう かもっと未来を考えれば良いのでしょうか 私には未来を考えればあのようにいる人と 会える日々を想像することしかできません 父が亡くなった時実は肺炎でした当時は 日本の3大出兵に肺炎が入るほど最後に 語るにふさわしい病気でしたその病気に今 私もむしばまれているのです夏が来て外に 出るのも嫌になりました咳は少し楽になっ ていましたが今度は猛暑が命を削ります スーパーで買ってきた卵を冷蔵庫に入れ 忘れてしまいました次の日には傷んで しまっていたようで目玉焼きを食べた後 からお腹の調子が悪くなりましたトイレに 入って1時間ほど経つことすらできません でした私の家は昔の家ですバイアが施され ているわけでも老人に適した環境でもあり ませんトイレは様式ですが1度座ると立て ないのですもしもこのまま立てなくなっ たら誰が私を見つけてくれるの でしょう何をしていても不安が心をつかみ ます生きるのが苦しくなってもう一層自ら 命を立つ方が良いのではないかとすら考え まし たいえ実際にそんなことはいたしません命 あるものはいつか自然に帰るものです からただ感情的に本当に辛かったのです冬 が来る頃には新型コロナの被害は大きく なりマスクをつけるのが一般的になりまし たどうしても食事を作るのが辛くて近くの うどん屋さんに行った時マスクお持ちです か私が持ってきていないと伝えるとマスク がないと入店できませんその頃には薬が 効いていたのか肺炎はかなりマになってい ましたが店からも閉め出されしまったと 感じましたもちろんマスクを忘れたのは 自分が悪いと思いますいえ本当は食事を するのにマスクが必要だとは思ってい なかったのです私が生きてきた反省期には マスクをつけなければ歩けない場所など ありませんでしたまして飲食店でマスクを 求められるなど想像できるはずもなかった のです帰宅する時に電車に乗りました久し ぶりに電車に乗ったのです少し遠くの景色 を見ようと一だけ電車に揺られたつもり でしたがどうも周囲の目が痛かった もちろんマスクをしていなかったのは私 だけでしたあまりの視線の痛さにコンビニ でマスクを購入しました財布には数千のお 金だけマスクが数100円でした高くも ないはずのものが高いと感じこれからの 生活が苦しくなると再確認できた日でした 遠くに行こうと思っていたのに席が強く なってきて苦しくなったのを覚えてい だんだん意識が遠くなり気がついた時には 救急車の中でした私は倒れていたそうです マスクをつけたことにより肺炎が復活した のかもしれませんもしかするとコロナに 感染したのかもしれないそう思いました 幸いなことにただの貧血でした食事を取ら ずに移動したことで体が悲鳴を上げたよう です普段から運動なんてできませんので 病院と家を往復するだけ私の体は自分が 思うより弱っていたのかもしれません病院 で診察を受けることもなく救急隊員が帰宅 許可をくれましたまた歩いて帰るように 言われました体調不良の人間がその場に 取り残されることがどれだけ寂しいかお 分かりになるでしょうか救急車を見送り ながら私もまたカロに着いたのです午前中 から家を出たはずなのに帰宅できた頃には もう日は暮れていました真っ暗の家の中が が見えます闇に吸い込まれるように玄関の ドアを開けよとしましたするとドアの隙間 に手紙が1枚はがきのような形でした私に 手紙を送る人などありません何かの請求書 かもしれませんし動かない体を動かし ゆっくりと地面に落ちたはがきを拾い上げ ました差し出し人の名前には父の名前が 書いてありました10年も前に他した父の 名があり不審に感じたのですですが確かに 父の字でした他した時父は78歳最後は手 が震えて文字が書けないと言っていました 私も介護をしましたのでよく覚えているの ですはがきに書かれた文字は紛れもなく 揺れた父の文字ですそして10年後の魅へ と書かれていました寂しくないか1人で 辛いかもしれないだが生きろ最後まで 生きろそれが父の願いだ 短い文字でそう書かれていました後から 知りましたが10年後に届くように手紙を 送ることができるようです父は晩年私が 1人になることを心配していただから年金 生活になる私に改めて手紙を書いたのだと 思い ます何もない世界です生きることは辛いか もしれませんただ私は生きています今も まだ動いているのです寂しい人がいるかも しれません 私もその1人ですしかしまだあちらに行く には早いよう です皆さんこんにちはあきこです今回は 熟年履行に直面した私が息子たちの本心に 落ち込んでしまったことのお話です から女の子は父親側男の子は母親側と言い ますそのことから息子たちは私の味方と ばかり思い込んでいましたしかしそれは あくまで一般論実際はそうはいかなかった のです夫は離婚届けを私に渡して以来 サインしたら電話をくれと言って出て行き ましたどこにいるのか全くわかりませ んそんな矢先ジナが出張帰りと言ってお 土産を持ってきてくれまし た次男はまだ独身彼女はいるようですが今 はまだ仕事重視で結婚話は出ていないよう です仕事柄出張が多く出張から帰った時に はいつもお土産を持ってきてくれ ますこの日も出張先の名物を2人で食べ ながら世間話をしていまし た先週突然に夫から切り出された 離婚話そのことを地内に話したのです お父さんとお母さん離婚するかもしれない とそしたら次男が知ってたよってあっさり と言うんですいつ聞いたのって尋ねたら 先月末2週間ほど前だよっ て夫が私に話した時より10日も前だと いうことに多少なりともショックを受け まし たその時なんて答えたのって聞いたらいい んじゃないでそう言ったそうですお父さん やお母さんの気持ち考えていったのと聞く とそしたら2人がそれでよければ俺たちが とやかく言うことじゃないしだって確かに そうなんだけど親子なんだよ家族なんだ よって言いたかったそして夫はジナとの話 を済ませてから私に離婚しろと言ったこと が分かりましたでもそこで思ったのが息子 が2人いるのに次男だけに話をしたって ことないですよね当然長男とも話をした はず ですでも長男から何の知らせも入ってない しチナが帰った後コーヒーを入れて心を 落ち着けていましたゆっくりとコーヒー 飲みながら頭に浮かんでくるのは長男と夫 の 話し合い結局夫と2人の息子が相談して私 を追い出そうとしているのかどうして私に そんなことをするのか悪いことばかりが頭 の中に浮かんでは消えていきまたその 繰り返し です気がつけばカップのコーヒーが なくなっていました不安な気持ちで いっぱいになって飲んだことも分かりませ んでしたここで気を取り直してコーヒーを もう1杯入れ ます大きなため息をついてコーヒーを口に 入れますコーヒーの苦みが頭の中の モヤモヤを払ってくれることを願うように と思ったところで本当に長男も私たちの 離婚を賛成したのかもしかしたら止めて くれたか長男の考えを無視して夫は私に 離婚話をしたのかもしれない長男は私の ことが心配で連絡できないのかもなんて 考えたりしてなら実際に長男と話してみて もしそうなら私の味方になってくれるかも この後どうしたら良いのか相談ができるか もしれない長男が私の味方でいてくれると 思い込むようになっていまし たそうは思いながらももし長男も次男と 同じ考えならどうしようかと思います2人 の息子に見放されたら私はどうして良いの か分からなくなってしまう からでも自由本法な次男とは違って真面目 優しい親思いな長男のことだからきっと私 の味方をしてくれるそう信じて電話をする ことにしましたいつもは軽い気持ちで電話 ができるのですが今日はとても気が 重たい長男は結婚していて家庭があります 今は自分の家庭を守るのに必死で私たちの ことにまで気が及んでいないの でしょう呼び出し音が聞こえてきます そして電話に出たのが嫁でしたすぐに長男 が出てお母さんどうかした久しぶりだけど 元気なのって聞いてくれます そして私が切り出す前にお母さんお父さん と別れるんだってというのです私が お父さんから離婚届けを渡されてるって 言うと長男からは思いもかけぬ一言が お父さんこれからもう人頑張りしなきゃ いけない時なのにお母さんが協力してくれ ないって困ってた よえ私は言葉に詰まってしまいました さらに長男は お母さんそんなお父さんをなぜ助けてあげ ないのさともだから僕はお父さんに今後の ことはお母さんと話し合って決めればいい 出た結論には反対しないよって言ったん だそして離婚届けということはもう決めた んだってねって離婚するものだって 決めつけ てるその後もう何を話したか覚えていませ んせっかく勇気を出してかけた電話も 私自身を地獄に突き落とすことになって しまいました夫は長男にも相談して自分の 考えを納得させてしまっていたの です確かに夫からもっと生活費を 切り詰めると言ったようなこともありまし たでもその時これから新しいことに頑張る なんて一言も言わなかった自分自身は 決して贅沢していないし生活も失そなもの だと話したの です毎月大きな出費となっているのが夫の 交際費でし た部下を飲みに連れていくとかゴルフだと かで実際使い放題になっていたのですだ から家計から夫にお金を渡す時ももう少し 抑えて欲しいようなことも言いまし たきっとそれが鬱陶しかったのでしょう 自分の給料なのになんで文句を言われない といけないんだって思っていたのでしょう ねきっと夫の仕事か何かで新し変があった のでしょう息子たちを味方にして無理なく 私と離婚しようと計画したのでしょうか私 に話をする前に随分とマイカの息子たちに 自分のことをよく言って私を悪者 にもう見事に離婚話を固めてしまっている ようですあは私が離婚届けにサインして 反抗を押せば 終わりそれにしてもこれまで家族のために 尽くしてきたのにこんな結末ななんてひど すぎます仕事でまともに帰ってこない夫を しって孤独の中で必死に子育てもしてたの につくづく自分勝手な人だったんだなって 思ってももう遅すぎますねもう何もする気 が起きなくて抜け殻になってしまったよう な 私その夜は悲しくて涙が止まりませんでし たそして一通り涙が出した後ふと押入れの 奥に閉まってあるを思い出しました無描写 のようにフラフラと押入れの前に行き アルバムを探します大事にしまってあった のを見つけ何も考えず1ページ目から めくっていき ます最初はまだ優しかった夫と2人で写っ た写真がたくさんどの私も笑顔でいます 夫婦2人の写真の後は長男が生まれて3人 家族になった頃の写真に変わりまし たそして長男に続いて次男も生まれ4人 家族になった我が家の写真どの写真も家族 4人の笑顔で溢れています夫も私もまだ 若い頃は色々なところに出かけていました 長男ができた頃から夫の仕事も忙しくなり ゆっくりと家にいる日も減っていき ますそれでもお休みが取れた時などは4人 で遊園地や動物園などに行ったものでし たお弁当を作って芝生にシートを引いてお 昼はワイワイ言いながら食べたものです 楽しかった なとっくに忘れていた記憶がどんどんと 湧き上がってきますそして記憶と一緒に 枯れたはずの涙が また翌日昨日のアルバムの中にあった夫と よく行った喫茶店に行ってみたくなりまし た仕事帰りの夫と待ち合わせに使った喫茶 店ですでももう何十年も前のことまだある のか なそして家族4人で行ったもの食物園にも 他にも色々あったけどなぜかこの2つの 場所に行ってみたくなったの ですそこで朝のうに用いをして出かけて みることにしました実際に行ったところで 悲しみが大きくなるだけだと分かっていた のだけどでもじっと家にいるのも耐えられ なくなっていたし外の空気を吸いたかった から駅まで歩いて電車に乗って市内の中心 部に向かい ますかつての喫茶点があった場所に行って みるとそこにはもうお店はありませんでし た周辺一体が1つになったオフィスビルに なっていましたでもこれで弟の記憶の1つ がすーっと消えてしまえそうその足でまた 電車に乗って家族といった植物園に向かい ますここは今でも昔のままです 駅から入場のゲートまで家族4人で歩いた 道前を見ながら歩いているとまるで横に 子供たちや夫がいるように思えてきて 悲しい気持ちと懐かしい気持ちが同時に心 の中を駆け巡りますあの時家族でお弁当を 食べた芝生にも行きました芝生の前の ベンチに座って今は観光ヒーを飲んでい ますぼーっと見ている目の前には当時の中 の良かった家族の光景が どれだけそこに座っていたのか分かりませ ん夕暮れ近くになってもう来ることはない かなって思いながら植物園を後にしまし た駅まで歩きながらなんだか気持ちの整理 ができたような感じ も帰宅した頃にはもう暗くなっていました お気に入りのコーヒーを入れてこれまでの ことを振り返り ます私が頑張ってきたことは家族の心には 残っていなかったこと家族と永遠に暮らす ことのできない事実まあよく言う家族と いう間柄はすでに終わってしまっていたの だ とそう割り切ると少しは気持ちも楽になり ました今思うともっと自分を大事にして 自分のために生きればよかった今更そんな こと思ってももう遅すぎます ねでもこれからは私1人で生きていかない といけません 夫の側に理解を示した息子たちは離婚した 後の私を気にしてもくれない でしょう家族のある長男は元より次男は私 を避けてしまうかもたまに心配して会いに 来てくれてもただそれだけですさて私は どこへ向かって歩いて行けばいいのか今は 全く分かりませんまだまだ悲しみが心を 支配していて決して話してはくれないの です 夫や息子たちのことを1番に考えてきた つもりだと言ってもそれはただの 独りよがり誰も分かってはくれませ ん今の現実を受け止めて生きていくしか ないの です明日離婚届けにサイと応援をして夫に 電話を入れます少しでも早く心が整理 できるよう離婚届けを渡して新たな生き方 を探しながら生きていきます [音楽]