U.L.ギア開発者 代田 渉さんに聞きました ー Mountain Lover インタビュー

はいそれでは今日は白田渡さんにお話を
伺おうと思いますあのどうぞよろしくお
願いしますお願いしますえっと
インタビューとカメラは私宮崎とあと坂
さんにも今日来ていただいてるんで坂さん
も聞きたいことあったらあの質問して
くださいはいよろしくお願いします願いし
ますはいじゃ最初にえ私宮崎と白田さん何
年ぐらい前に出会ってんですかねもう10
年以上前の気がするんですけどそうですね
10年前まだ宮崎山におられた頃に
えっと本社を訪問させていただいたのが
多分123年前だと思いますねそうですね
自分があのmtsnっていうウェブサイト
を立ち上げる準備をしてたのが2013年
で実際にローンチしたのが2014年なん
ですねだからおそらくその頃に白田さんと
はもう会っていてはいであのその時に元々
すごいその山が好きな人だだけどその
ミドルレンジのねいはいはいえ活躍す
ランナーだったのでまどういう人なのかな
と自分も興味持ってたんですけどでそこ
から
えっとあの秋山温泉取れるレースですね
はいあれ1回しかやってないんでしたっけ
えっと僕がそうですね関わったのは1回第
1回大会ですねはいそうでそのえっと
レースプロデューサーを白田さんがそう
ですねまコースディレクあのコース
ディレクターという形でアドバイザーか
はいという形であのその事前の練習会に
行ってあと本番も私も出させてもらったん
ですけどはいえっとそこでえっとね白田
さんが全面にこう出てやっていてであこの
人多分このトレーラ会でね今後も活躍さ
れる人なんだろうなという風に思ってい
たらえっとしばらくの間ちょっとなんか
トレラ階から何年5年ぐらいかなちょっと
レースにもあんまり出てないような時が
あってでまた最近ねあのはいえっと最近
すごく仲良くさせていただいてるんです
けどもあのこの動画にも今映ってると思う
んですけどもシンプリーワンダフルていう
ねそのザックを色々開発を製造も自分でさ
れたりしてそれでまたいろんなねその
レース会場とかあの去年私たちがやった
えっとなんてイベントだっけえっと
マウンテンスポーツカンファレンスかあの
あのイベントにも来ていただいたりとかま
そこであのまた仲良くさせていただいてて
えっとそれでも白人さんの最近の同行が私
も気になってましてそれで今日うん色々お
話を伺おうと思ってあの今日お呼びしまし
たということでよろしくお願いしますはい
お願いしますはいちょっとすいませんまず
あの白田さんがえま現役っていうか今も
現役だと思うんですけどあの現役トレル
ランナーとして活躍されてた頃のことを
ちょっとお話しいたいていいですそうです
ねあの僕自身がトレイルランニングを
初めて始めたのはあの
2008年の10月のえマダラフォレスト
今でもあると思いますけどマダラ
フォレストトレール50系という石川弘樹
さんの大会に出たのが初めてですねそうな
んですでそれがきっかけでその時は全く
トレーニングせずにいきなり50機にロに
出たのでえその前からランニングとかして
たランニング一切してないですねえ
いきなり出たんですかそうはいただ登山を
もう学生時代からずっとやってたので足腰
の強さには自信があってまなんとかなる
たまぐらがって結局まというよりは保ま
一応制限時間ギリギリではゴールはできた
んですけどあ最初のレースでいきなり優勝
デビューしたのかと思ったら違うそれは
もう全然そんなことはないですねはい
ギリギリあの乾燥次いに保しできたという
そういう感じでしたね最初ははいそれなん
で面白そうだあえっとですねいやあの会社
の実は僕の同期がそれを石川さんのま当時
早山のビーチビーチっていうところで石川
さんがトレールライニングを教えられてい
てそれに参加している同期が一緒に面白い
から出ようよっって言って誘ってくれたん
です僕はあんまり乗り気じゃなかったです
けどあのま次第にあのま出てもいいかなっ
てのがあってそれで初めては2008年の
10月の大会に初めて出たのっていうそう
いうがそれがきっかけですねはいうんそれ
が初レースではい初レースですねもうただ
辛いだけ辛いだけでた辛いだけでしたね
あああのま自分ずっと登山をやっていた時
は意外とその足腰にの強さに体力にも自信
があってあのま抜かれるっていうこと
あまりなかったんですけどその破折あ破折
じゃないマダラフォレスト50系では結構
色あのまご高齢の方とかにも抜かれてま
自分の中では結構悔しい思いをしたって
いうのがそのマダラフォレストのあの
トレル50系のあの印象としてすごく心に
刻まれてでそっからもう2度とやると思っ
たんですけどやっぱ悔しくてあのリベンジ
したいなっていうのが思いがふつふつと
湧いてきて2000え実際には9年年明
ぐらいから本格的にトレーニングをする
ようになったそういう経由ですねなるほど
でま2009年はいからはもうちゃんと
トレーニングして出るようになってそう
はいどういうレースに出たんですかそ9年
はですねあの当時はえっとまずは近場と
いうことで鎌倉アルプスのトレール
ランニングとかま20kmぐらいの大会
ですけどあとは青梅高光ですねそれえで
その次に出たのがえ当時第1回大会だった
開催初めて開催された同志村のトレイル
ああそういう流れで出てきましたねはいま
でもその時はまだまだトレーニングを始め
てあの間近だったのでそんなにあの高成績
というよりはま上位それえ2割ぐらいには
入れるようにはなりましたけどまぼちぼち
ていう感じでしたねはい
じゃあ2009年ぐらいからそういう距離
で言うと20kmからま同志村だと
40kmぐらいそうですねうんそういう
クラスのレースに出てはいなんかこれ
行けるぞみたいな感じなったんですかあ
そうですねやっぱり率直に思ったのは
ちゃんとトレーニングをすればあの成績も
ついてくるもんだなっていう手応えは感じ
ましたねやっぱり山を走るっていうのが
すごい面白いなって初めてあのマロの時に
はさなかったんですけどやっぱりえま自分
もトレーニングしてそこそこ走れるように
はなってきていたのであやっぱり山走
るって面白いなっていうこれはもうもっと
追求したいなっていう思いはもうその時に
はすでにあってもうあの人生をかけてトレ
あの向き合っていきたいなっていう思いは
もうその頃には持ってましたはいそその
えっと1回目の2008年のマダラに出る
前てスポーツはま登山だけだっ登山だけ
ですねはい
そっかじゃあんまり追い込むトレーニング
とかそういうことをやってたわけじゃ全く
してないですねただま登山の時もあの走っ
てはないですけど結構ここからここの区間
を何時間で行けるかとかっていうのは自分
の中では結構競ってた部分があってそう
いう意味ではあの本当にあのベースになる
トレーニングが結構ずっとできてたのか
なっていうのは思あの走ってはないです
けどねその思いは今振り返るとありますね
はいすいませんちょっと遡って
もう1話してで
えっと入とかするようになったのはどの辺
かえっとですね2010
年くらいからちょこちょこ入賞させて
もらうことが出てきましたねあのまだその
当時はそんなに長いレースとかもなくない
頃であのままその当時はもう誰がなんと
いうが派が最上級みたいなところがあそう
ですね距離的にも派の70
そううんままショートレースっていうと
10km15kmはいでミドルっていうと
20から40kmぐらいていうようなのが
当時のイメージだったんですけどこれ今と
全然違いますねはい確かに確かただその
ミドルクラスのレースで白田さんは活躍さ
れてたっていうイメージがあるんですけど
はいはいはいはいあの当時はその鎌倉
アルプスえ青梅高水同士とか出てでその次
にやっぱり目指したのやっぱり派んですよ
いうのは2009年の秋えっと五藤さんが
優勝した時だと思うんですけど初めてハを
見に行って衝撃を受けておえなんと私その
同じ年ね五藤さんのゴール見てるんですよ
あじゃそこで第1問でリタイアして
とっとと降りてバスで帰ったらちょうど
五藤さんがゴールするとこだったあそう
だったんですねあじゃあそこで一緒にいた
会場にいたかもしれないですねその時に
あの見に行ってその時は観客として見に
行ってもう衝撃を受けてあのその実は
ちょっと前からあのさんに対する憧れって
のがあってあのま相馬さんみたいになんか
あのストイックに向き合いたいなっていう
のが自分の中でもあってその時は確か相馬
さんは準優勝でしたけど2009年です
2009年ですね2008年が山県が優勝
したですで20099年五藤さんが急に出
てきてそうですねそうでそこで初めてま
当時雑誌で見ていたようなあのま著名と
いうかあの活躍されているランナーの方を
トレルランナーの方を初めて当りに派会場
で見
たいな
翌年2010年のにあの派に初めて挑戦し
ましたはいそういう流れですとうんでなの
でま派は2010年に初めて出てその時は

あのまあ当時ほおの
え契約ランナーだったルドルビックさんて
いう方が優勝された時ではいあのその時は
結構あのま皆さんあの覚えておられる方も
いるかもしれませんが結構コンディション
としては悪くてあのその
ルドビコ出ていうかなり過酷なあの近年稀
に見る過酷なコンディションだった時が僕
が初めてあのの大会の時でまカジで9時間
台ではあったんですけどまもう今まで
味わったどのレースよりも辛かったって
いうその印象はすごく強烈に残っていてえ
でそっからまたあのトレーニングうん積ん
でいってま初めて入場できるようになった
のはその2011年とかのえっと今もあり
ませんけどあの丸沼高原日光の丸沼高原で
やられやっていたえエクストラえ丸沼のえ
トレイルランという部門があってそれ
50kmの結構えげつないエクストラだ
けど取れるランだけもう取れるランだけの
あのそういうえっとカテゴリーがあって
その50系に初めて出てそこで準優勝をさ
せてっていただいたのが多分初めての入だ
うん記憶していますねはいそっかでハネ
70kmで丸沼のエクストラが50km
はい50kgですねまそっか思ってたより
も結構長い距離でもはいそうですね活躍さ
れてたんですねま今でかこそ50とか70
はミドルに入るかもしれないですけど当時
は結構長いグルには入っていたのかなとに
なってましたはいそうですねだって日本で
ね最初の100kmとかってまオタとかね
ありましたけどそうそうですねやっぱ2
12年のUTMFが最初の100マイと
言ってもいいと思うんですよそうそうです
よねだからそれまでは本当に70kmわ超
長いっていうでしたね当時はうんそれ
ぐらいの認識でしたよね当時はそうでした
ねなるほどそっかでえっとそうやって丸沼
とかでもま準優勝されてはいさすがに準
優勝まで行くとあこれ俺行けると思います
よねそうですねあのやっぱり手応えという
かも感じたしもっといろんな大会レース
走りたいなっていうのもあってでやっぱり
1番嬉しかったのはそのコツコツと
トレーニングしあの書いて汗はあの裏
裏切らないじゃないですけどやっぱり地道
にやることってちゃんと成果として出るん
だなっていう手応えも感じたのではいその
辺りで他にもこう入賞されたレスとかああ
それ以降は結構あのま出れば結構上位に
食い込めるっていう風には幸いになってき
ていてまあ2011年以降だとまあの
ちょうどカナができた翌年ぐらいの会だっ
たんですけどはいあ40カナも1回目は
40kmが最長距離だったそうですねはい
そうですねそうですねま僕が出たのは多分
2回第2回大会とかだったと思いますけど
そこで初めて出てその時は5位でしたけど
あれ2回目ぐらいから50kmのが
50kmのスーパーロングっていうのが
できましたねただ僕が出たのは40kmの
ロングログはいそれでご最初は5位ですね
総合で5位でその翌年が3位であのあカナ
で5位3位ってあったんですねありました
ありましたはいそうですねまは
はい注れてーだったのでまあのレースで3
位とか5位とかだとはい一気になんかこう
角が
上がる感じがありますよまそうですねま
あのあの少しずつちょっとあ白たって言え
ばあなんか知ってるっていう風に言われる
ようになってきた感は自分ではもう
ちょっと感じていたところはありますね
はいそっかそうやってねまレースで活躍を
される一方であのなんかレースその
プロデュースとかこうイベントをやるとか
はいなんかこうトレールランニングのこの
コミュニティていうかねそれをこう
盛り上げようとされる活動もしてたような
気がするんですけどその辺はいかですか
はいそうですねやっぱり僕自身はあのま
登山から入ってトレールランニング
2008年から出会ってまあの言うなれば
山で育んでくれてきた人生だなっていうの
があったのでやっぱりあのトレイル
ランニングとかマウンテスポーツにあの
何かしら貢献をしていきたいなっていう
思いもその頃から芽始めていたのでであと
もう1つはその当時にあのま今もう
亡くなってしまいましたけどそのトレラ
王国っていうあの情報ウェブ情報サレラ
王国ねちょっとその話もしたいですね元々
大和警告者にいたそのそうですま先輩が
独立してトレーラ王国という雑誌をやって
たんですよねはいそうですねはい今でも
もう今そのトレナー王国って話をしてもあ
そんなのあったのっていう状況になって
しまった当時は結構みんな誰もがもうトラ
王国って知ってるような時ででちょうど
そのえっと2000あれば何んだな11年
のうんえっとフィールズ野山さんの
フィールズがやっているえ菅平トレール
レース今はスカイライン菅平って名前
変わってますけどそこで4位に入らせて
もらってでその大会のえっと副が
え北海道の切ウルトラトレイルっていうの
が初めて翌年にできたんですけどそこの
大会のえ招待枠だったんですね1回目の体
ですはいそうですあれ自分行ってると思う
本当ですかあの取材にあそうですかプレ
大会ではなくて引きのえっとねちょごめん
ちょっとはっきり覚えてないですけどあ
そうですか
えっとどこだ1日目と2日目で場所が違っ
てそうそう移動してそうですそうですじゃ
一緒かもしれないあ本当ですかあの
2012年の大会のその大切なウルトラ
トレールのにあのはあのまそのウルトラ
トレール107え100kmかなとあと
その40kmの部っていうので白滝天狗
トレールってのがあってでそれに僕はあの
参加させさせてもらったんですけどあの
その時に取材に来られていたターザの内
さんとえトレラ国の新庄さんとそそこで
初めて知り合ったですそうですそっからで
バスが一緒であの千歳空港から札幌かあの
そののあるえ大切のそのえマスキ場という
かその会場までえバスで23時間の移動で
その時に実は新庄さんとえバスがあの席が
隣で結構話し込んででじゃあ協力して
くださいそれが本当の出会いですでその中
でやっぱり色々自分もそういうちょっと
なんかあの盛り上げるような貢献を活動し
ていきたいなってのもあったんででそこで
え新庄さんえ新庄さんと給接近をしてで
そちらもちょっとお手伝いをさせてもらう
ようになったとそうなんですねそこが
きっかけだったそうそっかトレラ王国を
通じてそういういろんなイベントとかはい
そうですねうんそういうこともやってたん
ですねやそうやらせてもらいましたねはい
あでえその辺からまイベントをねやったり
レースで入賞したりするとやっぱり
メーカーさんとかとのねそのお付き合いと
いうかまあのお話をするきっかけもできる
と思うんではいはいそうですねただま元々
なんかそう物がすごい好きなんだろうなっ
ていう感じもするんはいはいはいうんそれ
で何年ぐらいまでトレランをこう一生懸命
やってたですえっと結局はですね2016
年ぐらいまでですね実際にレースであの
選手として自分の中であの1番熱く
取り組んでいたのは2016年までですね
なで約ま8年ぐらいですかねはいなるほど
でその後あれですかちょっと仕事がやっぱ
忙しくなったりあのそうですねあの結構上
にレースとかを終盤というかその2000
も1415166年とかはあの結構ロング
レースもできてきたりで活躍するあのえ
上位選手も結構熱くなってきたりしていて
であの結構みんなクレイジーな
トレーニング方法とかあの毎週レース出る
とかそういうのをやっていたので自分も
それに結構触発されてあの結構過密に1年
で15レース走るとかそういうちょ
ちょっとあの今まであんまりあのやって
なかったぐらいまであの自分を追い込んで
やっていたりしでそこで結局今振り返ると
ちょっとあの燃えつき群というかやりきっ
た感みたいなのがあってであと自分もま
えっとミドルが得意であんまりそのロング
ていうのはちょっと自分のあの体質的にも
合わないのかなっていうのがあったんでで
多分ただ世の中的にはもうどんどんどそう
です長いのがえい時代がありましなんその
ようなあのえ状況なにどんどんなってきて
いた時だったのでちょっと自分のその価値
観ともちょっとうんあのずれてきたなって
いうのもあったのでそこで1回あのま色々
なタイミングが重なってあの1回ちょっと
レースからはじゃあちょっとシリーズ
置こうかなとそれが2016年です16年
ぐらいかうんただあのプライベートでの
トランとか普通の登山は同じえ頻度でやっ
ているので今もそれはや続けていますね
はいあじゃまレースには出てないけど山に
は未だに行ってもう行か行かないと体が
おかしくなるというかももうネカ好きなの
で行かずにはいられないのでじゃ別に
レース再開じゃなくてもやっぱ山には行っ
ていたいていうそうですねあの逆にあの
またあのこの話もちょっと後から繋がる
部分があるんですけどそのレースでその
長い距離を走るのがなんかすごいみたいな
ちょっとえところがあのあって自分として
はまうんそれってどうなのかなっていう
ところもあったんでそれだったら別に
レースに出ずにあのプライベートでもそう
いうことってできるよねってでそれがあの
じゃあそのそそそういうのをやるための
ザックが欲しいなっていう風に思って作っ
たのがこれっていうのもあるのでああ
なるほど自分なりのその自分のスタイルで
やま巡ればいいんじゃないかとそういう
ところもこれに実は繋がってたりします
はいなるほどね自分が使いたいものをま
作ったらこれになったっていうそうですね
うちょっとその辺はまたここれからね
深掘りしていきたいと思うところなので
はいえっとそしたらですねちょっと1回
その話はいに入る前にはいその白田さんの
はいま子供時代っていうか昔どういう子供
ではいはいあのそれが今に繋がってるの
かていう話を聞きたくてはいえっとまず
その子供からま学生ぐらいの間に何をして
たのかあはいはいま山につながる話です
けどねその辺お願いしますはい分かりまし
たえっと僕はですねあの出身が長野県の
言い出しというところであのまご存知の方
は分かると思いますけど南アルプスとえ中
アルプスに挟まれたま町とえま長野県の中
で言うと結構南部の方にあるんで実は
あんまり雪は少ないのでえスキーとか
スノボーとかそういうウンタースポッツは
実はあんま盛んじゃないとこですねで僕の
地元あのえ自宅からはですね結構山が
バーっと見えてあの物心ついた時から南
アルプス連邦っていうのをもう当たり前の
ように見て育っていたとでそういうのも
あって結構小学校1年の頃にはもうえ山を
見るのが大好きでえであと小学校に入った
時に図えっと教科書と一緒に地図帳が配ら
れると思うんですけどその地図見るのが
大好きででまず何をやったか山を見る山を
見てるとあれが何という山で何メートル
あるのかっていうのがすごい気にな出した
ので地図を見てひたすらその山の名前と
標高を暗記するっていうことを始めてで
結構そこで初めて日本全国の七田太山のえ
標高1m単位であの覚えたいう記憶があっ
て今でもそれはあのちゃんとすぐ出てき
例えばあの超さだったら2236mとか
大勢山朝日だけだったら2290Mって
いうのがもう今でもパッと自動的に出て
くるように今でもちゃんとはそれは記憶に
残っていますあそっかやっぱり家から高い
山が見えてま冬は当然雪を被るですかで
くっきり見えたりなんかすごいこうなん
だろうなやっぱり子
こうこうの対象っていうかうんうんなんか
そういう気持ちはあるじゃないですか
やっぱりそういう山と家から見えるま家と
いうかねま見える山とそういう地図って
いうのが組み合わさってはいはいそっから
山に興味を持ったのか地図に興味を持った
のかちょっと分かんないですけどそこから
じゃああれですかね
その山登りに繋がるところがそうですね
あのなのでうちの親は別にりをやってた
わけじゃないのであの登山を実際に本格的
にやり始めたのは大学生になってからなん
ですけどあの小学校中学校高校時代は登山
をしないまでもやっぱり山はすごい好きで
あの地図でさっき言ったようにあの名前を
覚えたり評価を覚えたりだけじゃなくて
その写真集を見たりとか山に関する本を
ひたすら見ていたっていうのはその事は
ありましたねはいあともう1つとしては
あの長野県のえ中学校はえ中学生の時に
必ず登山っていう行事があるんですよで
それはえっと僕の時代は御たさんに登
るっていう時だったんですけどその情報は
実はあの小学校の頃から知っていて中学2
年になれば御たさんに登れるっていうのが
もう小学校3年ぐらいから楽しみでしょう
がなくて
へえそういうちょっと不思議な小学生で
じゃ絶対そこの中学行くぞっていうそう
ですねあとちなみにあの小学校の頃の
あだ名は山博士とあじゃ周りの何
クラスメイトとかにも色々教えてた言わ
そうですねあの社会見学とかでバスで行く
とたまにあのバスガイドさんがねまあなん
て山だって教えるんですけどそれにさらに
かせて僕があの公爵垂れるんで結構多分
バスガイドさんからうざがられてたん
だろうなっていうぐであの山には結構色々
説明をしてましたねえま普通に考えると
ちょっと変わったこじゃないですか変わっ
そうだ思いますはいうなんかその辺は今に
なって自分の変わり具合いっていうのを
なんか認識するとこあるんですかあそう
ですねまあのまずそもそもその山の標を
覚えるっていうこと自体もあの他のそんな
友達もしてないですしあのどうだろうな
あともう1つは
あの写真をしを見てたおかげだと思うん
ですけどどんな山でも大体あの一瞬見た
だけでどこの何という山でっていうのが
サザ童貞ができるとcmとかにあの山が出
てくるとあこっから取ったこの山だって
いうのがすぐに分かるそこは多分
マニアックですけど多分誰にも負けない
部分かなっていうのはありますそれ最近の
話いやそれはもうちっちゃい頃から子供の
頃からですねああテレビで山が映るとあ
どこの山だっていうのがはいそうですね
それは写真集を見てるから写真集を見てる
のとあとやっぱり地図でいろんな角度から
こにこのあのま地図なんでそのあの実際の
山の写真とかで映像ではないですけどあの
そのあのずっと地図を見てたのであのもう
地図を見ると立体的なその投稿性見るだけ
で立体的な形が分かるようになているん
ですよですごいねなのでこっから見ると
こういう形で見えるだろうなとかでそれを
写真集とかあので見てここに照らし合わせ
て確認するっていうそういうことずっと
焼酎とやっていたのでもう本当にすごい
確かに変わった子ですねあまでも何かに
こうね突出してこう集中してそこにね
のめり込めるっていうのがまやっぱそれは
才能でもあるしうんま変わってるって言っ
ても別に
はないのであのそれを強制されるとかそう
いうことはないですよねうええそっか子供
の時からそういうのにはいなんだろうその
地図がねこう立体しでき
るっていうのがなんかね分かる気がします
ねそれ自分もままさすがにそこまで
ちっちゃい時じゃないですけど高校の時に
もやたら地図を買い集めてあまあの行った
ことないアルプスもそうだしその私宮崎県
身なんですけどの地形図とにかく全部
集めようみたいなとりあえず張り合わせて
行ったこともないのにはいはいはいそう
はいずっと眺めてるっていうのはやって
ましたからねああの今の話だと僕もあの
ちっちゃい頃から小学生の頃から
1万5000の地形図を集めるのは趣味で
あのもう今ちょっともう捨てちゃったん
ですけど家に200部ぐらいありました
そう分かるがそれ自分もそうですもんあ
そうですかそうどこに金かけてんだってね
高校生ぐらいの時にでやっぱりその地形図
から地形をこう読めるのが当たり前だ
ぐらいな感じでそうですねあんまりねだ
から地形図を読もうとかいう発想じゃなく
て知らないうちに読めるようになってる
そうそうなんですよそうなんですよだから
学ぼうっていう感じじゃなくても自然と
なんかその立体化脳の中で立体し化できる
のでずっとここのここのすごい同行の士が
3人揃っちゃったって
いうそうですねそうかそういう子供時代
だったんですねうんなんか子供の時は
スポーツはされてたですかあそうですね
えっとま小学校の頃は普通に外で遊ぶのは
大好きであのまサッカーしたりあとはあの
結構
えっと僕の今実家からあのえ実家って山の
中腹ぐらいにあるのであの市街にある僕が
通っていた小学校からはえ2.5km
ぐらい距離があって標高差が150m
ぐらいあるんですよそこを毎日あのま朝は
普通に歩いていくんですけど帰りは帰って
早く遊びたいからもう毎日ランドセルを
しって走って帰ってるっていうことをして
いたのでま今それが多分体力の基礎になっ
てるのかなと思うんですけどそうか毎日
150mの標高差を登りよりしてたっそう
ですね走っててはいそうですねそれが結構
今振り返ると足腰のあのしっかりした足腰
を作るベースになったのかなっていうのは
ありますねなるほどはいあとあれですよね
そういうこうま地形が
ま坂というか立体的なところに住んでると
はい自分の頭の中で地形図と立体な実際の
地形が組み合わさってパーっと見えてくる
時ありますよだからやっぱそういう坂のね
街に住んでたていうかうんうんそれもある
んでしょうねああそうかもしれないです
ねはいえっと中高時代も特にスポーツはし
てる中の時はえっとサッカー部に入って
ましたサッカー部あなのでやっぱりあの
特に特に中学校の時は結構サッカーでは
強豪校だったんですけどえとはいえスター
選手がいるわけでもなくあの技術がある
わけでもないようなあの小粒揃いのなんか
選手しかいなかったのでその時のま日体大
卒の先生が顧問だったんですけどもう技術
もない体格もないお前たちがあの強くなる
ためには走り負けないことだけだって言っ
てもう陸上部顔負けぐらい走らされたって
いうのがあのあってますごい辛い部活で
有名その地域では有名だったんですけどま
そあのサッカー入ってしまったのでもう
一応3年間中学まあと高校も結局サッカー
入ったんでけえ6年間はやったことになる
んですけど結構もうあのとことん走らされ
たなという印象ですねうんはいで今のがま
子供時代はいうんそっかえっと登山はいつ
始めたですはいえっと大学進学で関東の方
に出てきてえでえ大学進学と同時にえっと
ワンダーフゲルブに入ったのでえそこから
やっと本格的な登山あもうじゃあもう
とにかく登山やりたくてしやりたくしょう
がそうですそうですでやっとあの登山が
できる環境になったなっていう風に思って
でそれ高校時代とか登山部とかなかった
一応あったんですけどあの親がダメだって
言われてああありがちですねそうですはい
なんか登山危ないそうそうだけはやめろと
そうそんな状況だ本当はもう高校で登山部
に入りたかったんですうんあののがなっの
でまサッカーを継続するしかなかったあ
はい自分もね大学入る時はま親はちょっと
登山してた人であでただ山岳部は入るな
あとね学生運動はやるなてましたそっか
学生運動の時なるほどなるほどまだ中核派
がいた
時そんなことはいいんですけどはいそっか
じゃ大学になってワンゲルに入ってこすら
やっと望の
やりたかったことができるそうですね
ワンダーフォゲルブがちゃんと活動してる
大学を選んだとそうですねあのま山下さん
と同じ大学なんですけどあそうなんですか
そうですえあのあれの荒川の北側のやそう
そうですはいそうですあのまヤサさん
オリエンテーリングされてるま僕は
ワンゲルではいであのワンゲルだとあの
入って最初にあの新人合宿ってのがあって
雲取山行くんですねでそのための
トレーニングが始まるんうんはえ
あの入ってあの体力のない人たはそこで
結構ま青吹いて倒れるとかよく表現使われ
てまそこで体力的にあだめだこりってやめ
ていく人も何人かいるんですけどま僕は
結構体力にも自信があったのでまそこでも
なんともなくで今度はそれが終わると今度
夏合宿っていう1番のイベントので僕の時
はキタアルプスを2週間かけてえ前山縦走
するでそれが次のあの
え1番1台イベントとしてでそれに
向き合ったっていうのがあの本格登山の
そのま流れというかえでしたねはいそれが
1998年になりますね98年
うん98年から登山をまやりたかった登山
を始めてそううんそうえっと登山のどどう
いうところていうかどんなジャンルの登山
をしてて何を楽しいと思ってたのかそう
ですねまワンゲル時代はあのまあのま今の
ワンゲルはどういうスタイルなのかわかん
ないですけどその当時はまま56人のその
パーティーを組んでもうひたすらその全て
の荷物をしってえ北アルプスなりいろんな
3駅をこに歩くというまあんまりその冬山
とかはやらなかったんですけどあの
ワンゲルなのであのやらなかったですけど
まその基本的にその夏場あの無きのそう
いうえまいわゆる普通の登山っていうのが
あの活動の主軸だったえ部活でしたねうん
はいまテトを担いでえ縦走するっていう
そうですね縦走ですねはいうまあ今と比べ
ても全然荷物当時重いも全然違いましたね
僕があのワンゲルに入った頃はまだ減今今
でこそLEDヘッドライトが主流ですけど
当時はナショナルの豆電球の炭酸電池4本
のそういうそうです黄色いやつですねそう
ねその頃ですね自分は単14本の買って
ましたよ最初それは1980年代の前半
ですけどそう腰4本で腰にねつけて電池
バックをまさすがに大学の時はねあの炭酸
4本になりましたけどはいはいなるほど
そうそ同じ時代ですねでも年代はね10
一回りぐらい違うですけどまだ98年当時
もはいまLEDとかなくてそういう時代
ですねあの思今思い出したんですけどあの
その大学にワンゲルに入って1番最初に
買い出しっっていうイベントがあってま
新人で入った人って登山用品全く持って
ないんで先輩たちがその新人を連れてあの
登山用品ま三種の神義とわザッグとか
レインカバーとか登山グとかをあのま代表
的なものですけどそれプラスアルファを
一緒に買い出しに行くっていうのが5月
ぐらいにあってそれであのうちの大学が
よく行ってたところが酒屋スポーツさんん
ですよ
酒そこが僕のにあの酒屋スポーツとま今も
あのえ静にいる斎藤さん初めとして結構
付き合わせてもらってますけど酒谷との
出会いは大学1年のその買出しが初めて
でしたねそかすいませんちなみに私はあの
IBS石スポーツ鶴はいはいあ同じように
買い出しみんなでて新人の時えへえもう今
その店ないですけどないですよねそうです
よねないですそっか酒屋だっ酒僕の時は
酒屋でしたねうちの大学はでその時にあの
にってあのま色々買うんですけどあの当時
初めて4に出始めたと思うんですけど
ペツルのえ砲弾型の33つのLEDのティ
カっていう本当に初期モデルが並んでるの
ありました出始めた時でそうなあのそれは
あのあの真っ白なライトっていうだけで
すごい新鮮でそうですね光の色が全然色味
が違うそうですもう白っぽいヘッドライト
イコール電球色も当時そう当たり前でした
よねはいであのライトも暗いしそうですね
あれで夜山を走ろうなんて発想自体なかっ
たですもんね当時はそうですはいうん
なるほどそれかそれが98年投9年でした
ねはいうんじゃ大学時代はもうワンゲルで
ずっと活動してそうですねただえっと実は
ワンゲルを3年の時にやめてるんですよて
いうのはあのそうですま自分のやりたい
ちょっとスタイルてちょっと合わないなっ
ていうのがあってあのま自分も結構山あの
先言ったように好きであの自分でも結構
あのワンゲルとは別にあの個人で行き始め
てた時だったんですようんうんでまそこら
辺でなんかそのえっとま1人でそういう風
になんか個別に活動されちゃ困るみたいな
こと言われた時があってなんかそれが
なんか気によわなくてそれでそっから
ワンゲルは1回ちょっと知りといてでそっ
から3年4年はもう徹底的に1人であの
全国の山に行き始めた時ですね特に4年は
えホンダスーパーカブを買って日本全国の
100メザーを登りながらこうにあの
バイクで走ったっていう思い出もあります
ね大学生の時大学そうですねへえあのま
あのそんなにあのまお金もない時なので
あの田中陽樹さんみたいにあの登りながら
こにっていう旅行あの旅みたいなところ
まではできてないんですけどあのまじゃあ
今回は日光しに行ってみようとか
じゃ今回はじゃ山行こうとかもう毎週の
ようにこうにバイクであの出かけていた頃
ですね
へそういうそういうことやってたんですね
そうことやってましたねうでま大学もはい
卒業して就職をしてていう時代があると
思うんですけどはいはい当時は何をしてた
んですかそうですね大学卒業して実は大学
の時に一瞬だけバイトであの登山ツアーを
やってるあ旅行会社のえ委山岳ガイドって
いうのをちょっとお手伝いさせてもらった
ことがあってそこではやっぱり結構その
あの登山スキルはあのかなり自分としては
上がったあとはその人に案内するっていう
のもえ面白みもあの自分の中で得られた
なっていうのがあってでさらにそれを
もっと掘り下げていこうって言ってえ
社会人になってからはえっともう少しあの
懐的な余裕もできたのであの今度は高速
バスとかそういうあの公共機関を使って
より全国の山ををもっと登ってやろうと
思って東北とか北海道とかあのま中部えと
か西日本の方まで範囲を広げてえ100
名山こに登り出した頃でしたね
ああそっか社会人になってしばらくはそう
いうそうですね普通の登山そうです普通の
登山ですねその時ははいうんそれそっか
特にその早く登ろうとかそういうような
ことではなくて本当にじゃあ100百名山
行ってみようとかはい
あのやっぱりなんかあのまちょっと学生の
頃の話戻るんですけど僕のいた大学生の
あの学生の頃のえま研究数って結構変わっ
た人が多くてま1人はテニスを
むちゃくちゃテニスが好きでうちの大学は
10個ぐらいテニス系のサークルがあった
んですけどその全てのサークルで総当たり
戦をやるっていうそのテニスの大会があっ
てそれでもう3連覇しているぐらいの
テニス好きで強いあのあのやつがいてとか
あとは今度はパワーリフティングっていう
競技で結構あの活躍してなんかあの海外の
そういう大会にも出たりとかする仲間もい
たりしてあのまあなんかそういうえ仲間が
身近にいるとやっぱり登山って何も競争
きそう要素がないじゃないですかでそこに
ちょっとはさを感じていてだったらじゃあ
もういかにま自分の中での満足あの自己
満足だけではあるですけどあの例えば鳥山
だったらじゃ鴨沢から何時間で登って何
時間で降りてくれ来れるかっていうのを
自分の中でその競うっていうようなあの
思考にはなっていた頃ですねでそれがあっ
たのでえ1人で登るようになった大学3年
から4年あと社会人になってからは結構
スピードにこだわるようになってま走
るっていう概念はまだその時はなかった
ですけどやっぱり山は走走るもんじゃな
いっていうなんか変な潜入感があってまあ
ね当時はそういう感覚ありましたね
はいそうですねだ
その今まで重たい荷物別に軽くしよう
なんても思ってないしそうですねね靴も
重たい靴でうん歩いてたのがだんだんそう
やってねソロで行くようになってうんうん
うんこうよりこうスピードうんうんま自分
の中の挑戦としてこうタイムをねうんうん
じゃ前回何時間だったから今回ちょっと
30分早く行きたいとかって思い始めると
はいはいどうしたらそれができるかって
はいはいはいま考えるじゃないですかそう
ですね体を鍛えるのはもちろん1つだろう
けどやっぱ装備をどうしていくかうんうん
うんうんうんでそこを考え始め
るっていうのがなんかこううんトレール
ランナーになるきっかけというかうんうん
はいはいはいうんまそれはあるんだとろと
想像するんですけどはいはいはいはいうん
どうですかそうですね掃除はただその時は
まだ登山一筋だった頃はあの五郎の靴とか
入ってた時だったのであ五郎の靴でどれ
だけ早くいけるかことそはなそうですあの
あまりその荷物をあの今今のいわゆるユ
ブームみたいな感じでそのいかに軽量化
するかいかに靴をあのなんだろうなあの
スピードが出るようなあのローカットの
やつにするかとかそういう観点というより
はやっぱ自分の体力とかあのそっちをあの
でこうに努力していこうっていう感じでし
たねでえっとま僕が社会人なったの
2002年なんですけど2002年からえ
トレイルランニング出会うまでの2008
年の間はそんな感じで登山を続けていてで
2008年のその大会に初めてトレイル
ランニングに出会ってでそこでやっぱり
もう1個衝撃的だったのはそのシューズ
だったりザックだったりいろんなそのギア
っていうのがもうトレールランニングのせ
えっとの特化したようなあのギアっていう
のがこんなたくさんあるんだとでそれを身
につけて走ったらあの今まで苦労していた
あのあのゴロの靴は何だったらんだって
いうぐらいのあの軽やかに
とそこで衝撃を受けてあこれはもっと
突き詰めたらもっと面白い世界が広がるな
とその2002年から2008年の間に
あのま主にソロでいろんな山に登りに行っ
ててはいその時にこの身の回りというか
はいに走ってる人とかいなかったんですか
えっと僕の仲間内ではいないんですけど
あのただ山に行くとあの走ってる人はい
ましたねでその時に派っていう単語も
なんか聞いたことはあったただもう別世界
なんかで1回調べたことがあったんです
けどあそう確かに別世界って思い込ん
じゃってる時期ってありましたねそうです
そうです自分もその山系に入った92年
はいはいにやっぱり編集部にあの破折に出
てる人が何人かいたりとかあの玉川の加工
から雲取の山頂まで何時間で行けるかとか
やってる人いたんですよはいはいはいはい
はいだけどやっぱ体力お化けとかなんか
あの全然自分とは違う人だっうん
ま今から考えれば思い込みがあってそう
もう最初から拒絶してるとこあったんです
ようんうんうんそれが2002年から
2008年の間うんはいはいはいうん
身の回りにそういう動きがあるのは知って
たけどもなんか自分がそこに入っていか
なかったっていうのがはいはいうんまえ
そんな時代があったっていうそうですね
うんなんかそのやっぱり山は走るもんじゃ
ないいってなんか不思議にあってもうそれ
は僕は絶対違う世界の人がやってることで
ま僕うん
ま普通に重でていうのがあったんですけど
あのまその書きを壊してくれたのがその
会社の量でありでそれでまだに出て見事に
そこがあのかが壊れてでそっちの世界に
ドっとと流れ込んだのかなって自分では今
思ってますねねうんその垣根が一気に壊れ
たっていうのははいいや走るもんじゃない
だろうと思ってた山が実際走ってみたら
どうだったんですそうですね最初は
やっぱりマダはさっきも言ったようにもう
ついでしかなかったんですけどただあの
やっぱりあのそのトレイルランニングの
専用のあのシューズだったりザックだっ
たりていうま登山では使ったことのない
ようなギアで山をあのであのアクティブ
アクティブにその向き合うっていうのは
初めてだったんですけどあのこんなに警戒
に楽しめるの登山たまた違うスタイルで山
と楽しむジャンルがあったんだと思って
衝撃を受けて本当に電がうんようなあの
衝撃を受けてあこれはもう自分はこれを
やるために登山をやってきたんじゃないか
なっていうぐらいの衝撃を受けましたね
はいあそっかはいまあれですよねこう収支
したというかうんそうですねはいそう急に
イスラム教から何教に回収したみたいなで
もありますよねそう自分もそうだしうん
あのまどっちが偉いとかじゃなくてうん
うんあそこんだけ警戒に行けるんだそう
そうんで登山者取り入れないんだろうて
いうのはそうんですそれだからなんとか
その登山とトラをね別々のものじゃなくて
うんうん間のものがあっていいんじゃない
かっていうのがずっと思ってることでうん
なるほどねまじゃあほとんど同じような
経験をちょっと時代は違えされてたこと
ですそうそうですで私はあの全然
トレーナーも真面目にトレーニングしよう
とか思ってなかったんであのそのままの
普通のおじさんなんですけど白田さんは
そこで真面目にトレーニングもされて結ね
になっそうですねあのやっぱり全てはその
マロで味わった悔しさをリベンジしたいと
いう思いがすごい強くてうんえ
トレーニングをしたっていうのがあの
きっかけですねなるうんそっかおなんか
その時代のことでこう今につがる話であ
そうですねやっぱり特に自分の中ではあの
まギアは結構好きですけど特にやっぱり
ザックそれはもう登山時代からなんです
けどとにかく
ザックのその使い勝手ていうのはすごい
こだわりがあってうんあのま世の中に売っ
ているま登山ザクの時代からそうですけど
ここにこういうポケットがあったらいいの
にとかここにこういう機能があったらいい
のにっていうのはあのすごい思うタイプ
でしたねやっぱりえっとすいませんそれは
2002年から8年の時そうですねはい
そうですねでやっぱりそのま自分の中で山
をもっとあの快適にあの楽しむえていうの
を追求したいなってなったのでやっぱり
一番そのえっと
にるやっのではだと思ってるのでそのの
使いとかフィット感ていうのをあのもっと
良くするイコール山をもっと楽しくな
るっていうような思いがあったのでま自分
自前のその針と糸を使ってポケットを
なんか縫いつけてみたりっていうのはその
当時からやっていたことですっあのま当時
その登山用のザックて今のトレランザック
みたいな機能多分何1つなくてあのベルと
こうね前側に体の前側に飲み物とか食べ物
を入れるとかそういう機能って全くなかっ
たと思うんですよだまトレルランのその
ちっちゃいザック10Lとかのザックで
その前ポケットに何か入れるとか
ハイドレーションパックをね背中にしって
あの水分補給をしやすくするとかっていう
のはあったと思うんですけどはいうんあの
大きいザックは全くそういうものって今も
少ないですけど2000年代って何1つ
なかったじゃないですなかったですねうん
じゃそこにこう自分なりにま不満を感じて
はいはい色々ちょっとした工夫は当時から
していいうことですねうまただまここに
たまにボトルつけてるような人もいいるん
ですけどそれはやっぱり外付だと揺れ
ちゃっそうですねなのであの50Lザとか
ではここにつけるってことは当時はやって
なくてやっぱりここにですけどその
取り出しやすさとかそこは結構自分でこう
にあの破いて縫い合わせたりとかアクセス
たりとかそういうのをやってましたねはい
うんそうですね自分で縫いつけたりとかっ
ていうのを自分で当時からやってたって
いうのがそうですねただまあの針と糸を
使ってもうエイヤでやるんで見てくれは
もうすごい悪いんですもう本当取ってつけ
たような感じだったんですけどまそれでも
結構ま機能だけは果たせたのでまこれで山
に行って実際に試すとあ快適だなっていう
風にそういうレベルでってましたそれが今
のねこの企業につがるきかとそうはい思え
はい当時の写真とか残ってないですかいや
それはね残ってないですねもう全部ザクも
捨てちゃったしねなんかね20年後に
すごいもしかして大企業になってたとし
たらそういう写真はすごい大事なるほどね
なるほど確かに残ってないです
ねま再現フィルムを作る
とまそっかそういうこと当時からやったて
ましたねはい思えばはいそう
かえトレールラを2008年から始めて
以降ははいにま不満とか夫したとことか
あるんですかめちゃくちゃありますね
やっぱりま当時はまだベスト型っていう
あのトレランザはない頃だったので僕が
トレランニング始めた時はそうですねあの
あれですねグレゴリーのあの石川モデルと
かそうそうですねああれが27年ぐらい出
てたのかな8年かなうんルーファスとか
あの辺の辺り8Lのルあれぐらいがもう
主流というかうんたねまベスト型なんて
全くまだうんやっぱりその2011年12
年ぐらいにそのま俗にキリアンモデルって
いうのがサロモンで出始めた当時ですよね
であとはまえっとサハマラソンとかで主流
のまレードライトのオモとかがですね出
始めたぐらいにあここにボトル入れられる
んだでそれをなんかで試した時にすごく
いいなっていうのが思ったのでそっからは
結構もうあのベストをあの中心にえザ選ぶ
買う時は選ぶようにはなってましたねはい
ミドルレンジのレースに出る時のザックと
はいはいあのまその後もずっと続けてる
登山の時のザックでははいま容量も違うし
用途も違うと思うんですけどもはいはい
うんじゃその辺から色々自分なりにこう
なってたらいいのになっていうのはその各
サイズごとにやっぱりあったわけですあり
ましたねあの今もあの夏場もう大きな
ザックで重層行くんですけどそのえ時に
使ってるのはあのまグレゴリーとかの50
L60Lぐらいのザでまここにポケット
なんて一切なくて普通のハーネスのえあと
フレームが入った重いザなんですけどそれ
も一応色々と自分なりにはあのこここの辺
にスマホが入るようなポケットつけたりと
かそういうことはしてましたねはい前にけ
たいものて言ったらまドリンクうんそれ
からま当時もジェルったスマホも前につけ
たしそうう本当になんでうん
トレランザックでこんだけねあの前側が
工夫をされてきてる時代なのになんで30
L以上のザクって何にもそういうのがつい
てないんだろうって本当に2010年
ぐらいからずっと自分も思ってましたね
うんなんでこんな便利な機能を登山者は
使おうとしないんだメーカーは使うしない
なんですよねうんそうかそうかその辺は
同じようなことを考えていてうんさんは
自分でもう今こうやっって作ってるとこは
違いそっかそっかうんそしたら
2015年16年ぐらい以降のこう私服の
期間をちょっと開けて登山で使うま
トレールなんでもそうですけどま使うその
製品を自分で作ろうと思言い始めたはい
はいはいきっかけとか思いみたいなものを
ちょっとお願いますなるほどはいえっと
元々はまあのさっきから話させてもらっ
てるようにそのギアに対するあのこだわり
と重いっていうのはあってで
あの
220年とか21年ちょうどコロナであの
結構山に行きにくいその時間を遊ぶ時です
ねその時になんかやりたいなっていうのが
あってでその時にじゃあ今までちょっと
なかなか思いこしが動かなかったそのギア
作りっていうのをちょっと挑戦してみよう
ああその前からやりたいっあもうずっと
やりたいってのありましたねやっぱりあの
えまザックはなかなか難しいんでまシとか
そのぐらいのものポーチとかそういった
ものはま自分でも作れるんじゃないかって
のもあったんであのま緊急事態宣言とか出
てる時にまミシンを買ってシンを買って
はいであの小学校の家庭化の事業ぶりに
あの触ってみたっていうのが実は初めてで
で意外とやってみたら結構できたっていう
のがまたもう1つ大きなあのポイントかな
と思うんですけどでそこで初めて作ったの
がえっとま今の製品の展開の中にもある
このサコとれイラズサコシって今名前に
なってますけどこれが本当に原点でこの
サコを作たのが1番最初のきっかけですね
でまこの形になるまでも56回の思考錯誤
とかあの色々な改良を経てこの形になっ
てるんですけどまそういう作っては使って
また改良してとかそういうま行為というか
うんそれも自分としても結構合ってるなと
いう風に思ってますうんはいなのでえ作り
始めるきっかけになったのは200021
年ぐらいですかねはいあー21年ぐらい
そうですね
うんま今ちょっとお話しいただきました
けどやっぱり最初サコ州からっていのは
うんやっぱりまなんつうんだろう練習
みたいな部分もあるんですかその本格的な
ザックを作りたいけども修業期いうあのま
ザックは正直あのハードルが高いのでま
このザックは自分で作ることはないだろう
なって当時は思ってたんですよでまただサ
ぐらいだったらできそうだなっていうのが
あったのでま独学で色々ネットとかをあの
見てあの勉強しながら作ったとうんえいう
感じですねであのこのぐらいのものってま
世の中にも色々売ってるのそういうのを
研究したりしながら自分なりのあのま構想
は頭の中にあったのでそれを具現化してい
くっていう取り組みをえま3ヶ月ぐらい
かけてこの形にしたっていうそうですね
はいでその3ヶ月の間に記事はどうしよう
そうですねそパーツはどうしようでそれを
どうやって購入できるかとかそまミシンが
あればなんとかなるっていうのわかるん
ですけどはいはいはいそういう色んな素材
を選んだり集めたりっていうのもはい
すごいハードルがあるような気がするん
ですはいあのこには実はもう1個あのま
それも今のシンプリワンダフルという
ブランドのポリシーの1つになってるん
ですけどあのもう記事は素材ですね
あの第2コンポジットファブリックDCF
と言われるま当時はキベファイバーって
いう名前で呼ばれたんですけどそれをもう
え使う使いたいっていうのは実はもう当初
から決まってましたっていうのはあの登山
をやっていた時ってま今もそうですけど
登山とかトレールランニングのザクとか
ベストで1番一般的に使われているのって
えっとナイロンじゃないですかでナイロン
だと後ろに防水性を高めるためにえPU
コートポリウレタンコートっていうのがさ
れてると思うんですけどまあの反面あの
火水分解という劣化が必ず起こってで僕
それ今まで何度もそれに流されているん
ですよねで高いまザック登山のザックとか
だとまグレゴリンのちょっといいのだと
もう4万とかするやつが壊れてもえないの
に56年経つとその火水分解で
悲しかれなってしのえなんですかねま昨今
のその環境負荷を減らしていこうよっって
いうのにも反していることていうのをもう
自分の中で思っていたのでそういう劣化し
ない素材ずっと使える素材でものを作って
いきたいっていうのは根底からあったので
もう使う記事としてはもDC絶対使おうと
であとは自分のその使い勝手がいいあと
もう1つはそのたがあのファッショナブル
で街で背負ってもま街で目につけても浮か
ないえそういうおしゃれな
ファッショナブルなものを作りたいという
のがあったのでその3つだけは
ぶらさがってできたのがこのサシなんです
けどその3つのすなわちそのま劣化し
にくいその素材を使いたいあと
ファッションナブルでありたいあと
使い勝手が良くてあのえ
であることてこの3つは今のそのシンプリ
ワンダフルのあのブランドポリシーとして
あの3つ掲げているでその原点はそこにあ
るっていうとこですね
はいそのミシンをね買ってはいさあやろ
うって言ってあのなかなかでき
ない細かい作業が苦手だからできないのか
単になんだろうオクでその段取りを考え
たりするのがはいはいそこが面倒ででき
ないのか
りくあのなかなかさあやろうてとこまで
うん行かない人がほとんどだと思はいはい
はいはいそこをこう乗り越えて今こう
物作りをちゃんとやってるっていうところ
うんそこまでにこう至れたというかあ持っ
ていけたっていうのはなんかあるんですか
あはいそうですねあの僕は元々えっと会社
であのこれ結構人から言われてあの白さん
はあの暴れる出身ですかと言われることも
あるんです
いう働いてる働いてその開発部門でその
色々な装置とかえま実験で使うような自工
具とかをえ設計してはそういう組み立てる
という仕事をしていてあの結構3次元
キャドを使ったりして色々設計してで実際
にそれをで装置を自分で組み立てるとい
ところまでやっていた経験があるので意外
とそのすればこういう形にできるのかって
いうのは考えるのも好きだしあのま自分の
中でもそこは全く抵抗はなかったですね
そううんじゃミシンが使えるかとか言う前
にそもそもその設計とかあの素材がどうだ
とかはいはいはいその辺の知識がまうんま
仕事を通じてそういうようなあの経験が
あってそれを活かせるだろうとうんはい
そこがやっぱ大きいかもしれないですね
うん登山で使う道具がなんか自分でなんと
かできないのかっていうまあなんか不満は
あっても実際改良したりとか自分で作っ
ちゃえっていうところまでうん行くのがね
うんさすがだなというそういう風に思い
ますねうんあの今シンプリーワンダフルの
コンセプトとか思いみたいなとこも語って
いただいたんですけどもちょっとその具体
的に各えっとザクもねいくつか種類がある
みたいですしちょっとそのどういうところ
が特徴なはいあはいはい説明していです
わりはい
えっとじゃあまずえっと30Lザックの
マイラーズバックパック30から説明をさ
せてもらいますとえっとこのザックは
えっと約8ヶ月の開発期間と7回の思考
錯誤ま試作と改良を繰り返してやっと
作り上げたザックなんですけどえこの
ザックのやっぱり1番の特徴としてはま
30Lという容量でありながらフロント側
にえまトレランザックでは当たり前のこの
ベスト型を採用しているとでこの作った
理由はやっぱりあの先ほどの話にもあると
あるえ通ずる部分があるんですけどま僕
自身登山をやっていたのでえま今も夏場は
あのルプスとか1泊2日とか2泊3日とか
かけてま巡っているとでそういう中でも
やっぱりトレールランニングスタイルで山
を巡りたいとまここに色々収納して極力ザ
を下ろさずになおかつ警戒アクティブに
回りたいというようなあのスタイルでキタ
ルプスを巡りたいなとはずっと思っていた
んですけどそれを実現させてくくれるよう
なザがえっと世の中にはあんまりないなっ
ていうのがずっとまあの種だったのであの
まあのそれはいつかあのいいのがいいザが
欲しいなと思ってたんですけどそれを実現
させたのがこのザッグですねうんでしって
もいいですか
はいでえっとシとですねこんな形でま
トレールランニングにはありがちなベスト
型になっていてでま後ろを見ていただくと
こんな感じでま30Lの容量があるとでま
色々なこだわりがあるんですけどまずあの
フロント側から言うとまボトルポケット
入れえポケットでまサプリとかをちょっと
したものを入れるところのサブポケットで
ここは実はスリレイヤーになっていてま
スマホとか入れるえポケットとあとま小物
類を入れるポケットでここはこう独立して
いるであとここにはまトレールランナー
1番多分使うとこだと思うんですけど
色んなジェルとかおにぎりとかそういう物
も入るような大容量のこの収納箇所ま5
箇所のか2なのでま10箇所の収納箇所を
つけているというのが1番の特徴ですねで
その他の特徴としてはえ
ま形状にもあるようにまなるべく高重心
これは走りやすい走ったりまその行動を
あのしやすくするために高重心にしたって
いう形状とかあとはこのトップですねえ
やっぱりえ荷物のえ大償があるのでその
荷物が多めだっったり少なかった場合も
そのフレキシブルに対応するようにロール
トップ構造を採用したとでロールトップだ
とえっと意外とそのトップ周りにポケット
がないのが多いんですけどやっぱりあの
登山ザックのいわゆる普通のアブタイプの
登山ザックのようにポケットが欲しいなて
いうのがあったのでロールトップであり
ながらこのトップの直下の部分にこういう
ポケットを儲けて結構ここは大きめの財布
も入ったりとかするんですけどそういう
ポケットをとにかくその自分がその使いえ
使い勝手を考えてえいろんなポケット配置
したりはしていますもう1つの特徴として
はこの正面のこのガバッと立てができるえ
ファスナーこれをすることでえま置いた時
にもこういう風に開けられて本体にその
ままアクセスできるんそうですねあのうん
できるのでまそういう意味で言うと
アクセスとしてはこの正面からとトップの
2箇所があるというとこですねであとはえ
この縦のファスナーに干渉しないように
つけたこの大きな2箇所のポケ外側の
ポケットこれもあの第2マに当初はこれ
あのメッシュで作っていたんですけど
やっぱりその耐久性穴がいたりとか破れた
りっていうのはどうしてもメッシュだと
あるのであのメッシュをやめてえ第2同じ
第2素材でポケットも作ってしまったとで
ここはまあのウィンドブレーカー着ていた
ウィンドブレーカーとか濡れたものとか
あとは折りた式ポールとかもあのま電車で
あの移動される時とかは人にぶつかんない
ようにこういったところに入れていただく
とかえま自分の使い方ですけどあとえっと
ペットボトルとかもえこういうところに
入れてまいざあのトレール入ってえ行動
開始する時にこっちに移動したりとかそう
い使い方をしていますあちなみにあとは
あの折りた式ポールはこのボトムの部分に
けられるようにこの2つループをつけてい
てえこれは一応ザクしった状態でもえま
慣れれば折りたみ式ポールを着脱できる
ような気候を設けていますでこれはフルに
解放すればまあのスリーピングマットです
ねとかもえ一応つけられるようなえゆりが
あるえゴムコードを採用していますとで
あとはまこんなところにえま隠しポケット
なんて言うんですけどあの僕らは呼んで
ますけどえ両サイドにですねこんな隠し
ポケットをあの設けていましてまここも体
柔らかい方だったらしった状態でこうに
開け閉めできて出し荷物出し入れできるん
ですけどここはですねま車の鍵とか家の鍵
とかあのま小型のヘッドライトだったら
ここ入ってしまうのであのまあのましかも
パスーがあるので落としたくない貴重品
あとはまレースとかそのトレーラの時に
あんまり使わないようなそれこそ車の鍵と
か家の鍵とかを結構僕は収納することが
多いですねまそんな形で結構えポケットを
えかなり多めに配置しているっていうのも
特徴ですあともう1つはあのこのザック
自体はやっぱりアルプスを1泊2日とか3
日をかけて重するような
え状況を想定しているのであの荷物として
はやっぱり56kmとか67kmぐらいに
なることを想定してこの肩に当たる部分の
パえショルダーハーネスの部分に厚手のえ
パッドを入れてたりとかあと背中にも厚手
のパッドをを入れてるんですけどそれも
やっぱり長時間背負っていってもここの肩
に食い込んでこない長時間快適でいられる
とえいうことを実現するためにそういった
ちょっと厚手の固めのパッドを入れたりし
ていますはいえまこだわりとしてはそんな
ところですかねはいサイズ感はどうなん
ですかその身長とかアップレングスとか
そうですねえっと今ザッはこの30L
ザックはえっとSMLのスリサイズ展開で
えっとここのハーネスの長さであのサイズ
分けをしていますトルソは全部サイズ同じ
45cmあるんですけど45cmで同じで
えここのえハーネスの部分のこの付け根の
ところから中心を通ってこの脇の部分の
ここですね付け根のところまでを
605550cmっていう33つに分けて
SMLと分けていますはいうんうんうん
うんえっとま女性でも使えるサイズはある
そうですね女性の小柄で消しの方向けに
作ったのがSサイズなので今のところあの
かなり小柄で化しの方もSサイズを着てま
あの背負ってもらうとあこれはすごい
フィットしますねていうようなうん声を
いだいてますねうんうんまポケットとか
はいま前側にえっと左右合計10箇所の
はいはいはいはいはいまポケットがついて
てまそれ以外にも収納する場所がいっぱい
あるとはいであのこうザックを下ろさなく
てもこううんうん手でアクセスできる
ところだけで10か所以上ルあるんですよ

うんどういう使い方を想定してるんですか
はい
あのまず基本的にやっぱりボトルをまず
ここの上2つに入れるとうんでまちょっと
したサプリがあればここに入れるとであの
皆さんトレールランニングやられている方
でよく聞くのはま僕もそうだったんです
けどスマホをどこに収納するか問題っての
は結構皆さん共通で持ってられて僕もそれ
すごいずっとテーマだったんですよ
いろんなところに収納して例えばボトル
周りに入れると収納はできてもボトルの
収納が1か所死んじゃうのでボトルが1本
入れられなくなるかと言ってここに入れる
とあのまもう某サロモンさんとかのやつだ
とこういたところにも入れられるんです
けどあのま走りながらとか行動しながら
意外と出し入れしにくいとかあったので
そういったところはずっと今まで悩みを
抱えていてで今までの中で自分的にあの
スマホが一番出し入れしやすいのが
やっぱりここ脇の一番ここの手のを届き
やすいところに縦に
ああのいいなっていうのがあったのでえ
ここにもうスマホを入れるところはここに
しようっていうのはあの構想は最初の段階
からありましたただ最近のスマホって結構
巨大化しているのであのここの口をかなり
大きくしないとあの縦に入れられないなっ
てことがあの入れられないことはなくても
やっぱり行動中とかにのオペレーションを
考えると意外とそのどっかに引っかかっ
ちゃったりするのでこのは今15cmの口
にしてるんですけどここを大きくするって
いうのは結構うんあの見直した点ですねで
あの最新のあのiPhoneとか結構あの
大きなやつでも一応入ることは確認をして
いますはいなのでスマホはここに入れて
いただくのが多分1番いいのかなでそれ
以外のえ補給色だったりあのま固形ジェル
系色々あると思うんですけどそういった
ものはまさここの1番大きな収納ポケット
とかまあとそんなに使わないまグローブと
かっていうのはまちょっとあんまり座し
入りはしにくいかもしれないですけどこの
サイドのうん両脇の方に入れてもらうとか
そういう使い方をしていただくのが多分
1番いいんじゃないかなとは思ってます
はいね前に収納するものていうとはいそっ

え紙
[笑い]
地図紙地図はですね多分ちょっとこうに
ロールにしたりして細くしてここがいいと
思いますここ入りますので結構深いんです
そあ深いです深いですあのボトルのところ
とま紙地図であればここにあの刺してやっ
たことありますけどあの全然入りますね山
と高原地図だったらさらにパってやったら
入りそうそうそう全然入り
ますはいでここのボトルもあの深めにして
いて最近あのまソフトフラスクなんかも
結構あのサロモさんとかのは結構でかい
長いじゃないうんあ最あの普通のペット
ボトルでも600mmとか結構長いの出
なってるからねうんでそれもちゃんと首
まで入るような深い設計にしていますね
はいでここにもちろんバンジコードという
かゴムコードもついてるのでこれを絞れば
あの揺れも抑えられるし落ち落ちないよう
にもできるということはやってますねはい
あの30Lだとその実際の重量はうんうん
うんま軽い人で6kgとか7kgで
パンパンに入れてあのちゃんと重装しよう
とするとま10kmは超えちゃうかなと
思うんですよはいはいでま自分の経験だと
11kmまでは多少走れるそれを超えると
ちょっと走るとさすがにちょっと不快か
なっていうのがあるんですけどこのザック
の場合は歩き走りどういうシーンを想定さ
れてるなるほど一応このザック自体はあの

え走りも入りまじえ交えたあのスタイルで
のま参考を自分の中で想定しているので実

あのま最適過重というか快適に消える過重
としては67kmま上限かなっていう風に
は思ってますなのでそれなりにちょっとえ
あのウルトラライトなうんいやかなり
頑張ったユそうですねはいそそうはしない
とちょっとだけどテントを持って重頑張っ
てゆえする人だったらこれでそうですねま
最適過重でいけるとはいそうですねあの
tgrの選手たちがま最近全てあの無補給
になってからはまでも4kmでできてる
ことを考えるとま頑張れば78kmとか
だったらいけるんじゃないかなとは思い
ますねあの1泊2日とかであればうんうん
うんはいそうですねま普通の人でも頑張れ
ばそれぐらいの重量には抑えられるそう
はいうん全力で走ったりとかそういうもの
では
ないはい本当にあの基本はもう歩きでとど
ここ走りたいなとか下りで気持ちよ
そういうあのなのでトレランニングという
はあくまでザでただもう少しちょっと
走れるよっっていうそういう位置付けの
ザックですねはい荷物が重かったりその
フィッティングがねうまくいかないと
やっぱり走ると不快になるじゃないですか
その辺はすごく考慮されてるあそうですね
あのやっぱりあのまさっきのえ重心設計
っていうのもそうですけどあとはその
フィット感とかあと肩の食い込みとかを
あのここののフィット感もあのまメッシュ
でフロントのこの生地を作ってるんです
けど最初は1枚の生地で作ってたんです
けどやっぱり当たりがあのちょっと過重が
重くなってくるとうんあのちょっと
突っ張るような感じで体に食い込んでくる
ので結果2枚をここに縫って二重にしたん
ですよねでそれですごくソフトな肌あたり
になってフィット感が向上したのでそう
いったところもやっぱりある程度あの重さ
でもフィットしてあの快適うん
なあの背い心地になるようなところは一番
実はあのま苦労したところでもあり
こだわったところでもありますねもう1つ
としてはあのここの
え正面のここに今ループがあると思うん
ですけどここにあの着脱可能式のあの
ウエストストラップを取り付けられるよう
にはしていますであの付属させてあの必要
に応じてここもつけてもらえるようにはし
ていますあの重く荷物が重だった時にその
ま揺れというかこのザックがどうしても
ここの胸だけチェストストラップだけだと
こうにブれちゃうよっっていう人はあの
ここを止めてもらうことでそのブレもあの
極力抑えることができるようにはしてい
ますあそれは腰で過重を支えるとかいう
ことではなくて揺れを防ぐたのはいそう
ですねはい実際この30Lで白田さんも
どっか重行ったりされたんですあそうです
ねあの去年のファーストサンプルが上って
きたのが6月ぐらいなので去年の6月ね
去年の6月そっからあのもう夏場はその
ファーストサンプルセカンドサンプル
サードサンプルぐらいあたりはもう本当に
毎週のようにキタルプス入ってあの走っ
たり色々なテストをしていましたねはい
白田さん的にもそんだけフロントアクセス
がいっぱいあるものがやっぱり使いも圧倒
的に僕はそういう使い方をしたかったので
あのここだけはもう絶対に使い勝手のいい
ものを作ってあげよ作ってやろうとうん
いう思いではやってましたねはいちなみに
あのま走る場合は別にしてあの白田さんだ
と一眼レフカメラを前につけたりはしない
んですかああそうですねあの色々ここに
あの今止められるようなものとかも器具も
あったりするんですけどそれをあの一時期
試したこともあるんですけどあのやっぱり
あのま片方だけにかかるんでこうなっ
ちゃったりとかあの歩きはいいんですけど
あの走るってことを考えると走どうしても
ぶんですねダメあこうぶれちゃうしなので
結局そのカメラを一眼レフを持って山に
走りに行ってた時も一時期あるんですけど
その時は最終的に行きついたのは普通の
あのストラップでこうたきがけしてで
こっちでこうにあホールド片手で押さえ
ながらこう走るっていうそういうスタイル
でしたねはいなるほどねうんじゃあその
ザックで解決しようっていうことには
やっぱりそこにはってないえっとねそれも
本当いつかはやりたいんですけどあの
カメラマンの走れるザックみたいなのも
いつかやれたいんですけどちょっとささん
なんか意見言ってくださいよそうあの1眼
ネフどうしても今さこミラーレスカメラに
なってもやっぱりね600gとか500g
ぐらいあるのでそれをつつける相当ここの
あの構造をあの頑丈にあのしないといけ
ないと思うとね難しいなっていうのはあり
ますねうんペットボトルもね500g
600gあるけどそれとはわけが違うです
そうそうです
えか実際でも僕は取材なんかで山入るとか
あとはあのロードバイトの取材で自転車
乗る時とかもはいこれは結構使いますただ
これにずっとけっぱらしっていうんじゃ
なくこれでけるのと収納して移動する
もしくはそのストラップにつけて手に持っ
てるってのはうんうんうんうんうん
それぞれやりますなるほどなるほど
なるほどなんで
結構あのしかも普通のバてうんを入れると
すごく使いづらいじゃないですそうそう
そうそうあの生地が柔らかくて薄いとそう
ずれしちゃったりとかはいそうですねなん
でま永遠のテーマですよね永遠のそうです
ねそこは本当に白たになんとか
しでも今説明聞いててえっと左肩だけ
えっと上のポケットがないああなくて
とりあえずそのピークデザインのあの
キチーとかのクリップがつけられるやつ
欲しいあそれは面白いですねこっちだけ
カメラを固定する仕様みたいなあそれは
面白いですねそうですもうあのボトルが1
本だけになっちゃってもそれよりもあここ
を両手使って登りたいなったとこだけ固定
できるってだけで違う確確かに確かにうん
あとこっちがボトルでこっちカメラだと
この過重バランスも良くなっていいかも
しれないですねそうですねであとはもう
本当にその山いく時はあのフルサイズじゃ
なくてマイクロフォーサーズのカメラし
ちゃうとかはいはいいう対の仕方もあい
ですねそうですねあとはうんトップ
ローディングよりもあのバックカントリ用
のザックみたいな背中のパット側に
ファスナーついててガって開けられるのが
多分1番使いやすいのかなはいなるほどね
かなりまた違う機能で盛り込まなきゃいけ
ないんでさすがに一緒にはできない別の
ものが必要かなでもこんな話ができるな
白田
さんいいすねまそれもちょっと将来的にね
ぜひお願いしたいなというえっとはい30
Lはれ大丈夫ですか解はいじゃ続いてはい
12Lのモデルはいはいえっとでは次12
Lですねこれはあの実はまだリリースはし
てなくてあの今まだ開発中という位置付け
であの今年の夏ぐらいにリリースを予定し
ているものですうんえっと自分の中でまず
はその30Lでそのま他のメーカーさんと
かもなかなかやってないようなそのザッ
走れるザックっていうのをまずは作りたい
なっていうのがあったのでそっちを先行し
て開発したんですけどまそっちが一区切り
したのでえようやくま自分の本来1番使う
であろうまトレイルランニングまレースに
も使えて普段のトレーニングにも使えて
あと仲間内とのファンランとが荷物が1番
利用あのガチがあのなんですかねあの登場
シが多いと思われるま12Lクラスという
のをようやくですねあの作ることができて
えっと今年の夏に一応リリース予定です
はい容量としては12Lですうんこれは
もう走れるトレールランニング用ってこと
ですねはいそうですね
はい何かこれの特徴というか例えば他者
あののものとここが違うっていう言い方は
あれです
けどやっぱりまずはあのま30Lもそうな
んですけどあの基本的に全ての素材でえ第
2DCFを使っているっていうことが
何よりもの特徴ですねであとはあのま30
Lのであのま公表いただいているその機能
ま先ほど言ったえ1本え前側ガバっと
開けるこのえファスナーとかあとロール
トップ構造とかあとこういったところに
ポケットがあるとかそういったところは
全てえこちらにも反映させているという
ところとあとホールももちろんボトムの
部分につけられるとであとはここの
フロント側のポケットもえま3010Lと
同じように大容量のポケット各え5箇所掛
2で10箇所っていうのはそのままえ
生かしてえていうところので容量だけは
12Lにスケールダウンさせたってのが
基本的なコンセプトになりますこフロント
側は全く同じものていうわけではない
えっとフロントはあ基本的に同じですね
こういったところの幅とかはその12Lに
合わせてえっと設計を多少変えてますけど
基本的なここのポケットの数とか配置とか
はのは同じですねあなんか一緒っていうの
がいいですねそのああはいはいえっと両方
持っててもその使い勝手が同じ確確かに
そうですね同じなので30と文にも同じ
ようにあの多分使ってい同じもを同じ場所
に入れとくっていうあれどこ行ったって
いうそうそうそう確かに確かにそう違う
メーカーていうかまね違うザクを持ってる
とどうしても気候が違うからええそうです
ね迷っちゃうんですねあそうですね分かり
ますはい12Lっていうと実際スでとどれ
ぐらいの距離えっとそうですね100
マイルとかああとはま100マイルまで
行かなくてもえま派のとかあとま上州ホタ
とかその辺のまいわゆるロングレースって
いうカテゴリーでは多分皆さん使って
いただけるんじゃないかなとま自分もそれ
を想定して12Lっていう容量を設計した
のでまあの幅広いロングレースはあの使い
いただけるんじゃないかなと思ってますね
はいえっとこれはさん何月発売って言って
えっとですねあのまえっと9月以降のその
ロングレースには間に合うようにあの
リリースをするというま8月ぐらいには
遅くともという予定これはえっとあれです
かもう事前にえっとオーダーした人だけが
受け取れることですはいえっとですねま
30の方はもう完全受注生産だったんです
けどそうえっとこちらの12に関しては
自重生産プラスあのま在庫を作ってそのま
今取り扱って
舗そうあの今取り扱ってる店舗はあの概要
欄にはいけとくはずなのでよろしくお願い
しますはいそっかもうじゃ結構買えるお店
もだいぶ増えてきてそうそうですねあの
おかげ様であの取り扱いいただける店舗
さんも今増えてきてま全国に7店舗ですか
ね今現状だとはい7店舗今置いてるお店が
あってですねうんそっか分かりましたあの
このザック今2種類以外にもあのコとか他
にもえ財布とか色々小物もありますよね
うんその辺はどうやったら買えるんですか
はいあえっとですねまあの僕のえまホーム
ページがあるんですけどそこからあの入っ
ていただけるえま僕のその専用のま直直販
サイトというかまメルカリとかそういった
ところで販売常時していますしそれ以外に
もそのはいえお取り扱いいただいてるえ
店舗さんの方でもえ在庫としてウォレット
とかえポとかスタッフバックとか置いて
もらっております今そうやってま
ラインナップをねこう増やしているところ
だと思うんですけど今後どういう展開を
予定されてるんですかそうですねえっとま
少なくとも今12Lですけどあのもっと
少ない5lとか3lっていういわゆるその
ミドルレース向けのあのミニマルなあのま
ザというかベストというかっていうのは
作りたいなっていう風には思ってますうん
でそうするとま3l
え12L30Lっていうま3つの容量
クラスができるのでまそれが揃ってやっと
自分の中ではようやくスタートラインに
立てるなっていう思いがあるのでそこを
作るのとえま製品に関してはそんなとこ
ですねであとはあのまブランドとしては
やはりま物作りま世界世界にも通ずる
物作りをしていきたいなっていう思いが僕
自身の中であるのでまゆくゆくはまいつ
なるかわかんですけどあの日本だけじゃ
なくて海外にもなんか展開していけて
メイドインジャパンとしてま世界にも堂々
と胸を張って出していけるような
クオリティのえ製品えアイテムっていうの
を出していきたいいければなというのは
思っていますねうんはいただあの普通にお
仕事されてるわけですよねその会社員でも
いらっしゃってでえっと今現在はま業で
やってらっしゃることですよねうんはい
ただまラインナップも増やしていって
なかなか忙しくなりそうですねこれから
そうですねあのおかげ様であの色々なご縁
をいただいてま法制業者さんだったりその
販売代理店さんだったりっていうのはあの
まおかげ様でご縁をいただいているので今
全てを本当にえっと自分でやっているわけ
ではないっていう状況になったのでその
負荷もうまくその調整しながらえそういっ
たところも展開していければなという風に
は思ってますねはいうんはいありがとはい
はあのまた今後の活躍をつ色絡んでいけ
たらと思ってますで続きよろしお願いし
ますよろしお願いますはいどうも
ありがとうございましたはい

今回は、縦走用ザック、トレイルラン用ザック、サコッシュ、ウォレットなどさまざまなU.L.ギアをデザイン・製作するブランド「Simply Wonderful」を立ち上げた、代田渉(しろた・わたる)さんのインタビューです。

南アルプスと中央アルプスに挟まれた飯田市で生まれ育った少年時代から、山登りを始めた大学生時代、ミドルレンジのトレイルレースで活躍したトップトレイルランナー時代、そしてコロナ禍を挟んでブランドを立ち上げた現在まで、代田さんの「山」との関わり方が、少しずつ、そして大きく変わっている流れが理解できて、とても楽しいインタビューとなりました。

代田さんの「山歴」を振り返ることで、2000年代の登山とトレイルランの微妙な関係や、2010年ごろの今とはかなり違っていたトレイルランニングシーンなども思い出すことができて、私にとっても有意義な時間でした。

◆Simply Wonderful ウェブサイト
https://www.simplywonderful.info/

◆Simply Wonderful 取り扱いショップ
・RUNPOYA⁡⁡/東京都
https://runpoya.com/
・FUNCTION JUNCTION TOKYO/東京都
https://www.functionjunctiontokyo.net/
・佐藤スポーツ/東京都
https://satoh-sports.com/
・BrightLight/長野県
https://www.bright-light-uedacity.com/?fbclid=PAAabY112ZsTvN9oLqzJnKw-39gHExUnr8AQccPbjf0-D3gPoqkkCLhsa6jJo
・トレイルランニングショップ ソトアソ/大阪府
https://sotoaso.jp/
・play field mountain/愛媛県
https://www.playfieldmountain.com/?fbclid=PAAaYA3eUmAFSnqeoobSTFjYRzkT1PxRlC_e0sqCSmY4EHQO8xqCEp-Ozae7c
・Run Ride Point/沖縄県
http://runride-point.com/⁡

◆Do! マウンテンスポーツ
・instagram https://www.instagram.com/do_mountainsports/
・Facebook https://www.facebook.com/msdoushikai.kanrinin

●収録日:2024年4月14日
●インタビュアー&撮影:宮崎英樹、坂祐次
●動画編集:宮崎英樹(「Do!マウンテンスポーツ」「マウンテンスポーツ同志会」運営者)

#代田渉 #simplywonderful #mountainloverinterview

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