ラジオ寺子屋・高野山第417回2024年4月20日放送「奈良県吉野郡大淀町「天狗山 泉徳寺」杉籐良雅住職インタビュー」

[音楽]
この番組は飲み物のロマンを伝える酒
キャニング株式会社の提供でお送りいたし
ますラジオ照屋高さんこの番組は高野さん
正眼寺さん
とがおりし
ます曜お昼12時からと再放送は毎週
日曜日午後2時から放送してい
ますはいラジオ寺子やこやさんです高井
さんよろしくお願いしますはい皆様
こんにちは今日もよろしくお願いします
はい今回も高井さんとはリモートで収録し
てるんですがゲストの方がお越しなんです
ねはいあの先々週のようにですねあの
長谷川さんのスタイルでえ今日も今日も実
はねまた無理を言いましてあのオファーし
たのがあの先ほどなんですよねはい申し訳
ないですえ駐在不教師でですねあの
いらっしゃっております不教師の先生を
ですねあの今日も先ほど金語無事の新別伝
でお話をされたえふきさんに無理を言って
ですねあの今後無事の大和のお勤めが
終わってからえうちにお立ち寄りいただき
まして申し訳ございませんではあの紹介さ
せていただきますねえ奈良県のですね吉野
軍大喜町にございますあの小山信号州のお
寺え3号が天狗山えお寺の名前があ千徳寺
泉の徳の寺と書いて千徳寺のご住職であら
れますえ杉と涼が早場ですでは改めまし杉
とさん今日はよろしくお願いします
よろしくお願いしますよろしくお願い
いたしますはいラジオでの出演っていうの
は以前にもありますよねうちの番組は
初めてですけどそうですねあのはいえっと
奈良県の中南和にありますFM大和はい
はいでえ奈良県の総裁組合のうんオファー
ではい34回やさせていただきましては
はいであの奈良県総裁組合の会員の葬者の
団体名されてる団体なんですけどその中に
あのま山陽会のがおられておさんに
ちょくちょく他の収支もいっぱいある中で
は本山といえば高野さんていう高野さん
ビキのあの総裁組合がありましてはいで
そこにこうあの提供の番組に色々出させて
いただきましたもう慣れたもんでいやあの
緊張し
ますあとはねあのFMさのはいFMの
えっとまこの番組の以前出演されたえ奈良
県の大和上市吉野の方のお寺の大塚地名
住職にはいえお声かけいただきましてな.
FMも1回出演させていただきました山出
尚さんの山寺尚はい番組ですね私もね出さ
せてもらいましことそうですかはいあの
大塚住職とはあの5円というかねうん青年
月日が同じなんですよえ年は全然大塚さん
のが先輩ですけども誕生日がはい急行年上
なんですけど12月13日ね12月13日
ほうほうほすごいあのま一緒にお誕生日会
はしたことないんですけどないんですけど
もいかせあの年のせなんでねそんなことは
ないんですけどもあの子供が同い年であっ
たりとかはいあのそういったたなるご縁を
頂いておりましてえっと杉田さん今年で
何歳ですかええ今年あの年男で48歳に
なりますああ48歳でなるほどいよいよ
48
です4848ですアラフィフの48なんか
今日の収録楽しくなりそうな予感がいたし
ますもうね杉と場は大変あのユニークな形
今日もねあの今大塚さんの名前が出ました
けどね大塚さんのエピソードもちょっとお
聞かせをいただきたくですねお話を進めて
参りたいなと思っておりますはいえま早速
なんですけどねあのお寺のこの号天狗さん
っていうのはなかなか珍しいというかもう
そこでちょっと引っかかりましよねはい
そうですねあのうちのお寺あ先徳寺はあの
創設が縁の業者さんて言いまして手元道の
回その方があ創設されたお寺という言われ
がございましたはいはいはいんでえ私のお
じいさんえ祖父のがえ高野さんの副院から
なるほどえまお寺に入したはいはいはいで
それまではあの主本州の縁の業者様がお
生まれになった吉勝掃除というテラが検務
しておったお寺がこの先徳寺ごそのご縁で
えこの何でしょうか手元道と小屋さん信言
州のまあのまあ2速のわらじ今時でいう二
刀流でさせていただいておりますなるほど
小平大谷のように小平大谷はいはい両が杉
とみたいなはいもう杉とさんになってます

そんなにああまりねちょっとこうあの
メジャーじゃないんですけどもいやいや
いやいやいやいやねま本当にだからもう
天狗さと言ったらもうもうピンとねなり
ますしもうまさに遠の行者誤会議という
ことでもうま元々はま手元のお寺であった
そうですねはい行者さんお祭りされたりと
かはそうですねあの一応長の文化財に指定
されておりますあの手元道の縁の行者さん
の石像と座王権原さんあと総人竜神像ほほ
ほいが祀られておるのがま大江戸町の指定
文化財なるほどあと三門の金剛力士像がま
あの文化財に指定されておりましてへえ
はいあの本尊さんは本尊さんはねあの薬
如来薬如来さんでそうですかはいはいま
あのそういったお寺あとま先徳というあの
地名に関しては何かそういった言われ
みたいなのはあるんですかそうですね
ちょうど場所的にあの分水冷ってご存じ
ですか分水冷はい七の土地の土地のあの川
の水があの境い目になるうんはいはいはい
はいちょうど私どものあるお寺から少し南
の方に行きますと流れる雨の水は和歌山県
を通って木の川に行くんですけどえ私の今
あるお寺は蘇川って言いまして大和川の最
上流にあますそこがちょうど分水でに
当たっておりましてでまあの大変雨が多い
ですはいふふで雨が多いんであの徳が泉の
ように湧いてくるお寺というので先徳じ
ああなるほどねまま水が多いんでちょっと
こうねじめじめはしますけどま晴れやかな
気持ちでじめじめを吹き飛ばしていこう
かっていうのがま僕のポリシーでござい
ましてなるほど
はいまそういったねあの言れのあるあのお
寺のま今住職住職なられてもう何年ぐらい
なんですか住職なってえっと今年20年
20年はいえということはま仙台はあの
お父様なんですけどもあのちょっとま逆に
なっちゃいましてねえロソが私の仙台に
なってえ私が19の時父が宣言いたしまし
てあもう早亡くなれたんですねはいでそれ
までちょっとあのお寺の長男なんですけど
もあの好き放題さしていただいておりまし
てえま父が亡くなったのをきっかけにま
親族の方々でまあのお寺のうんやかことが
ありましたんではいえそこからあのご存じ
の通り先週学院にてまそこから大大私のも
のお寺小さいんであの専業で営んでおるお
寺なんですはいはいはいまよくねあの坊主
丸儲けとかねお寺はあの儲かってますとか
ねえ言われるお寺がこうたくさんあると
思うんですけども私どものお寺はこう個人
まりとしたねひっそりとしたお寺ですんで
えまおじいさん私のおじさんははい学校の
先生とお寺の住所で私の父親は設計士とお
寺の住所という形でんでおりましてでま父
が早くなくなっておじいさんが住職にまた
復帰した状態でうんうんうんああなるほど
ねでちょうど私のおじいさんと私が年60
離れておりましたんで同じ江の辰年で
ございましたんでえ私が二十歳の時おじい
さん80ということですのでねほほあのま
その時はこうがなくなったのもあってお
じいさんが結構少水しておりましてねうん
わはもう嫁行くばかないとうんうんうんで
早くあのお坊さんになってわしを楽さして
くれていうことであのま半分無理やり半分
いやいや荒屋さんに来ることになったん
ですけどもま高岡福岡おじいさん97まで
行かれましたおおそうですかそこからま
17年も17年もね長生きされてそうなん
ですよ杉藤さんが3740前にはいそう
ですまで長生きされてはいはいえじゃあ
たっぷりまおじいさんにはお寺のこともま
ねそうですねあのいかせこう師匠にね小屋
さんでこう長く福知さんでお世話になる
はずだったんですけども礼暴行もそこそこ
にもう自分に帰りなさいっていうのでえ
早々に切り上げてはいはいはいえ私自身
あのえ土木建設業の現場監督をさして
もらったそうなんですよあの先ほどねあの

はいあの実は今もう本人から言われたん
ですけどもお坊さんをされながらいわゆる
その建設業のしかも現場監督をされたん
ですよねはいはいはいおったんですけども
あの色々こうお寺のことをやっていく中で
えま結構割と私らの地域あの口のあの商品
でないお方がたくさんおりましてそうなん
ですかはいええちょっとこうざくバラなね
えでもこう素直に物申される方がおられ
ましてねお前大丈夫かとはいうんやっぱり
あの兼業やったらあかんのというような
ことをちょっとこうねえちらっとこう
すれ違いざにこうねつぶやかれたのを聞い
てえ同じやるならちょっと真剣に取り組ん
でやっていきたいなと思っであのお寺だけ
にやっていこうと1年北帰といえばあの
聞こえばいいんですけどもま現場の建設業
の方も色々安全の資格とかいろんなものを
取っていかないといけない時代にもなり
ましたしうんあのまこの年度末のね3月と
かであればねもう土曜日も日曜日も返上で
えま仕事ってなれる時にいやあのはいお
葬儀でえすいませんて急に穴開けてしまう
のはダメですしまあの現場に責任者がい
ないところで事故が起こってしまうとあの
いろんなコム店さんとか建設会社さんに
迷惑がかかるんでもう決断を迫られてこう
っとこう
なるほどお寺の方にえこう気持ちを
入れ替えてえま元々ね気持ちはあるんです
けどあるんですけどもあの両方っていうね
器用なことはしないでもうあのお寺だけで
やっていこうとまあでもこれまでねあの
僧侶とま先生であるとか検務住職っていう
のはねあのよく話聞いたりいらっしゃい
ますけども建設業で現場監督されててお坊
さんもやってるっていう人はなかなかい
ないですよはいままちょっとこうあのまん
でしょうか僕らの時代的に就職氷月器世代
ですでねえその建設業があの辞めてからは
もう数々アルバイトは50種類ぐらいあり
ましたほあ建設業やめてまお坊さん専業と
いえどもなかなかやっぱりはいあの生活の
ためにはい5050
あ50ってねすごいですよありとあらゆる
じゃもうされましたそうですねあの1番
変わったところであればこう4みのテアの
さんのあバイトはいはいあとそれと山登り
観測隊山登り観測隊山登りスりとかの調査
を信じあのはいはい1人で山の中入って
いってうんうんあのこれの熊野とかこの
こう金山地の方こう断層がありますんで
それにこう地震を予知するための今は
もっとなんかそうはいでできあの監する
システムあるんですけどもその当時はもう
肉肉眼でバネを引っ張ってそのバネが何
CM伸びてるかっていうのを月に1回
チェックしにはあま月のうち20ぐらい山
登ってたんですけどほでまだあの気候の
いい時はいいんですよあはいはいあの冬場
とかね雨降っても雪降ってもうんでま僕
ちゃんと見てないんですけども熊かなんか
得体の知れない動物と遭遇した時うん身の
危険を感じてねうんで携帯電話を見た時に
電波もないしけもこれはあの命あっての
これなんでちょっとこううん意見を感じて
はいはいはい給料は良かったんですようん
1日2万円ほねこ短期のある時ない時の
仕事ですので給料は良かったんですけども
ちょっとこう私のわがままとあのビビっ
ちゃってましてねうんうんうんやめること
になったんですけどもう
ラジオ寺子屋こやさん高野さん西岸寺高一
孝さんと私向稽古でお送りしてい
[音楽]
ますまあでも本当になんて言うんかなお坊
さんってなんかもう本当に坊さんだけの
世界しか知らないっていう人は結構多いん
ですけどももういろんな経験されてありと
あらゆるま世間をの中に入っていたんです
ねそうあのお坊さんがこうバイク乗ってね
うんこう大阪市内とかあのバイクでさそう
とね改良服のまま移動されてるのるとね
ああなんか羨ましいなと思う面でえなんか
こう大変だなってま私自身がこう違う角度
からお坊さんていうのも見さしていただい
たんでその経験を元にえ今現在お寺作りを
さてもらっておりますうんあそうですか
じゃまあのお寺と言ってもまあのダカ寺
ですか信者寺またねし欲張りなんでダカ
デラでもあり信者デラでもありボケ風の
令嬢もやりつつやうご気筒もやり山もやり
はいもうちょっと何でも欲張りにちょっと
こうあのやってしまっていますんでまあの
いろんな方々と出会うこともまできますん
でまお寺のあり方っていうのはまあの多様
性といえばこれがいいかもしれないです
けどもあれもこれもやってるはいはい感じ
ですいませんちょっとこうまとまりがなく
ていやいやでもま今一番そのご自身でね
20年住職でやってきてお寺りでそのま力
入れてるというかいうことはどんなとこな
んですかそうですねあの先ほども申し上げ
たんですけれども奈良県の総裁組み合い
っていうかま葬儀者さんからのもうあの
仕事以来がやはり一番多い仕事なんです
けどもはいあんまりちょっとこうね私の
仕事に支障できてあかんのですけども県の
大和高田市ってところあるんですけども
小屋さん信号士のお寺がないんですよあ
なるほどはいであの大和高田市っていうの
は結構地方から出てこられた方が多く住ん
でましてま元々日暮ってご存知ですかね
防石の工場がありましてうんあそうなん
ですねはいはいでまそれは昭和の時代にい
なくなったんですけれどもあの四国の方
から淡路島の方から比較的近の方から出石
でうん
[音楽]
お寺自体ががないないとでまお墓はとか
実家は遅刻のコチの方淡路島の方におら
れるんですけどもその人たちが就職してで
ま結婚もしあの住まいがま今現在大和高田
にあるっていうのでちょっと離れておるん
ですけども車で縄とはい
はいまでうでるんあまり距離っていうのは
もう感じないんでまそこでこう様々なあの
ちょっと無茶ぶりに近いようなねえ状況化
のもオタもあればうんうんうんちょっと
複雑なお亡くなりの方もおられたりえまた
家族さんが仲いいことはベストなんです
けどもあまりうん家族とね折り合いが悪い
方の葬儀とかでしたらこうどうやったら
うまいことやっていけるかなとかうんどう
やったらこう家族関係とかね親戚付き合い
がちょっと破綻しているに近しい状態のお
家とかもまあ1人がなくなった用をする
ことを通じてねえちょっとでも皆さんが
歩み寄りできるようにみんなでこうやって
いけるまあのうんうんそこのご先祖さんの
養であったりまお父さんかお母さんが
亡くなられた時もあのみんなでこう力を
合わせて1つのお年金を勤めたりとかま
葬儀国別式のまそういうあり方とかをま
提案してみたりはいそんな活動に力入れ
さしてもってますなるほどまあの我々あの
僧侶ってまその各家庭の中をやっぱり
垣間見る機会っていうのはやっぱりあの
多いわけでそうですね特にそういった苦
ごとになったらあここのオタはまいわゆる
親族官はまこんな関係性だろうなってま別
に探ってるわけじゃないんだけどもやっぱ
見えてくるんですよねそうですねま必ず
しもあの長男の方がお父さんお母さんと
同居して最後まで見とったっていうケース
ではなくてえ次男3難の方が一緒にお
住まいされててちょっと遠方に離れた首都
圏の方にところに長男さんがおられてそこ
にこうその場面に戻ってこられた時にえ
兄弟原画が勃発してはいはいはいえいもう
お葬儀お通夜葬儀の時にもう野の知り合い
になったわけですもねえあるぐらいですで
はいはいはいはいねだから兄弟によっては
まあの葬儀なるともうもっと観客化でえや
ないかという人もいるし例えばほらよくね
あの最近あの式中つまり葬式の時にましな
ぬかっていうのはもう最近珍しく全然ない
わけなんですよねそうですねだだもっと
言ったら敷中49日満中意満中意なんてま
ある意味これもう我々からすれば無茶ぶり
ですよ無茶ぶりですよまあのちょっとこう
ねホさんに関して言えば向こうの世界で
急いでワープしてるような状態になってる
のかなとはうん察して思わんでもないん
ですけども最近もうちょっとこうそういう
人がなくなるっていうことについてもう
ちょっとこうよくよく深く考えてほしいな
とははいま常に思いますねまあそういった
式中マチていうのもある意味そのあの
こっちの生田川のま勝手でねやっとるわけ
なだから結局49日の時にまた集まること
できないから今ここでラに済ましちゃえと
いうことですからそうですねあのちょっと
こうまどことは申し上げにくいとこなん
ですけどもテレビとかのCMの中の
キャッチフレーズがねやっぱそういうので
こうあの耳に残って自分のお通の葬儀の時
にはみんなに集まって笑ってくれりゃ
いいって言うんですけどまそんなね
ちょっと仏様に失礼なことはねまできない
んですけどもまそういうこうイメージとか
ま費用もさながらもうちょっといいものは
時間とお金がちょっと必要かなとは思うん
でより丁寧なやり方でまあまりちょっと
こうね表現が適切じゃないかも分からない
ですけど信人があってお金がないっていう
方経済的に苦しい方ていうのはいくらでも
うんあのやり方とかがお金がかからない
ように費用的にこう相談もできるんです
けどもも一番ちょっと難しい感じは気持ち
がなくてはいはいはいまお金がなかったら
もう一番ちょっとしんどい形になるんです
けども気持ちがないお金はあるってがね
もうお金貼るとくからもうお寺さん拝ん
どいてよみたいな感じになってしまうの
ちょっとこうごいただきたいですねはい
はいはいま本当にちょっと久しぶりに
ちょっとタイムのこの現場のねはいあのお
話ま元々現場監督されてましたから今もえ
現場のねえ実態をちょっと紹介して
いただきましたけどまなかなか本当にね
あの難しい時代になってそうですねまあの
1人の方がこの生涯を閉じられた瞬間を
やはりこうあの責任持ってお通夜をしよう
か国別式をしようかってえ迷っておられる
中であなって良かったなって思って
いただけるのはやはりその親族の方々の
終わった後のその気持ちっていう部分は
あのやり直しが効かないものなんでより
丁寧なやり方で経験とかそういうのであの
いろんなやり方を提案するのはやっぱりお
寺の預かる母大事の住職の勤めなのかなっ
ていうのでねちょっと絵かすですかなんか
あの私実はさっきねあのお昼に杉戸さんに
急にオファーしてからはいちょっと時間
あったんで大塚さんのラジオ杉戸さん出演
した時のあれをちょっと聞いたんですよ
はい忙しいですもっとなんかバカ話
いっぱいしてましたよあのちょうどねあの
な.FMはところにね外から見えるはい外
から見えて私もちょっとこうあの調子のり
なとこあるんであのガラス越しにねあの
ダカさんがこう応援に来るって言うてね来
たんですよおわざわざ住職のも来てくれた
のありがたいんですけどもあの普通に応援
してくれるだけじゃなくてねもう向こうの
ところでねわあって手振ってで変顔をし
たりとかね笑わしにかかるんですよあの
当然ね向うがはい向こうがねこっちとして
はこう神妙な顔してなんかいいお話をし
たいんですけどどんどんどんどんこうあの
変な方向に話が行っちゃってねいや
むちゃくちゃ素敵な段さんじゃないですか
いやあのあの住職がラジオ出るから
わざわざそんなスタジオに応援に来るさん
なんかおらんでしょいやあのたまたまそこ
の商店街の入り口でねあの存じありますか
ねあの
奈良町宿さんって言ってね鹿の角のが
アイスの上にこう刺さってるお店がダカ
さんでおられたんでそこのお店があるんで
僕はこれでFMに今度ゲスで出るんですっ
てちょっと告知しいかららまあの女こ大
応援でね56人で来てくださっねすごい
ほんでもう1回手振ってこう釈はしたん
ですけどももう気づいてないと思ったん
ですねま当然音声盛れないんですけどこれ
っていう感じでもう僕笑いこいのが必死
やったんですよなるほどそんなシーンが
あったんですねそうなんですよまあの私
こう偉そうなこと言うてんですけど元々ね
もっとあの適当な男なんですけどあの過ぎ
とか敵とかっていうぐらいねも過ぎとか適

あのそんなに偉そうなことをね言える人間
じゃないんですけどもあのちょっとやっぱ
こうそFMにあのゲストで出
るっていうこと嬉しいんでちょっと告知さ
があまりね変なことになっちゃいましいや
まあでもねあの2等流ですからねやっぱり
そういったあの適当なそのユニークな面も
もちろんあるしさっきのような本来的なね
顔もあるからみんなねそうですからね11
面観ですからみん
そうそうまでもあのこれまでも奈良のお寺
さん結構出演していただいましたけどあ
はいあそうですか結構ユニークなでねはい
はい深水さんもそうですはいそうですねね
近くでああとはあの前川さんはいもねあの
皆さんお仲間ですもんねそうですねそう
ですねあの舞川さんも岡さんもよく可愛
がっていただいてねいい先輩に囲まれて私
も幸せですうんうんなんかみんな体の
大きな人多いですってそうですねあのよく
あの食事ご一緒する機会があるんですけど
もねうん分量が多いんですよ多いですよね
あの人たちはい深みさんも多分おっしゃっ
てたと思うんですけど黙ってても大盛りで
あったり2人枚3人枚でどって出てくるん
でそうやっぱり僕らの仕事上やっぱり残す
のがやっぱりもったいないのとあの作って
もらった人にね失礼なんでついつい
やっぱりこう最後までね食べ切ってしまう
とあの体系になるんですけどそんななり
ますわな僕もあの
コロナ前から今この5年間で10km太り
ましたうんええ今ちょっとダイエットに
向けてこう色々食べる分量をねまた
ちょっとあの山のあの土砂の観測に行った
方がいいんじゃないますかね今今年また
山開きがねもう間もなくなってきますんで
そうそうまもちろんあの冒頭に戻ります
けどもね元々あの源のお寺ということです
から今も山のあの山開きになったらまここ
で山開きっての大峰さんのねはいそうです
あの山開きのことなんですよね大峰さんに
ももう年間ま大塚早場も本当にもう数えれ
ないぐらいえ言ってますけど去年昨年
ぐらいでま数えてないと思うんですけど
どれぐらい年間にそうですねあの一応
目指してるのは月に1回は5月から5月6
月7月8月9月までま山が空いております
んで行くんですけどもうんあのま先立ちの
依頼があればまあの毎週学習に上がったり
とかまするんですけどまだ5月とかゆ残っ
てた年とかもありますんでねえっと東亜式
っていうのはあれはえ5月いつか5日はい
はいはいはいで4日の晩から5日にかけて
行われますんではいええええうんそんでま
今年はまあのね気候もあかいんでまあの
いい年だと思うんで
はい
全然太陽の当たらんととでしたらこうま
綺麗な雪じゃないんですよもうちょっと
こう黒くなってねカチカチの雪なんです
けどもあのそれがこう残ってるの見たら
うわあ見るだけで寒いなみたいな感じをし
ながらこう山にも登るま1つのご褒美と言
んでしょうかうんうん5月で雪が見れ
るっていうとかなかなかなかねはいないん
ですけど関西ではねはいうんうんまでも
あれですかやっぱり最初にあの山にあの
行ったきっかけっていうのは誰かの影響と
かあるんですそうですねま先ほどあの紹介
させていただきました大塚早場がねあの
うちのお寺の3号の通りね天狗山ていう山
です住んでまあの手元者がこうはい読を特
を積むことによってえそういうあの霊力
例言新たかなまそういう色々なまさんです
んでま内を持って空を飛んだりまたあそう
いういろんな陣痛力を使えるようになった
りっていうのがまあの天狗さんのま由来と
いうかまそのお力の1つですんでうんうん
うんあのそれにこう少しでもあろうとそ
少しでも近づこうと思ってねあの大塚さん
が杉藤君山行かなかんでって言うてはい
誘っていただいたんですけどもこれがまた
1人やったら僕すぐ怠けちゃうんで
ちょっと足痛いからんうんちょっと1週間
伸ばそうかなってこうね自分の怠ける心が
こうで湧いた時にお塚さんがこうあって
引っ張ってくれはるんでお一緒に行こてで
てうんでいやあの台風来てるみたいなんで
ちょっと日日買いませんかと言ってもあ
そんな山山行ったら大丈夫やで雨降って
へんでま当然ねあの山の中上でこう木が
美味しげってますんであの濡れることは
ないんですけどもその代わりもあの旅とか
ね地旅はもドドにうん
はい挙の果てにちょっとこうね滑て転ん
だりとかあするのもありきが山なんです
けどもあのま今でうこう体感トレーニング
にはやっぱり最高のやっぱ山登りですんで
はいはいあのそういう霊力っていうのは
まずその健全な肉体というかそういうのに
宿っていくのかなと思はいはいはいあの各
いう僕あの高校時代ねアマチュア
レスリングやっておりましてうんうんま
そういうこう体を動かすことがやっぱ熱
好きな方なんであの最初はかったんです
けども40代まこのコロナの5年の間に
ゆっくりしちゃいましてねちょっとこう
あの体が重くなっておりますんであの今年
の夏までにはシュッとした体でなるほど
はい山をさっそと巡りたいと思ってるん
ですけどもじゃあもう言うてる間に5が
つきますけどもう早速消しくらいからく
行かですそうですねあのちょっと式の翌に
なるんですけどもあの行く日を仲間とにね
え帰って僕が足引っ張ってしまったらね
あの天狗さんの何傷がつくと思って今から
先々興教とあんまり練習っていう練習でも
ねあのトレーニングもできませんのではい
ま食事のねま節制からやっていこうかなと
思ってるんですけどいかせ最近何でも
食べ物が美味しいんでうんねついついこう
ねあの体力はなくなるわ食欲は落ちないわ
で確かにはい
あの一緒に1回か2回ぐらいそうですあの
中国の上杉さん一緒にねりましたはい山
登らさせていただいたんですけどやっぱり
こう1人で修行のに登るお山もあればあの
大人数でね10人以上でこうわーって登っ
たりする山もあるんでま修行の形っていう
のはいろんなな形があるのかなて思います
ねはいまあまあ本当にね色々なお話なんか
今日さきいや僕なんかでとかなんかすごい
検討してたんですけどめちゃくちゃネタ
あるはいそんなことそんなことないです
けどでもその本山不教師として小屋さんに
はどれくらいの越になってるんですかあの
ま私が住ましております大江戸町のお寺
からあの大子協会まで車で普通に行って1
時間はいうん結構早い1時間やった1時
うんあの林道とかね近道を通りますと50
分これが最高記録ですそれはダメ50分早
すぎ大か50分なんて早すぎ50分
ちょうどあの自分のお寺がね平縄道路の5
条北インターからお5分あ5畳来たそ5分
10分ですね5畳北インタから10分の
距離にあるんですけどもうんこれま早い
ですよないやあのやっぱり早くねついて
あのゆっくりしたいのもありますし早く
帰りたいなっていう焦る気持ちもあります
しで両方の意味で移動時間はねできるだけ
短い方がいいのかなって思ってますまあで
もあの年に駐在不況で上がってくるのは1
回ぐらいですかいやこれがねあの最近こう
ちょくちょく連絡いただくようになりあ
その役が多いんですねそうなんですあの
遠方から来られた方でまダかさんに不幸が
あった時に本来5日間材されてる予定の方
が急遽3日で切り上げてのああ2日の日誰
かいてませんかっていうおりに電話1本
はいすとでまあだからこの小屋さんから1
時間ぐらいで来れる人で結構フットワーク
借方が結構ま電話来るんですよそうですね
1時はね私もねあのあったんですよあそう
ですかあの内やしでも最近なんかほんでま
私もあの時期にずっと断わってた時期が
あってちょっとごめんそれ無理やわて言っ
てたらもう会に電話してもあの来てくれ
へんからもうええわと思われたんらしくて
最近ねもう全然ないですよほんまにいやま
あの言いやすいっていうのかあとま読ん
だらすぐ来るわっていうお手軽な感じでね
あのま喜んでいただいておりますんでいも
そういう人ありがたいです本当に本にとっ
ても本当にあのいろんな海外の方も含めて
やはりこう日本各地からあの初めて来
られる方がねの前でお話させていただくて
なればま私もちょっとでもいいお話うん
うんまもう初めてこやさんに来ますって
言われてた今日のお会いした方もそうなん
ですけども北海道からもう70すぎのお
ばあちゃんの方ですけどもあのま死ぬまで
に1回高屋さんに来たいんやっていうねで
家族と相談してじゃあもう暖かくなったら
桜見に行こうっていうのでパってこうあの
子供さんらが学校とかで休みの都合でこう
パッと来られてでその時で言うたらもう
初めてこの荒屋さんに来たよっていう方で
私でもかなり申し訳ない感じはするんです
けどもそのおばあちゃんの前でもちょっと
でもこうあええところやなって高野さんの
ここがいいですよっていうのをねま紹介し
たいしまさんうん
心にがらいつうある気持ちを抑えながら
ずっとやってきてますなるほどま本当に
我々小屋さんがま短てあの当たり前なん
ですけどもまあ1年発起で一生に1回しか
来れないっていう人もねこたくさん
いらっしゃってま外国人なんかもそうなん
でしょうけどそういう時にやっぱりあのご
本山に行ってえそこでお話をされるお坊
さんのご挨拶法っていうのは非常に大切
ですからねそうですねはいもう昨日はあの
大子協会っていう場所で樹海堂の法を務め
させていただいたんですけどもはい
ちょうどあの樹海堂のシステムご存知です
かねあの始まる時間の15分前に受付を
済ましてくださいていうになってるんです
けども最終昨日の最終の4時のあの授会の
受付で50分に来られたあのイタリアから
の方が来られてましてであまりこう日本語
の方があの達してないでえ片言で一生懸命
こうジェスさを交えてお話させていただく
んですけどもう10分前なんですうんで
どうしてもこのお樹を受けたいともう15
分前です規則は規則ですからていうので
こう通訳の方は明日朝9時からやってます
はいはいはいね私ちょ
あの4時のあのお回ないのかなトイレの方
に出てきた時にその景を見ましたのではい
今から私すぐ着物を着替えて用意できます
んでうんうんうん呼んでくださいはいはい
はいでそのえ4時ちょっとずれてました
けども4時10分ぐらいからねそのお樹を
勤めさせていただいたですはいはいはい
はいあのまお樹会の中身のことはねあまり
ちょっとご説明できないんですけれども
あの最初日本語ではいする場面があるん
ですけども一切日本語の方がちょっとお話
できかねる方でしたんで手を合わせてえ何
もおっしゃられなかったんですけども最後
私がこう出ていく前に片言の大師っていう
言葉をね発せられた時にあ良かったなはい
伝ってあの伝わってよかったなあの
イタリアからのねお客様でうん知ってる
日本語は何でかって尋ねられたら南大師
返上今語って言ってしまうのか分かりませ
んけどはいはいあのそういう場面にね
立ち合う瞬間がありましたんであ良かった
なてで受付の方に戻ったら何回も頭を下げ
てねあのありがとうありがとうっていうの
でえ言いながら帰られたていうのを聞いて
あはいあの殺伐としたね出来事が多い中で
もそういうこう心あったまることがうん
もうゴロゴロあるのがここ高野さんのいい
ところやなと思ってね気持ちも高ぶらせて
いつもさしていただいてるんですなんか
今日最後にふきさんみたいな締め方でこう
いやいやいやいやいや本当にありがたいお
話を是非あのお周りの方はね不教師さんの
お話聞いていただきたいですよねあ本当
ですねまあの樹海道大子協会でね毎日お受
会を受けることできますま樹海はね今も
おっしゃられましたけども日本語ですけど
もやはりあの真っ暗なこの雰囲気でねあの
いわゆるもう五感で体感できますんで
こんなあの日本全国の令嬢でも毎日樹海
できるっていうのは小屋さんぐらいです
からね本当にあそうですかねえなかなか
ないですから是非あの小屋さんにお越しの
際は奥の院参拝され柄に参拝されると共に
樹回も是非お受けいただいてでまた今後
無事の新別伝では福さんの合法はまた奥野
院のあのお茶を飲むねえ茶でも案をねく
ことできますんで是非皆さんいろんな本当
に全国から北海道から九州までありと
あらゆるいろんなあの不教師さんが
いらっしゃいますんで是非お話を聞いて
いただければと思いますということで
ございましてこの後いろんなちょっとご
都合でまだまだちょっと話聞きたいんです
けどもちょっと時間タイムリミットという
ことでございまして今日は本当に突然の
オファにも関わらずお解いただきましてい
いやま次ったらまたあはいはい本日の
ゲスト大道長の先徳寺杉とりが早場でした
ありがとうございましたありがとうござい
ましたありがとうございまし
たラジオ寺子屋高屋さん高野さん西岸寺
高一孝さんと私向稽古でお送りしてい
ます毎週土曜日お昼12時からと再放送は
毎週日曜日午後2時から放送しています
それではここで
藤原山口文章分新荒野百景その2第22話
新別所ご紹介いたし
ます連谷の街並から細い山道を約1km
余り南に分けいた有林の中に新別所があり
ます深海に眠るをる清らかさとしさは
程近い街並みの争だけでなく金の音や気球
を告げるサレの音さえも近づけることは
ありませ
ん新別所は正しくは円通立児といいその
会期は平安時代大子重大弟子の1人地大徳
に由来し
ます本尊の重要文化祭釈迦如来座像は高野
さんの木彫仏像の中では最大級のもので
そのお姿から溢れる異言は山奥の立引に
よく調和してい
ます怪奇の後高配した時期を経て鎌倉時代
には荒野ひの筆頭春情房長原証人により
最高されまし
た平安後期から盛になった念仏進行に重き
を置いた荒野ひはひたすら念仏しあ如来の
本願を信じ抜く異業堂を貫いたため攻防
大使の包頭である信言密教教二相の習得を
大道とする学や総本山金剛無事との対立は
避けられませんでし
たこれを緩和するために自らの物の案を
本山と区別する意味で別所と名付けまし
た通立は鎌倉時代には新しい別所新別所と
呼ばれていましたがその後自己差別の名称
を嫌い真実の真今の表記の新別所と解消さ
れまし
た今では高さ信州の侶関である自走公電所
が置かれ厳しい信言率のもと多くの修行層
が日々の行に励む聖なる立引として広く
知られてい
ます平安末期から鎌倉初期にかけて新別所
谷に草案を結んでいた多くの荒野ひたちは
無類の同心護さで知られていまし
た当時全国で荒野ひが激増する中整形を
立てるためだけに族をまとって開国する
堕落したものも少なくなかったため荒野
ひりは正当な評価を得られない傾向にあり
まし
たそんな中長原商人は特に同心護なひりを
厳選してこの谷に
集めにってひたすに物に身を委ねていたと
言われてい
ますそんな長原商人の生涯はひたすらな
肝心だったと言って間違いありませ
ん例えば竹橋の肝心では日本最長級であっ
た世の唐橋や大阪土佐堀の渡辺橋の州が
有名でありゆ建築では地方や四国を中心に
商人に由来する温泉地が今も多く見られ
ます荒野ひの規範とも言うべき長原証人の
名を世に知らしめたのはなら東大寺の復興
でし
た原平相談の中自称4年1180年平の
茂平によるなんと焼き打ちによって
幸福とにしてしまった東大を再するため川
天皇は長原商人を
東大寺大幹人職に抜擢したのでした時に
61歳劇的な人生の天気でし
たこれに答えた長原証人は最高に全力を
傾け5
年85年には早くも大仏の造に成功して会
苦を
行い研究6年1195年には後葉天皇将軍
源の寄りと隣席の元ひとまず完成を見た
大仏電と中文の楽matter法が盛大に
営まれまし
たその後も86歳で入するで東大寺最高に
本し歴史的なガラ建築を当時最新であった
層の技術に独自の構想と広報を組み入れ
ながら作り出していったため南大門や文系
作の金剛歴史像に代表される多くの鎌倉
美術を生み出すこととなりまし
た長原商人が東大寺大肝心職に抜擢された
のは荒野ひを代表する肝心の実績と配下に
要する多くの同心護なひじり方の集団が
評価されたにそういありませんが歴史的な
大肝心を15年ありでやってのけた商人の
下向きな清らかさと人望は決して真似
できるものではなかったと推察されます
それはは若い頃からの荒野ひりとしての
経験の積み重ねによるものでし
た新別所へ行からんと荒野の清らかさが
分かりまへんなという言葉が頭を離れ
なかったという作家千亮太郎先生も昭和
51年に足を運ばれ荒野ひり長原商人の意
を感じたと言われ
ます泥にしまがな荒ひの中で本道を忘れる
ことなく生涯の全てを肝心に費やした春情
房長原の下向きな清らかさは新別所に
そして東大寺に今も伝えられてい
ます藤原をへ山口文章文新荒百その2第
22話新別所ご紹介いたしまし
[音楽]

とえ
たてるマンダラ上土の
ごさ

[音楽]
olevM
[音楽]
あく
てらす
りな
[音楽]

とし
いける

[音楽]
なり
おり

ゆに
こそ
すれて

命いか
とみ
おいま

とき
たも
[音楽]
[音楽]
[音楽]


[笑い]

よの

なり
[音楽]
やきド
[音楽]
この番組は飲み物のロマンを伝える酒井
キャニング株式会社の提供でお送りいたし
ました
[音楽]

奈良県吉野郡大淀町にございます高野山真言宗のお寺
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