中山先生最終講義(令和6年3月8日)
はいえっとちょっと緊張してるんですけど もあのまずは竹本先生過分なご紹介 ありがとうございましたそれからあの3月 の末の忙しい平日にも関わらずこんなに たくさんの方に来ていただきましてどうも ありがとうございますまた今日は新幹線が 止まっててまだあの京都行きあたりもしか たどりついてない人も結構いるんじゃない かなと思うんですけどまあのあとオン デマンドで見ていたくっていうことして いただければなっていう風思いますでま あのじゃあえっと早速ま最終講義っていう かま私の研究者人生を振り返った話をし たいと思いますでま私のま研究っていうの はま細胞生物学で細胞内のタパ症のような ま研究を主にずっとやってきたんですけど もまここに書いてありますようにま色々う 曲折がありましたんでまそういった話をし たいと思いますで副題としてこれはうちの 研究室のホームページも乗っけてるんです けど棚から落ちてきたボタ持ちを確実に拾 うっていうこれは僕の研究者人生だったん じゃないのかなていう風に思いますであと 下に書いてチャンスフザPRmindドっ ていうのはこれあのあの今広島が行った君 が見つけてきた言葉なんですけど結局ま僕 が言ってることほぼ同じこと言ってるん じゃないかなっていうことこれも圧倒で 話しさせていただき ますで私はまあの知ってる方知ってらと 思うんですけどもま島県出雲っていうとこ に生まれましてそれでえっと1977年に マロ大学薬学に入学しましたでその後ま 薬学研究家それから医学研究家をへまして えっと筑波大学に行きましたそれが 1987年ですねそでそこからで筑波で 15年間がいました後2002年に金沢台 に行ってその後えっとま2003年に兄弟 に戻ってきたんですけどあと2年間は ずっと単身不にして毎週サンダーバードに 乗ってたっていう生活してたんですけども まそんな感じでまた京都戻ってきてそれで 21年間経ちましたっていうのはま現状で あり ますであの私がその兄弟薬学に入ったの 1977なですけどその後81年80年 ですねあのと当時富田健吉先生がおられて まあと他にも市川先生とか今日取られる 八波さんとか小口さんとか高橋さんとから れたですねあの衛生科学教室に入らして いただきましたまここではその本当に毎日 えっと低音室にこもってですねコースを 生成したりその後コス発生をしてま冤罪の 文字の研究をしておりましたままここで 本当に正科学の基礎を教えてもらったん
じゃないのかなっていう風に思い ますあれちょっとはいでまこれがえっと私 が4回戦の時の写真なんですけど多分これ のグランドじゃじゃないのかなと思うん ですけどもあの私ま研究ピッチャーさせて いただいてましてキャッチャーはその当時 の女教授だって一川先生欲やっていただき ましたでまあとここにま今日も来 てらっしゃるんですけどもえっと八波先輩 とか高橋先輩とかですねま一緒にやって ましたはいであと小さんですねはい先輩 ですはいでちょっとえっと福井先生はなん か今日急に来れなくなったっていう電話が さっき来たんですけど藤先生ちょっと連絡 が取れなくてちょっと来られていませんと いう感じですねま本当にここで正解の基礎 を見につけましたでこれがあのえっと僕ら のこは修論の容姿って手書きだったんです けどもせ昭和57年度ござますま実際には 1983年なんですけどこの就労の要集な んですけど一応えっとここに書いてある タイトル見ますとグラム陰線換金集モナス レム2のポリベタひさでポリメラーゼの 生成とその性質に関する研究でま高学的な 研究をやってましたまここにあの今日来 てる森和君とか吉信君とか大中君とか同級 生の収録も載っているってことになり ますでそのえっと収支2年間終わった後 ですねあのこれあの理と結構複雑なんです けど後の沢の挨拶かなんか高倉先生が話し てくるかもしれないですけどま平たく言う と出来が悪かったんで外に出ないといけな いっていう事態が起きましてあの当時富田 先生にとく知ってる有名な先生の名前を3 人あげたんです覚えてんな岡田キの先生 本条タスク先生中西茂太先生って名前あげ たらじゃあ1番近くだから中西先生に電話 してみようっていうことであの結構簡単な ことで人生が変わってしまったっていう 感じですはいまそこであのま当時中西先生 はま日本でもまムロケアバジの草分け的な 先生だったんでそこでシデのクローニング とかそういったのを教わりましたでまこれ が本当にまたラッキーほ多分チャンス フェイバーズプリペアの前のチャンスの 1番最初の例だと思うんですけど本当に えっとですねえっとD1の2月か3月 ぐらいから始めた研究がですねこのえ当時 誰もそんなこと持ってなか心臓にホルモン があるっていうのが初めわかってそれが 辛抱性ナトリニオペプチドanpなんです けどそのクローニングはするってことに これ世界的な競争があってですね ネーチャーにほぼ同時期4方ぐらい乗った んでそこになんとか最後滑り込むとことが
できたっていう状況ですで実あんまりこれ 僕あんまり印象残ってなくってですね本当 にま棚だったんですけどもえっとあしまっ ポント見えなく なちょっと待って ください ありまいいやえっとまこの棚だったんです けど多分これ全部の仕事4ヶ月ぐらいしか かってないと思うんですけどまそういう 状態でまうんよくちゃに論文は乗ることが できましたでそれまえっとその後ですねま 実言うとDからま医学のD4まであるん ですけどD3からD4にかけては実言うと こっちの方が僕とても印象に残ってて一生 懸命自分で考えながら研究したっていうの が記憶残っていますけどま今だと学生さん 当たり前ヤりの教科士いろんな需要体が いっぱいこう名前が載ってるっていうの 普通だと思うんですけど昔は需要隊って僕 らがやった当時分かってたのってった ニコチン性な政治の需要体とかそのぐらい だったと思って例えばベタドリン状態とか 実態分かってなかったような時代ですで そういう時代にその実態の分からない えっと自隊のcdのクローニングすよと いうプロジェクトを始めさせていただき ましたまこれはま例えばラットのノとか あるえっと牛の消化関のメッセンジャー 取ってきてそこからCDの作りますそれを ま発言メッセンジャー転社用のライえっと 発言ライブラリを作ってそこから メッセンジャ作ってやってそれをアフリカ メガのランボ細胞に打ち込むっていう実験 でしたでそこでもしあとは電気整理学の えっと電子固定法っていう方法で電をかけ てば電流が流れあのリガンド振りかけた時 電流が流れればそこになかそれに関にする 需要体があるっていうのがまわか るっていうシステムでしたでまこれ頭の中 では可能なはずなんだけどなかなか2年間 ぐらい全然うまくいかなかってま結局僕が つば台に出ていくた後ぐらいにその後輩の マス君ていうのがまえ1番最初にこれを 成功させてくれたっていう状況ですでま その当時本当覚えてるのはまあのシデじゃ なくってですね本当に例えばラットの脳の メッセ替の卵に打ち込んでそうすると 例えばグルタミンさんとかセロトニンを かけるとぎゅって電流が流れるんですねえ これってすごいことだもしこの重要体 クローニングできたら僕はどういうことに なるんだろうと本当思ったんです多分その 当時分かる人だった分かると思うんです けど全く自隊の態なんて何も分かって なかった時代なんでこれはすごいなって
いう風にもう中西先生パってそのあのその 頃あのあの電気的にやるんじゃなくてなん かこうドラムみたいなやつにこう波形を 出すやつをやってそれを中西先生に持って いって見せた記憶があります本当にまそう いうワクワクするような研究をしてた時代 がありましたでまこれはやっぱ姉ちゃん 乗ったんですけどこう僕がセカンドで ファーストさマス君でしたはいまでもここ で本当に あの文子政武の基礎を本当身につつける ことができたという風に思い ますでこれはあのえっと滋賀高原で単に スキーの研究家をやったっていうだけなん ですけどあの毎年中西先生と一緒にどっか いろんだとこ発泡ネとかえっと者公園とか 琵琶バレとか言ってたんですけどまそこの 時は滋賀公言でしたねでまあのこま中西 先生映ってるんですけどそれ以外例えば 蔭山さんっていう人はウイルス再生権にい て今理研農科学センター長ですね掛さんっ ていうのは実と当時日から中西県に来てて えっと去年まであの香川大学の学長して あったんですけどあの僕の結婚披露園の 司会してもらいましたはいはいな感じです ねはいでここでえっと中西先生が僕が えっとちょつ不妊する前中西先生から言わ れた言葉ってのは多分中西先生全く覚えて ないと思うんですけど僕とってもよく覚え ていますでまず1つは独立したらボスの元 でやってのと同じような研究やったらあ かんわていう風に言われましたどういう ことかって言うとま多分僕自隊の研究を つばに行ってからもやることできたと思う んですそしたら結局中西の仕事になっちゃ うっていう要するに弟子がやった仕事だ から君のオリジナリティがないからやっぱ なんかちょっと違うこと考えてやれやって いう風に言われまし たそれから次にこれも言われてよく覚えた 同じ労力を払ったとしてもやる研究の内容 って出てきた成果に対する人からの評価は 全く異なるっていう風に言われましたま それはだからテーマをよく考えなさいって いうことですねこれもよく覚えてることな んですけど半年ぐらいはピペットま入らん でええかどんなことが問題が何をしたら ええか考えろやっていう風に言われました でま僕実際にその半年間つ行った後ですね 半年間全ペットは握らなかったで実験始め た確か9月か10月だったと思うんです けどもまそこまでがずっとテーマを考えて たっていう状況でし たまこれ本当に僕今でも覚えてい ますでその後えっと筑波大学行ったんです
けどまこれも縁があったですね中西県実と 筑波台からシデのクローニングレニのシデ のクローニングを習いに来てた人がいてま その円で僕つばに行ったんですけどもよく 覚えてるのは村上先生が えっとえっとその1986年のえっと11 月23日これ今でも覚えてるんですけども その日すと僕まうちの奥さんと結婚する前 でなんかあのえっと兄弟と感覚の アメリカンフットボールの試合を西の宮見 に行こうと言ってた日に村上先生が来 るって言われてなんか楽友会観であったん ですけどなんでこんな日に来るんやって いう感じでったんですかまだから日付まで ちゃんと覚えてますでなんですけどまそれ で村上先生の元に当時えっと遺伝子権 センター長してだった村上先生のとこに 行くことになりましたで村上先生のとこ 行ったらですねまとにかくレニ関係ある人 のこと何やってくれてもえわっていう感じ で言われました非常にあのここにもあの 弟子みたいな人いっぱいいるとむっちゃ 大らかな人なんですけどあの退職した後 笑いと遺伝子の研究をやってあったって いうそういう感じの人なんですけどま もちろんレニの研究であの学習印象とか もらってらっしゃる方なんですけどまそう まと人間キャラこ何やってくれてもええ わっていうで本当半年間とも握らずに考え たっていうことがありまし たで本当に考えた結果何を始めたかって いうと2つのテーマをままある並行して 始めましたまここに今日来てくれてる人で もまそのこえ知ってる人いると思うんです けども最初はですねプロレニンっていうま 腎臓の防止球体細胞で作られるまプロター なんですけどこれは元々全区体プロレニ ンっていうができるんですけどそのプロ レニンからレニ変換するプロターすレニを 活性化するプロターの研究をま実体わかん なかったんで始めましたそれからもう1個 はまレニンの分泌調節機構ですねこれの 研究をまみましたでま結局ま今36年前 これやり始めたんですけど今でまそれのま 延長戦上で研究してるっていうのがま実情 ですでまその結局はえっとこっちの上に 書いてある青の方ですねプロテアの研究が ま一時中心になりましたでま実際レニの プロレニをレニプロスルプロングプロター の研究もやったんですけど途中からですね まレニだけじゃなくていろんな生理活性 ペプの全区体をですねえっと成熟学の ホルモンペプチドにする変換するプロテの 研究をしましたまその中でままえっと フーリンとかPC1とかPC2っていう
ファミリーですねまこれのプロターの研究 をさすることになりましたまえっと今日 ここに来てる人もそれに対だった人は何人 もいますけどもまそういうありまし たでこれはあのここにれているんですけど はいあの多分これはえっとここにいるト君 もしかしてまだ幹線がたどりついてないと 思うんでいないと思うんですけどもあと 穂坂君はいるし長浜君まだ新幹線が 取りついてなくて初田君はいるんですけど もまこれ多分僕がえっとつてから5年目 ぐらいでまちょあともう韓国に帰ってい なかったんですけどキさんっていうのと それから長浜君ていうのが博士の学位を 取った日だと思いますそれから穂坂君が 収支ですねそれから鳥井君がえっと学部の ま学取った日だと思うんですがそれま こんな感じで実まここに名前書いてある人 がまう僕の研究グループのメンバー他は ちょっとあの違うグループの人たちです はいまこんな感じでま小人数で研究し たっていう状況です ね はいでまあの実と今日うちの奥さんがこの 今日僕の最終講員こよかどうしようかって 言ったんですけどまあの学生だった頃の えっとうんこの辺の人たちをうちのさん よく知ってるんでなんかみんなが立派に なった姿を見たら泣いちゃうかもしんない から今日来ないとか言ってました残念でし たっていうことはいま後で電話してもらっ てもいいかもしんないですけどはいこんな 感じです ねであとこれは全くいつやったか覚えても いないんですけどこの僕は言ったのはその つ遺伝子実験センターって言って共同利用 施設なんでいろんな研究数のりましてでま よくしょっちゅう てたんですけど多分これは僕がのデクが 多分この手前やった僕多分この写真を僕が 撮ったはずだと思うんですけどもま いろんな究のがいっぱいいますはいあの 穂坂君まだ行って鳥井君も行って葛西君と か川本君とかそれから虎さんはちょっと 今日岐阜台からまだ来れてないと思うん ですけどいますそれからあとえっと千さん とかあと中島君まだ新幹線たどり着いて ないかもしれ来てないかもしれないです けどもう000さんと中島目が座っちゃっ てるんですけどまそういう感じでやってた 楽しくやってたっていう感じですで本当に これ僕が普段デスクを並べててここにま他 にもここに映ってる宮崎ひ先生とかですね あと小林悟先生とかも同じ部屋に行ったん だと思いますでまこの写真にも映理学きた
知ってると思うんですけど深水明吉先生 なんかも同じ部屋で一緒に仕事したって いう感じ ですでですねあのここからちょっとその えっと田中からボタもちの話をしたいと 思うんですけどもあのま僕の経験で本当に そのなんて言うか多分研究って一応なんか ある目的とか考えて研究をすると思うん ですけどま予想外のデータとか出ることが あると思うんですけどそれに気づくかどう かって僕やっぱり研究するとも重要じゃ ないかなと思ってまそういう田からボタを 拾った経験が多分この研究所人生だから 34回ぐらいはあるんじゃないのかなって いう風に思っていますでまそれをですね えっと実言うとうんとずっとこのホーム ページそのこの格言が乗っかってるんです けどもあの5年ぐらい前にあの今広島った 加藤君が見つけてくれた言葉でチャンス FAPRmindっていうのがあったです ねこれ100年以上前にリーパスツールっ て人が言った言葉らしいんですけどま趣旨 として同じこと言ってるんじゃないのか なっていう風にまえっと5年前に知りまし た はいでですねこの私にとっての セレンビリティま1番目がさっきあの最初 に言ったあ中西県でanのシに クローニングしたところかもしんないん ですけども2番目がこのえっと今からす ことですでこれはですねまそのつ大の遺伝 子一見さてー共同利用施設なんでま当時ま 柳うんまえっと教授は先生っていう方ん ですの研究の人がその遺伝権センターでま あの実とエンドスリンの全区体をC長細胞 で発言させる実験をやっていましたでその で長細胞ってまえっと内分泌系の細胞じゃ ないんで多分エンドセリンは全体のままで 分泌されるんじゃないかなと思ってたん ですけども間接的に聞いたのはですねこの 実言うとこの市細胞でエンドスリンは ちゃんとエンドスリンていうマアな形に なって分泌されるんだっていうのをま聞き ましたこれ直接この柳沢先生の研究数に いる人から聞いたんじゃなくて遺伝子 センターに他の職員の人から口さで聞き ましたそれでまこの今この姉ちゃんの論文 はこれは稲沢先生が1988年にま プロミスエンドスリ姉ちゃんの論文なん ですけどこの論文を多分10回ぐらい 読み返したと思うんですなんなんかあるん じゃないのかなっていう風に思いまし たでそこでえっと実とここ今でもここに えっと赤鉛筆で線が見えますでしょうか 一星見えますかいやこれが多分本当に
1990年ぐらいに引いた線だと思うん ですけどもこれが実言うとそのボタ持ち だったんですね本当 にで実言うとそれまでもえっといろんな ホルモンの全体っていうのはこの利人とか アルギンあるいはアルギンアルギンていう エンキささんのつのところ切断され るっていうのよく知られたことですまそれ はまいろんなま今でも教科書に載ってると 思うんですけどもえっとその時に エンドスエンドスエンドレス 内分泌細胞じゃない細胞ではこのこのリジ アギとかアギっていうエキ様線の全区対応 のですもう1個いて前に必ずアルギンとか があるっていう法則に気づきまし たでまこの赤鉛筆の線が本当に セレンデピティだったんですけどもまこれ をに気づいたっていうのがまあの非常重要 ま要するに僕が筑波大学の遺伝子実験 センターて共同利用施設にいたからま えっと見つけられたっていう感じでもあり ますでその後ま結局あのその当時は コンピューターちゃんとしてもなかったん で僕全部論文とかつ図書館に行ってですね えっといっぱいコピーしてきてですね全部 くなく調べてみるとこの実はこのマナ4番 目にあるギがあるっていう全体って結構 いっぱいあるんだっていうのがまに気づき ましたでこの法則があるんだっていう 気づいたっていうのがま非常に重要でし たでえっとまこれがま今日も切ってる穂坂 君のファースト放のでま僕の研究者人生で まあのリビューじゃないやつで1番引用さ れてる論文になりますはいでま実際には このえっとアルギニンXをいってリージ アルギニンまたアルギニンンっていう配列 でいろんな全区体が切断され るっていうのがま気づいたわけですまそれ がまたフーリンっていうプロテアーゼで 切断されるっていうことをま見つけたって いうのが重要な発見でしたあそれでま 例えばえっと今えここにもHIVのGP 160方もこの持ってるし病原の インフルエンザウイルスもまこれ持てして ま最近だサズコロナバイラス2もこの フィーリンで切断されるってい風に言われ てい ますでえっとまこのえっと穂坂君の論文 その前に実と初田君ていうのが出した フーリンのクローニングの論文があるん ですけどもまこっちがさでまこの時はまだ このコンセンサスハ率気づいてなかったん ですけどもえっとま実際に簡単なことでま レニっていうのはですねこのリジアルギン を持っててマ4番目の位置にアルギンは
ないんですけどそこに単にアルギンていう アさんを痴漢で入れてやった全体を作って やってそれを支調細部発言させてやりまし たでそうするともうえっと結果は顕著でし てえっとちょっとポイントかえっとこれは 普通のリジアギ型の全体は切断されないん ですけどもアルニも1個入れてあったRX KR型の全期はちゃんとC細胞でも切断さ れるってことて非内分泌細胞で切断される ためのシグナルがこのアルギニンXリジン アルギニンとかアルギニンXアルギニン アルギニンていう配列だってことましたで かつこれがフリで切断されるっていうこと も最終的に証明しましたでまこれがだから えっとやっぱり研究者人生で1番引受され てる論文っていうことになり ますでまえっとここまでが えっとえっとそのプロセシングエ プラターズの研究の話なんですけども えっと 1987年に着任して89年始めてその レニのプロセシングするプロターの研究論 が出たんですけど2番目にですねこれは やっぱりこれもレニをプロングプロズを 生成した論文なんですけどキムさんって いう人がファストサーだったんですけど この時よく覚えててあのえっとキムさんが あのつのえっと学生宿舎にいたんですけど そこに行って夜までドンちゃん騒ぎし たっていうのを覚えてたですね初田君もい たのかなその時いないそ時村上先生もそこ に来て学生宿舎に来どちゃん詐欺して たっていう記初めてのJBCやっ本当に とても嬉しかった記憶がありますでそのま 結構色々論文を出したんですけどま限りな 論文が結構いくつかありますフリンの最初 のクローニングそれからさっきの坂君の えっとRXkrrっていうコンセサイ列の 発見それからまた初沢君のこの リコンビナントのフーリンの生成と高速学 定性質の論文とかがありますまこれは全部 本当に引用頻度高い論文だという風に思い ますでこのヒューリの最後の論文がま今日 ここに見る高橋せさんのですねJBCの 論文なんですけどこれが実とフリの プロテアとしての研究じゃなくてフリの 細胞内輸送の研究になるんですけどでここ から実言うと1995年この辺りから えっとプロテアの研究とりやまタパ地の 細胞な輸送の研究にちょっとテーマが シフトしていたっていう状況になります これが1995年になります ねで実は1995年ぐらいからそれやって たんですけどま生果学会とか発表してると ですねあのちゃんと見てくれ見てくれて
ですね当時拾ってもらったのはこの中野 明彦先生でまま入り研でまあの今 イメージングとかとても有名な先生なん ですけどもこの中野明彦先生に僕がやっ てる研究気づいてもらったですね中野先生 がま当時特定領域Bって言ってた今だと 学術変革領域とかになると思うんですけど それのえっと応募する時に誘っていただき ましたでま公にもだからこの超輸送の研究 チームにま組み込んでもらいましたでこれ がその時の新聖書ですねでえっとま中野 先生にはですねあのえっとよく日本の小方 意想の育ての親だっていう風に消研究のや て言うと俺人扱いするなとか言っていつも 叱られるんですけどまでも本当に僕はま これで研究費ですねこうあある程度5年間 ぐらいちゃんとコンスタントもらえるよ 状況になったんでまとても良かったんじゃ ないかなと思いますまあのそれより前の時 ってのは結構毎年研究費もカツカすって いう状態でまいかにコスト パーフォーマンスを上げるかみたいなこと をやってたんですけどもまあの当時は今 あのスティーブジョブズじゃないステイ ハングリーじゃハングリーなったんで一生 懸命できたのかなっていう風に思いますで この98年にこの特定領域に入れてもらっ てからまあのなんていうかなある程度研究 費のことを5年間は考えずにま研究できる ようになったっていう状況にあり ますでこれがちょうど小方輸送の頃の えっとまうちの研究室ててま大体56人 ぐらいしかいないんで毎年えっと年末には 僕が住たつばのコミ宿者でですねあの えっと研究スメンバー集めてクリスマス会 やってましたでまえっとうちの奥さんに 言わすとまこういう写真で映ってる人が 立派になった姿を見るの泣いちゃうから 今日はここには来ないっていうことなん ですけどはいあの若カ氏頃の方方が映って いますでまあのここはもう初君とか穂坂君 はもう卒業していないんですけどうちの奥 さんに言わすとあのうちの奥さんがえ料理 いっぱい作るんですけど初沢君と沢君が いるとあ皿を舐めたようになくなって しまうとてま今でもなめるぐらい食べてる かも知らないですそういう風にえ23日前 晩飯食ってる時言ってました はいでまここから消層の研究ったんです けど特にま小層の研究分野で重要なのです ねこのあアフとラブってる定文しgtps のファミリーですまアフてのはまえっと人 だと30種類ファミリー30種類ぐらい あってラブだと60種類ぐらいあるんです けどまもちろんこれ全部やったわけじゃ
ないんですけどもまこの定文白gtpsに よるま細胞内のタパ質輸送ま商法輸送の 調節の研究をや始めまし たでこれは実言うと本当20年ぐらいまで まパワーポイントがそんな完全普及し なかったこの手作り作ったそのこの アニメーションなんですけどもちょっと見 てくださいこのまずアフがこのある教論に くっついてここから商法が質がしていき ます それで下書が美償官のレールに乗ってこう 運ばれてえっと自オルガ目的のオルガ行っ てそれラブていう別のテブgtpsがこ 媒介してまこの融合を起こって元々共 オルガあったタパスが需オルガンなに運ば れるってまそういう感じでま当時考えられ ていましたもちろん今ではこんな単純化さ れるもんではないんですけどまこんな感じ で細胞なの商法輸送が起こってるんじゃ ないかなっていう風に考えましたでまうち の研究このアフとかですね主にアフの研究 やっててまラブの研究も一部やってたん ですけどまこれ来による消素の調節って いう研究テーマで研究を結構展開しまし たでまこれ例えば加藤君がとあのこの えっと隣の建間にある顕微用とってことな んですけどもえっとこのミトが微小官なん ですけどこの微小官のちょっと待って ください微小官のレール農用ですねこの今 このラブ5で指名されてるエンドソム諸法 がこういったりきったりしてるのがあると 思うんですけどまこういう感じでま皆さん の体の中の細分中でこういとこ普段から ずっと行われてることになるわけですこれ が小方層ですねまそれのメカでも研究し たってことになり ますでまあの初期の頃本当にあのままあの 初期の頃の研究はまだえっと小的なんです けど例えばこの穂坂君ていうのはえっと マウスだとアフは1から6番それ全部の CDのクにしたっていうのは1番最初発表 したのこの消費層研究の最初になります からま今日も来てくれる戸田さんていう子 がですね6の研究をやってくれましたそれ からですねえっとまこれが実言うとその つばにいた時に商法輸送の研究で1番引用 され分がこれ高津君がやってくれたんです けどもえっとggaって書いてギガって いうもんですけどもこれアフの エフェクタータパでありかつクラスリンの アダプターでですねとあの万能スルクリン 産需要体っていうまイソムコスを運ぶ有名 の需要体があるんですがそれにくっついて まそのクラスリン皮膚商法の調節をするっ ていうタパでまこれはあの筑波でやってた
消費書の研究で最も引用されてる論文に なり ますで実とこのギがggaっていうのやっ てたことによってですねまたあの新たな あのセレンデピティてかチャンスが訪れ たっていうのがま後から振り返って現状 でし たでちょっとここで えっとえっと看は大なんですこれま大学数 の講義で出すことがあるスライドなんです けど 僕が大学で満でた45年前遺伝子のこと ってほとんど何も分かってなかったんです ねでで今でも覚えてるのは多分その当時の 生科学の教授だった山伊先生がえっと生 科学の事業で多分1979年ぐらいの生 科学の事業だと思うんですけど最近制限 控訴っていうのが見つかってきましてとか 授業で言われた覚えててあれ制限控訴多分 1970年ぐらい見つかってるのあ山先生 当しかあんまり興味なかったです声援交差 あも興味なかったんだっていう感じなん です多分あの先生興味なかったるきっとで 山先あのまそえそういう時代です制限交差 がない時代なんて皆さん分からないと思う んですけどもそういう時代でしたはいでま 80年代にですねあのえっとま中西戦権で 大学生だったところえっとこう分子生物が 夜明けを体験したっていう状況ですでま今 でも覚えてるんですけどもあの今いる学生 さんとか想像できないと思うですけどま 例えば皆さんPCRとか役やると思うん ですけど元PCRはあのえっとタック DNAポリミアと耐熱のポリミア普通のえ 大腸のポリミア使ってるんでどういうこと やったかていうと僕インキュベーターを3 台並べるわけですえっと37°とえっと 90°とそれからえっとまたえっと何度 だったかなえっと3種類の インキュベーターをしててそれで僕は手で こう順番チューブを映しててPCRをや るっていうそれ1985年にやってました あのPCが出た頃ですね本当の見をみまで うまくいかなかったんですけどもはいでも まあ要するにそこやっぱ多分今ほぼきっと 化されてるもんなんで想像もしない思うん ですけど何が大事かっていうとそれをやる ことによっていろんな研究の原理が分かる んですねなんでこういう原理でこういう 主役を使ってるか全て分かるんでその インキュベーター3台を前にして順番に チューブを映していってそれで救助処理 するとコスは失活してのまた交差を加え てっていうそういう作業をやってた時代が ありまし
たまそんなことしてたらですねそのうち 2000年にですねまま正確には2003 年なるかヒゲノムのDDNの全配列が決定 されましたでまこれこに多分森先生とかも 当然覚えてると思うんですけどまこのここ から多分生命科学の研究って全然違う方 考え方になっていたとますでそれまでは 中西県とかもそうだったしえっと兄弟の 衛生科学にいた時も酵素を生成したりある 遺伝子のクローニングして新しいものを 見つけてくるってのはまず1つの仕事だっ たんですけどまゲノムが全部分かっちゃっ てはもう新しいものなくってそこのにある ものえっとゲノムの情報に乗ってるものが 何をしてるか調べる時代に変わっていっ たっていうのがあり ますそれからまこれも僕よく覚えてるん ですけどんえっと山中先生がえっとですね そのIPS財部自立されたんですけどで 多分日本で大騒ぎされた多分この2006 年2007年の1IPS細胞の時だと思う んですけどでも実際にはマウスのAPS 細胞2006年できてそれは僕あの多分 国際会館生学会大会かなんかの山先生の プス公演聞いていやこれはすごいこと 起こったなってそれまで細胞が初期化する なんてまあのジョジョグガードのなんか買 の卵みたいなことしか考えてもいなかった んですけどもなんかそれがほんまやなって いうこれノベル正門だよなっと思ったらま すぐにシもらったんですけどそういう時代 でし たはいま本当この将棋あのせあの国際会館 の山先生の特別公演来てこれはすごいなっ てのは思ったそれからえっと2012年に はがまクリスパーキャスネがま出てきてま それまでもまターレンとかまそういうえゲ 編集の手法あったんですけどまこれによっ てですねま誰誰でもできるようになっ たってのがあのゲノム編集が誰でもできる ようになったっていうのがありますま 2015年ご頃にはまえっとうちの研究し た加藤君がまこれ取り入れてくれたって いう感じですそれからまこれも僕記憶が あるんですけども2016年にですね アルファ5っていうやつが当時世界一だっ て言われたえっと韓国のイセドルっていう 騎士意き士をですね破ったま僕趣味で以後 やることあるんですけどまさかプロの意士 がコンピューターに負けるはずはないって いう風に思ってたんですけどももうそれが 現実起こるような時代がきましたも今 みんな皆さんAIのお世話になってると 思うんですけどもあのそういうがこれも すごいことが起こったなっていうのを思っ
てますでま何が言いたいかって言とも特に 学生さん方見たんですかえっと僕は学んで 45年前に遺伝子のことすらろ分かって なかったのにもう今僕退職する頃にはもう 隅々まで分かってるっていうかもうその 例えば僕が大学院生だったこに例えば1年 とか2年かかってやってるこ今だって1 週間ぐらいできちゃうような時代になっ ちゃってるわけですよねそういう風にま大 変化起きてるっていうのを理解して いただきたいなという思い ますでこれ えっとですねこれ何かって言うとこれ あのはいあの多分1995年だと思うん ですけどもまの筑波大学同僚だったですね 深み先生っていうのがえっとアメリカの えっと3号にある総研究に留学してる時 そこに学会のついでで行ったことがあるん ですけど も深水君が深水君て言っちゃけ深水大先生 なんですけど今あのえっと中山さんここで 写真撮って帰った方がいいで記念写撮った 帰った方がいいですよって言われて撮って 帰ってきたのはこのatg社のベンツなん ですけどクリックのベンツなんですでこれ あの時々講義でも出すんですけどこれ出す と別に僕は選だけどおて学生に尊敬して もらるって別に僕は何も偉くはないんです けどはいそういうのがあります はいです ねそれでまえっとまここで大事なのゲノム プロジェクト分かったことっていうのは ですねま要するに2000とか2003年 ぐらいだと思うんですけど私たちの体を 構成する部品の設計図が分かったわけ ですでもま実言うと部品設計図分かったと してもあの部品の組分からないし品の動き 方も分かりますま例えば自動車だったら タイヤとかハンドルが何するもんかパッと 見て分かるけどちっちゃなネジが何する もんなんか誰も分からないと思うんです けどもま要するに設計図はあるんだけど その機能が分からないってのがまいっぱい あったっていう状況だと思いますでまたま 今最近僕も遺伝病の研究やってますけども 私たちの体が異常になってま病気が起こる んですけどまそれって結局部品の異常 だっっていう風に考えることはできてます ま部品っていうとま重た遺伝してそれから タパ質とか細胞とか期間が異常になってま 病気になりますでまあの僕の研究もですね まこの当時から当たりからですねタパ質の 制裁遺伝子のクローニングっていう研究 からタパ質の機能に関する研究にまシフト していったってのがま実情になりますだ
からま新しいものを取ってくるっていのは もうないんで要するにその設計図なるもの はなんか興味会も見つけてきてそれでその 機能を調べるっていう研究に変わっていっ たと思い ますでこれがまた1個天気になるこれ 2001年の7月のゴードンカンファレン スって言った時なんですけどこのえっと この文消層の研究のゴードカレスなんです けどもまここにまえっと昔懐かしい メンバーも結構いるんですけども例えば ここにあのノーベルシマランシェックマン ですねまEライフの研究っていう雑誌の 創設者ですねそれからでまあと要するに ここで大事なこの保安ボニフシに乗ってま 当時からggsギアの研究とかあと他の クラスに研究でコンペティターだったん ですけどこの人のえっとこのゴードン カウス講演聞いたのがまたその セレンデピティだったんです ねで何この不安ボニファシートっていうの が何を話したかっていうと実とまあの次の スライド出てくるんですけどえっと僕と そこから当時公園行っていうとこおられた ですね若槻創一先生とですそのギガの戦 決勝構造解析やったんですでところがその 安に欲しいのが公園で聞いたあれこれ僕が 見たのとほぼ同じ構造だよなっていうのを 公演で話してましたでよくなんか例えで 心臓が飛び出る思いみたいなっていう話さ れると思うんですけど僕この時にその ホンボシの公演を聞いて初めて自分の心臓 の行動鼓動が聞こえたんですねなんか ドクンドクンドクンてえこれやばいこと じゃんという感じで思ったわかりますで この保安ニそのごな聞いたらこれも論文 投稿したのかって言ったらいやこれから 姉ちゃんに投稿するとこって言ったんです ねえと思ってでどうしたかかて言うとま その当時もちろん携帯とかインターネット とかEメールみたいもないんで何をし たかって言とそのニューハンプシャーから ですねこの若槻先生つばにある公園機構の 若生国際電話かけましたすぐに論文書き 始めてくださいって言ってでそれがま結局 えっとニボシがえっとスライド出したのと ほぼ同じ構造がこれなんですけどもまその ギガっていうタパがまま実とその あのですねあのまあのそのクリン産事隊の シマッタの細胞出領域を認識する気候なん ですけどま構造で解けたっていうデータな んですけどまこれをま若先生と一緒にやっ てましたでこれも若槻先生と一瞬研究した むっちゃラッキーだったまこれはですね あの若月先生多分その1年前にですねあの
オソ大学から公園行にえっと日本に帰って 来られたんですその時にま小位相に興味が あるってことで僕のいつイ建制若建制が来 られてなんか共同構造で共同研究すること ないですかって言われてでまちょうど高津 君がやてたえっとギガのま構造研究って とって面白いですかやりませんかって言っ たらまやることになりましたでやってたら そのまもうこの構図が大体解けてた時に そのさっき言ったゴードンカンファレンス でボニファシーノの発表を聞いて国際電話 したっていう状況です で何をしたかここに書いてあるんですけど そのえっとゴドガスでほぼ同じ話をまボニ ファシのしたんですけどでこの発表聞き なが本当人生大事自分の心臓の鼓動が 聞こえたってはいでそれで若槻そ先生にニ ハプ者から国際電話すぐに論文投稿の準備 を始めてもらうっていうで最終的に 2002年の姉ちゃんの同一号にバト バックでこのえっと載せることができ たっていうのがあり ますでまここでま若月先生も構造の先生な んで当時日本でえっと会議えっとJSTか があったタパ3000プロジェクトってに 混ぜてもらいましたで多分この若先生の このタパ3000プロジェクト混ぜて もらったっていうのがま実はその時に えっと川崎俊先生とかそれから加藤弘明 先生もまそのプロジェクトに張ったんです けどそれがまた僕にとってとてもえっとま なんていいか人生の天気だったってことに なりますで要するにまずはえっとこのギガ の構造の研究を若槻先生とやっていなけれ ば今僕は多分ここにいないと思いますで そのタパ3000プロジェクトにえっと 川崎都がいらっしゃったっていうのをま えっといなければ僕もここにいなかった 可能性でこの姉ちゃんの論文が出てい なければ川崎俊先生に僕を見つけてもらう こともできなかったんじゃないのかなって いう風に感じてありますはいまということ でまこの論文がたことによってですねま あの1つ自分の研究人生の天気が訪れ たっていう風に考え ますでその後2002年にですねえっと 15年間に金沢あ筑波大学を出て金沢大学 学部に拾っていただきましたでその時学部 長はま辻先生って薬剤の運で超有名な先生 なんですけどま辻先生に拾っていただい たっていう感じですねでその時のこう メンバーまこんな感じで こんな本当にえっと研究室0から立ち上げ てですねあの掃除実験室の掃除をする ところから始めてゴミを捨てるところから
初めてやっていましたていう感じですで こんな感じでやってたんですでまあの辻 先生お酒とかむっちゃ好きでその体の街に いっつも連れてってもらってこう西の茶屋 とか東の茶屋とかそういったとこにも結構 連れていただきましたで倉庫してるうちに これ多分金沢に不妊してまだ1年も経た ないですね2003年多分1月か2月かな んですかねあのちょうど研究室でセミナー やってましまこのメンバーでセミナーを やってたんですけどもまセミナーって言っ ても人少ないんでま普通の研究室にあるえ テーブルの上でこうセミナーシート配って セミナーしてたんですそこに川崎先生から 電話勝ってきたんですねでまあの川崎先生 覚えてらっしゃるないかもしんないんです けども はい僕はよく覚えてるし多分審さんも絶対 覚えてると思うんですけどもあのそのセミ やってる電話かって電話取って えっとそしたらなんか川崎先生がその市川 先生の公認人事に応募しなさいっていう 電話だったんですねでんま実言うと僕その 電話勝って1週間前に金沢で打を立てれる ために土地の手金100万円払ってたん ですけどそれがパーになっちゃったんです けどもはいはいあのでその電話が勝ってき た後まチさんとかこの中村先生とかえっと 加藤君とかまさんとかそういった後でも 相談してどうしようていう感じででま とりあえず辻先生その日おられなかったん です日出張から戻ってきた時にま辻先生と 相談しましたでもうつ先生のえっと本当に 言葉今でも覚えてるんですけど辻先生は 学部長としてはそのすのは絶対ダメですと でも君はもしかして10年後にそれ応募し なかったら後悔するかもしんないから やっぱり応募した方がいい個人的には思 うっていう感じで言われてまあ応募するの をま許可してもらったっていう感じになり ますまそれでまこの辻先生にまそう言って いただいたんでま今の僕があるのかなその 前に川崎先生からの電話がなければその タパ3000プロジクト入ってなければな と言えばギガの研究しなからゴドカス言っ てなければ今の僕はないかもしれないって いうそういう状況なわけですねはいま本当 にまチャンスフェイバー何をフェイバーし てくれたかわかんない本当いろんな偶然が 重なってるんだなって後から考えてみと よく分かります でまえっとこれ小素の研究ま10何年 ぐらいずっとやったんですけどこれだけ たくさんのの分出ま実際この1番下の辺は これつばでやってたやつなんですけどで
やってたえっと最初の頃なんですけどそれ からしばらくをやってなくってフリンの 000さんのま論文のあたりからいっぱい やるようになってま兄弟に移ってからも これだけたくさんのま論文を出すことが できたっていう状況にあります はいはいまこんな感じです ねでこれここから兄弟に移って感じです けどちょっとこれえっと写真の画質が あんまいいのがなくってあれなんですけど も多分着にして次の年に徳島に研究するこ 行って風橋とか大塚美術館とかそういった ところに行ってきたですねあの杉本先生と かえっと田中先生もこの辺にいるしまあの 難しい懐かしいベは結構いルタ君とかい ますねここにねあと古賀君とかまだ新幹線 たどりついてるかどうかわかんないですが ま色々いっぱいいます はいでこれはそれから3年ぐらいですね あの研究して毎年あのバーベキューに行っ てるんですけどこれブルーメのかっていう とこに行った時です ねそれからこれがえっと大森キャンプ場 ってのはしょっちゅうイの駅の バーベキューで行くんですけどまその時の メンバーですま今日もこの中にいる人結構 あここに来てらっしゃる方結構こに写真 映ってる方ると思い ますでからこれは2011年これは大三 高島に行った時ですねはいまこんな感じで えっと毎年こうな7月なるとバーベキュー 市にどっかに行ってたっていう時代があり まし たでちょっとじゃ研究なしものとですねで これがあのこれはま実言とその高橋戦さん 筑波で僕のところで学用取ったんですその 後兄弟に行ってですねでえっと ま実あの月田先生って有名な先生のところ で研究やってらっしゃったんですけども あの月田先生が急に亡くなられたんで僕の ところに来ることになってやった仕事で するとこれえっと僕が兄弟に戻ってきて から消層の研究で1番引用されてる論文に なりますけどもラブイレブンていうま えっとGPSがエンドソームのがですね こうリサイクリングして最終的に放出さ れる気候のとこに自由だっていうことを 言った論文になりますまこれ実際えっと崎 先生ところの部屋にあるえっと前半借健光 権微鏡っていうやつでこう取ったやつなん ですけどこのポチポチって見えてるところ でえっと商法が開口放出されるってなって ラブイレをノクノックダウンすると全く その開口放出が起こらないっていうのま 示した論文になりますこれまえっと1番
えっと兄弟に戻ってから消素の研究で1番 引用されてる論文になります はいでこれはあのまえっと加藤あのその 今日まだ来てないかもしんないですけど 仰木さんとかがやってくれたでこれR6 っていうのがですねえっとま少数だけなく て細胞の分細胞質分裂の特に重要だって 言った論文になりますからこれ高津君とか 加藤君がですね えっとあと和久先生もえっと強調者になっ てるんですけどもあのエンド総務諸がです ねこう細胞分裂の時にこう中心体とこに 集まってくるっていうのはいったろ ますまこんな感じでまこういう消思想だけ じゃなくて消層といろんな細胞機能の関連 の研究したってことになり ますでまこのこの強大不妊してからとま この辺りの論文が出たっていうことなり ますでま最後がこ花井さの2016年の 論文になるこの辺りまでずっと消輸送の 研究と次にあす専門内タンパク質の研究を 並行してやってたっていう事態がありまし たでまこれがえっとちょうど小層から専門 内担保士に加の頃の研究室のメンバーに なりますこれはあのパンダの頭にかぶっ てるやつですねでなんでえっと専門ない タパに興味持ったかていうと実専門内の タパ質にもアフとかラブのファミリーの 定文gtpsが重要だっての分かったん ですけどどういう明しとか全然分かって なかったんですねまでまそ専門でのま えっとアフトカラブのえと役割を調べ るっていうことでま研究数のテーマの本の 一部としてまずはその研究テーマを開始し たっていう状況があり ますまで実言うと専門ってその2000年 になる頃もあれはあんまりなんか付属期間 みたいな感じで何やってるかわかんないっ て言われたんですけど2000年代になっ てからですねまこの専門が異常になって 病気になるとか分かって例えばあとは専門 が異常になると体の非小性ですね例えば 心臓本当は左なの右にできるとかも心臓が あ専門がおかしいためっていうのは分かっ てきたんでまそれですごく注目され出し まし たでま専門って言っても皆さんあんまり ファミリアじゃないかもしんないですけど 例えば今この世道を見てらっしゃる目の モマの細胞ってのはこれ専門が変形した もんですし僕の声を聞いてらっしゃる内人 の中にいるえっと有毛細胞っていうの1番 右端にあるこの動毛っていうやつもこれは 専門ですでからえっと急場費細胞による 専門には匂いの需要体がありますしま神経
細胞にも専もはありますまこんな感じで とても重要な機能を果たしてい ますでま専門病っていう病気があって本当 にまいろんな症状があるんですけどもま 例えば脳方陣っていうのが1番多いですね それから多子症それからえさっき言った 内蔵逆位とかですね網膜色素性とかま えっとま精子の弁もも専門なんでまこれ風 になったりとまそういったありとあらゆる まいろんな症状が出るっていうのが専門病 の特徴ですでまこの専門病っていうの興に 持ってま今ではま専門病の発症メカニズム とかの研究をやってるんですけどまあの こういったのがどうやってそのためにまず 専門内のタパ質を研究しようてことでやっ てい ますでま本当にまえっと専門病っては いろんな えっといろんな症候群ってわるもんがあり ますでこの専門内ではこのいんタパ質が 輸送されてるんですけどこれは専門内タパ 質輸送装置ってのでやられていますとで それによってま特定のgpcrだけが えっと専門内に局在することができますで 私た特に注目してヘシグナ伝達で関与する GPR161とスムースっていうまえっと gpcrになり ますででもこのらの重要隊がなぜ専門選ば れた重隊がなぜ専門内に運ばもらのかって のは分かっていませんでしたでまこれ えっと平野君てのは撮ってくれたえっとず 昔のタイムラまこんな感じでえっと専門を こうえっとえっと装置専門内担保礎装置が 行ったり来たりして運んでいるわけ ですで1番最終今持ったのはこのBBソ ムってやつなんですけどもえっとここに やってえっと8つのサイトがなっててこの バルデビスによってコドされてるんでま BBソムって言うんですけどこれの機能 ですでまこれ実と2年間ぐらい結局ずっと うまくいかなかったこのBBソムっての どうやって構築されてるのかてま色々 タンパ質科学的に調べようとしてたんです けどなかなかうまくいきませんでしたで 最初例えば大腸金にいろんなサブユニット 発言させてやって生成しようとしたんです けどBBソムのサットふなことに全部が 体調金不要性で生成することは1個もでき ませんでしたそれからま当時えっと単発 乾燥誤調べる方法で工房の2ハイブリ システムってよくやってまうちの研究昔 からやってたんですけどもそれでもですね フォルスポジティブってのはしちでですね 結局中がその総合をこううまく検出でき なかったでまこの当時研究室いた皆さんに
はちょっと本当迷惑かけたんですけど なかなかうまくいかないっていう時代が ありましたでまあ2年間あったんですけど ま人間万事最まじゃないですけどもまこ これがまいかなかったんで研究の新しい 展開で生まれたっていうのはま実際 ですでそれがですねまこれも加藤君が考え てくれたんですけどもえっとGFPとかは ですねすごい有効に使う方法になりますで ままこの中にGFP使って研究したくさん おられると思うんですけどもえっとうちの 研究こうGFPとかあとrfpの使い方 ちょっと普通とは違う方法で使って研究を 展開しましたあの学生さんに行くとこの じいさん誰か知ってるって言うとほぼ誰も 分からないんです けどはいもうそういう人になっちゃったん だなと思ってでもみんなお世話になってる のになっていうのが実際だと思うんです けど はいはいでこのえっと私たちはこのまで 全くことの発想でgprfを利用しようと しました で1つはですねさっきあのBBソムのサブ ユニットって大腸金で不要請だしえっと 好物ビシステム全然うまくいかないってた んですけどま哺乳動物細胞の哺乳類細胞に 発言されるとちゃんと普通に発言させて 発言するってことは分かり解性で発言 するっと分かりますじゃこれを使おうって いうことになったんですけどもえっと何を したかっていうとえっと大腸筋とか イーストを使うあるいはインビトルでやる んじゃなくて細胞の中でタンパ質感総合性 を調べようって いうで例えばこのBBソサインて8つある んですけどこれをそれぞれGFPタグとあ rfpタグでこう全部発言ベクターを作っ て例えばそれぞれの組み合わせ例えば BBS1がGFPでBBS2はえっと rfpタグなをこう組み合わせで全部で 多分8下8なんで64通り組み合わせこの 全部の組み合わせでとりあえずえっとH 293っていう動物細胞に発言させして おりまし たでその後がえっとこれ加藤君が考えて くれたみそなんですけどもえっと普通ま あのこのこのGFP融合タパスとrfp 融合タパス発言させていったとですね普通 は例えば火化しててそでま例えば交代を 使って免疫進行をやってですねそれで普通 SDSページとか流してやってまタパ質が 2つのタパ相合採用するか見るんじゃなん ですけどもこのえっと加藤君がま考えて くれたVIPアって言われる方法はですね
まちょっと違っていて要するにこのGFP 融合タパXとRP融合タパIがもし総合 作用するんだったら別に電気経度しなくて も顕微鏡で見ればもし総合作用があれば えっとGFの交代で落せば総合作がある RP5タパも一緒に免疫進行してくる だろう一方総合作がなければ緑GFPの 交代で免疫進行してればRPのタパ質は 落ちてこないんで顕微とは赤く光らない こういう方法でマことができましたでこれ が本当に味そでこれによってスループとが 非常に上がったわけです ね大事なのはえっと普通のなんかタンパク さ総合者でやるようなSDFペジとか ウェスタンブロッティングをやる必要がな いっていうことですでま実際この論文はま ジのセルサインスっての表診査をして もらったんですけどもこのいいところはま 普通ウエスタンブラッドとやる時はまゲル 板を組み立てることから始まってすごい いっぱい作業あるんですけどVIPアの 場合はBSを見て写真を取るあと片付して 終わりっていうそこが味そでこのステップ これのステップがないっていうのはとても 良くてそれによって実験のまえっと速度が 大幅に上がったし例えば88の64通り 総合性は見るなんて普通大変でやらないん ですけどもこれが簡単にできるようになっ たってのがあり ますで実際どういっことったかっていうと ま工房ブリシステムだとフォルス ポジティブがフォールスネガティブ いっぱいあったんですけどもえっとVIア でやるとこの対角醒に沿ってちょうど象に なるってことは赤と緑の組み合わせを逆に してやっても同じ総互さを見れて るっていうことなんで多分確かだってこと になり ますま実際にはその後まえっと普通に電 傾度してやってウエスタンボロッティに やるとこの赤で引っかかってるところで ちゃんとバンドが出てくるんで確実に総合 性を見てるんだっていうことが分かりまし たもちろん最近のは全てこのVIPアス だけ面でちゃんとウエスタン ブロッティングとあってこういう総合性を 確認してるっていう状況にありますけども まとりあえずスクリーニングの方法として はこうまず勘弁に迅速に見れ るっていうのはこの圧法のとてももいい ところでこれによって研究のまあの速度が 大幅に上がったっていうのありますでま 実際にはこのBBの構造っていうのをま このVIPSを使ってですね決めたのは これなんですけどそれ以前の構造はなんか
適当に団子あのなんかこう繋げたみたいな 感じだったんですそれがもうちょっとこう えっとこう精度になったっていう感じでま 今ではも大まかにですねこのクライ電験 なんかの手法でこのBB口座す正しいって のは証明されてい ます でこれがやっぱえっと小位層から専門内層 の加機のこでこれ岡山行った時の大原美術 館の前の中あの水路みたいなとこで取った やつです ねでえっとその後えっと16サミニトから なってifb複合体っていうのをま研究し ましたで16か16なんで256通りなん ですけどまこれもちゃんと別にできました 普通正学の研究でこれやんないんですけど もまこれでかつ例えばこういうところで 対象で光ってるっていうの見つけられた わけですねまこれ確実に総合さしてる だろってのは分かりまし たでまそれで最終的この決めたFB複の 複雑な構図がまこんな感じになり ますでまこれはえっともう完全に専門ない タンパク質にったこれま審さはまえっと まと独立してそのえっとえっと支出 フリッパーズの研究を展開したところに なります ねでこれもそうです ねでま最終的にまこうえっと8つぐらいの 論文でどうなったかていういろんなその 複合体の複合体感同士の総合作用とかもま 決めることができましてこんな感じで論文 しましたで最終的にまこれらの論文を求め た方がま私と加君の創設でま出て るっていう感じになり ますでもう一度同じ えっとえっとスライド出すんですけどま こんな感じででですね あのどう言ったかなそのゲノムの配列が 全部分かってから機能とかの研究にま移っ ていったってことになりますでもう1個だ から重要なこ201年のクリスパーキャス 内のま学率ですねま実そのまたこれも加藤 君がま工夫してくれてうちでまあのえっと 勘弁にえっとクリスパーキャスナイム シストができるような項を改良してくれ ましたまそれによってですねまえっと クリスパーキャス発表されたの2012年 とか133年の頃ですか2015年頃には ですねまうちの研究室独自に改良してです ねまあの研究室入ってきた即牽制でもま1 年ぐらいあればまあ大体みんなちゃんと できるになって1ヶ月ぐらいでノッカー 細部を作れるようになったっていうのでま 研究のスループットが上がったってうに
なり ますまそれでですねまこのIFA複合隊 っていうのま研究やったんですけども えっとま簡単にしかないですけど普通の こうえっと専門なタパ質装置の動きはこう なるんですけども例えばえっとFTAの サインのこれとかこれをノックアウト クリスパーキャスにノックアウトしてると こう全く動かないってのが分かりますで これなんかもそうなんですけど全くこの 輸送装置が動かないて分かってあこれで こういったことあの異常が起こるんだって のは分かりまし たでこれが多分2019なんでコロナ以前 で最後に残ってる写真じゃないのかなと 思うんですがまその頃ですねでまこの辺り からあの僕加費の基盤Aっていうの当って その時に書いてたこれあのことなんです けどもえっとそのただ単にタパ質の総合作 の研究じゃなくてその専門病で見る いろんな変異とそれの症状との関連をです ねえっと例えば遺伝子のレベルではどう いう変異があるかわかっててその患者さの レベルで個体の表現系ってあるんですけど その間タパ機三相作用の異常とかですね 細胞レベルの異常っていうのはちゃんと 分かってなかったんでえっとこれ家憲費の 申請計画長者に書いてますけどこの間を 研究を僕らやってこのブラックボックスを 読ますすっていうそういう感じでま研究 提案をしていましたまこんな感じでまえ5 年間ぐらいえっと実と今年で1ぱえっと この研究もらえてるんですけどもまそれで 研究することができましたまそれによって ま今えっと結構まいくつかの今少なくと 六法この専門病の遺伝子型の変異とそれ から細胞レブでどんな異常がきるかって いう関連の論文発表できてま今またえっと 論文を投稿しようとしてところですねま そんな感じでまその一応検費の計画長所に 帰ってやるようなことを今展開できてるの かなっていう風に思いますま元々僕薬学部 の出身ですけどもえっと薬とか病気とか あまり関係ある研究できてなかったんです けど最近はちゃんとできてるっていうのが ま実情 ですでまこの専門関連論文もですね最初に この加藤君がこのVIPの論文を発表し てくのは1995年ですけどそこからま えっと結構な頻度でまこう論文発表発表 できてますでま最近はその専門病関連のま 論文も結構発表できてるっていう感じに なりますでまそれはやっぱこのVI安生と それから改良型のクリスパーキャス9って いうのがあってあともう1個はまだ
あんまり使ってないですけどえっと今学生 さんやってくれ防長顕微教法と使ってこれ もえっと表紙に採用されたんですけども 普通の顕微鏡でこう超改造並みの えっと画像を取ることができ るっていうこと ですでまこれがえっとコロナの間ほぼ写真 がないんで2022年まで飛ぶんですけど まこんな感じでまえっと1年前の今のM2 とかの学生さんもいるような頃ですねなり ますでもほぼ最後になったんですけども えっとま僕はその研究もやってたんです けどももう1個えっと第一な仕事やってて まこれは実言うとあのま研究というかこの やっぱここに僕の指導した学生さんの博の これ筑波時代の学生さんの頃から兄弟時代 のもがずっとあるんですけどやっぱ僕の宝 ものじゃないのかなっていう思ってます それからこれは川崎特選から引き継いたん ですけど霊人者の生科学の新正科学の編集 の仕事をもうに彼これ20年近く携わらせ ていただいたっていう状況ですまあとは あとそれ以外にプロッパーの細胞性ま こんな感じでてしててまもこれによって ですねま人の文章をこう直したりとかそ いろんなで文章力って結構ついたのなって いう風に思ってい ます でもう最後かなあもう一度同じが出てです けどまこの中に学生さんも結構 いらっしゃるんですけどもあの僕言いたい のはあのまここに書いてあるんですけど僕 は大学で405年前に遺伝子とこと何も 分かってなかったもう2000年にはほぼ 全部分かっちゃったわけですよねでIPS 細胞みたいなのも出てきたし クリスパーキャス9も出てきたしAIも出 てきたしてのあり ますすにもう学生時だから全く想像でき ないよのがいっぱい出てきてるわけですね でだから1つ言いたいのは多分ま学生さん 大学なってることあるんですけどそれ 覚えるだけじゃ意味がなくって覚えてる ことはもう10年後とか20年後には古く てつ役に立たないことになる可能性があ るっていうことなんでで今結局学生さんに やって欲しいことは今分かってる知識と 技術で何ができるかを自分で考えて研究と かして欲しいなってのでそれを考える トレーニングを進むことによってま10年 後とか20後の新しい技術が出てきてそれ をどうやって自分のなんか取り入れるか っていうのがま決めることできるけども人 から言われたことしかやってなければ多分 新しいもの出て全く対応できないと思うん
ですねそういったことを考えてま研究とか やってほしいなっていう風に思い ますそれからもう1個ですね僕にとって 重大事件があったのこの2020年問題 っていうわけないんですけどあのさっき 竹本先生の挨拶にあったんですけど 2020年の3月に日本薬学会の140 年会っていうのこの京都国際会でいる予定 だったんですけどそれがちょうど2020 年の2月ぐらいにコロナが入り出して 中止に追い込まれましたでこのその時役 学会の回答だった高倉先生実行委員長だっ 僕と2人どうしようどうしようってずっと 言っててえっとですね3月の27日から これ開催にれて2月の20日だったと思う その日に中支を決定しましたなんでかって 言うとえっと1ヶ月前まで中止をすると えっと京都国際会館のキャンセル量半額で いいでそれを過ぎると全額払わないといけ ないという状況がで実は1ヶ月前に中小 決めたんですその時でも僕その中小決めた 時点では22万円かなんか借金を背負って できないなっと思ってとんでもないこと僕 人生終わったかもしんないと本当思ったん ですけど最終的に一応えっと京都国際会館 国際え国立京都国際会ついて国立じゃなく て第3セクターなんですけど一応第3 セクターで国から言われてなんか全部全額 えっとキャンセルなしでただにしてもらえ たんであの僕の人われまし たでも大事なのはこれ本当の大問題天から 降ってくるんです本当にこんなも誰も予想 するはずないんだけどもでもそれ対応し ないといでこういう時って大事なのは正解 があるわけじゃない誰も経験したことない んででもなんとか対応しないといけないで その時にま最善の作あるかもしれないけど 最善なくても2番目にま良い作とか3番目 に良い作でもまんとかこう納め るっていうこと大事だっっての理解しまし たまその当時2000万の借金をせって 行くのが最善ではないて絶対分かっておい たんですけどまでもま最終的にま最善に なったかもしんないんですけどまあの高倉 先生と一緒にその重心の判断した間違って いなかったなっていうこの3月にいっぱい 学会あるんですけどそん中で1番最初に 中小決定したのこの日本薬学会でしたはい まそんな感じま中止っていうか実際にはま 市場開催っていう形になったんですけどま この時本当問題解決能力の重要性ってのは ま感じまし たはいだからもう一度言いたいのは本当 問題ってのは新たに10年後とか20年 降ってくるかもしんないんで学生さん言い
たいのは今分かってること学べなくなくて 分かってることを元にして何ができる トレンして考える習慣をつけときましょう それがま自分の10年後20回のま勝手に なるんじゃないのかなっていうのが私から のメッセージになり ますでまこれが最後のスライドなんです けどまた1980年に戻るんですけどま これがえっと僕のえっと研究者としての 原点になりますまここに川先生それから 八波さんですね小淵さんとか八波さん小淵 さんとかいるしあと高橋さんとかいいます けどあと同級生大中君伊藤君安倍さん小島 さん山本さんっていたんですけどもあのま この頃楽しくやりながらやっていたんです けどもま実際僕こんな頃にまさか自分が人 をしめになると思わないしまさかここ入学 したと同じ場所でなんかこういう講演を するなんて思いもよらなかったんですけど もまそれがなんでかしんないけど今こう いうあの皆さんの前で最終講義をできる ような立場になったっていうのは本当に なんか自分にとって幸せな人生だったん じゃないのかなってま充実した人生だった んじゃないのかなっていうですでま途中も 行ったんですけど田からボムもうちょっと ルパスに癒せるとチャンスフェイバーズザ プリペアードmindまそれ後から 振り返ってみるとそういうのがいくつも あったんだなってのは僕本当よく分かり ましたはいでままその今の僕があるのも まああの我が家の家族のおかげでもあり ますしそれから筑波台と金沢大時代のうち の研究室の皆さんのおかげですしま兄弟 薬学とか薬学研究からの皆さんそれからま 旧衛生科学教室それから生体上正学運野の 皆さんのま長らくのまご支援ご協力の おかげだと思いますまここに熱く音で 申し上げますどうもご清聴ありがとう ございまし た H