ヒロスケの長崎歴史さんぽ 第16回 片淵と長崎大学

[音楽] さて今 ね通ってますけどもちょうど 向こう側ちょうどあの谷合が以前ご紹介し た梅屋敷ああ梅屋敷うん左側の山がつ原ぼ とかねはいでもっと左行けば西山神社って なりますはいあの辺りはいわゆる別荘地帯 別荘地帯いろんな中国のお坊さんたちの 別荘がりなんかしますけどまそういう西山 っていうエリアになりますはいまそして 真ん中田んぼがこう広がってたわけですよ はいでそれに相たしてやっぱ片口も やっぱり別荘地帯で思いましたあ片口も 別荘地帯うん おお やっぱこう畑をねもうボチのように畑を 取り囲むようなこの周辺部はなかなか 落ち着きがある地域だったんだと思います ねはい1つ有名なところをご紹介し ましょうなかなかこのあたり も来ないですもんね普段暮らして たらその普段暮らしてたらなかなか来な いっていうのがやっぱりポイントですよ はい いや本当だから雑とから離れた地域って ことですよねうーんでもこの細さがまた 面白いです ねそういうところの今も残ってるっていう ところにポイントだと思いますけどねああ なるほど さてこっから夫婦側なのでああこっちか別 のストーリーになるので今日はこっちの ストーリーをお話します ねね長崎のねあの役のうにこうがあって はいもうおそらく今の海道あたりはこう 海岸ですよはいま埋め立てられたかもしれ ないけどまただから街中があっちですはい こった田んぼはバーっと広大な田んぼが 広がってるわけですよはいだからもう貿易 とかなんかで活躍した人た向こうの方でね 賑わってそんなま材をなしたりなんかする わけですからはいはいもう息子の台に譲る しもう落ち着いてゆっくりしようかって人 たちがはい西山とかはい片口に居軍団が居 軍団がそういう場所がこの片口っていう ところでなんかいいでしょ雰囲気が おそらくもう田んぼがこう広がってると 思ってくださいね田んぼが広がってる中で はいま色々頑張ってたけどもうちょっと 今度も模とかね商売とかいう話よりも ちょっと自分のねこの共用をね今度は高め ていこうっていうま感じでしょうねああだ からここの田んぼを見ながら今度は自分の 心 そうかなとはいそういう金持ちさんがこの

辺りに住まれるということになります ははあそれがま西山もしかり片口もしかり うんでその有名な方が貿易証人のあの何て 書いてガさガさと言いましてがさ何と書い てがさが長身さんがここに別荘を立てまし たはうわこれはわき屋ねですかうん長崎で 今一現存してわ屋根の建物ですけどこれ すごいですねうここに別荘を作ったと言わ れてましてそこの別荘の名前を神殿が心を 耕し ますそしてちょっとねあのま晩年を ゆっっくり過ごそうじゃないかということ になっていくんでしょうけれどもねはあ 本当書いてある東通なんか外みたいな外 ですねが超さんが片口に建設した別荘うん 当時のままここままですねもちろん あの笑はたまに定期的に交換してますけど ももうこの形状なんかに庭園もそのまま 今日は今ねしまってますけどもあのここ 公開の時は是非眺めてもらって昔のままの 風景が [音楽] はあ [音楽] ああでに長やなあのもう個人所有ってこと でしばらく個人の方がしてたんですけど 近年長崎市野に変わりましたはいへえ石の 階段の雰囲気そしてさっき言いました川 さんでいたこの石垣 石垣300年400年前の石垣が今も残っ ております はあこのなんかきちんと整頓されてない この石でもきちんとしたうん壁にきちんと なってる感じこの同じ石が2個ないって いうとがっいいですねそうですあ同じ石が 2個ないからですよねうんやっぱり今は やっぱりきちんと同じねやっぱり合理化 っていうかね経済的にそっちの方があの 材料も入りやすいし積み合わせ誰でも詰め ますけどこれはそんな誰でも詰めるもん じゃないのでねはい結果上を綺麗に合わせ ていく感じね隙間を同じその意をこれは 面白いですねですねこうやって残ってそう やりならこの角度もね綺麗でいいですよね こ直角よねはあこの片口っていうのはどう やってこうやって上に積み重ねていくん ですかねその技術はねいろんな石を並べて おあれ持ってこい今度あれって言いながら こうみ目でいくんでしょうねでしょうね なんかこの隙間に予石なかったかなみたい なうんうん石を知ってるんでしょああ うんはあねこの片で江戸時代のねその優雅 さというか豪華さをねこの仕もそうですよ 感じてもらえたらと思いますが片口はね この後目苦しく発達発展する場所でござい

まして片口がはい今から今江戸時代の話 ですけどもこれから先ははいまた明治の 時代に入っていきます はいさあ今片 の寝台町から上がった道を待ってますま この辺りに合わせた道ですからクネクネし てますよねはい最近ね少しあの道路拡張で 道が広くなってますが広くなったとしても クネクネしてますはいこの辺が昔の雰囲気 はちょっと残ってますかね昔大回りしてた んですけど少しショートカットしてます 本来道はねこくねくねするわけですよ地形 に合わせてますからはいはいじゃあそう いうのを踏まえてはいくねくねくねくねし ているんだけどだけどこの道どうですか この道行ったことがない私が行く道あら これはそんなにくねくねしてないですねま ある意味一直線ですねそうですねうん一 直線にしなければならない理由がござい ましておおうん多分上地図で上から見ると クレクレしてる中に1本だけバ真横にプ シャっと走ってるですはいそして大変価値 のあるところがこの橋はい名前なんで書い てますかえ水道橋はい水道橋このの名前は うんこれは シこれも橋てわからんしねこれ引っ張る ために作った橋なんですねああ本当はラカ が2つあったんだと思いますけどもああ そうですよねこれ珍しいんじゃないですか 片方しかないってこいやこの川がここに あるだけであって川の上に蓋をかけて ちゃったからランカ取られちゃってるだけ で本当はこっちも欲しかったですねこれ 大変あのまず橋の構造としてはま普通の テキコンクリートのコンクリート鏡です けどこのラカの装飾が大変うい はい大変手のんだ本当ですねうんこれはも 文化的にも技術的にも大変価値のあるはあ 難関ですね当明治対象時代のこの雰囲気と いうんですかね当時のこういう石者の糸が よく伝わってくると思いますなかなか科学 的なああねこれなんか別に入れなくても別 に問題ないのこれやっぱデザインで デザインですよだからこうおしゃれなん ですねこれなんかな感じでうんそこのね見 てる人も冷たさがはい伝わらない少し 温かみをね丸みが入れるとこで温かみ そしてちょっと高級感も出てくるという この橋なんですま水道橋ですよるはいま あの明治のあの中頃に長崎ではこれらが 大流行してそしていやこれはね井水を みんな飲んでたら病気になるんだよだから 水道が必要だよってことで前か俊行さんで はいああかさんか さん西山といえば金井さん金井さんのうん

屋敷の跡があったり井があったりとお話 ましはいあましたかさんのお墓でござい ます崎区長さんだったわけですけど本合 水源地をね作って水道を長崎市内にはいね 完備された方でま最初はだいぶ反対意見が 多かったみたいですねそこに尽力された金 俊行さんですはいはいでま反対運動もあっ たかもしれませんがもちろんま成者もあっ て皆さんに慕われて結果これらとかのね 予防にも繋がっていくので皆さんは助かっ たってことで逆にまたその恩恵よい長崎 市民今も受け継いでいますからはい長崎の まある意味水のみみ水の水神様みたいな もんですけどもね水ま井戸です よはですね水水源が多いので長崎井戸だっ たんですけどもやっぱりあの おいも流れ込んだりなんかする意味では 危険な移動ミの危険なことですよそ外国の 船がどんどん入ってくる病気も入ってくる 蔓延するってこで一気に市内に広がったと いうことですはいなるほどそこに消毒され た綺麗な水が出てくるってこは衛生面で はいはいはいもう画期的なもう成果が現れ ますからだからこの人のおかげで命が 助かった人もおかなったと思いますね なるほどそうですね本当長崎市中の人々の 命を救ったというても過言ではないかです ねねもま水道ひねたら出るのが当たり前 ですけどもいろんなね昔からはいそういう 苦労があるわけですからねたまにそういう 時水道ひねる時ねはいはいあかさんだて思 広助さんレベルになると水道ひねるだけで かさんが出るかさんが出てきたかさ出て こんお話したた水道必要だことで本水源地 ができるんですねはいで本合地水源地が できて本合水源地も1つで足らないから2 つ作るってことで2つ作るんですが2つ 作ると浄水上を作る消毒する施設が作る 場所がないからってことではい西山片口に 浄水施設を作るで浄水施設にその水を持っ ていかなきゃいけないっていうことで長い トンネルとパイプを引っ張ってきました 一直線にだからここの下には一直線に水感 が入ってますなるほどじゃ本合地からここ までトンネルを引っ張ってきてるんですね 結構長くないですか本合地の方からそれは 明治時代に今で言う本合地ではなくえあの 辺からあの本合地だから今もから今も水道 管がこれこういう水道管ですねここ ね本合地から片口まで引っ張ってくる明治 の中頃にもうそういう技これはすごい時間 もかかってるだろうしすごいですねそれが 今ね少し計算が残って ますこれ県外の人はちょっとピンとけ市内 の人じゃなければピンと来ないかもしれ

ませんけども本合地というところからここ までは結構な距離ですよ1回鳴滝で1回上 出てくんですよあうんだけどまた鳴滝から このこの山を超えてきてるんですよはあだ からここにはそのトンネルの 入口トンネルの入口トンネルですねあここ トンネル うん見えるか な見えるかな 面白正面に少しアチが見えてるんですけど ねちょっと待ってください入ったらダメな んでしょうけどここまではいいオッケここ までいこし丸いあっちが見えるかな薄く 丸くなってるのこれかなあ分かります 分かりますああれトンネルな今もいける今 もいけるでもう水道感が走ってる昔は普通 に水が流れさんだと思いますけどねはあ 面白いだからこの反対側はまだ反対側の 自治会の会館があってはいトンネルになっ てますよでまたこんな風にのそになってそ になってますよこれが本当ですかだから これが名人時代に作ったというところから その辺りでやっぱ金井さんが活躍したそう ですよねだ相当なお金がかかったのが事実 ですよね相当ですよねだからこの道は水道 水道道ですよね はあ片口っていうのは江戸時代のねはい 別荘地帯の歴史からそしてこうやって水道 から経済学部という近代のはい近代金星の ねこの歴史まで本当ま重要な拠点なんです ね重ですあの東京の中に水道バして街が あるじゃない駅の名前があるじゃないです かあれここも水道が走ってるからはい水道 を通すから水道の道端だから水道橋です から全く同じ理由は一緒ですここも はあ同じような時代メジの時代なん でしょうね同じうでこれがまっすぐ抜けて はい奥の方にあった当時あったはい浄水上 の方に水が流されていましたってことです ねライフラインですからねやっぱり 今もその恩恵を受けてるわけですねかさん の恩恵をね本当です ね長崎大学経済学部長崎の在海人はいね そういう経済人文化人を育てた場所という ことになります私たちは裏から入っていき たいと思います僕経済学部はですね私も1 回も入ったことないんですよはい今からめ 入りますそれも裏口から入ります裏口裏口 入学をちょっと私がちょっと今してしまい ますあ経済学ですねこんちは こんちは経済学部の長崎大学経済学部の コーナーに入ってきましたまマズもって 本当はね今裏から入ってきました本当は 正面あそこは入口ですよね はいそこからまっすぐ入ってくるて形でま

この辺りに大きい校舎が立ってたんだと 思いますがここに昔のモンピ門中はい門中 が立っており ます長崎高等商業学校と書いてますけどね 高等商業学校はいま光線とかいう言い方も していたそうですけどもまはい商業の専門 学校ですうんはい あの東京とか神戸について3つ目のまこう いう専門の学校が長崎にできてそれだけ 長崎はま文化も経済も歴史もそしてこう いう学も教育も中心だったということなん ですねでそこがま発展していってここには 商業であの浦上の地には医学専門学校で異 好戦て言ってそういういろんな文化人そう いうのをこういう学者はいさんたちのこう ま育てる場所がここに生まれるわけです これが今の経済学部に繋がりますし 向こう側の一線は医学につっていくような 流れになるわけですまそういう学問所今も こうやって残ってますでま当時の重かって 言いますかね今新しい校舎に変わってます けれどもそういう中でいくつか昔のはい はい名残りと言いますかまこの石畳もそう ですよねはいうんなんかこう高級な建物が 立ち並んでいく場所ですし 昔は多分馬車馬なんかがねはいそういう 学者先生なんかがここあの乗って行ってた んだと思いますがなるほどここの建物見て ください競輪会館と言いますこれはね競輪 会館なるほどなんか聞いたことあるなそう です同窓会の名前ですよねあそうそうそう なんかけ同窓会の名前って何て言いますか ね競輪経うんねだからそういうところに今 集まりということで競輪会館という名前に なってますけども昔のま大学生のそういう ま事務所的なもので建てられたんですが この建物のこの価値って言うんですかね今 もう文化財指定されてますけども大変後期 な作りになっておりましておそらく馬車馬 が走ってきてここに車寄せですよはいはい ここにこう馬車が止まってはいドアを開い てはあねそうやって中に入っていくような 車寄せが作られたはい大変立派な建物に なっておりますああこれ中に入れないん ですかこれ今ねちょっと今あの耐震構造の 関係で作られましんけどねあじゃ機能とし ては別の場所にあってこれはも今文化剤と して残って残ってますねもうこういう 車寄せですね石畳みといい作りが違うじゃ ないですかなるほどですもあんな感じの こう装飾といいそうですね言われてみれば 全然うん全部いいしきそうはいいし石作り になってますね窓は変わったとしてもでも こうね丸丸みをカブを作った要素という このああなるほどこういうところに建築と

いうかそういうものがうんここもただ まっすぐした石じゃなくてここにね角を 落としてるとこがおしゃれじゃないですか ねあなるほどそういうそういうところにも なんかその工夫みたいなのがうん出るわけ 離れてみるとチシか昔は暖炉の時代です から 煙突もついてますよ ねあね中で暖炉を炉それで煙突うんな感じ ですね向きがありますねでもこういう中で ねまあの教育を受けるねあのただ単にあの 学問的ものではなくてまこういう意味では 目から共用っていうんですかね文化を吸収 できる大変素晴しい感はいでああで たくさん の財界人ね政治家なんかがここから配置さ れましたねなるほどですねただ教科書をね 学ぶだけじゃなくてこういう場所っていう のも重要なんですよねああやっぱ育くんで いくものがあるんでしょうね ええそしてねちょっと奥の方に行きます昔 ね使っていた倉庫がまだ一見残っており ましてそこもご紹介したいと思いますはい 倉庫 はい見えてまいりましたこのこれはレンガ 作りの建物これも明治の時代に作られた今 も文化剤になっておりまして当時の移行と して残っており ますこれももちろん今使われてないです今 なんか倉庫としては使われてんじゃない ですかねてんですか使物を入れてるんだと 思いますけども倉庫ですねだから昔は こんなたくさんレガ作りの木造があった中 でポツンと立ってたんでしょうけど 今1件だけ残っております はあ何がすごいかっていうのはまレガで 組み立てられてるのはそれは分かるんです けど私がねこのすごいなと思ったのは はいここの引き戸があるところですね なるほど引戸があるっていうところが すごいですねあそしてここれは滑らかに 動いてたんですかね昔は持ちやすいように 綺麗に加工してやるところが私はすごいと 思いますしここの窓のところのま窓枠の上 にこうやってちょっと斜めにねラインを 入れてるところなんかがことなんかこ上は 違うんですね上は丸い合わせてないって いうところがかっこいいじゃないですかあ なるほどこの当これも作者が作者の衣装 って言うんですかねはいそこところが なんか息な息 なデザインっていうかね設計だなと思い ますねああなかなかいい作り方ですよ ね 今もこうやって大切に残されていますこう

いう木々はいつ頃植えられたんですかこれ は戦後ですよあ戦後か あの薄木なんかこれぐらいこれ50年 ぐらいでこれぐらいなりますからえ戦後 ですよしかし広助さんもう僕が勝手に頭に 浮かんで適当に言うことを1個1個よく 答えられます ねそして 経済学部には今3つ文化剤がありまして はいもう1つの文化剤は今の倉庫と競輪 会館ともう1つ忘れてならないものははい 私の好きな土木構造物でございまして目の 前にある石橋です ああれだ メガネ橋ねある中島川の常流にはい忘れて はならないこの美しい橋小橋と言います 小橋 はい美しい橋 ですはあこの橋は確かに古るそうですねね 普通あの中島川のあの橋なんかメガネ橋と 見てみんな太鼓橋じゃないですかはい川に はあ丸い端をかけて人間がこう登ってくる 登って下るんですけどもこれ明治に作られ た橋ですはいもう馬車馬がたくさんあの 通る時代ですから馬が坂を登ることもなく そのまままっすぐこのバイクのようにすっ と一直線に通り抜け渡られるように作られ てるわけですはあ江戸時代は歩きていうの が州ですから太鼓橋丸く登ってもいいです けどもここは車社会に合わせたはい橋石橋 ですだけどこのかかった時代が石橋を川に かける時代の最後なんです よ東の終焉の橋ですこのかけた後から鉄筋 コンクリートの時代に変わるんですへ なるほど確かは寝台区にかかってあった 童門橋もあの石橋と鉄筋のなんか合わせ技 なっますあはこの車時代になったからって ことで壊されていきますけどもこれはそれ をもう見越して作ってますよねはいはあ なるほどだから歩いてる人はこれは橋とは 気づかないで多分通りすぎていくわけです そういうことですよねねでもそういう さあデンのがこうやって見て代が分かる わけね形ねは石橋のラストですか明治で はあで逆に言うと太鼓橋橋あれはなぜま 歩くだっってやっぱりフラットの方が歩き やすいと思うんですけどなぜ丸く上になっ てうんま丸くなってるのはやっぱり川幅と かはいやっぱり あのやっぱデザイン性なもも出てくるんだ と思いますインもあるんですかあの階段と かたくさんあるから別にこう丸くなっても あと地形的な問題もあるんですけもこ やっぱりこっちは交通量が車がメインだ から多分そうだと思いますけどね美しい

形状ですこの数年後にかけられた1つ下に 山下橋なるんですけどもう鉄筋 コンクリートなんですはいへえだからこの この橋と下の端の間がその境い目なんです 橋の はあそれも一応明治なんですかその鉄筋も 最小にかかってんのかな ああ誰もこれ石橋で多分気づいて ない本当です ねそう結構街歩いてても橋と気づかない橋 って多いんですよねねこの石畳といい ねはあこれも文化剤ですねこれも文化剤な んですねあこれなんか書いてますね書いて 小橋ですね漢字が招きかと思 文字でこれ招きて呼ぶんだこれ [音楽] 小橋これかっこいいと思う幅も広いしさ 広いですねかいで直線的に突き当たりに 競輪開花ですはいもうなんか昔の小写真に あるような感じ本当です ねさそして本当だったらもう1つここでご 案内しながらはいここにも立派な明治の感 が立ってますよっていう紹介したかったん ですがはいはい残念ながらもうありません 本当はここに主上さんの家がありましたあ 主さんうんその主上さんのその建物自体も 本当は文化剤こここに主上さんの建物が あってもう感づくりですよおうそれ なくなっちゃってるみたいですよねこれ今 現在でグラバーにされておりましたへえ もうこれももう使わなくなったから排斥し ましょうってなった時にいやそっくりその ままもらいますてことでこれが今浦に浦に 行った時には あ経あの経済学の入り口かはあなるほどね へえで渡ってしまうともう西山っていう ことではいここから先は前以前まゆっくり 歩かしてもらいましたねいうことになって 今日はねこの経済学の片の歴史ということ なっです ねそうかこっから相当な経済人が出て退さ れてです長崎も発展して有名な人が いっぱい出たんでしょう ね さ

鎖国時代 日本の唯一の窓口として開かれた長崎
この地には重層的な歴史が残ります。
そんな長崎の歴史を案内するのは、料亭青柳の主人であり歴史案内人の山口広助さん
相方は日本一のチンドン屋として活躍する河内隆太郎さん
ガイドブックには載っていない小さくて面白い長崎の歴史を紐解きます。

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