【多文化共生】JICAオンライン・セミナー「多文化共生・日本社会を考える」連続シリーズ第22回「バディがつなぐ人と人。今日から始める多文化共生~はじめの一歩~」

え皆様本日はご参加いただき誠に ありがとうございますお時間になりました のでジャカ中南米部が主催するオンライン セミナー多文化強制日本社会を考える連続 シリーズの第22回を開始いたします司会 進行を務めますえ私えジャ中南米のヤゴと 申しますどうぞよろしくお願いいたします えそれではあの本は講師の方をお2人お 招きしているのですがえ講師の2人え カメラをオンにしていただけますでしょう かはいえにさんマキさんよろしくお願い いたしますはいありがとうございますえ 本日はですねえ愛知県高浜市で地域に 目指した多文化強制の活動に取り組んで いるえ公益社団法人トレーニングケア代表 理事え新じこさんえそしてえ同団体のえ 取り組みにに参加されているアルゼンチン 出身の日経2世え前マルティンさんにお 登壇いただきますどうぞよろしくお願い いたしますお願いしますはいありがとう ございますえ本日はですねよろしくお願 ますはいよろしくお願いいたしますえ本日 はお2人にえ団体の活動の中で重要な役割 を担うバディというですね考え方に スポットを当ててお話を伺っていきたいと 思いますえ今回もですね講演中ご質問の ある方はえ下の休Aボックスの方にご記入 をお願いいたしますえ11時30分頃を目 にえ質疑応答タイムにえ移ってまいりたい と思いますはいよろしいでしょうかえそれ ではですねえまずはえ2さんとマキさんの 自己紹介を伺っていきたいと思いますはい えそれではまず最初に2さんの方からです ねはい自己紹介の方をお願いしたいと思い ますはいっと多分文化え強制日本社会を 考えるということでえお話をさせて いただきますえ公益社団法人 トレイディングケアの任と言います よろしくお願いします今あの画面に移っ てるのはあの私たち夏休みに地域の子供 たちに夏休みのポスター募集をねするん ですね多分化強制のまそんなあのことで 子供たちにも多文化強制に興味を持しい なって思いながら子供たちや地域の人たち にま多分化強制ってこんなものだよなんて 話もしながら地域の人たちを巻き込み ながら今多分化強制を実施あのま行ってる ところですちょっとそんな高浜市のことも 含めて紹介したいと思います え今スライド私と市長が映ってるんです けども えっとですねえ高浜市とは多分価強制 パートナー協定を結んでいますでま高浜市 の多分化を進めていこうという動きをてる んですが高浜市は外国人の割合がま大体

9%ぐらいえいらっしゃってえ大体35 カ国ぐらいの外国の方たちがいらっしゃい ますまそんな高浜市でなぜ私が多文化強制 をやっているのかと言いますとえ私あの 元々は看護師で看護教員などもやっていた んですがえ働きながら大学院でえ研究をし ていましたそれはあのあの経済連携協定の 看護師さんたちの請求だったんですがま そういったところのつながりからあの介護 のあの人材あの医療福祉現場で働く外国の 人たちをサポートするていうことでえ公益 遮断法人を立ち上げてま現在 え地域の多文化強制も担いながら外国人材 を育成したりということもやってい ますまそんな私なんですけどえ先ほどもね 看護師だったという話をしたんですがなぜ 私がこの多文化強制に興味を持ったかって いうのをちょっとご紹介し ますと私のバディーの始まりは1990年 あのベルの人との出会いだったんですね ちょうどこの頃はえ入間法が変わって たくさんのね外国の方たちが日本に いらっしゃるようになりましたでその中で 中数でペルの方が入院してきましたで私は ま看護師に成り立てのあの本当新人の看護 師だったんですけどその時 に言葉の通じない人のにどうやって看護 しようそれがま私の本当にはめあのバディ の1番最初のことになり ます日本人の人をま看護する時は痛みは ありませんかと聞けば痛みのことも聞ける しご飯はどれくらい食べれましたかって 聞けば答えてくれるんですけど言葉が通じ ないさあどうやってコミュニケーション 取ろうか なあとベルってどんな国なんだろう何語 何語を話す人なんだろうまそんなことを 考えながらえ看護しましたでその時にま ペルがスペイン語を話すっていうことが 初めてわかりスペイン語のちょっと本を 買ってきて挨拶とか簡単な単語で挨拶を するですね自分の自己紹介するっていう ことをしてみたんですねそうしたらその方 がとってもとっても喜んでくれてその後も 少し交流が続くそんなことがありましたあ なんかこうやって違う国の人と話をしたり することってとても楽しいんだなとこれも 20代の私思うまし たもう1つ大きなあその後も地域に住む 外国の人たちのサポートを少しずつしてい たんですけどもごめんなさいえ大きな天気 がありましたこれはこのEPA看護師候補 者との出会いですえ彼女たちはえま 2008年からETA経済連携協定で日本 にやってきたインドネシアの人たちなん

ですがこの人たちが日本人だと95% 受かる看護師国家試験が彼女たち言って 10%以下しか受からなかったんですね これはどういう理由があるのかなまそれが 私の研究テーマでしたで私の研究モデルと しては彼らとにもう本当に密着して山陽 観察と言んですけど彼女たちとご飯を食べ たり一緒に勉強したりすごく近い位置で 彼女たちの生活を見て何が起こってる かっていうのを知っていこうまそんなこと を思いましたで実際に彼女たちと一緒に 勉強したりご飯を食べてると本当にそれが すごい実は彼女たちをサポートしてると 言いながら私がすごく楽しかったあこ れってこの日本の中でなんか私今まで生き ていた中で体験したことがない楽しさだっ たんですねあこれバディーってすごいあ その頃はまだバディーっていう言葉は使っ てなかったんですが外国の人と一緒に共に えま生きていく生活してくってことは 楽しいことがたくさんあるんだなと思って えここから本格的に外国の人のサポートが 始まりまし たこんな感じの自己紹介ですはいみみさん どうもありがとうございますえあのま 1990年にあのペルの方との出会いで あの新さんがとてもこうあのペルの方に こう寄り添ったあのケアをされたっていう ことがこう原体験となってそしてあの今の 任さんに繋がっているということがあの すごくはい感じましたやっぱりこう外国で 言葉が通じない中異文化の中で病院に かかってっていうのはすごくベルの方も 不安だったと思うんですけれどもうんうん うんうんそうですね喜ばれたみさんの看護 にすごく喜ばれたというのがなんか私は すごく印象に残りましたあのまバディを することのその意味こうきっかけになった のがまそのインドネシアのあのの星候補者 の方との出会いということだったようなん ですけどもあのニさん私実はですね フィリピンにあのジャイカのえ仕事でえ 滞在してましてでその時にあのやはり EPAの候補者の方たちともうんうんはい 一緒にこうえやり取りをさせていただい たりしたんですけれどもあれですよねあの あの彼らこう日本に来てね日本語でこう 国家試験を受けるって結構ハードル高く ないですか結構高いですしそれを毎年毎年 受験をするわけです からかなりきついと思いますそうですよね 大学受験を毎年する感じですからうんそう ですよねはいあのフィリピンの看護師あ 看護師え介護師の方たちもやはりままず 言葉が分からないっていうことをおね国家

試験のまず何が抱えているか漢字を読む ところから始まるっていうところを言って ましたしであのま日本に来てま看護施設 だったり介護施設でこうOJTでオンザ ジョブトレーニングでこう勉強しながら あの試験勉強もしてというあそうそうそう そうあですねねはいありがとうございます でニさんあの今回あのまバディということ であの今自己紹介の中でもバディっていう 言葉を使いいただいてたと思うんですけど もまちょっとあのバディーという言葉の その意味と言いますかあのそのものについ てちょっとあの教えていただけますかはい そうまたスライド共有しますお願いし ます実はまバディーこれ今ちょっとあの 出してみましたがこれ私の友人のまA君が ごめんね僕の感じることを素直に言うねっ て言って言った言葉なんですけどちょっと 私が発としたことなのでお伝えします日本 人は自分や家族のことだけだよねて言われ たんですねでその時にちょっと私ももしか してあそうかなって思う部分もあって なんかA君が言うにはなんか困っていて目 を合わせようとしても目を合わせてくれ ないと かなんかやっぱ自分たちがいるのに見えて て見えてないて言ったんですよなんかそう 思うとま私たち当たり前で日本に暮らして いるのであ日本ってそういうとこがあるか なとは思うんですちょっと真の文化もある しあまり隣の家をじろじろ見ることも失礼 なことだしでも外国の人からすると ちょっと冷たいなんか気迫してる隣の人と も挨拶をしないとかなんかそういった ところであ なんかこのバディーなんかバディ今から 説明ちょっとするんですけどバディーって いうのはなんか相手の立場になってま自分 のできることをするんですがま相手の立場 に立ってみるっていうことは心がま バディーかなって私は思っていますなので なんか先日も別のセミナーがあってバディ なんていう言葉を使わなくていいだろう ってお光りを受けたんですよなんですけど 私はバディーなんて別に言葉はどうだって いいんです外国から日本に来てくれている 人たちにの立場に立ってちょっと考え るっていう気持ちが大事じゃないかと伝え てもそれだと伝わらないのでバディーて いう言葉を当てて皆さんにこうお伝えして るっていうのが今の状況ですでちょっとあ そのままバディの話してもいいですかお 願いしますバディってみみさんが名付け られたあ実は私名付けてなくてあのもう 56年前にNHKでえっとベルギーの

メヘレン氏っていう町があってその メヘレン氏が外国の人がすごく多くて治安 の悪い街だったんですねでそこのうんソン メルクさんだったかな市長がとても優秀で その外国の人に地域住民をつけて えサポートをしようていうのがあのま ベルギーメヘレン氏のバジーシステム1対 1ですねそしたらすごく治安の悪かった町 がすごく良くなってその市長はなんか世界 一の市長みたいな表彰を受けたそんな ニュースだったんですで私それを見た時に あちょうど介護の人材を日本に入れる予定 をいたのであこの人たちも地域の中に入っ ていくためにバディさんがいいんじゃない かなと思ってま要はバディという仕組み そのあのメヘレンシのバディシステムその ままやってみようと思ってやったのがま私 のバディの始まりですうんなるほどですね ベルギーであのその先行事例があったあ そうですはいはいはいそのままだから私が つけたわけでもなくまそういったものが あったよっていうことなんですけど実は そのベルギーのモデルをやったら私失敗を しているんですよそうだったんですかはい この1対1っていうのがすごく難しく てその人って色々なのでそのマッチングし ないかもしれない 突然この人とこの人ねってつけても知ら ない物同士仲良くならないですよね私たち が友達になる時にあお話ししてあこの人と もっと話したいなとかそこから始まって いくのに突然繋げてしまったそのことでよ によって起きたのがうん日本人のバディ さんが私たちこんなにやってあげてるのに 全然言うこと聞かないっていうわけですよ ああなるほどですね方や外国の方からする とすごくなんかすごい上手にバディーして くれる日本の人に当たった当たってそれを 求めてた外国の人が嬉しいってすごく言う んです けど要はちょっとほちょっと遠くから 見守ってほしいって希望のある外国の人だ とちょっと鬱陶しいうんちょっと距離が近 すぎてしまううん距離が近すぎるっていう 人もいるし逆に遠すぎて私もあのバディ さんみたにやってほしいっていう外国の人 もいる だから私はよかれと思って始めたバディー なのにこっちからもこっちからも文句が 言われるわけですよであこれはダメだと 思ってもう早急にやめて1対1じゃなくて できる人ができることをやろうと例えば私 がバディーです私買い物に行きますよ一緒 に行きたい人いる行こうって声かけて行く 人だけ

行くお祭りがあるよっていう情報を流して 私行くけど行く行くあ行く行くじゃあ一緒 に行こうって行かないとは行かないていう そのやっぱり強制をしないこのうん多分化 強制なちょっと1個スライド出させて ください はい強制ま多分化強制って今書いてあり ますけど強制まイコール地域強制なんです けどもう1個ですねこの強制しちゃうと この人とくっつきなさいこの人と何あり なさい私と一緒にここに行ってくださいっ ていう勢力を働かせると何が起こるかって 言うと反発が起きるんですよなのでもう これはもう相手の立場になって無理なく 自分のできることを好きな時に好きなこと を一緒にするそれだけにしようっていう ことにしましたでそれは私たち日本人 バディーだけじゃなくって外国の人も嫌な ものはやだ行かない時は行かないって言っ てねっていうことをも徹底しているんです よそうすることですごく緩やかに繋がる ことができ てなんかそれをやるようになってからの方 がすごく楽しくみんな生き生きとしる感じ が ああはい あのはいていうことですあまそういう風で ま あの強制をしない緩く繋がるっていう ところで始まっていきましたねあ ありがとうございますさんがこのバディー を高浜で始められたのは何年ぐらいからっ てこですま5ちょうど5年ぐらい前から もう本当にもうバリっていう風にいうこと を始めていますあなるほどですねはいあ ありがとうございますではそうしましたら まそういったあの新美さんの取り組みに あの参加されてこう共感されて今も一緒に 活動されているのが今日のもう1人の講師 のえみマルティンさんだと思うんです けれどもじゃここであのマルティンさんに もあの自己紹介の方をしていただき ましょうかはいはいマルティンさんカメラ とマイクの方をご準備お願いし ます大丈夫ですかはいはいおはようござい ますおはようございますよろしくお願いし ますはいよろしくお願いしますはいでは スライドの方こちら共有していきますね はい今画面に出ましたねはいでは マルティンさんお願いします自己紹介です ねはいえっとミーゼマルティン フェルナンドと申し ますマルティンで呼んで ください えっと父が日本神です母はフランス系の

アレンジ人です え今ここに映ってる写真 は12月に行われたあのオラニア料理 の 教室バムさんとスタさんのウラニアから来 た人であの 夫婦ウラニアの有名なボルシボルシですね 夢な料理 を教えてもらってみんなで作りましたよ ここにいる人たち はセンターの仲間それそれから地域の人 たち 一緒にその日に作りまし たあのこういったイベント があの私 はドラえもんのどこもは経験みたいなこと はできるんですそれはなぜかと言う とえ滑田さんとバムさん日本語そこまでは まだ喋らない ですでですえなのにあの一生懸命自分の国 の料理を紹介紹介したい気持ち があの強くて一生懸命日本語を日本語で 説明してもらっ た1人1人の細かいとこを回って アドバイスをし ながら最後までを完成できました この時私が感じたの は日本にいるじゃなくて末田さんとバディ もさんの家にみんな行って ますすたさんとバムさんのお客さんになっ てだからどこへ戻はみたいなことに経験し まし た2人は とても幸せだった顔に自分の国の料理を 紹介する自分の言葉で最後に2人の2人で ウクライナの歌を歌ってもらいました すごく楽しかっ たでそれ終わってやっとあ日本だよみたい な経験でし たそれから えマルコの母をダネて000 エリの日本の有名な漫画ありますよ ねあスライド進めてもらいますかはいお 願いし ますはい3枚目のスライドですねはいあ こっちああこちらの写真はああこちらの 写真は はいあこちらの写真はボノサイですアンチ の首とボノサイでの写真 ですボノサイレスはとても大きい町 ですあの文化が溢れる場所いろんな国 のいろんな国から来た人たちの あの文化があちこちに見られますとても 素敵な建物が立派な建物たくさんなります ボノサイですはあのなべのパリとは呼ばれ

ますねはいある意味はバリに似てる部分が たくさんなり ますはい次の写真お願いし ますうんこちらですねあのマルコ母たて 3000Dの話多分皆さん聞いたことあり ますねこの有名な漫画ありますうん私この は日本で初めて聞きましたあそうですか うんで感動しましたわうんもう1つの 嬉しかったことはそのマルコがイタリアの シノ場からアレチの徳間まで行きまし たそこでお母さんとあの出会った場所は ですねま質は私は生まれたのはその毒まけ ですうんドマン県の首都のサンミゲルで ドマンで生まれまし た50戦53年前に生まれましたねで徳間 には日本の人が多くはいません日本神は 少ないですだからあの私の友達とかうん 新世紀もいなかったね日本人の親戚父父の 親戚はいない学校の友達とかうん近くの 友達だけだった日経の友達はほとんどい ませんでし た15歳の時までここに住んでいましたで 15歳の時に家族と一緒にボノサイレスに 飛行しまし たそこであのたくさんの日系人が出会い ましたボのサイですにはたくさんの日本人 が住んでい ます 1989年ぐらいからその友達2経の友達 が1人また 1人日本へ出稼ぎに行きまし たえすごいなと思って私も行きたい私子供 の時から日本に行きた夢があったでも そんなお金が行けるお金がうんなかったん です よどうやって行くんだろうと思ってま後で 調べていろんな人から聞いてあそうやって そうやればできるん だで友達が1年後1990年ぐらい1番 最初行った友達が帰ってきてあこの1年 だけでお金が貸せてあえ働いた分がま店を 開いた人もいる車を買った人 いるあのすごい大きいことですあの時は じゃ私も絶対行ってみようと思ってで 1990年に19歳の若さで日本に来まし た私は愛知県にきました愛知県にはあの 親戚はいましたレンチから来た人 ねで2経の友達もいまし たまず1年ぐらい行ってみようで戻って 予定だっ たうん1年半でアレンジに帰りまし た1度帰ったんですね一度うん九州1年の 6月に国へ戻りましたあそうですかはい うんこの時日本に来られた時はマティさん はに行くのは初めてだったんですか飛行機

喉は初めてですそうだったんですね ワクワクだねワクワドキドキ19 で日本に来てじゃ1年半働いてそれではい 1年半働いてではいアルゼンチンに回戻っ てんですねうん うん はい日本その1年間の間にあの愛知県だ から トヨタがいますトヨタがありますねはい あの車関係の会社がたくさんなりました すごい忙しかったあの頃はだからここは 愛知県から出たことない今でもそういう 会社部品関係車の部品関係の会社で働いて ますここまでですね自己紹介ははいどうも ありがとうございますあの1番最初 1990年にあの初めて飛行機に乗って 日本に来られてはいはいはい日本の印象 ってどんな感じでしたえ日本の印象ですね はいえっと日本に来た時に えっと日本と人がね えっと バースバース迎えに来てきますはいあの 仕事行くためにはうんそのバースで大体 40分ぐらいバースで会社までやりました ま当時はその時はスマホもなく読むものも なくもう寝てた人もいた私はなんか全部 あったらし見えるものはあの木がキでき てる家河原の屋根はいそれから見たことが なかった米のタボ片がたくさんなります なるほどはいそんな緑が私ボのサレから来 たからちょっと大きな違いありまし たで元も驚いたのはその朝の毎日の朝の 流れ私見てた流れねババスから見 て小さい子供 がばあの学校行く姿小さい子供が行って 1番前のレスに大き目の子供が いるそれはいくつのグループで距離を開け て歩いてます歩いて ますそれを見守るのは地域の人たちおじい ちゃんのおばあさんお母さんのお父さん ちょっと休んでそれ 見守る信吾で は自転 車バイク車全部止まりますねあの子供たち を安全に学校行くために はそれはすごく印象残ってますすごいなと 思ってこれは窓で巨大なかぐまけ見えまし たこれ何かと言う とこの小さなパーツ時計を見ると小さな パツ大きいパツがあって弱いバ大きい バ全部うまくそれそれの動きでタイミング でで動かすことによって仮が動きますね なるほどうんでその朝見たのはこれはあれ と同じだな小さな子供が走らないで決め られたことをやる大きい子供がそれを

見守る信号で止ま止まる人が自分も仕事 行くのに関わらずちゃんと待ちます自分が し ないこれは全ての動きに合わせるとこの国 が動かしてるんだと思っ てちゃんとなるほどですね決められたこと を決められた時に決められたやり方で 当たり前のことだけど自分の国ではそんな 当たり前のことはうんちょっと難しいとこ です向こはそれは素晴らしいと思いました うんあなるほどですね日本人は小さい頃 からこうルールをしっかり守る規則正しく こう構造ていうそうですそれは大人なる まではもう残る からだから この巨大な時計回りえっとずっとちゃんと 遅れはなく動きますうんうんなるほどです ねはいまねマーティンさんあのすごくなん かあの1年半で1度アセチに戻ってはいあ で94年はいはい90年4年にもう1回 日本に来ましたそれはあのえっと書いた時 に国へ91年の6月国へ戻って向こうで なんかやろうと思ったね店とかなんか やろうでもその国の時えっとその時の国が 文化がすごく上がっててで持ってたお金が もう全然できない予定はうんはいじゃこれ だと全然できないじゃんと思ってそれ1つ うんそれからあとその1年半日本で暮らし た 経験 安全あの仕事もあるでさきの話みんな 正しいこと やるそれもすごく好きだったわうんうん やっぱりこれ見ると前のせ前の私アセチで いた行った頃の生活比べるとじゃやっぱり こっち日本が好きうんでもう1回日本に 戻ることにしましたそれは94年なるほど はいあれからずっとニコにああもう1度も アルゼンチンには帰ってないんですかあ えっとああ4年前に1回家族で2週間だけ 帰りましたあでもそれ以外はもうずっと それ以外はないないえそうなんですねはい もうね長く日本に住んでらっしゃるから 日本語もねすごくお上手なんですけども はいありがとうございますちょっとこはい ここからあの新美さんにももう一度カメラ オンにしてあのこちらに戻ってきて いただいてですねはいはいじゃではあの マルティンさんがこうどういう風に今その 地域の活動にこう参加されているかって いうところをはいあのマルティンさんにも 伺っていきたいと思いますあのみさんから も適あの補足していただければと思います のではいはいじゃマーティンさん聞いて いってもいいですかはいこの94年から

またこう日本はい戻ってきてで高浜で ずっと暮らして高浜市でずっと暮らしてる んですですかね えっと最初の2年1年半壁男市す隣の町 です高浜の都の町はいで刈谷で今高浜あ なるほどですねはいえで今日はあのテーマ がバディーっていうことなんですけれども この地域の活動にあのマルティンさんが 参加するようになったのはどういう きっかけがあったんですかあ文化共有繋 センターの出会いですからねうんうんはい はいそれは2 年半ぐらい前に友達に誘われたうん マーティンそうです勉強しに行かなて言わ れてあなるほどこれあれですねえっと今 マルティンさんが話してるのは高浜市多 文化強制コミュニティセンター繋ぐって いうのがあるんですよねはいはいはいはい あでそこに行こうよって誘われただとそこ にうんそう一緒に行こうって誘われたん ですまその時は私別にあの勉強する場所を 探すではなかったうんまあでもま今日 ちょっとしなるから行ってみよう軽い 気持ちで行きましたあそうなんですね勉強 っていうのは何の勉強ですか日本語ですか あ日本語の勉強ねですはいはいなるほどで 軽い気持ちで軽い気持ちでいてその友達と はい でその人が入って私は後から入りました そので迎えたのは受付あのベトナムの女の 人あの本さんと言います本さんはますごい 元気な子で 明るい笑顔で挨拶をしまし たそれから名前書いてくださいここに電話 番号とかそういうのデータをで私はそれ見 た時にえすごいなと思ってこの人が本さん は明らかに私の日本語よりはまだ話せない よなのにうんすごいそれは関係なくあまり 綺麗な日本語喋らないあの関係なく一生 懸命伝えよ話そうと気持ちがあったそれは すごいなと思ったかこ良かった本さんは はいでその後は ちょっと履いてあの勉強する時間まで回っ てその間に あのいろんな人が挨拶うんこんにちは おはようだなどこから来たとかそんな簡単 な話してもらってはいで勉強終わった後に 休憩時間もあるその間になんか声かけて くれるそに近くに座る今日の勉強どうだっ たとかそれはうん今まで経験したことは なかった他の場所ではそれは1つのすごい 気に入ったこと ですうんうんあなるほどそのつぐに行っ たらいろんな人が声をかけてくれたとはい ニさんこのうんえっと声をかけてくださっ

てるこの人たっていうのがバディーって いうことなんですかそバディとかもう バディじゃないさっきも言ったんですけど ま私たちバディていう言葉を借りてるだけ なので相手の立場に考になって考えること の1つがまバディーなんですけどその中で 初めて来た時に声もかけないで話もかけ ないでなんて自分だったらすごく寂しい アウェイの場所に行くわけですからなので 私たちまそのマルティンが来てくれたその つぐセンターっていうのはま私たち業務 委託を受けてる場所でではあるんですけど 私たちスタッフもあと来てる人も自分がさ れて嬉しいことしようよっていうのがまも なんですねなのでまマルティンが来た時 感動してくれたっていうのはま私たちに とっていつも日常で挨拶をする声を かけるっっていうことをま私しているで マルティンは今私たちのところに通って よく来て手伝ってくれるんですけど手伝う というかま時にはスペイン語の通訳もして くれるしあの新しく来た時人に自分がされ て嬉しかったことをそのまま自然にして くれるおおうんでまマルティンだけじゃ なく私たちのとこにもたくさんの外国の人 も日本の人も来るんですけどみんながその 要は嬉しかったことを受けてそれを皆さん がやってくれるからだからとても私たちの 場所ってとても温かい場所でだからそれを その温かいとか思いやろうとかあの好きな ことをやりましょうとかそんな言葉を いっぱいいっぱい言うのではなくってそれ を総称してバディ相手の立場になって声も かけていこうねっていういろんなま相手の 立場になってできることをしようっていう のがまバディなんですよだからもうバディ さんあ今マルティンさんなんかはうちで 言うと筆頭のバディー さん私たちが何も言わなくてもどんどん やってってくれるしだからマルティンさん を見てまたそういう同じことやってくれる 人が今増いそんな感じですなるほどですね あ素敵ですねあマルティンさんも今ね頷い てらっしゃいましたけどはいなんかこう マーティンさんはどういうようなことを こうしてるんですか実際にあ私ですねはい はい例えば新た人にどういうようなことを したりとかされてるんですかそれはあの私 日本に来た時にあのを 思い出すで日本語できなかった私は最初の 頃ね日本語できない時は1番辛いのは 気持ちを言葉で伝えることはできないそれ はすごく 辛いで今新しく日本に来てる人たちは日本 語で嫌ないその気持ちはあるかもしれない

うん簡単なことでも喋れないその経験が私 はありますからうんその経験をさせたく ないならないよう に 近づく少し簡単な言葉でも少し分かると その言葉をメイしてあの説明する1つでも あのその友達が分かればそこはメンするで これこにここの使いますとか簡単なこと それは私は心でクリックと言います相手の 心を軽くクリックするだけで開きます クリックですねクリックうんなるほどはい それであの人があの喋れるように少しが 開くからリラックスできるもテンションが なくなるそれをやってますなるほどそう ですね確かにこう言葉ができないとこう 自分の気持ちをこううまく説明したりこう 分かり合うはすごい難しいことですよね そうそれが私は分かるからうんなるべく その同じ気持ちはならないように少しを なるほど距離とってな遠すぎない近すぎ ない ただ心のこうやるとまた張ります張り やすいその後は うーんなるほどですねねでもねああさん 何かうん大丈夫ですよはいはいはいえあの まマーティンさんも1年半ね19歳の時 から1年半来てねあの時の日本良かった なってまた1994年に戻ってきてでその いいイメージがあった日本に対してでも やっぱりこう実際こうまた長く暮らして みると大変なことちょっと辛いようなこと とかっていうのがあったんですか ね大変なことはうんまあ日本はこの自身が 自信が多い 国地震地震がねそれが自信が起きると仕事 も減り ますあ仕事が減りますそう会社がとかそう いうことがありますうんえっと例えば 2008年のリマシすごい大きな問題が あったはいうんそれもたくさんの人が 仕事を失ってしまいましたねうんうんそう ですねうんあとはえ勉強まできないあの 日本語もできないから10には関しない銃 はでき ないいつも誰かと一緒に訳あの訳か一緒に お願いして美容院についてってもらって 支所一緒にいてもらってその週はでき感じ ないねその縛りがあるみたいな縛りがある うん自由にこう喋れないから喋れないから できないはいはいなるほどうんうんうん あともう1つはまあと10年後20年後 ぐらいになりますなりますがその 年金払ってない部分がありますね最初15 年ぐらいか なそれはからなていい払ってもいい払わ

なくてもいいみたいな話はなってたねあの あの頃はそうですだから払ってない人は その私もそうだったの払ってない部分が ある何 年だからその10年後えっと12年後とか 私は天寧になった時に仕事辞めた時に もらえる年金はま少ないかな心配心配で あります うんちょっと日本来る人が あの日本のことは分からない からシシドね全部会社から言われるのとの とあの派遣会社言われることを全部じ 信じる本当はた正しいのは切った時に ちゃんと払ってであとは安心できるうん その時はま国もそこまでは厳しくなかった から払ってない人もたくさんいるねうん うん うんそうですねはいあの ね外国から日本に来る人たちははいねえ 長く日本に住む人もいれば少し働いてまた 自分の国に帰る人もいますねうんますはい はいねでマーティンさんは今こうして長く 日本に住んでうん おられてでそうすると確かにこの将来の ことあのねおっしゃった年金のことだとか まそういうねもう人生全てのことがねあの うんテーマになってきますよねはいうん私 の考え方はちょっと方もあります私の責任 もあります うんヤゴさんはいお願いしますあのこんな 日本語も上手でうんいろんなことの考えを その日本語で述べれるマルティンさんなん ですけども実は私たちのとこ来て来る前は 全然違う世界だったって言うんですよ おおなんかもう 同じ同じ日本にいるのに別々のレールを 走ってたような う あ今までは これうん結構長いことはいいです かえっと私は同じアレチの人の友達と一緒 に暮らしてい暮らしていましたあの遊びと か仕事もそうだっ たでそれは えっとこのような レルはい日本人のレール日本の社会私たち の外国の社会 レールいつまでもなっても交わらないこと がありますありまし たそれはせあの津セタ行た時 に この 入り口ここに入れますそこできついたん です日本の社会に入る入り口であります ああその後にまた先あの1番最初に出た話

ドラえもんの話どこも はいろんな人と出会ってその人の国のこと もあの 知るそれからまあの地域の祭りとか私も あまりほとんどいてなかったね誘いは 誘える人はいなかった自分も行こうと思っ てなかったそいう2つの原因はで繋 センターでやった時にそういうことが一緒 に行き ましょう来週土曜日日曜日とか祭りがあり ます高か市の夢な祭り私ずっと近く住んで いたのにいことはない祭りはたくさん今 ありましたで今はあの参加します うんそのつ子センターの魅力の1つです うんどこもはいろんなとこへ繋がった 場所なるほどですね はいニさんこういったあの地域のこの イベントだったりまそういうようなところ とこうこう一緒にこううん皆さん動され てるそですかねこの話も私がもうはっとし た話なんですけど私もこれ多分か強制この マルティンさんが日本に来た頃から私も 外国の人とこうペルの人の出会いがあっ たり地域の外国の人と触れ合ってるにも 関わらずまだこのをまマルティンさん今の 話は愛知県の外国の人のためのねスピーチ コンテストで話してくれたんですけどその 時初めて聞いてまびっくりしたんですけど 日本に住んでるけど日本社会に入れなかっ たうんそれって 私たちやっぱ私たち当たり前で日本に 暮らしていて外国の人もいることを分かっ ていても私たちが絶対あの要はマルティン さんの言葉を借りるなら別のレールでその 入り口ジャンクションも見せることがなく そこに入れようともしなかったもそれを 聞いた時 にそうだったかもしれないって自分も 振り返ったしあこれではいけないって もっともっと外国の人が日本の社会に 入れる入り口をもっと見せれるような地域 にしていかないといけないでもそのために は散らしじゃだめなんですよ髪を張って も見てあの来てくれないさっきマルティン は心にクリここにクリックっと言いました けどトントンってあのクリックして開いて あげないと来てきてくれないんですようん それは知らしてもないしまSNSは ちょっとクリックできるんですけどまそう いったやっぱり私たちはバディーていう 言葉を使ってるので彼らに寄り添うその バディをすることによってクリックできる というでクリックして心が開いて日本の そのまマルティンで言うなら30年暮らし ていきて見えなかった日本が見えてきただ

そうですそれを聞いた時すごく嬉しかった しもっと早くそれに気づいてたらもっと たくさんの外国の人がもっともっと地域に 入ってくれてたのかて思うとあ惜しいこと したなでもまだ今からでもできるなって 思ってま私たちが活動をしているうんうん うんという感じですなるほどですねあ ありがとうございますいやあの私もねあの まあの地域のお祭りにもねあの参加され たりとかマルティンさんが楽しいあの様子 の写真とかもあのこちらに頂戴してるん ですけどもはいはいそうですねなんかこう いう笑顔を見るて本当なんかすごい素敵と 思うんですがはいあのねこう私もまこう 仕事柄こう街を歩いてると外国の方を 見かけるとはっとやっぱ思ったりするん ですねであのま困ってるようだったらこう グイグイこう声かけてあのどっかなんか道 なんか探してるのとかこう話してみたり はい私は日本語英語しかできないんです けどあのそういうあの言葉ではあの コミュニケーションしたりするんですけど もでもあの今ニさんがおっしゃってるの 聞いてやっぱりこう外国の方まずこう外に 出ていけないっていうのもあるのかなって いう風にこうちょっと思ったんですねまず こうどこに行ったらいいか分からないし あのこういったあの繋がりを持つって言っ てもどこをあのクリックしたりこうノック したりしたらいいのかあのその入り口が 分からないっていうのはすごくあるのか なっていう風に思いましたなのであのま 例えばこれからあのそういったこの皆さん 今日参加されてる方もお住まいの地域で 外国の方と実際にこう繋がってみたいなと 思ってもなかなかこう最初の一歩ってなん かこうお互いに多分勇気がいるんだと思う んですよねあの外国人の方ももちろん日本 人の側もちょっと初めてのことでこう ドキドキしたりとかですねなんかそういう こ繋がり作りのなんかコツみたいのもし あったらはいにさんマルティンさん それぞれからなんかお聞きしたいですはい なんか あの実はそこのが1番難しくてちょっと 今日は時間が短いので私もまあのなかなか お話するの難しいんですちょっとだけ画面 共有し ます私たち考え方としてまバディをして いきましょうっていうのがあってでバディ システムというま考え方をしてるんですね で外国の人たち今マルティンさんはつぐ センターがあってそこに友達ときまし たっていうまず場がない とどうにもならないんですよでもこの場は

どこでもいいんですよでそこをま場でも いいし資源でもいいんですけどそこに要は 外国の方たちと日本の人たちもまいろんな 人たちをこうつげる役割の人がいるんねま 今国では多文化コーディネーターとか色々 言っているそのの要請しようなんていう 動きもまだ大きくあるんですけどまそう いった人たちがいる場と人をつぐ人となま 資源があってそういうものをまこうやって 繋げていきましょうなんていう私たちもま 大花さんと一緒にセミナーやったりもして いますでなのでまそういう場を1個絶対 地域にもどこにでもあると思うんですよ それを活用するなんか新たに作るって 難しいのであるものを利用しながらそこに じゃあどうやって外国の人を来てもらおう かっていう実はあの日本人主体の考え方で はなくて私たち必ず外国の人の声を聞く ようにしてるんですねそうするとですね あの絶対に日本人だけじゃ出てこない発想 が出てきますああなるほど外国の方にどう いう場がいいかっていうのをこう聞くん ですねもなんか今日今マルティン話して くれてもなんかあそうだったのかって思う ことがいっぱいヒントがあってやっぱ マルティンだけじゃなくいろんな外国の人 に聞くんですけどもも私今ずっとやってき て思ってるのは日本人主体ではうまくいか ないんですようんもうなんか日本の日本の ルールをに従ってねっていうこの今までの 多文化強制のやり方がうまくいってない から多文化強制推進実現できていきてい ないもっともっと外国の人の意見を聞いて 外国の人と一緒に作っていくそういう社会 にしてかなきゃいけないなって思ってい ますなので今私たち高浜市の方たちとは そういったいろんな会議に外国の人に どんどん入ってきてもらって意見を言って もらうっていうのをどんどんやっていける ようにているところですしま私たちのその 津具センターではもう私たちだけではやら ないですねもうあそうねはい彼らの意見を 聞きながらじゃあ日本ではどうな日本の 私たちどうかなとか逆にでもそれやると 私たちが教わることの方が多いです うんなるほどですねあさんありがとう ございますあの今高浜市の会議にも外国の 方にあの参加していただいてるってお話だ んですがこの会議っていうのはどういう ようなあのテーマだったりするんですかえ ねあの市民会議っていうのが前あまた来年 もあると思うんですけど市民誰でも参加 できる会議みたいなのがあってそ マルティンさんなんかも参加してくれてて 意見言ってくれたりあと多文化強制プラン

を作る会議とかがあってそういうところに もあのどんどん入ってきてもらって参加し てもらっているそんな感じですねあ ありがとうございますえっとそれではあの マーティンさんのあのご意見もお聞きして いきたいんですけれどもちょうど今あのQ &ABOXの方にもあの今私たちがこう トークしているえテーマにこう絡むような ご質問が出てきているので今画面を共有し ていきますねはいはいえあのご質問が1つ あのまお互いの心のハードルがあるのだと 思いますがこうどのように心のハードルを 下げいけるか何かヒントはあるでしょうか え特に日本人の積極的な関わりを促して いきたいですというコメントもいただいて いますうん見えますがなかなか読むことは できないあはい読ませていただきますね はいマルティンさんのあのセンターライン のお話道路のはいお話を聞いていると働く ことと暮らすことを日本の社会が分けて しまっているのかなと感じましたでこれ からは働くこと学ぶこと暮らすことにあ 働くことと学ぶことを暮らすことにつげ ないといけないなと感じましたという感想 を頂いてますあとニさんにはえバディをし ていてえあの外国の人と暮らしていて 楽しかった今までない経験だったとのお話 でしたがえバディつなぐ楽しさとは具体的 に何だったのでしょうか私を含めて一歩 踏み出せない人にけてのヒントになるよう な経験だがあればお願いしますということ いただいてましたはい私からよろしいです か多分マルティンも一緒に話せると思うん ですけどあのまず1つ目の要は互いの心の ハードルがあるんじゃないかっていう意見 のところの話ちょっと繋がると思うのそこ から行きたいと思うんですが実は 私1番大事なのはやっぱり挨拶だと思っ てるんですもう挨拶こんにちはって挨拶を こちらからする日本人である私たちからし てあげるっていうことがとても大事だと 思いますあの簡単なことであって簡単じゃ なくてであの私この多文化強制ずっとやっ てるんですけど私が10人の人に声かける と10人の人が返事するでしょって思われ てるんですけど実は3人ぐらいの返事しか ないんですよ私恋かけてもあ意外と少ない 感じもで思いますよねだけど野球の4番 バッターって3割なんですよ確かにそう ですね私4番バッターなんですよだから それくらいしかまだ外国の人は日本人から 声かけられることに慣れてないしだから私 予番バッターの私でも3人ぐらいの返事 しかないでも大体の人が1人2人声かけて 返事がないからやめちゃうんですよやめ

ないで声かけてあげてほしいでそうすると 毎日してると相手もあ僕に挨拶してるんだ 私に挨拶してるんだっていうことで繋がっ ていきますで本当は私1番私がどんな多分 か強制社会にしたいかというと街で会った 時にあこんにちはて挨拶がしえる関係それ だけでいいと思ってるんですそれがもう実 はもうあマーティンさんできるようになっ てきていてね高マルティンは街の中で歩い たり自転車乗ってるといろんな人が声かけ てくれるんだよ ねええこのはいマルティンも声かけるしね こちからも声かけるバイバイさよならて 日本語で英語とかいろんなことはしないと いけない挨拶はとにかく挨拶するうんねで なんか本当にマルティンは今では市長との 顔になって市長が名前も呼んでくれて挨拶 たまにすれ違うとうんそんなこともできる ようにでも本当はだから挨拶顔見にな るってことがすごい大事だから大きなこと を最初からやろうって思ってもうまくいか ないんだと思うんですなのででそれがさ3 つ目の質問であるところで私が楽しかっ たってのはさっきマルティンも言った ちょっとしたことで繋がった伝わった相手 の心が開た私の心も開いたって感じる時が 1番楽しいですうんもう1つは知らない ことを教えてもらうとすごく楽しいです 例えばマルティンさっきマルコの話をしっ てくれましたトゥクマンはねってマルコが お母さんと会ったとこなんだよえそうなの みたいなそういった会話が要は関係が1つ ずつ取れてくるといろんなことを話して くれるそれはいろんな国の人がの相手に 興味を持つことでいろんなこと教えて くれるそれは本当に楽しい体験になると 思い ますはい私からそ質問のですはいうん私は バディってどこもバディでできるねそう いうみさんに今言ってることはあの悲を あの挨拶 する私はここで住んでいます近くに外国の 方がいたらもうどっかで会いますねとか いる挨拶をしてで名前来て簡単なこと国 どこですかそれはどこでもできること です大体近くに外国の方がい ますそれからもう1つはあの 学校お父さんのお母さんが小さなあの子供 が学校に送りますでたまにそのイベントが ありますねその学校の運動会とかはいそれ は私も経験にありますね運動会の時に子供 たちの自分の子供たちの友達の親がこんな 教しか1mしかいないのにもう目 合わせようとしないうんえすごかったとか そういうのはなかったん

ですそれはもちろん私の責任もあります その勇気があの指針がないね日本語の ちょっと引っかかるといけない恥ずかしい さ あるそれもこちも悪い声かけてこれないも 悪いと思ってますそれもそういう場所でも バリのことはできるで子供もうかったねと かそんな簡単なことコメントが嬉しいわで もそんなかったわだからわはどこでもバリ できる誰でも できる うんうんいいですねどこでもできる誰でも できるっていうのはなんかなんか スローガンになりそうですねはいはい ありがとうございますはいえっとそれでは ですね他にもあのご質問いただいてますね はい右側の方に移っていきたいと思います バディ制度素晴らしい制度だなと思うの ですが2さんは多くの地域に広めるために どうしたらいいと考えていますかいかこれ 実は私今1番困ってるのは困ってるという かあの今日この場にいるのは本当に皆さん の多くの皆さんの力が借りしたいだから私 も一生懸命話をしたいんです けど日本人が 硬いもっと日本人がこの外国の人が たくさん日本にもうどんどんいらっしゃっ ててもう日本は外国の人の力を借りないと 回っていかない世の中になっていくその ことを理解して その人たと一緒に本当に住む世界を作って いくってことを理解してもらう日本人の心 をにそのマルティンの言葉を借りるなら 日本人のに心にのクリックしたいんです けどそれ今一生懸命やろうと思ってる ところなんですけどそういあの今この話を 聞いてくださってる方がねまず開いてそれ をご自身の地域でそういう風に外国の人 そういう風に思ってるんだって分かって もらってまた次クリック日本の人にも外国 の人にもクリックしてってくれると早く草 的にどんどん広がっていくと思っています もちろんそのために私が話すことであの 地域の人が少しあの私10人話してそれが 伝わる人は2割ぐらいだと思ってるんです あと4割ぐらいはあのちょっとやって みようかなと思ってくれてあと4割ぐらい の人はあ変なこと言ってる人だなって思う かもしれないでも2割4割ま6割の人が 少しその意識を持ってくれるだけで多分化 強制って社会になっていくて思っているの でなのでその私が話すことでもしその地域 の方がの力になれるなら私そこに話にも 行きますしと思ってます うーんありがとうございますあの

いや本当になんかニさんのなんかこう人間 力を感じるコメントだったなって今私思い ながら聞いてたんですけれどもやっぱり こう実現したいことがあるとこう人って こうどうしてもこう高みを目指してしまう というか焦ったりもすることもある でしょうしねまた意見が合わない人とこう 愛たするとこうぶつかってしまったりこう いろんなことが色々あるんだと思うんです ねですけどニさんはまにん話してま2割 届いたらとか3割であのなかなか自分も やれてるじゃないかとかですねどどう風に そのなんて言うんでしょうこう自分の中で こう考え方をこう整理するとそういう風に こうこう一歩一歩着実にっていう風に慣れ たかねなんかこのこのこの今回ねヤゴさん たちと一緒にセミナーやる時でも私実は 元々そんな自分の意見素直に言えない自分 を押し殺してしまう自分もタイプだったん ですでもその時になんか後からブツブツ 行ったりと かそれが1番悪い実は多分か教生のその バディーやって初めて失敗した時の失敗の 原因は私も同じことをやっていたんですよ こんなにしてあげたのにあんなにしてあげ たのにっていうねなければならないみたい なことに自分が縛られて自分を苦しめてた でもこの外国の人たちのまあえて今 バディーと言わずサポートという言葉を 使おうと思うんですか外国の人たちを サポートま支援ですねするようになって からなんか自分のそういう硬さとか自分が 我慢すればいいそれ間違ってるなってこと に実はこの多分化強制取り組むようになっ てから気づくですねで気づいた時にだから 我慢しないでだからセンターでもみんなの 意見を聞きたい自分の意見も言いたいし 自分の理想も言うけどもみんなの意見も 聞きたいていうだから我慢しない意見を ぶつからせないとうまくいかないと思うん ですうん であの綺麗にやるなら私が描いた青写真の 通りやってもらえばいいかもしれないです けどそれじゃ強制じゃない今あの強い方の 強制になるもうそれを自分が体感したから もうそれではいけ ないまそういう風にま私も全然今も未熟だ しでま考えが変わってたかなと思いますで 次の質問にちょっとそれが繋がってあの そういった私たち意見を聞いたりとか なんかもう実は外国の人も私たち全部対等 と思っているのでで実はもう国も関係ない と思ってるんですよなんかあの私は愛知県 出身でってまマルティンさんアルゼンチン でさっき出た本さんベトナムでってま

それってあ北海道出身なの九州出身なの みたいなぐらいな印象なんですねなのでま そんなことも関係ないでも目の前にいる人 を支援ま支援というか目の前の人をに真摯 に向き合ってあこれ困ってるんだねって その人の全体をサポートしてくとその人の 後ろには必ず10人20人の知り合いがい てだからうんなんかコミュニティを支援 するんじゃなくてその人をちゃんと支援し ていくとその人の後ろの人も助けることが できるんですよなぜかと言うとその人が うん困あその友達がうん困ってる時に繋い でくれるのでなので常に日々の日々目の前 にいる人を助けることが大事だし日々目の 前にいる人と挨拶するていうその関係を 取っていくことがきっと日常日常が大事で 日常ができていれば非日常の時にもすぐに 手が出せるだそれがコミュニティの支援に も繋がっていくそう思っていますあと ついでに言うとそのバディをしていて苦労 したことがっていう質問があるんですけど も苦労っていうか楽しいんですよいろんな ことが起きてきますけどはいうんなんか 最初のそのいろんな人が私にうまくいか ないことでわって言ってきた時はちょっと 辛かったですけどあとその後苦労と思った ことがあまりないですねあと費用に関して はそのまバディシステムと言って色々と 催しとかイベントとかになっていくとそう いったものはやっぱりいろんなとこから 補助金もらったり女性金もらったり寄付 募ったりってこともあるんですけど基本バ ディーってさっきマルティンさん おっしゃった通り簡単に自分身が身1つで できるので挨拶する恋をかける気持ちの 部分なので自分がさ声をかけようて思う その気持ちがバディーの第1歩なのでなの でまずみ1つから始めてもらうといいかな と思い ますそうですねはいありがとうございます あまじさんなんかコメントいかがです かうんまさっき言ったようににさんうん えっと黒があってもその何があっても勉強 になりますのねどうやって すへ良くなるためにはそういう悪いことも 必要だと思い ます地域であの向き合う人と向き合わない 人あり絶対どこにもいますうんそれがどこ 言って もいあのそういう人はいる からじゃあそれをどうやっ てその人を向き合う口 にどどうしたら分かって くれる考えるはこあの私たちの 1つの宿題

ですうんうん本当にそう思いますでも5年 前向いてなかった人が今確実に向いてくれ てるんですよあ すごいなんかやっぱり熱なんだと思うん です熱くずっと語り続けてたりもう私も よくもう地域の方たちから意見もらって こうイライラする時もあるんですけどでも その人がでも次に別の場所ですごい あのすごくま色々話してくれたりすること もあるんでだからなんか自分が思ってるの と違うことってねマルティンありますね あるあるよくある ねなるほどねやっぱりこう熱を持ってその こう熱をこう伝え続けていくというかね 先ほどあの挨拶をしてま2人3人ぐらい しか返してくれなくてもそこでげないでま こうちょっとずつ自分にできることをし たりあとはま相手ももしかしたら タイミングとかなんかあるかもしれない ですよね興味がたまたまないとか忙しいと か何かあるかもしれないのでそここずっと あのクリックしたりノックしたりし続けて いくっていうなんかそのなんかお2人の なんか温かい気持ちがなんか今すごく 伝わってきましたはいありがとうござい ますはい次の質問はマルティンがいいと 思うんですあこの外国の人が私たちのとこ は集まってくるんですけどうんなぜなぜ 集まってくるかえっともすいません読んで もらいますこの前この前のあ違う マルティンのあのチラシの話うんチラシを 貼っても集まってこないよねっていう話を してもらうといいと思いますあああの防災 このねなかなか外国の人が参加しないで前 市民会で話が聞きまし たどうやったら声かけてもあのいや声かけ てもじゃなくてあのはみはってもうん階段 のところに神があるいろんなとこに インターネットでもう発信しますでも参加 しない外国の人がね 0その話聞いた時にじゃああの参加した 日本の人 がどうやってあの何を使って参加をしまし た私は聞きましたそのデータがないよ 例えば私は友達から誘われ たあのそのそのデータは欲しいそうれいう 日本人が参加したした人私も同じことすれ ば外国の人も参加する それは あのこれからやらないといけないと思って 私も参加してほしいね防災込んでいろんな 勉強しないといけない私たちにの国はない ことはここで起きるかもしれないそのため にはその準備その勉強は大事だと思い ますでもそれがあの

まだまだどうやってそのやり方をまだ掴ん でないね参加しないだからその参加する人 の真似同じことすればこっちも出ていく じゃないかなと思ってでもそれは出たは 取ってないねただ数えるだけ日人は何人出 た外国の人はゼロそれ だけここ分かればじゃあこれはこっちに 持っていこうっての 話1番まだ人はを犯すの多分この マルティンに行きましょうってじゃあ私 行きますみたいなそのネットとかそういう 神とか力とたくさんの人にできるけど まだまだその一対1の人と人の誘いまだ すごく大事だと思います うんなんかそれがきっとバディの役割だと 思うんですうんうんでだから私たち多分さ やっても集まってくるのはあちょっと言っ てみようよっってだからみんなが人が人を 呼ぶのでだからそのま1番は核となる人を ま捕まえるっていうのはすごい大事でだ から私も今日この話はマルティンさん一緒 にやろうって言った捕まえるじゃないです かだそのやっぱり一緒に盛り上げてくれる 信頼できる人を早めに皆さんも捕まえ るっていうのはすごい大事かなと思います なるほどですね確かにはいありがとう ございますあの今お2人の話を聞いてて私 あの札幌であのジャイカの札幌のセンター があってあのよく国際協力のイベントとか もやってたんですけどもやっぱりですね チラシよりSNSより口コミが意外と多い んですよねねなのでねそうですよねなので ま分多分こう検索して参加しようと思って 人はもう自分で検索してあの自分で参加 するのであとはじゃああの歩踏み出したい けどどうしようって思ってる人をこうどう いう風にこうね誘っていくか巻き込んで いくかっていうところだ思よく1本釣 りって言うんです けどあの本当に1本ずつだから挨拶して 仲良くなってもっと近くになってった人を どんどんどんどん増やしていくそれしか ないんですよ近道がなくてで地域の人が2 さんが外国の人連れて俺らのところにこれ はいいって思ってるんですよ来てそのお 祭りを盛り上げてくれでもそれじゃ地域 強制じゃ ないその地域でそれができていかなきゃ いけないけどまだ私たち実はまだそこまで は言ってないんですねそこを今からやって いきたいうんなるほどですねはい ありがとうございますえっとですね たくさんご質問もいだいてるんですけれど もそれではですねえ名古屋市在住の方から ですねはいえコメントいただいてい

ます日本の行政の方と外国籍の方との 歩み寄りが進んだきっかけは何だったの でしょうかというところですねはいもし よろしければ人にお答えいただいてあと最 私たちすごいまあの行政と近い位置でえ 授業をやっていてす行政の担当者とも本当 にもう四重こう連絡を取り合ってるような 感じなんですあと私たちも死の動きには すごく敏感にだから死の動きに伴走して くってことも決めているのでなので市が あの市民会議をやりますって言ったら じゃあ私たちはその市民会議にどう外国の 人が参加できるかなってことを考えますで 市の担当者に私も何人かけどいいかなて もちろんみたいなそんな感じでやるのでだ からこれ市民1人1人の意識とそのまあの 今日の話で言うならバディさんが市民会議 に行くから一緒に行こって誘ってもらうな ので今質問者の方が私も行くからそこに 一緒に連れて行きたいってなんか自分の 参加してるところに1人1人と連れてって くれたらなんか嬉しいなと思いますそう さんはもうその形ですうんうんうんはい ありがとうございますそれではですねあの 時間もかなりあの短くなってきたのですが あの最後マルティンさんにあのちょっと 閉めてもらうようなあの質問が来ています のでえっとこちらマルティンさんにお答え いただいてあの最後の質問とさせて いただきたいんですけれどもマテンさんに とってバディはどのような存在ですか バディの魅力は何ですかというですが いかがでしょうはいありがとうございます え私にとってバディて特別なことする人 じゃない今まで何回も説明したんですが あのスナグセンターでやること外で違う 場所でやることは全く同じことです あの目の前にいる人たちを外国の人を私は は近づくまセンタでセンターで言うと 初めて来た人 がもう1回来てほしいそのためにはま名前 なんですかどこから来たその簡単なこと その人の日本語できるレベルに合わせる 難しいことを言わ ない挨拶だけだったらもう挨拶だけで笑顔 でその人はまた来るようにそれからが私 もう32年3年ぐらい日本で暮らして いるもうちょっと日本語できる人と話すと 私の経験これだけこんなことありました よだから日本語の勉強もとても大事です 勉強しなくてもいい知ってもいいじゃなく て勉強しないといけないはとても大事です こうやって分かれる道が そういう経験もいろんな人に話し たい今ある私たち生活がある日ある理由で

変わってか変わるかもしれ ないそのためにはあのその時来たら私どう やって生きるどうやって日本に残る変え たい変えたくないじゃあまず日本を勉強し でそれはまずあの竹のよね日本の竹7年 ぐらい何も頭出 ないし下だけ強くするその後は上が 出るそれは今やらないといけない みんなまず日本の勉強し て深く強くなっ てその後何が切っても倒れないように私は そういう倒れた人はたくさん見まし た勉強しないでしなくてもいいから今役所 とかそういうの便利だ便利です役の人も いるスマホもあるだからしなくてもいい 考え方 は変えないといけ ない勉強を日本語の勉強しないといけない そういうメッセージをみんなに 伝える役割だとと思います うんマンテンはいマルティンにとって バディはどんな存在ですかあマルティンが バディを受けて楽しかった嬉しかったこと を教えて最後みんなに説明してあげて 欲しいですあじゃあそれは2年間あのつ子 センターであったのこことですじゃああの 私知らないセンタにに 行く で迎えに来た人その私の 経験行きたくなったのそれ1つの理由 です私の関したことを同じようなことを来 た人にやり ます私仲間増やしたいもっと人が来て ほしいそのためには私感じたことをした こと が あのた人にもうあのやりますそれでか なあのそのやったことが 私たちマルティンにやったことが マルティンの心が開いたことなのかなうん そうですよさですよね先に心クリックされ たと思っているっていうことでいいのかな うんやっぱりも私もそういう3年前にあっ たからその経験が言葉できない気持ちは 言葉にあの伝えることはできないそれ私も 分かる から年齢なく若い人私上の人その人に 合わせる私そういうことも分かるからうん だ心が辛い辛い思いを人で抱え込まないで ちゃんと 開けるのがバディの割りだしうん マルティンがバディを受けてと思ったて いう感じそういうことしないと繰り返す 繰り返すの私の ヒストリーだから私は3年かかったね大体

このハのために はもっと早くできると思って今今 気づくもう遅くないわいつでも30年前来 た人方でもできるし今切ったかあの来た ばかりの人でもすぐ入れるその入り口見せ ないといけないようんうんぐるぐる回ら ないで入り口を 見せるつセンターだったり別の場所でも いろんな入り口があります私は紹介できる のは こここういう場所は私はいろんなことが 分かりました日本語の勉強も上がっ たバディ受けて楽しかったってことなん ですよね うんこれからもよろしくお願いします こちらこそ はいねマキンさん自身もあの日本でえ働い て暮らす 外国人ましたありがとうございますはい ちょっとですね今そろそろあの閉会の時間 にえなっているんですけれどもえ簡単にえ 私の方からちょっとご案内とあの最後のご 挨拶についてはいあのアナウンスさせて いただきたいと思いますえ皆様にですね今 あのえチャットの方にジャカチューブ センターでえバニルについてえご紹介して いるパンフレットや動画を作成しており ますのでえこちらえチャットの方を皆様 ご覧いただければと思いますえまたもう1 つですねあのジャカの取り組みとしてえ JP未来というあのアプリもございますの でえそちらの方もあのチャットの方から ご覧いただければという風に思います今日 はあのニさんマーティンさんにあの大変 素敵なお話をいだいたのですがえそれでは あのさこのえセミナーの最後にですねえジ 中南部部長の小原よりまにえご挨拶を 申し上げたいと思いますはいえリさん マルティンさんあの今日はえ非常に分かり やすい説明またあのえ熱いあの心がこった 説明ありがとうございましたまたあのマ さんもね30年以上のあのえ日本での ライフストーリーえについてもあの大変 ええ興味深く聞かせていただきましたあの 多価強制をまどうやって取り組めばいいの かあの考えてる方にもたくさんのヒントが あったんじゃないかなという風に思います 相手の立場になるということもまそうなん ですけども無理なく自分ができることを 好きな好きな時間にまやるというところも ですね非常に共感できましたであとあの3 割バッターですね者の例えも非常に良かっ たですあの私自身もちょっとシャイな方な のであの1人2人やってみてうまくいか なかったらですねくじけてしまいそうなえ

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たら嬉しいと思いますありがとうござい ますはいお2人のメッセージばっちり届き ましたありがとうございますはいえそれで は本日のえジャカオンラインセミナー多 文化強制を考えるですねあのこれで閉会と させていただきたいと思ますご参加の皆様 どうもありがとうございまし たありがとうございましたありがとう ござい

JICAは2021年度から、国内在住日系人の方々の就労、生活、教育・就学、老後などの様々な課題を取り上げ、有識者と視聴者のみなさまと共に多文化共生社会について考えるためのオンライン・セミナー「多文化共生・日本社会を考える」連続シリーズを実施して参りました。
第22回となる本回は、愛知県高浜市で地域に根差した多文化共生の活動に取り組んでいる公益社団法人トレイディングケア代表理事 新美 純子さんおよび同団体の取り組みに参加しているアルゼンチン出身の日系2世新膳マルティンさんにご登壇いただきました。
活動で重要な役割を担う「バディ」という取り組みのきっかけ、高浜市で開始した背景、バディによって外国籍住民はどのような生活を送っているのか等、新美さんにお話を伺いました。来日して30年以上が経ち、現在はバディとして団体の活動に参加するマルティンさんにもライフストーリーを含めお話を伺いました。今日から始められる多文化共生のヒントが散りばめられています。どうぞご視聴ください。

◆ご登壇者
・公益社団法人トレイディングケア代表理事 新美 純子氏
・新膳 マルティン 氏

※ご参考
公益社団法人トレイディングケア×JICA中部作成 冊子「今日から私もバディさん」
https://www.jica.go.jp/Resource/chubu/topics/2022/20220428_02.html

※2024年2月22日に実施されたセミナーの録画映像です。

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