スポーツ通じて人がつながる場所を…震災20年後を見据えた男性の挑戦〈宮城・南三陸町〉 (24/03/15 15:06)
ラリー続けて大体慣れたなと思ったら ちょっと紅白戦みたいなはい南三陸町に 住む佐藤二さん30歳 です8年前生まれ育った南三陸町に スポーツクラブを設立しまし た自分が元々ま趣味のレベルで続けられる スポーツの場所が欲しいなと思いから作ら せてもいまし たスポーツクラブアクティブこの名前には 佐藤の込められています緩く集まれたら いいなと思ったのでまひらがなで表現し たりとかっていうところはちょっとだけ 考えましたいやすごい楽しいですねなんか 脇あいてやっててなんか交流しながら スポーツしながらなんか仲良くなれるのが すごい楽しい です大学を卒業したら町に戻って働けば いい佐藤さんは高校時代これといった夢は なく将来について漠然と考えていたと言い ますよくよくまその高校の時と友達と夜中 チャリンコ恋でここまで来てちょっと夜腰 見て喋るみたいなとかそういうちょっと絵 散らかしたこともしてたので結構本当に なんか思い出詰まってる場所ですね1番ね ここ は高校2年生だったあの日東日本大震災の 津波が町を襲いました 南三陸町では620人が死亡211人が 行方不明になりました6割もの住宅が全回 の被害を受け港町の風景は一変しまし た佐藤さんも一時避難所へ身を寄せそこで 聞いた祖父の言葉が将来を考える大きな きっかけになったと言い ます 結果としてま当時その祖父から言われた ことは結構大きかったんですけどその道路 とか家とか生活する中で最必なものをまず 直すのに10年かかるよとでその後の10 年間がまいい街になるための時間だと教え てくれてい て故郷に笑顔を取り戻したいその時えた 思いと大学生の時ラド留学で目にした日常 にスポーツが溶け込んだ風景が佐藤さんの 今につがっていると言い ますただと競技的にあの突き詰めていく ものではなくて障害スポーツとしてま年齢 とか場所とか関係なく自分の好きなレベル で好きな人たちと好きな場所で続ける好き なスポーツっていうものが受け入れられ てる感覚がすごく自分の中では一番学びに なったというか 佐藤さんは大学卒業前にスポーツを通じて 南三陸町に気軽に集まれる場所を作ろうと 故郷に帰ってスポーツクラブを立ち上げる ことを決めました町民同士の交流を広げる
ため佐藤さんが今挑戦していることがあり ますそれは町内に30近くあるスポーツ サークルの一元家 です今まで単一の教室とかサークルででき なかったことが統合して総合型地域 スポーツクラブっていうある人そのま街で 認可を受けて社会教育団体とかその役場と 手を組んでスポーツ推奨行ってくる団体と してその受けれるサポートもまた変わって くるのでそういったメリットをこの1万人 弱の街だったらできるんじゃないかって いう仮説をずっと立ててるんですよ ねコミュニティを1つにまとめそれぞれの ライフスタイルに合わせてスポーツを 楽しめる環境を作る震災から13年が経っ たこの町で佐藤さんが目指すのはスポーツ を通じて人がつがる場所を作ること ですなんかこう1つのスポーツっていうの を返してこうグっと距離が縮まるのが すごく嬉しいですね定期的に来れるなんか 受け入れてもらえる場所なので今後も割り 続けて欲しいなと思ってますまあは自分 自身がこの時間を楽しむことが第一優先だ と思っていてその上であの頑張りすぎずに ゆく自分自身が続けられるペースで周りの 方々と協力しながらこの場所をま価値が あるものとしてま作っていくことが大事な んじゃないかなと思ってい [拍手] ます ナナスゆっくりと1歩ずつ郷を思いながら 顔を増やしていくつもり です
東日本大震災で大きな被害を受けた南三陸町に、スポーツクラブを立ち上げた男性がいます。
「人がつながる場所を作りたい」。
ふるさとのこれからを思い描きながら、軽やかに歩みを進めています。
佐藤慶治さん
「ラリー続けて慣れてきたら紅白戦…」
南三陸町に住む佐藤慶治さん、30歳です。8年前、生まれ育った南三陸町にスポーツクラブを設立しました。
佐藤慶治さん
「自分がもともと、趣味のレベルで続けられるスポーツの場所がほしいなという思いから作りました」
「スポーツクラブあくてぃぶ!」
この名前には、佐藤さんの思いが込められています。
佐藤慶治さん
「“ゆるく”集まれたらいいなと思ったので、ひらがなで表現したりとかっていうところはちょっとだけ考えました」
初めて参加した人
「すごく楽しいですね、和気あいあいとやってて」
初めて参加した人
「交流しながら、スポーツしながら仲良くなれるのがすごく楽しい」
「大学を卒業したら町に戻って働ければいい」。
佐藤さんは高校時代、これといった夢はなく、将来について漠然と考えていたといいます。
佐藤慶治さん
「よく高校の友達と夜中自転車をこいでここまで来てちょっと夜、星みてしゃべるみたいなこともしてたので。本当になんか思い出詰まっている場所ですね、ここは…」
高校2年生だったあの日、東日本大震災の津波が町を襲いました。
南三陸町では620人が死亡、211人が行方不明になりました。
6割もの住宅が全壊の被害を受け、港町の風景は一変しました。
佐藤さんも一時、避難所へ身を寄せ、そこで聞いた祖父の言葉が将来を考える大きなきっかけになったといいます。
佐藤慶治さん
「結果として当時、祖父から言われたことは結構大きかったんですけど、『その道路とか家とか、生活する中で最低限必要なものをまず直すのに10年かかるよ』と。その後の10年間がいい町になるための時間だと、教えてくれていて」
「ふるさとに笑顔を取り戻したい」。
そのとき芽生えた思いと、大学生のときフィンランド留学で目にした「日常にスポーツが溶け込んだ風景」が佐藤さんの今につながっているといいます。
佐藤慶治さん
「ただただ競技的に突き詰めていくものではなくて、生涯スポーツとして、年齢とか場所とか関係なく、自分の好きなレベルで、好きな人たちと好きな場所で続ける。好きなスポーツっていうものが受け入れられてる感覚が、すごく自分の中では一番学びになったというか」
佐藤さんは大学卒業を前に、スポーツを通じて南三陸町に「気軽に集まれる場所」をつくろうと、ふるさとに帰ってスポーツクラブを立ち上げることを決めました。
町民同士の交流を広げるため、佐藤さんが今、挑戦していることがあります。
それは、町内に30近くあるスポーツサークルの「一元化」です。
佐藤慶治さん
「今まで単一の教室とかサークルでできなかったことが、総合して総合型地域スポーツクラブっていう、ある種、町で認可を受けている社会教育団体とか、役場と手を組んでスポーツ推進を行っていく団体だと、受けられるサポートが変わってくるので。そういったメリットを、この1万人弱の町だったらできるんじゃないかっていう仮説をずっと立てているんですよね…」
コミュニティーをひとつにまとめ、それぞれのライフスタイルに合わせて、スポーツを楽しめる環境を作る。
震災から13年が経ったこの町で佐藤さんが目指すのは、スポーツを通じて人がつながる場所を作ることです。
何度か参加している人
「一つのスポーツを介してグッと距離が縮まるのがすごくうれしいですね」
何度か参加している人
「定期的に来れる、受け入れてもらえる場所なので今後もあり続けてほしいと思う」
佐藤慶治さん
「まずは自分自身がこの時間を楽しむことが第一優先と思っていて、その上で頑張りすぎず“ゆるく”自分自身が続けられるペースで周りの方々と協力しながらこの場所を価値があるものとして作っていくことが大事なんじゃないかなと思っています」
楽しんでる様子みせてゆっくりと、一歩ずつ…ふるさとを思いながら笑顔を増やしていくつもりです。