京都面白大学第84講 椚座信「樂園づくり構想」の始まりと展開 2024年3月2日 video1551188122
ませ買うとは限らないですまもちろんそれ もありね はいはいに 入る入っちゃう入ってるよじゃいやいや あなたはね1つのね拠点リーダーなでは あのちょっとね あの今日はですねあの昨日本当は1泊して 1泊できたらあの回りながらあの審査の とこ尋ねて行こうと思ってたしてたらうん だけど予定が苦しちゃったからあの全部こ 5さんになったかま予定立たなくなったん で返信もできなかったはいそれでえついて からま臨応にやろうとはいおきですたです ねあの今日9時半にこちらに着くことが できてま9時半に乗って9時45分にすぐ ことができますそしてうちえ子さんまず あってそしてこの辺を少し回ってそれで 交流センターに行って午前中はその辺を こう里さんにお会いしまし た さんをやってそれからあのさんと事長NP のあって少し紹介して挨拶しはいでこちら はあの黒田審さんはN法人あの船の新行会 の理事理事をやっているんですがあの拠点 は2つあって大阪の方の拠点とはいこちら のですね高島の拠点ですそれから塩崎にも もう1つ拠点があるんでま大体3箇所拠点 にしながらありうんいあるもうできたあき まし大よまあの自分しかいないんだ からそれで え拠点をしながらここにえ元々は大阪人な んですけれどもえ北島と塩野崎の3点を 活動して楽園学会の中心に楽園学会なん です楽園学会の中心人物がく座新さで彼が 楽園というものをずっとあのもう20年 30年32年目ですね30年言い続けてき てやっとね3年前から形なで島で2回ね 大会やつでそうですねま楽園海から見た 陸上の楽園騒動ですね後ね少しゆっっくり 話してた知となんかからYouTubeか なんかで出てまあにあのそうそういだき ましたはいれであの今日1番目的は佐藤信 さんのえ富山県 の 都あ都にですねあの物語の町医療え施設を え最後までえなくなるところまで見ること にできる医療置してるお医者さんであり 経営者でもあるますでその南にそういった あの物語ののね医療スを作りたいという ことで小者市長とあの部長さんと課長さん 昨日1時間半話をしてたでこちらはあの島 の進む東京大学名誉教授でえ常治大学グリ 研究所の所長を10年務めてきたあの宗教 学者ま日本の本宗教学をリードしてきた方 ですで一緒になってあの応援なでね我々は
ついてして昨日はあの市の職員と びっちり まで今日あの本当は昨日渡る予定でえ今日 にやってで今日来てなんで審さんとこへま ちょっと挨拶によろうとでまここでお昼が 食べられればとでこちらの方はあののさん のさんはあの日本臨床宗教司会という会の 今度楽園学会であのお茶のやってくれる あのお茶会のね具体的な彼女が中心になっ て進めてくれます坊でも坊でもある中 ですということでしさんちょっとねあのし さんのお話を皆 さん何をお話したらいいあの楽園学会と ですね高島がなんであなたにとってその 楽園のね出会にこう繋がってきたのかで今 潮のみとまこの海沿いではあの塩のと熊の ですねえ倉島そして楽園学会は今年は3回 目を京都芸術大学で運転という天覧会と共 にもう少し今まではね総括的にあの大きく やろうという動きになってきてるのでその ことも合わせてご説明 ください突然 ですまま普段あの常日頃言ってることの話 をさせていたいたなと思うんですけど 醤ですかあや いですね うんさそうすませんありがとうございます はいありがとうござい ますはい どうぞ分をねけ自分いやいやいいんです 全然そうですねあのクカにご縁いただいた ところからお話をしたらいいのかまえっと そもそもの話をしたらいいのかちょっと 迷いますま基本的にはあのそもそもから 言ってくれたが分かりやすいとあそうです かうんえっと僕はあの幼稚園というか小 学校に入るまで楽園に本当に楽園に来てた し もうあの半期に世界とかうんあの金色って いうか黄色の世界に生きてたですでなんか すごくこう毎日が話してて疲れきってもう 夜は倒れるように見えるみたいな本当に こう幼稚園で もなんかまリーダーっていうかなんかこう 盛り上げることが大きで応援してちょっと くもった子供が来て仲間みたいな感じでっ て盛り上げてれていいですかなそのを 明るくしていくっていうがなんか自分の こう使命というかなんかそんなように 生きれてますがでそれがですね道路行どさ 小学校に入った 瞬間なんかガラスがねなんか防犯のためが なんかガラスになっててでそれもあの なんかを走ってて暗いんですよね昼間でも こうやって電気をつけてないとダメで
しかも妖精の時はこうサークルになって ほとんどの場合はあの椅子がならんでて 先生が端っこでオルガン引いてやるとか 先生が真ん中に入って今日はこうれです みたいなこサークルになってこのの顔がこ やって爪に見えてる わそれが小学があってどこに見たてこう やって座らされてうん動いちゃいけない うん動いちゃいけなくてっていうのが 始まって一体これは何なんだどこへ向かう のかっていうの が違感ねってであの僕は風かだったんで その例えば10分間テストって感じのあの 前の日に習ったことをやるじゃ であれでね例えばあの川っていうを書い たりするとそのそのその自き終わるか 終わらないかぐらい に昨日あいつとあのドがであのちゃでわっ たそんなから今日はあのおもちゃを持って こういう風にしたら始まるわけですよ頭で うんでそれが始まってて気がつい たらはい鉛筆をいちゃ と2問しか問のうち2問しかけなくて2点 とか1点なわけですよそうそうそういう ことは毎日やってるわけなんでそのうち 先生がそのに呼び出されてまち怒られるん ですけどあのある時先生がですよ私は るよすっごいエネルギーで僕に怒られです その瞬間なんか色々見え て僕のためで はそれはあなたと仕事でょていうの とまこういうことをあの人前でこう映像で 残すと ちょっとあるかもわかりませんはもう行 らしい全然係私はもうでいるからあのその 先生 の後ろでこうその先生が豊か に なんか色んな縛りがあ るっていうのは見えちゃったんですよだ けどそれ言うとこの先生逆するていう僕の ためじゃないですって言うともう1段 テンション上がって怒られるとかあとこれ を父に言っと母に言っとまかり通らんなっ ていうことも分かっちゃったんですよね なんでそこから僕はま学校のほどほどに あ怒られない続けないようにほどほどにあ は明るく 軽く楽しい方向へほとんどたまたま僕は そういうことができる家庭にいました うん少し恵まれてましたうんでかつ兄が それこそ蘇山大がってるような人でま今 えっと名で体感するのかなまもなくって いうなんかあはなんか一生懸命やってくれ た姉もすごくあの親が望む形をやってくれ
た人なんでほとんどなんで何ごまかせた わけですうんでだからそういう好題をこう やって生きてきたんですけどそのまま社会 にれて社会でもなんかその明るく 楽しくみたいなことが授業にあったりとか し て企業をやったりですねそれが持てはやさ れた時代だったんですよねちょうどバブル の 代だから生きる場があったそれがバブルが 崩壊した辺りからなんか社会が本当に閉塞 しだし たその時にいやこのまま言ったら本当に みんな誰も幸せになれへんぞっていうこと を思い出してでそれから初めて僕勉強 しらすたんですよ世の中の哲学はどう考え てるの経済学者どう考えてるの業学者は どう考えてるので梅原先あのいろんな人を お尋ねんですけどで梅原先生とこで書けし てあの自分の事ぶつけたそしたら非常に 面白いだけど哲学というのは時間をかけて 熟成していくんであのあのしっかり 積み重ねなさいみたいなことであのその時 にいいた本の中にまず自分のアイデンティ ティっていうか自分の文化の自分を成立さ せてる文化をまずすることみたいなことが 聞かれてるものをいだいてでまその日本の 文化のルーツは琉球とアにあるみたいな なんかそんなお話があったんですであの僕 はサビをしてましたんで北海道は寒すぎる と沖縄は あで友達がいましたんででサーフボードを 持ってですね沖縄に来たわそれが29です ねあえっと30歳ですねそ何年前になり ますかだから32年前ですね32年前ね 30年前でてことは90年頃ね91年年 そうですねバブルの年バブルがもうあの 実際に綻しててえっと世の中的にはまだ もう でそういうところから あの沖縄を色々こう巡っていくとくえくえ ていう話があってこの島に 流れでそのその時から僕の興味はあの文化 ではないんです 文化ではなくてこの海だったうんここの海 が本当に素晴らしくてサフボードを抱えて 飛び込んだわけなんですけどそれまで ハワイとかまインドネシアとか綺麗なは たくさん知てた沖縄本と綺麗なとこ来たん ですけどここの海に飛び込んだサフボド 抱えて飛び込んだ時のこの海の自分に 対するまりつき方が尋常じゃなくてれも ノックアウトれんだちょっと波も良かった んです けど今日もやってきました
が入ってきましたで そのそれからその文化じゃなくてここの海 へ取り込むための火がずっと 始まるでそのうちに そのえっと自分含めてその人間社会が今 いろんな問題を起こしてる本に水の惑星の 生物であるっていうこと が書いてるそこが飛んでて陸上の理論す 概念で色々動いてるところに問題があるん じゃないかてこと気がするんですでこれを 理解してもらえること何度か広げようと いうことで分かりやすいこと必要の授業を まずここで やいうようなことで 中の授業をやりたいっていうことでこの島 に思うんですけどまここはあの土の主って いうのができないでお金を持ってるからて 言って授業ができるかたそうではないそこ からまああのまだ業成立するまで本当に こう色積みたてないとみたいなことができ て中の授業もできうん あの味の作るそうですそうです島のさっき 言ってましたねあれの1番の仕掛かりは僕 僕ともちろんあのえっと島の方があの施設 を作るための提供者ということでそらが 事業者になっていただいてみたいなことで 準の授業始めるそれが22年前うんで そんなことがまま今今のその楽園想像とか まそれ も今本当にやろうとしてるのは水の惑星の 学校っていうその水のことをもっと理解し 僕たちの体は7割は水で出来上がってます よねこの水の状態を知るというか自らを 愛するというか水を愛する人は自らを 愛せるみたいなことここをちゃんと育てる こと でなんか概念同士とか価値観の ぶつかり合いというものを超えていく きっかけになるんではないのかなっていう ことでちょっと色々取り組みをやっててで あのその上ですごく大事なのはやっぱり今 の社会の学問の世界を色々動かしてる方々 にこの僕の訴えを体感していただくこと 気づいていただくそれが大事だっていうん であの楽園学会みたいなものを抑えたいと いう思いをまそれも10年ぐらい前から ですねこう色々な方に 相談行ってでその中で京都芸術大学の国学 所の大野先生に出会うことができ てそれに積み重ねる中で実は蒲田先生は もう僕がこの衆作りでこの署内に買い出し た時からもうあの学生たちを連れて来られ てたりとか坂本坂本さんの施設にわって たりもちろん大監督のあのにあの協力され てたりとかそういう関係は存じ上げてたん
ですけどなせ 先生クという [笑い] かはそのはないですけどあの僕からする やっぱりそのちょっと近寄りがっていうか 難しかったですよ今でこそなんか僕の話も こうやって聞いていただけるような関係と いうかなんかある意味僕もそうだったの かかん当時は自分の感が特化しすぎてて そのままパンてつけると弾かれるなっって いうようなことを感じてなのかまなかなか こうまた大監督すっごい個性が 何回か出会うんですそれ以上こう近づけ 近づきたくないそんな感じが 当みたいな こと今に至りますという流れでねそれで 具体的に はま34年前 にさんが我家きてくれてそしてその構想を ねま本彼が4年前ですね出したのそうです ねあのえっとタイトルを教えてく原点会議 海に戻るって会はねそうあの回るじゃなく てね海に変えるですこの原海に変え るっていうるじゃない私のねはい提案って いうか望みは佐藤さんが医療施設を南城子 に作ったらここをリトリートのねはい大事 な場所にして審さんのあの原点会の ワークショップをあの佐藤さんさのあの 医療チームと一緒に組んであのリトリート ワークショップをねあの原点回をやって ほしいっていうのが私のね具体的な提案 っていうかあのやって欲しいことなのよだ から絶対結びつけたいわけあそうなんです か結びつけたかったわけで具体的に彼は それをもう あの数年やってるもんねそうですね プログラムとしていろんな方にそれでえ 佐藤さんには見てもらってそピザ浜とかね あいてここだったらにみがねあの体の全て をめてあのリトリートできるねで職員も 職員もみんなもあの患者というかシスの人 たちも全員がそういう風な環境を作れるね 1番審さんがそれぴったりなわけよ地元に いてもう既にあの外と内部と両方単なる うちなる人じゃないからで単なるそなる人 でもないから両方ブリッジできるので一番 それをこうケアできるね経験とあのノハと 彼を持ってるでそれ彼はあのここにも理事 として研究法人のあの活動もねしっかりと を下ろせるそういう意味で佐藤さんと つげることによっても具体的なプログラム がしっかりと1つ立つ8だということでね 是非相談をして とってそれはつのことを考え34年後あう であればあのどんよる証拠でまずその僕が
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確か にどっかこに来て体も癒される心も癒さ れる魂も癒されるそれを聞た人たちだけ そうなんていうの利用するんじゃなくて それをこ少して積極的に来てくださるよう ありがたい私はあの党であのカウンセラー さしていいてんですしてんけはいはいそう いう 先はそう意で私たちセルフケアで癒されに きたい とて初めてあそうめだから大さんの絵はい はいあの実行福井長だからあの 政策3分のね島野さんは福実委長大さんの カカは受けてるんだけどねそう場所に 初めてきてあそうです かこれはえお昼からどういうお昼からは ですねカール崎にあの行ってそしてその後 はあの3時半にはい豊さんが戻ってくると いうので5時にはねうん5時にはあの乗ら ないといかないから3時半過ぎからあの うち内さんのとこ行ってちょっとあの1 時間弱ぐらいお話をしたという連絡ない ですねついたですさんもつくと思うんです けれどもはいミちゃすいませんまたなんか はいカードに書かれますはい書きますうん 書いて ください まし奥田さんにここで収録中です尋ねて 来れますかってしたんですけど星がないの で1のに乗ってるはずなんですね1時 じゃあもうちょっと待ちましょうじゃね はいよろしくき ますで今回あのさんは結構長いこといるん じゃないの3月末までですえ1月からて うん2月の12日からですねあ2月の12 日から3月末まではい1ヶ月半いるわけ ですねはいはいそれでその後くの熊野の話 をちょっと皆さんにうんどんな風に今 トレーラーハウスをね3つぐらい持ってい てそこは1つのあのいい場所をね持って ちょっとお話ししてくださいそう 難しいですねまた難しいねいやあの えっとま僕は大阪生まれて え京都にも縁があってみたいなことの中 でうんサーフィンを始めたりとかなんか するんですけど金半島ともすごく危険が あってでまたカは吉野山の人ね 山奥木材主森林王森林主えっとその山もの 家庭の 古いなんかその辺の話するなるんですけど 金半島とすごく円かあって散々橋もうあの 山というかもう基本はサーフィなんで海岸 線を通しに海岸線に行くために山越をして いるっていうなことやってかなと出うん たりとかするんですけど
うんそのえっと熊野モっていうのが何を やってたのかっていうことが分かり出して うんま原点会見ですうんで京都の文化はま 例えば熊野モではえっと熊野行道っていう ことで地元の人たちがワイワイワイワイ今 やってますけどいや熊では京都にはませよ ねていうのと京都の人たが自然のこと ちょっと忘れすぎてませんかっていうの とみたいなことでえっとその今週の災難間 の本当の突端に塩のみっていうとこある ですでそこのまた端 に15年前たまたま 僕にっていうぐらいの話でちが出にったん です ですぐなんか動かすんだろうなと思い ながら来 [音楽] た何も動かすことができずにちだけ だいでそれを 出すんですけどそれは僕がどういう風に この土を動かすのかをちゃんと理解しない と動かせ うんなんかそんなだったのかなて今はそう いうに釈うんで要はもう1 回 あと本当に話すの難しい日本の文化って 本当に得意だと僕思うんですね精神文明を かなり面白く面白おかしくやってたうんだ も例えば簡単に言うとあの戦国時代から 江戸時代にポンて変えたりとかはいてあの 間本当に転換させて今までは両の世界北高 とか兵力とかそういう数の世界が大事だて きってたのをやめてクオリティの時代に しようよあすことはダメよみたいなことを ポンって変えたりする力をてそれをまた 250年ぐらいシコシコとコツコツと 積み重ねてそれこそ宗教にあの飽きたらず いろんな道 をです生み出したいとありがとうござい まし た様でし たごとお疲れ 様そうもっと最ですよねそうですよねだ からそういうなんかあの年を起こす力と あとクリティの文化をやっていくのに僕は 文化をまだまだ浅いですけど知れば知る ほど自然のサイクルを知った人たちが デザインしてクリエティブして宗教その ものも宗教とかあらゆる精神あのを高める ためどっていうのも自然に学んでそれを いかに社会とマッチングさせるかっていう ような努力をしてもう1回そこにその あるいうの を使うことそういうことに共感できる人 たちが集まる
場所 それで実はそこにやっぱクシの流れの沖縄 からのあのっていうのがあるんだろうなと 思ってると出会う人出会う人からいや沖縄 との繋りはこのにはある よ ね はいそれねあの壺に具体的にはもう何年前 ですかトレーラーをええっとそれを 聞き出したの1年半前私去年行ったんだよ ね昨年ですねあもう昨年になるそうですよ 昨年のね夏夏です夏の終わり夏の終りね 行ってですごくねあの本当に海に近い ところでえて34分のねまもう坂をあの 本当に専属の道みたいなうんま プライベートビーチっぽいようなとそこで ここでやってるプカプカの原点回復も潮崎 でも同じとこでできる同じようにできる 同じまえプロシの流れのね流域にあるわけ だからそれであのトレーラーハウスの ところ にどれぐらいの面積の質ですかCさんが僕 は持って700ツだけなんですけど隣に物 が立たないこっちも立たない自然国立公園 なんで立たない全はいだからま2万つ ぐらい系だ自分 のいいですね当然あだからそこは本当に あのリトリートとかあの行ってれば研究 ワークショップねそういう風なことを できる場所としてはなかなかいいよね月 みたもできましたはい えっと50平米のうんあの本当に海に 向かってああいいじゃないです何でも できる茶室も作りました下 にそういうようなことをやっているんです ねだから高島が1つの彼のあの拠点のまこ は約30年かなやってきてで熊の方に10 何年間そうですねやってきてというこの2 箇所はかり重要なあの楽園構の中でもあの 具体的な基盤になるとをねそういうのやっ ていてだからあの年度でもないんですよ 思想でもないやっぱ具体的にこうどうやっ て人直し世直しになっていけばいいかと いうことのプログラムを実践しててそこで そういう具体者と結びつきたいあの思岡は もうほっといてもいいま本当に具体的に 何かができるというねこちらの方が本当に 重要なんま先生がされてきたまあの心身 その義法をやっぱりみんながやっぱり ちゃんと絶していくっていうことだと 思なので特に医療の現場は今言ったように あの兵整備人たちは患者ももちろんだけど も医療者側が本当にブラックロールねもう バンアウトしても半分ぐらいバアウトし てるうん
追いま本当に危的だと思うそれをうまくね こう繋いで回復していくっていうかあの 広いとこへね繋いで希望もね持てるような 状態を作ると全然違ってくるんですで南師 はそういう意味では非常に大事なさんは いかが ですあんまりここでは言わないよう 慌てる慌ててる 様子ここはですねちょっとあのそこは1回 控えてあのてまあのなるなると思 ます事業中事業中だの でそれであの具体的にはね私はあの時が くれば絶対進むと思うしはい問題は場所な んですよで具体的に体育館の東京施設の跡 を見たんだとのも昨日一緒にねでもそれは ちょっと手手まだかなとかあるいはあのの ところに昔の社会福祉会の後てあるんです よね職がすごくいいここも見えますいい 場所かなと思ったんですけどまあなんか もうすでにのものが ちょうど奄美清の道の上ぐらいですかそう ですね うんなのであのまそこは1つの候補地とし てえあるとあの思うけれどいい時があれば ねもっともあのこう豊かな構想を展開も できるしでも拠点を1つ作ってそれを ちょっと感覚を分けて繋いでいくという 手法も投にしもあらずだからそうですね 一気に全部にっていうことでは ないだからやり方は様々あるんじゃない でしょうかで大事なことは具体的に1つ1 つちんと実現の布石をねうん築いていく 打っていくっていうこと だだからそういう実績を積まないと行政の 方も動きにくいしで国の方もそういう風な プログラムを本当に喉からね手が出る ぐらいもう求めているんだよね向こうもね だけど国の考え方はグランドデザインが しっかりさもないからもう先の対象療法 しかやらないので国はねができない小さい 地 の はいでも彼のお父さんはあの国交省とか生 省でねかなりブランドザンをね大きい デザインを作ってきた人なんだよ ねま 内務の最後 うん欲しいね時間がかかるのでご覧しまし 満バ パイン漫画 マはいありがとうございます私 くさいありがとうござい ますそっち何したパインパインで [音楽] まそのようなことで今日
ねすかったんですよさんね昨日もねすかっ たんだけどね何がすかったかいうと ねあの予定は組んできたんですよはい ばっちりねでこの方はあの予定はきちんと 組めるそうなんで私予定が全然組めない 人間なの事務的な仕事はほとんどできない 人間なのでもこの方がいるから事務的な ことは回ってるんだけどいんねそれでね来 たらねもうあ あんまりそれでね来たらね予定が狂って くるわけですよ天候であるとか色んなこと がねそしたらね逆にねあの崩れてくること によっていい縁結びがね次に展開して次 から次へとね今日なか最高のねえ結びが できまして本当にもうあの大さんがいてね もうあそっからね全部ねやってくれてるか のようにねあそうですかそれで全てが うまくいったので審査とも空いてこの話が ね通しがついたし夜は夜でね沖縄大学の 学長に会うわけよはい山代豊さん山さんは あの者さんでもはいで須藤君と一緒にね 色んなあのボランティア活動東日本大震者 の時にやったんそれでそしてあの沖縄大学 の学生を連れてえ東野の地の山奥の大倉と いうところにまあのネジをつけてねそれは 山正さんのお姉さんがタで民子やってる わけです旦那さんとでそのそでね彼女は 幼少期を過ごしてたの あの彼女は あの岩県の山奥でね小学校2年ぐらいまで 年時山奥の 山奥それから彦根の方やね引越さですうん あそうなの県ですだから東のことをよく 知ってんですよそ東野であるとか ねはいそういう声回歩いてたらいろんな人 にあそうもう本当にね向こうからね来て くれるもう言うことないぐらいになので 今日は本当ばっちりでしたありがとう ございますありがとうご何今喋りにきまし たけどということで今日の授業はですねま 1時間ほどの授業をこれで終えたいと思い ます実りのある授業ありがとうございまし たの授てくさい白熱うん白熱です ね ですよ ね
akoon (椚座 信)
NPO法人久高島振興会理事
水の惑星を楽園にする「原点海帰」推進者
楽園学研究者
楽園を求め、サーフボードを抱えて日本各地、ハワイ始め、
世界中の、文化を体感しに旅をする。
1992年久高島に上陸。長年の島通い、人のつながりから、
塩の製造販売事業に関わる。
生粋のRakueneeds(楽園を必要とする人)