著者25周年/100冊記念 神田全集LIVE Vol.37 『日本人の成功法則』 #神田昌典

ストリームはライブですと出ております皆 さん今日は3月まだ3月じゃないねはいえ どうぞよろしくお願いいたし ますはい運に好かれるマインドコーチえ りえさんこんばんはありがとうございます はい今日はですねえ日本人の成功法則と いう本をえこちらを扱います ちょっとそうですねあの毎週月曜日 え私はあの断食の日にしておりましてです ねえまミーティングが月曜って多いので あのお腹空いてもあまり気になんないなと 思ってですねえ断食しておりますま ちょっとえ雑談というえ感じではござい ますがはいありがとうございますあのなぜ 断食をやっているのかという話なんです けどもやっぱすごく健康にいいですねえ むちゃくちゃ健康にいいというところが ありますやっぱり一を休めるって非常に 大事だなとえいうところですねまあの実際 ねえ私あの人前に出るということあるじゃ ないですかだからね結構あのダイエットえ をえ心がけていたわけですよで えバターコーヒーっていうねえ世界最強ま 最強の食事という本がねありましたそれで えノハがバターコーヒーだったんですけど もバターコーヒーOMCTオイルえバター とねMCTオイルえそれをえコーヒーの中 に入れて朝食の代わりにしましょうって いうねそういったノーハウ全世界的にも この世界あごめんなさい最強の食事って いうのはねえ大変大変売れたわけですよで 日本でも実践してる人多いと思いますね それ2年ぐらい続けたかな でそうしましたらですね初めのうちは 痩せるんですけどもあのだんだんだんだん ねえ内臓脂肪がね増えてくるんですよえ チクチクチクチク増えてきてですね おかしいなおかしいなおかしいなとうん あのそう思ってえありとあらゆることやっ てみたんですけどもあのおかしいとでこれ は本当はやるはずのMCTオイルが実は 原因なんじゃないかとえいう風に え考えましてですねMCTオイルをやめて でですねえそしてその後はね現前に変えた んですよねそしたらですね太んないんです よでまあのそれと同時にあの断じやったん ですけどその断食の理由というのがね実は ちょっとMCTオイルだと僕は原因思うん だけど人によって違うからこれだっていう 風に言わない方がいいと思うんだけどあの ポリープがねえ伊長にできてたというま これも早く見かって良かったなって感じな んですけど虫の知らがしましてねでそれで あのえどちらかというと通販でねえ元検診 ができるっていねそういうのがあるんです

よ主要マーカーみたいなねえそれをやって みましたらなんと癌のえリスクを示すです ね数字が通常の100倍とかあってですね これやばいじゃろうと思ってですねま無視 の知が始まってその検診してみたらそう だっていうんで早速人間の毒受けましたま ポリープで住んでよかったなっていうえ とこなんですがま寝てる間にねえ3つ取り ましてですねいやいやいやいやうちの父 93なんだけどねえまそのようにポリポ とったのかみたいな話でねあの自分は何も ないぞみたいなえところでですねま比較的 あのえ長が健康な家庭なのでおそらくなん かなちょっとMCTがり怪しいなだって いう風に思ってますま雑談をしてきました がまあのねえちょっとそんなようなとこの 雑談から今日入ってみました はい 神田さん80なんですか80うん80なん です か関さんなんだうちの父は 93みなもありがとうこんばんはよろしく お願いします断じってやはり時に必要なん ですね僕もそう思いますはい長尾さん よろしくはい思いますえいいですよいい ですよあの断食やってからですね結構あの 腸が綺麗になると肌が綺麗になるっていう ねえ結構え肌ねつやつやしてないですかね あの何も塗ってなかったりしますから ねはい斎藤ゆみ子さんえこんばんは よろしくお願いいたします斎藤さんねはい えゆみ子さんねありがとうございます なんか素敵なね あのシンボルえが出ておりましたがはい えー今日の内容 はこれいい本でしたね 父から父から購入かる日本人の石膏法則と いうところでございましてですねこれは離 MRS者さんですねえ離Liv者さんえ離 Liv者さんえから出ましたえ皆さん渡辺 正一さん知ってますかね渡辺正一さん知っ てますかえ渡正一さんというのは知的生活 の方法というね名所なんですけども あの僕は知的生活の方法って大学生ぐらい の時に読んだかなもしかしたら高校生かも しれません新書版でね知的生活の方法って いうのがありましてあのすごいショックを 抜けましたね知的生活ってかっこいいな みたいなねえそういうようなところでえ 渡辺正一先生っていうのはま常智大学英文 学科の名誉教授でえいらっしゃいましたね えそしてま大変大変まユニークなえ方で いらっしゃいましてま本当にあ昭和の 知識人でいらっしゃいますえその方えま 知的生活ですね今で言うところの本当あの

自己啓発ですよえその分野でえ極めてえな んでしょうかねあの我々アカデミックなね え領域でのまあのどどのようにすればあの 我々は人生が発展するのかっていうことを 知的な立場からえ書いた本なんですよねま それが大ベストセラーに当時えなってまし たでこのえ渡辺正日先生の本ま当時はです ねやっぱ知的生活っていうのを行うという のは大体ですねあのこういう大学の教授だ とかそういう風に決まってたんですねで そこ以外はあまりなかったんですね ほとんどですねま言ってしまえば当時は まだよ本当に男性しか知的生活をえに価値 を感じるっていうことはなかったわけです ですよで えまだね本当に えあのま大学に行く人っていうのは男性 女性で比較するとまだまだ男性が圧倒的に 多いとえ女性は短大に行くっていうそう いったキャリアパスもねあの明確にあった そんな時代だったんですよでそこにまあの 実はえ克かゆさんがねえ今度は知的生活の 分野をあの取ってったわけだよな 僕はそこはね克和さんというのは本当そう いった面ではえ歴史の転換点だったと思い ますねだから知的生活というねえそこの 代表選手がねえ克先生克さんになった克和 さんになったわけですよでそこのね スイッチこれはなんか平成におけるね大 スイッチだったという風に僕は思いますね えなのでそういった面では僕は克さんの 功績は大変大変大きいとえ考えていますで ちょっと話は釣れましたけどこの一先生と いうのはえそういった面ではまえ私にとっ ての大学生時代のヒーロー高校3年生 ぐらいだったなどのぐらいのヒでござい ましてですねそのえ方とこうしてねえご縁 ができるっていうのはね最高に幸せですね 最高に幸せ日本人の成功法則大体僕とは ですねやっぱりあの年代があ父と子ぐらい なの年代なんですよ父ぐらいの年代なのね えなので僕は対談した時にはこれは46歳 でえ彼が80超えてらっしゃいましたので えですからそういった目は本当に父とこえ ぐらいのちょうどそういう年代さだったん ですえま私はも本当に渡辺正一先生と対談 しませんかっていう風に言われた時にもう あのそれは大変光栄な話ですとおそしてえ またえですね何について話しますかと何に ついて対談しますかということでやっぱり それは日本人の成功法則でしょうとえいう ところでしたねそしてえ父父とえ父から子 に語るというねえそういうとテーマでやり ましょうというねえそのように進めていっ た本です

でまちょっと前えこの前週でもお話しし ましたけどこの渡辺正一先生ってのは皆 さんも読んだことあるかもしれません眠り ながら成功成功するというね眠りながら 成功するというマーフィーの法則ですね マーフィーの法則の翻訳者でございます ええマーフィーの法則えの翻訳者でござい ますね えでこれはマーフィーの法則っていうのは 今で言うところの本当に自己啓発分野のえ 海の親ですよえそれをですねあの海の親と いうかその日本における海の親がこれは えっと渡の正先生だったわけすごいねで そののえマーフィーの法則眠りながら成功 成功するというその本なんですけどその本 は僕が大リストラされた時にねリストラさ れた時に自分の人生を歩む時に人生に絶望 しかかった時にですね手に取った本なん ですよえ絶望しかかったっていうかもう 絶望してたわけいやなんか僕はま初め リストラにあったのが27ぐらいかな外し え外資系っていうかボストン コンサルティングの人たちが作ったあの コーポレートディレクションっていうえ そういったコンサルティング会社があある んですけど今も発展してますねその コンサルティング会社に入ってながその時 バブルえが崩壊したとそのタイミングで ございましてですねあのロサンジェルスに 行ってくれという風に僕言われたんですよ ねロサンジェルスの視点があったんで ロサンジェルスで君はどうかとだけど僕 その前5年間海外にいたのでさすがに ちょっと日本で過ごしたいというのがあり ましてですねごめんなさいとえちょっと別 の道に進みますということでまある意味で はあの本当にあの日本に帰ってえすぐです ねまあの勤めた会社1年経たずにですねえ 辞めることになっちゃったまリストラなん ですよ でその時にもう本当にはもう目の前が 真っ暗になってねま当時さリストラなんて 日本の企業になかったしま当時あの転職 なんていうこともね許されなかったんです よあの中心雇が当たり前な時代ですよでえ そうなった時にも本当目の前真っ暗でさ それでもうも本当にあの うつ病まうつ病って言葉もなかったんだ けどね当時はねでえ本屋さんに行ってそれ で大前健一先生の本でも買おうかなと思っ たらそこに怪しい本があったんですよ 怪しい本怪しい本っていうのは一体何かと いうと眠りながら功成功するみたいな本が あったわけですよマーフィねね無理ながら 成功するなんていう本はね当時あの手に

取るのすごい怖いわけですよまそんな本を 手に取うっていうのはこんなねあことは あり得るはずがないとえいうことでもま大 先生の本を買ってねその下にま本当にあの エロ本を隠してね書店に持ってくようなま 当時はそういうような文化だったんだ文化 っていうかそういうようなことがあったん だけどえそれをレジに持ってってむさぼる ように読んだのがまあ眠りながら成功放 成功するですよまそしてその結果ですね私 はもう本当にあの潜在意識の効果という ことをあの体験しようと実実験しようと いうことで実験しましてそしたらま外資験 のトップえになっていくようなあの外資験 の会社のま日本の代表になっちゃったわけ よねそのえ収入というのももう本当にあの 神に書いたえね収入そのものになったわけ だよねだから27歳の時に僕は次の仕事で 年収1000万って書いてる本当に寸分わ ず年収1000万でしたねえというそう いうようなえことでまあの渡先生のお翻訳 されたえこの眠りなが成功法則っていうの はね成功するというのは本当に素晴らしい 本だっでそれはですね実はあの眠りながら 成功するという本は大島さんというペン ネームで書いてるんだよ渡辺先生はだから ねこのお会いする数年前まで知らなかった んだよね知らなかっただけど眠りながら 成功成功するというその本がま渡辺正一 先生の本だとね翻訳だということを知って ですねま僕は本当おもう感謝以外の何者で もなかったですねでえ ここの中に渡辺小一先生がなぜその マフィーの法則を日本人でしかもペン ネームで常時大学に務めてらっしゃる時に 教授をやってらっしゃる時にペンネームで 出さなくてはいけなかったかていうことが 書いてあるんです よいやこれはね僕はあの久しぶりに渡辺 正一先生の文章を読ませていただきました がやっぱりあの非常に あのいいですねもうこして読み返すてのは 最高の思いでございますまちょっと渡渡辺 小一56という形でいろんなとこ風船はっ てありますのでちょっとね是非ざっと 振り返ってみたいかと思いますねえ僕初め にっていう文章を書いてますんでちょっと 長いですけどちょっと要所要所ねどんな トーなのかということで皆さんにご紹介さ せていただきたいと思います初めにねえ 人生のフレームワークとは何かという ところで え東京公開え昭和の匂いがするホテルの 一室そこが私の人生に2度に渡って多大な 影響を与えてくれた渡辺正一先生と初めて

対面する場所となったとね先生の書籍ね 知的生活の方法は高校生だった私にに学問 の魅力を教えてくれたそして翻訳書 マーフィー眠りながら成功するはリトされ た28歳さっき27って言ったけど28歳 の私に生きる力を吹き返してくれた 吹き込んでくれたその渡辺小一先生と対談 することになったんだが私なんぞは本来 とても対等に話せる立場ではないですよと で渡辺先生は1930年生まれです私は 1964年なのでちょうど父とこの年齢者 でありますよと世代を超えたダアは神経 勝負ま私恥ずかしい思いさせるわけがない んでねえ仕事も興味もお互いに異なるわけ ですよとてもま渡れないほどの大きな溝を 感じながらま小さな掛け橋をえ探すとなん とかね共通して話せることはないかなと そうした不安定な橋を渡り向こう岸から見 を見み見返した時ねその対談を終わってね えまその場所を出た時には本当私自身が 一回りも2回りも自分の知的体力が増した ようにねそんな感覚がしたんですよでこれ ですねまちとこほど の世代差による対話の駆け足になったのが 放射の テーマ成功法則であるといいねこれ ちょっとみんなしとこう あの世代が超えても成功法は駆け足になる どうね対談から浮かび上がってきたのは 西洋輸入された成功法則ポジティブ思考で 富と明星を手に入れるということを目的と した人生感とは随分重きが異なる知恵で あったというねユダヤ人家庭では父から声 と成功法則が受け継がれると聞いたことが あるが本書は日本人ならでも成功法則これ を地の巨匠である渡辺先生から引き出して 内容になったと思う おねこれ渡正先生やっぱ素晴らしいんです よ歴史書を読み上げてるのではないか渡 先生が話し出すという歴史書を読み上げ てるのではないかと言ってもいいほどよみ なく年号や人物名が溢れ出すとんでもない 記憶力ですね本書で渡辺先生が言及される 人物は源の義友吉田商渋沢永一高田ロハを 始めとして早計60名以上ねこうしたえ 人物は教科書は歴史ドラマに出てくるよう なはるか昔の伝説メた印象を持つけれども 実際にはえ現在生きている日本人のほんの 少し延長船上にあるにすぎないっていう ことねで年配の方と迎い合う時間を10分 でも持てば歴史上の人物と同時代を過ごし た直接の記憶に私たちは容易に触れること ができるこれすごいですどういうことどう いうことかマ先生1930年生まれなんだ よで2010年にこの本出たんだけど

2010年の現在は既に80歳えだった わけなで生まれた年を規定に考えてみると 1867年の明治神とえ遡るよりも現在の 方がより遠い未来まで生きていらしたと いうね分かるかこれ1930年にれた でしょ2010年って80年ですよ 1930年から80年戻ると明治人を遡る よりも坂明治士ハないもうちょっと前に 行くわけということはよということは渡辺 正一先生が今まで生きていたワ世代ね80 これを80年遡るともう明治なわけ明治 じゃなくて明治維新なわけ江戸なわけよと いうことはさということは記憶って1世代 を残わけじゃん2世代ぐらい残りますよ僕 もねでそうすると結構身近なところにあの 今今現存しているね年齢の上な方とお話を するとそこの人が語る歴史というのはもう 直接彼らが手に触れたもしくはあの歴史 だったいうことがあるわけだよねえだここ がすごく大きいんじゃないかなということ ですよねで僕はまえだから歴史に学ぶって いうのは非常に重要でそして父と子をえま そのぐらいの年代が離れた人からあの 生きるあのねお話しするダイアログを するってのは非常に重要じゃないかなって いう風に思ってますえなのでまこれには あの僕が今まで語ってような70年周期だ とかそういうような話とかもあったりする んですけどま今回は僕の話というよりも やっぱ渡辺正一先生がどんなことを おしゃったのかということをねえ知って いただきたいなという風に思いますよねま 私あの7周期っていう風に言ってるんです がまこの時2010年の時にどんなことを 言ってたかというとあの歴史の1サイクル 前すなわち1945年から始まった70 年間のサイクル1945年から70年ね 日本レットは文字通り瓦礫の山からね世界 第2位の経済大国になりました今振り返っ てみた時にこの時代のテーマは物質的重則 だったということね2015年までは物質 的重則これを時代のテーマとしてたわけ ですね1945年当時周りを見回してみれ ば何もなかったわけですよだから時代が そのテーマを選んだのは必然だったも瓦礫 の山だったからねもう日本全国も衝動と 貸してたわけえそこが何にも不出はなかっ たその時にある意味でこれからえ ね勝を持つぞという意識を持った人はあの 物質的に重則をしたいという思いがあった だからそれが時代のテーマになって行動 成長期ができたわけです よ現在は本質的には誰も植えることがない 道たりた道たりた社会になったよねとその 結果え自ら希望を努力して持とうとしない

限り生きる理由がなくなってしまったと いうね人間が未だかつて体験したことない 全く新しい時代に途中すると要は自ら希望 を努力してえようとしないといけないま 希望というのは今今までは当たり前にあっ たわけだよだけど希望を抱いて努力努力し ないとま自分で考えるという努力しないと 希望というものが持てなくなったっていう ねだからこれ未だかつて体験したことの ない全く正しい時代ですよねと新時代に 本格的に行うするのは2015年から だろうがとえその時には1945年の当時 の私たちが何もものを持っていないことに 気づいたように自分たちの心について何も 知らなかったことに知ることになるだろう という風にねで次の時代ね次の時代今 2024年ですけども次の時代2010年 の時に僕が言った言葉ですね次の時代では 会社も貨幣という仕組みも家族というあり 方も今とは全く異なっていくだろう昔の人 は生きていくために嫌な仕事をしていたえ 会社に務めるという形態があった紙に印刷 されたお金が印刷されていたという歴史の 教科書に書かれているかもしれないともう そういう時代になってきてるね神にお金が 印刷されていたというそれを振り返ってね みるかのような歴史の教科種に書かれてる ようなそれだけの変化を起こすかもしれ ないとえま私たちの多くは21世紀に入っ てまだたった10年しか経っていないと 思っているが私たちの子供たちは2020 ま22世紀ですね22世紀を生きることに なるこの時点において何を成功と定義する のかは2020ごめんなさい22世紀まで の日本そして世界を描くほどの影響力を 持ちますよねということですねま今 21世紀なんだけども僕らの子供の世代は 22世紀を生けるでその21世紀に語る ことっていうのが2022世紀に影響する んだよっていうことですね渡正一先生が常 に歴的な人物に立ち戻って話をしてくれる ことを私たち1人1人が22世紀まで 引き継いでいくものを持っている当事者で あることを教えてくくれるとえ今どんな 価値観を我々は自らに貸すのか私たちは 未来という歴史を生きているというねえ そんなねえ文章を書かせていただきました ね未来という歴史を我々は生きてるんだ 22世紀に我々が何を引き継いていく かっていうのが今え我々の生き方に問われ てますよそれを引き継いていくのが成功 法則だというねえなかなか世代を超えた時 にじゃあ話し合えるえ共通の土台って何 だったのって言うと成功法則だと おねどうですか皆さんいや自己啓発ってね

なんかどちらかというとねいや自己啓発だ なんていう風に思われるかもしれませんが まあ自己啓発は大切でございますねえと いうことでどんなえ本なのかというところ ですけども非常にま僕はいい本だと思うん ですけど今はですとねでえちょっとねあの これを見てみましょうじゃなぜ渡正先生が 自己啓発をえネムを使ってまで日本に持っ てきたかとま彼はねえ留学されてたわけ です留学されていた時にですね1958年 28歳彼が28歳の時にオクスフォード 大学に留学しておりました1958年です でその3年前から実はドイツに留学されて たというねえその当時ドイツは東西に分断 されていた東西に分断されていたでその時 にま彼が直面したのは東ドイツですねは もう貧困も急whoseしてるとそれに 対して西ドイツはですね大変経済が発展し てると一体何がこの違いを分けたのかと いうことでねそれはベルリンの壁で分かれ ていたわけですがえその当時の西ドイツは まヨーロッパえのえ経済を牽引するえ ヨーロッパの機関者と言われるぐらい経済 発展してるわけですそれに対して被害 ドイツはそうじゃなく それが分かったのはどういうことかという とえっとね共産主義だと要はこれです資本 主義共産主義とえその違いを考えた時に 東ドイツは夢を抱けない国になっていたと なぜならば共産主義社会主義というのは 計画経済なので結果えキャリアがみんな 決まってるとでそのようにえっと選択肢が 1つしかないそういう社会は夢が描けない とそれを言ったわけですね例えば戦前の 日本はどうだったかという対戦の真最中 だったんでえ結局あの世の中で活躍しよう と思ったら陸軍官学校や海軍兵学校という 軍隊の学校に住むしかなかったんだとだ から渡辺正一先生は軍人には向かない人も いますとね自分のようにということですね だからそういう人は偉くなろうと思っても 偉くなりようがなかったということですね 心を立てようもなかった道が1本しかな いっていうのはそれほど怖いものなんです と道が1本しかないっていうのはそれほど 怖いものなんですということなんですよね これちょっとその当時の時代から考えると 我々って好きを仕事にっていうそういう ことを言ってるのってむちゃくちゃ我々は 特権階級です よ道が1つしかがないっていうのはもう 心さしの立てようがないでそれに比較して 心さしというものを立てようと思えば立て られるそしてそれに沿って生きていけ るっていうのは特権階級でございますよと

いうとこですよね でそこでね結局まこういう風に言ってます 政府があしろこうしろと共産主義では言い ます全て命令通りにやらなければいけない それに対して自由え主義社会はこれこれれ のことはやっていけないというだけであっ て全てのそれ以外の全てはやっていいと いうことですねで これですね日本に帰ってみたらそして日本 にまオクスフォードから帰ってみたらね実 はあの日本がえ周りを見回してみますと 左翼思想ですねに被れた進歩的文化人や 学生たちが60年安保を騒ぎ立てあかも 社会式主義を全のように扱っていたとこれ では夢を抱ける社会にはならんぞとね夢を 語れるような社会を守らなくてはいけない なので棚上げにしていたこのマフィーの 眠りながら成功するの翻訳を手掛けたわけ ですよえそして私がねえま講師に成り立て その時に多分常智大学の講師に成り立ての 人間になったと思うんですけどもなのでえ いやいやいやさすがに自分の名前では 難しいでしょうということで大島順一って いうペンネームで翻訳をされたという ところなんですが皆 [音楽] さん我々が今左翼化してない共産化してい ない共産え国家ではないという理由は渡 正一先生がこの眠りなりながら成功すると いう自由主義ねそして夢を抱ける社会で なくとはいけないというこういう自己啓発 文を出したからと言っても過言ではないの ではないか とありがとう渡辺正一先生改めて御礼 申し上げます なので自己啓発ってのは単純に自分の子の 成功というよりもやっぱり渡辺正智先生が 考えたのは夢を抱ける国を作んないとダメ だよねと夢を抱けない国になった瞬間に もう心ざしはどんなに立てよもないという ようなことをおっしゃってたというねどう ですか皆さんやっぱこういうのっていい もうなんか本当に素晴らしい人とは出会う べきだねっていう風ににまこれ分から なかったらねマフィの法則ってなんか 怪しいなとそれエビデンスあんのみたいな エビデンスじゃないだろう と何がエビデンスエビデンスじゃない だろう君が夢を持ててるのはこの本が出た からだぞというねそういう風に思うんです がいかがでしょうかねやっぱり歴史的に ですねやっぱ姿勢感というのはまあ日本人 の成功法則って僕はま究極は姿勢感だと 思うんですけどもえどう生きてどう死ぬ かっていうことですけどもま僕はもうこの

中でサイクル論っということを言って成功 する時もあればえね成功しない時もあり ますよとえそれが12年のサイクルでね 日本人の世代においては70年のサイクル であるからえその時にあの目的意識を持っ て生きるべきか目的意識を一旦手放して ですねえよりあの大きな流れの中に身を 委ねるかということが結構大事ですよ なんていうそういう七めどくさいことの話 をしておりますがえそれをえ渡辺正一先生 は何と言ったかといやいやいや神田さんえ そういった時期におけるサイクルもある けどえやっぱり一生におけるサイクルって あるよねと例えば吉田商品っていうのは 30年で亡くなってるよねと人生には それぞれの人の式がありますよとまあ吉田 商品は30歳で亡くなってますと言うん ですよねそしてあその吉田商品の弟子さん お弟子さんの高杉あごめんなさいえ高杉 新作に送った手紙吉田 正員が言って ます何と言ってるか死して不及の見込み あらばいつでも死ぬべししして不及の 見込みあらばいつでも死ぬべしこれね生き て普及というのは口内っていうことですね え死して口内見込みがあるならば口内って いうのは普及というのはま普遍ってことや なだから死して歴史に刻むことができるの であればいつでも死ぬ でし生きて大業の見込みがあらばいつでも 行くべしお大業大きなま業績ですよね大業 の見込みがあればいつでも行くべし生きる べきだとこれ はどうですか皆さん要は歴史的な仕事をし たならばねえまごめんなさいじゃ死ぬこと によって歴史的な異業が達成できるんだっ たらばいつでも死になさい死ぬことによっ て普及になるば普及の存在になるんだっ たらいつでも死になさいということですね そして生きて大業生きることによってまた 大きな仕事ができるのであればいつでも 行きなさいということだなだから年齢じゃ ないあなたはやるべきことがあるんですか とやってそれが 大きな成果につがるんですだもしそういう 見込みさえあれば寿命じゃなくていつまで も行きなさいってことですでも死ぬことに よって歴史を刻めるんだったらいつでも 死になさいとすごいですねこういうような ことを言っています まあ本当にこういう一分に触れるかどう かっていうえところで人生の覚悟って 決まってくるんではないかなという風に 思いますがいかがでしょうかね エビデンスある

なしというところのレベルとは違うなって 気がするんだけどどう皆さん僕ももちろん もちろんエビデンスエビデンスって言い ますよだけどま月曜の夜ねこうやって話す 時にはそれだけじゃなくてさていう風に 言いたくなるわなえということでま渡辺 先生は非常に長期に渡ってですね自分が どう生きるかっていうのを伝えてくれて いるという風に思いますね人生というのは 少なくとも3回のチャンスはありますよと 爆発とかそういうような時っていうのは3 回もチャンスはなかったかもしれません けど今平穏の世の中においては3回は チャンスありますよだから1回2回せ失敗 したぐらいでギャギャ言うなと1ぱ2回 いつか3回目は来る 巡ってくるから慌てずそのチャンスを待て といいことよね1回や2回失敗したって 落胆する必要はありません必ず3回目の 後期が回ってきます確信してますいうこと を言っていますねえそれからですねまここ まででね結構ね当に勇気づけられる言葉が 多いと思いますけども彼はやっぱり徹底的 にお金を大事にしておりましたえもちろん 学者さんですからねえかっこよくお金を 否定しようということはできたと思うん ですけどいやいや彼の経験から言って ねお金持ちの家は立派だとずるいことはし ないそして嫌なことをお金持ちは引き受け てくれる子供の時のに彼はの目にはそう いう風に写ってたと言うんですねというの は彼はどこにえ山形の出身だったのかな 山形の出身で え山形県のお金持ち えがいたんですね私が育った山形県の岡野 持鶴岡家のあごめんなさい鶴岡の風と坂田 の本まけという資産家ここは山形彼が 生まれ育って山園で大変な立派な家だった んだよねそして戦中このえ秘を調達する ために国債が割り当てられたわけですけど もえ庶民にとってはえとても多額なえ戦事 国債ねそこで隣組の人たちがみんな分担し て買っていたんだがまこの前はうちが買っ たから今度はあんたのとこでそんな やり取りをしていたとそうるとかまけです ねその資産家がえそれを見ていてね全部 書いとったということですねだからえっと 庶民にあのそういうことはさせなかっ たっていうことですよでえ今度は先ほどの 本負けとねえさえっと鶴岡の酒池え今度2 つこの両系が中心になって小内育英会を 作っていた小内育英会っていうのは勉強し たいけど勉強できなかったえ子供たちこれ がですね生徒全員進学できるぐらいの奨学 金を戦前を出してたということですねこの

2つの言いがねえというようなえところで ですねま彼はそういう状況を見ていてお 金持ちの家は立派だなずるいことはしない し嫌なことも引き受けてくれる子供の目に もそう写っていただから私はお金持ちは 悪いという発想を持ったことはありません というんですね今の言葉で言うせこいのは むしろ貧乏人の方に多かったのではない でしょうかでもせこい人はダメですね 伸びる人と伸びない人は一目で分かります お金をごまかす人は絶対にだめ絶対に伸び ません他方おをごまかさない人は必ずある 程度まではけます絶対にお金をごまかさ ない人は少なくとも課長ぐらいまではける はずですとえすぐにお金をちょろまかす人 公金を使い込む人そんな人は世界で世間で 通用するはずがありませんからこれは実に 簡単な人物判別法ですと ほということですねお金儲けは汚いどころ かお金儲けをちゃんとねえ考えないといか んこんなこともえサッチャー元主張の イギリスの元サッチャー主張の言葉を引用 してですねこんなことも言ってますあなた たちは金持ちをいじめて貧乏にしたけれど もそれによって貧しい人たちがお金持ちに はなりませんでした ねお金持ちをいじめて貧乏にしたけれども それによって貧しい人はお金持ちになり ませんでしたよほう これを去っちゃうがやっぱりそう考えると 本当に あの変なま社会主義平等主義っていうのは もしかしたらやっぱりね行きすぎはいかん よねというところねむしろノリス オブレジェンディア どうですか必要だと思わないですかここ までここまで渡辺正一先生の言ってること ここは必要だと思うんだけど なあね YouTuberで今言われてることと ちょっと違うぞという感覚はするけどね うんでえこれで本田総一郎あごめんなさい 本田総一郎本田正六博士えのの話題が出て きて私あの本田性6博士は大変大変尊敬し てる人でま魚の父と言われてですね1/4 材法というところで東大の学者であり ながら巨万の富をねあの作った人ですね 1/4蓄法えっと大体300冊ぐらいの本 を生涯書いていらっしゃいましてえなんと なんと渡辺正一先生は本田正六博をご存じ ていらっしゃるというねえ本この谷公園と かを作った人ですよ本田正六博士本田正六 博士はやっぱりあの林学の父で巨万の富を えね宿題しえしかしあの戦後ですねそれが 全部ほぼお金がなくなっちゃったんですね

無一文になっちゃったあの募集されてね 募集なのかあの自分で株を買ってたんだ けどそれが全部まあのね潰れちゃってね それでそこからまもう1回ゼロベースでお やりになったっていうそういうような方で ございますけれどもとえ貧乏克服えすると いうことがいかに重要なかポジティブ シンキングねそれがいかに重要なのかと いうようなことをね書いていらっしゃい ますよ えーま本当それがあったからこそ今我々の 自由というものが担保されているという ことですねこれですねあのえ彼はあ当時 戦前の最高の有料株とされていた南満州 鉄道ですね満鉄と日本唯一の為替銀行で あった横浜賞金銀行ですねこれ後の東京 銀行え今のえ三東京えUFJ今は三菱 UFJ銀行なのかな株を持っていたんだ けどえ戦争に負けてしまったので全部パー になったとそしてその時の本田総一あ ごめんなさい本田正六博の言葉がまた尊い のですと潔いいのですと国家が戦争に 破れるなどということは個人の資料を超え たことであるとそんなことにくよくよして いたところでしょうがないでしょうと 思いっきり 思いっきりよく諦めるのですとで収入が0 になった時にそこから著作活動に入られて ベストセラーを連発するというところでえ ま最後著作活動で稼いだお金も全部全部 寄付してですねお亡くなりになったという ところでございますね なんか素晴らしい金銭哲学でございます はいでですね結構本当にあの面白くない ですか僕最高に面白いですけどね えそれでですねとてもとても おやっぱりねこれあこれねこれ知っといた 方がいい多分ま皆さんなんとなく分かっ てると思うんですけどねえま配給制度とか ま贅沢は的だというそういう時代がござい ましたが一体なぜ日本はあの戦後 うんまこんなになってしまったのかという ところですけどねこれですねあの非常に 当事者えの言葉だからこそ記憶にとめたい ということなんですがこれ公職追放令ね 公職追法令戦後日本のね決定付けたなぜ 日本の教育がえ左寄りなのかというとこ ですねで日本のマスコミが左寄りななのか ということですけどもこれ公職水法令に あるわけですね えまこれ全部繋がっていてえなぜあのえ 統一教会えというものがえここまであの 聖馬界の中に入り込んだのかとかねもう 全部この戦後からの流れなんですよえこれ ねえ戦後にえ話を移しますとその日教省に

代表されるような左翼教育が行われるよう になったタイミングポイントは昭和21年 1946年に出された公職追法令ですと えこれですね戦後の重要イベントとして 勝者が敗者をさいた臨地裁判と言われる 東京裁判のことは知っていたとしても公職 追法令の重みを知ってる人は案少ないので はないでしょうか公職追放という言葉を 知ってたとしてもそれは戦争に協力した 人間を公職から追放して戦後の日本社会の 人身を一進しそれによって新しい風を入れ た政だという程度にしか受け止められて ないように思いますと公職水法ねだから どちらかというと戦争に協力した人間を 公職から追放したとそう風に思っているん だが実際にはそれは一面的であるという風 に小一渡誠先生は言ってます戦前に重要な 地位についていて戦後公職から追放された 人はなんと20万人に登ります一口に 20万人と言いますがこれは日本の今の中 との総人口に匹敵する数ですそれだけの 人々が一斉に公職を追われたわけですま 産業界では松下孝之助さんも公職追放に 処されています正解では鳩山一郎も石橋 丹山も皆追放されたとそれに公職追放例の ための審査を受けるのは嫌だと言って辞め た校長先生などま数数えきれないぐらいい ますとそこで色々な弊害が出ましたという ことですですねだから戦前の日本を支えて いた人たちはみんな公職追報になっちゃっ たわけですねそしてえなのでどちらかと 言うと仕事にならないからまあれですねえ 例えば日本銀行でもですね日本銀行でもえ 1人だけ1番若手を残したんですねえ理事 に成り立てほやほやの大阪天長を残した わけですえこの日本銀行の1番若い人が ですね日銀総裁になっちゃったわけ よ棚ぼた 総裁これ人格執権を色権を見込まれて抜擢 されたわけでなく上に誰も人がいなくなっ てしまったかために日銀総裁になった ところが総裁に就任するといることいる こと おとにかくついには市田天皇と呼ばれる までになったと市田天皇でこれですねま あの実際に政治や経済の部分でどんどん 最悪的な人たちが日本のトップに立ってた わけよでアカデミ大学のところはどうなの かと言ったら多くの教授がキャンバスを 追われたわけごそっとと穴が開いた教授の 椅子を埋めたのは誰かと言うと戦前に帝国 大学を追われた赤い教授だから戦前に大学 にいられなかった左翼思考を持った赤赤の 教授たちがそのまま居ったわけです ねということですごいですね東京大学経済

学部教授だった柳井たさんをたた市ですね シ編が始まった年の昭和12年公園でです ね1937年公園で言った日本の理想を 生かすためにひとまずこの国を葬って ください日本を葬ってくださいと喋って 帝国大学をを終われた戦前にねこれですね 天皇が立てたと言われている天皇が立てた 大学から給料をもらっている帝大教授が 日本日本を葬れ日本を破滅させてください というか葬ってくださいとこの国をなくし てくださいと言ったんですから大学を 終われるのは当然でしょうえそして大内え 兵氏彼も東京東京帝国大学経済学部表示 でしたが昭和12年コミンテルン呼びかけ ですねに応じ組織された人民先生に連鎖し て停滞を辞めさせられましたということ です ね要はこれですねみんな戦前に帝国大学を 追われたわけですねえあの左翼的な思考を 持ったりでしょうねえそれそうでしょうと 帝国大学といえば天皇陛下が建てられた 大学という意識があった時代ですその時に 帝大教授が皇室廃止を皇室廃止を指令して いるコミンテルンとの関係を疑われたり国 を侮辱するような発言をしたりソ連の手先 と見られたりしたら大学にいられないです よねというとこですねでこういう人たちの 赤い教授って言われるま赤い教授が戦後 ドドっと復活したわけですね公職追放で穴 の開いたポストに独占したとなんでこんな ことになったんだて いうこれで壮大東大早朝になっちゃった わけださきほどのまずこの国を葬って くださいっていう人がが東大早朝になった わけですよえということでそういう人があ 先ほど出てきた人が左翼社会党のサハえ 社会等のイデオロギーを持っていたにも 関わらずですよ え経済の主要委員会の委員長を務めま さらにはま法制大学などなどの大学の早朝 に復帰したということですねえそしてそれ がまジャーナリズムにこういうような教授 たちとえまねえ同じ考えを持った人たちが ま新聞のえトップになってたわけですよね えなのでまその戦後の状況というものが ずっと今まで気づいてきてしまったという ことですね昭和21年の公職追報令にタを 発するアカデミズムやジャーナリズムの査 化ですね査化左かね査化左よりの え状況というのは戦後日本を進行性のガ 細胞のように犯し今や日本国首相の バックボーンにまで忍び込んでいるのです とこれ今読むからこそ分かる内容だよねえ 日本国首相のバックボーンにまで入って いるということですよ

ねまあの非常にえ面白いと面白いというか まちょっとこれこういうようなことが歴史 にあってやっぱこの歴史を修正するって いうのは本当大変なことですね えでまえそういうようなお話がずっと続い ておりましてですねあの えこれですね え彼はえ教育に関してやっぱり非常にえ 注力していくえことになりますで えちょっと彼の教育の見方で僕とそうです ねえっとじゃあ彼自身もおそらくえ相当な 資産化であったわけですけどもま彼という のは渡辺正一先生えこれです ねうんえ彼はどんなえことにお金を使って いたかというところが分かっていることで 分かることで非常に面白いことがあります ねまあのとても当時のえっと学校でえあっ たことま大学紛争というところがそれが あってですねあの学生がまあの本当暴力 なんでも受験がねできなかったっていう そういう時期がございましたねえこれも もう一昔前の記憶になっちゃってます けれどもえその前のね教師と学生の関係は 教教室だけのものになっちゃったま違った んだよねあのね昔はその渡辺先生の頃と いうのはあの生徒がね あのえ要は何かな え生徒がその先生のご自宅まで行ってです ねレコードや生物学のお話をしたりまた 新刊小説について論じたりとかねそういう ようなことがあったということなんですね だから大学の先生というのはそういう存在 だからそれでえまで遊びに行って先生遊び にきましたって言ってそういう時代だった というねえそして渡辺先生自身も大学紛争 の前までは学生かららオタクに遊びに行っ てもいいですかと聞かれて断ったことは ありませんと来ればよく来たなと家にげ ましたすると家内もえ教授の妻とはそう いうものだと思っていますがお茶ぐらいは すっと出すとまそういった習慣が消えたの は70年安保騒動からですと大学紛争が そうした指定関係を壊してしまったんです とそれ以外教師と学生との関係との教室の 中だけになり質問があるなら検室に来 なさいということでプライベートな空間に 学生を入れないことが当たり前になって しまったとえま古き良き時代と言ったら 古き良き時代ですけれどもまそういう ところで えね骨太の お哲学というものが継承されていったのか なっていう風に思いますねでこれですね あの非常にあの父親の心として非常に 面白いことがありますけども渡辺先生の

お父様ですねえこれはですねやっぱり非常 にあの教育に重視したわけでえこれですね 私の父は学問や知識に対して非常に強い 憧れを抱いておりましたとそこでせめて 雑誌だけは読もうということで公団者の 雑誌キングを定期読しねえ子供にも少年 クラブあごめんなさい年クラブを買い与え てくれましたと えま週刊ジャンプと週刊キングってあり ましたけどまジャンプはあるだろうけど キングってあるのかなその漫画ですよま僕 の時はもうキングは漫画になってましたね だけどもその後段者というのは雑誌は キングというのは定期光毒サブスですよ 子供にも幼年クラブを買い与えてくれまし た公団者の雑誌はいいと考えていたよう ですでこの幼年クラブというのと少年クあ 少女クラブっていうのを雑誌を読してるの は金持ちの家ばかりえなのでこういった 雑誌を読できるとは金持ちの家なんですね 貧しい我が家が毎月キングや幼年クラブ 少女クラブを取っていた理由は父の知識欲 を満たすことが1つ2番目には子供にも よかれと思う教育的配慮であるというとこ です ねというとこですね私の育った地方には町 に一件だけ新刊所とえ古本をね扱う小さな 本屋さんがあったある時え父ははその店へ 私を連れて行くと店のご主人にこの子が 欲しいという本があったら何でも渡して 欲しい長面で払いますからという付け払い ですよね付け払いで払いますから父も ちょっといい格好をしてみたかったん でしょうがおかげで私は自由に本を変える ことになりましたというとこですねえ そしてえま本人だけは特別な意識を持って いたとえいうところでねえ彼はえ そして金を使っていた先は相性なんですよ ね えどんな彼はね120ツ愛書化で本当に シェイクスピアのえまとかえ英語辞書のね もう歴史的な え歴史的なあの本ね初犯であるとかねそう いうものをね買ってたんですよま1冊ま数 千万円するようなもんねそして最後120 つ120平米じゃなくて120ツほどの 書庫を作るんですよでそこにもう何万冊も の本を入れているということでま彼の道楽 は本当に本にお金を使うというねえそう いう方でいらっしゃいましたえこれですね それと僕は結構この時にびっくりしたのは え彼はですですねタクシーにえま必ず乗る んですねそれで当時タクシーで通勤されて た6000円かかるって言んですよでも 6000円っていうのは非常に当時の給料

としては高いんだけれどもその間に自分に 対して勉強の時間が確保できるというので えそしてえタクシーに乗りますとですねえ クリアフォルダーを出しましてま僕実際 その場面見てるんですけどクリア フォルダーを見てそこにですねラテン語の 辞書ラテン語の辞書えのコピーが入ってん ですよ1ページ1ページ1ページでラテン 語の自書のコピーを暗記するんですよ タクシーの中で丸暗記するんですよそれを 実は何年も何年も何年も何年も続けている んですよ ねそれでえっと彼はまこの投会った時に 非常にとてもとてもこの記憶力暗記って いうのが極めて重要なんだ神さんという風 に言ってくれたんだ けど暗記をすることによってやっぱりあの 人生をイコール暗記だと記憶であると人生 は記憶であるというそういった考え方を 持っててそしてずっとまラテン語の辞書を ねえ暗記して1冊丸ごを覚えたとえだけど それには結構の時間かかりましたよって話 なんだけども晩年ねで脳のねえMRIを 取ったんですよそうしましたらですね ちょっと普通の脳ではなかったというね そういう者様のコメントで要はねシナプス こういう結合してるのあるじゃないですか ものすごい密度で結合してるといやこれは ねあの80代の脳ではございませんとそう いう風に言われたそうですけどもそれは なぜかと言うとやっぱり暗記をしていたえ からであるとでそうなってくると昔読んだ ねあの本とかもえ思い出す時には初めは ちょっと忘れてるんだけどあまたそれを きっかけがあるとですねもう見事に 思い出すとで人生イコールやっぱり記憶で あるとえそういうところですねなので やっぱりそういう観点からすると本当あの 暗証って非常に重要だなっていう風に思う 次第でございますえではですねああと3分 なった ねところで実最後あの本の内容はここまで にしましてあの非常に僕自身はなんか やっぱり渡辺先生えのことを思い出します とですねとてもとても熱くなってしまい ましたがちゃ最後終わりにって書いてある 終わりにちょっとねこれ渡辺正一先生がお かきになったはい書物は時代を超えて英雄 を生み出すねえ自分が若い時に書いた書物 が役に立って人生の成功者になったという 人にお会いするのは実に嬉しいえ物書き 明利というものであろうと神田さんは コンサルタント会の成功者でベストセラム 書いてる実家でもあるそのような実もの 世界で活躍する人に1書人の私が書いた

ものが参考になったということは書物と いうものの本質に関わることであると思う 書物というものの 本質書物の本質に関わる書物の本質とは 何かということですね英雄は英雄伝や歴史 を読んで英雄になると言われる英雄は英雄 伝や歴史を読んで英雄になると言われるま ナポレオンがねえプルタルコス英雄伝を 読んでしたのかもしれませんがプルタス コス自身は英雄では ない三国士演技は多くの英雄や英雄志願者 を作ったがえ著著者のラカン中は現地末期 の雑作家に過ぎない大空の侍として有名な 酒三郎がガダルカナルから生きて帰ること ができたのは談で読んだえ野獣の話のの おかげだという書物というものは著者に 関係なく思いがけない人に思いがけない 恩恵を与えてくれることがあるのだとほお 大学生の頃本田セロ博士の本を読まなかっ たら僕も読んだ僕もね僕は大学生の時に渡 正先生の本を読んでほえっと渡正一先生は 本田性6博士の本を読んだわけ大学戦で私 がね大学生の頃に本田セロ学生の本読ま なかったら私の人生はだいぶ違ったものに なったと思うと80歳になっても日し続け られるような人生計画はできなかったはず だえ誠に書物というものは時間を超え空間 を超えて人に影響を与えてくれる文字を 知らない昔の人は文字で書いたものを魔法 と考えていた文字を文字で書いたものを 魔法と考えていたが確かに書物には魔法の 力を宿してることが分かるとま今度の神田 さんとの田の本も読んでくれた人ねタヤ 今度僕らのこの本ねもう読んでくれた人 たちに魔法による魔法によるような恩恵を 与えてくれることを希望したいいなねそう なることを信じている私が恩恵を受けた本 から神田さんは恩恵を受けて今日の成功を 手にされたというこの神田さんと私の対談 から読者の方も成功を掴むねえ機嫌を得 られることを祈りかつ信じますえ今回の 企画をくださった白者の岩崎社長対談の 月光整理をしてくださった同者のえ稲川市 にえねえ熱く御礼申し上げますというよう なえことが書かれており ますいやあありがとうございます本当にね 本当に和正先生ありがとうございます明服 をね改めてえお祈り申し訳ますちょっと 最後にですね私の方からお伝えしたい メッセージがございますのでちょっと資料 の方上げていただけますかね今日全然資料 使わなかったけど一応用意しはいたんだよ ねでえあまりにもいいのでちょっと1番 最後のえスライドまで行って欲しいんです けどもこれです今日はあのあれがないん

ですえっとちょっと8ページ見ていただけ ますか8ページねあえっとね7ページか なもうちょっと前でそうこれ最後に ちょっとお伝えしたいと思います今日はね 宝プロのはありません重要なアドバイス 差し上げます将来出会いたいと思う著者は 紙の本を買い なさい 将来出会いたいと思う著者は紙の本を買い なさいやっぱこれね僕基本筋トレでござい ますで基本PDFとかでも大好きです何の 苦労もいたしませんしかしその著者に自分 の人生の中で出会ってみたいと思ったら紙 の本買いましょうおそらく 全然確率が違いますということでねそして 本との出会い1との出会いで人生は大きく 可能性を広げますということはねえ最後私 がえお先生の今日後書きをね読ませて いただいて感じたことを共有させて いただきましたはいありがとうございます ちょっと2分過ぎておりますがえちょっと ねこれでコンテンツというか僕の簡単全集 終わったのでございますが皆さんから ちょっとメッセージをね読み上げさせてえ いただきたいと思い ますいや良かったな楽しかったなあにき さんねこの配信出会たものありがたいです ありがとうございます僕もまさにそうです ねニキさんはさんねお金を稼いで使うこと が社会貢献だと神田先生のそうですね本当 そうだと思います僕あのお金稼ぐことの 得意でマーケッターになったんですけどお 金使うこともすごい大胆にやるんでまあの そういった面では非常に面白いねえことで ございますはかさんこんばんはえ途中参加 で失礼してお失礼じゃないですよ失礼じゃ ないですよえ昔のお金鞭は人格者の方が 多かったんですがいや相とは限ないでしょ やっぱ渡辺正一先生だからああったという ことだねただやっぱりあの うま貧しいがゆえにさ責任感もあった だろうしえ立派な方っていう定義が違って ただろうねていう風には思いますけどね 戦後色々こねくりに回されて日本の日本人 は心もまししくなった気がしますまあ いやあね そういうような反省点はございますよね しかし仕方がなかったでもこれからじゃ ないですかえこれからね立派な人多いよ 20代とかね本当に20代とかもう本当 ピュアなえ心プラスやっぱり社会貢献意識 もあって素晴らしい人たちはは必ずどの 世代でもいますねえなので僕はあの えこれは日本はかなりまこれから本領発揮 じゃないかなっていう風にまだまだ思って

ますけどねはいえかずさんていうのかな 高月さんっていうのかな素敵な本を教えて いただきありがとう注文させていただき ましたはいありがとうございますえもう何 年前2010年ですから14年前の本では ございますが渡辺正一先生もとっても喜び になるんではないかなという風に思います ねえ僕の今の実年齢を生まれた年から遡れ ばそう1929年かというねえ世界大教皇 からの戦争への流れ昭和8年生まれで 102歳まで生きた祖だまだ10歳感慨 深いですというところで ね本当にやっぱりその人に歴史の話を聞く とさやっぱりあの102歳まで生きたま 生きてる時にお話を聞いたら彼が生まれた 時から102年前までは1世代だったり 考えてみるとねいや自分の1世代前は みたいな語れるじゃないですかそれは すごいよねだから我々にとっては伝説の人 というのが統治者であるというねやっぱり そこではまだまだえ人類人類っというか 我々がどんな間違いをしてどんなことがあ 生きていたのかっていうことを知ることが できるからねやっぱりあのこういった成功 法則 っってなんか実は あの日本人に不足してるんじゃないかな なんかねそう思いませんかねでやっぱり 本当良質な成功法則を引き継いでいくって ユダヤ人の同じように大事なのかもしれ ないねていう風にユダヤ人の父子がね 引き継いでいくようにえ大切なものなんで はないかなっていう風に改めて感じさせて いただきましたねはい小澤さんポジティブ シンキングってどんな現実に直面しても そこからえ策を案じて実行することだと 考えておりますえボクシングで例えるなら どんな体制であっても慶王を狙えるパンチ を打てるイメージですはい素晴らしいです ねえポジティブシンキングまあの渡辺正一 先生がこのポジティブシンキングをえ日本 にもたらした理由というのがやっぱり夢を 持てる社会ね1本1つの夢しかえ1つの 未来1つの道しかない社会っていうものは 極めて不自由であるとねえそれはもう左翼 的なえ左の社会においては1つの夢しか 持てないよねとええなので自由主義が重要 だていうま本当叫びのようなものですね 渡辺正一先生は本当に叫びのように自由 主義というものえの大切さというものを 語り続けたという風にえ思っておりますね はい長尾さん神田神田先生と渡辺先生の 人間学対談を聞けたようでまありがとう ございますしかしですねま正直なところ ここまでの巨匠になりますとですねまあの

あのコミュニケーションではないですです よコミュニケーションではないですよだ から僕の方が一生懸命考えるんだよねあの 要はここでうんギアを合わせるためには どういう風な展開に持ってけばいいかな みたいなとこでねあの一生懸命一生懸命話 を振るわけですよそれであの基本僕が質問 して渡先生が答えるという方法で現行を まとめて対論のように仕上げていくんだよ ねだからやっぱりその辺はあの実はあの あのこのように対論しているえと思いきや 実際にはこういった執筆者っていうのは 自分の意見をバーっと言うのがお得意な人 たちですからインタビューアーではない ですよねで僕はどちらかというと インタビューはなのでまその人のあのえ コンテクスト持っている文脈というもの 持ってるものをどういう文脈でまとめたら いいかななんていうところをま考えるだ からそういための僕は編集者的なえスキル はあるかなと思うですねでもそれでえま 作った本でやっぱり稲川さんという編集者 がとてもとても頑張ってくれたというあと は離者のね社長さんね えそうですねサインをいただかないといけ ないですしねみたいなとこはありますけど うんま正一先生さねいただきましたね あのやっぱりマフィーの法則であれ僕は 確かにあのえ20代の時にあの希望を 取り戻せたっていうとこあるねやっぱりけ そうになる時ってあのポジティブ シンキングなんてととも考えられない けれどもまそういう時だからこそ出会える ものがあってやっぱそういう出会いた本能 えを世の中にもたらしてくれたっていうの は感謝以外何者もないですねこうしてお 亡くになった後もやっぱりねずっと語り 続けますよもうほんの一瞬ですけど やっぱりほんの一瞬の出会いが大きく人生 変わりますねだってラテン語の辞書をさ タクシーに乗ってさクリアファイルでさ コピーしてさ小さな文字で蛍光ペでこう いう風に書かれてるものを毎日毎日80に なっても記憶してるんですよ暗記してるん ですよそういう姿ってやっぱり生き方に 影響するよ ねっていう風に僕は本当そういった 素晴らしい人と会できてよかったなって いう風に思いますね皆さん是非紙の方を 買っていただければと思いますね僕は今は そういった意はイロンマスクの時でこんな 熱いやつをえ枕にして寝てますけど ねやっぱりあのねえ彼はルネサンスマンな のでねえ非常にあのね是非一緒に度会って みたいなとそしてえこの時代に生きてる

こと意味を確かもってみたいなっていう風 に思いますけどね皆さんいかがでした でしょうかさあありがとうございます今日 今日ねとても多くの方コメントいただき ましてありがとうございますはいえまたえ いい本をねえ書いでそしてできればご紹介 していきたいと思いますんでどうぞ よろしくお願いいたしますえ今日は朝から 頑張りましたお疲れ様それではまた次回 会い ましょう

◆『非常識な成功法則』以来、8年ぶりの成功法則! 2000年当時、衝撃的なデビューより 今もなお幅広い活動を続ける神田昌典。 今年で80歳を迎えた、 歴史、文明、社会など幅広い分野で鋭い論評を展開する 知の巨匠・渡部昇一。 この親子ほども年の違う2人が、 欧米にはない、日本人のための成功法則を語った。 人生と歴史にフォーカスした 成功のフレームワークを作り上げるために 以下の7つの条件がある。 ・人生を好転させる条件 ・お金に好かれる条件 ・人生の流れをつかむ条件 ・歴史観を育てる条件 ・トレンドを読む条件 ・人生の師と出会う条件 ・知的生活の条件 現代、そしてビジネスという観点から フレームワークを作り上げる神田。 歴史、そして個人の幸福という観点から 経験に基づく生き方を提示する渡部。 これまでの自己啓発書にはない考え方が示される。 ◆「成功」も歴史的な大転換点を迎えた! 2015年、歴史の大転換期を迎える今、 人々の生き方や価値観、そして成功の定義までも 180度変わってしまってもおかしくない。 神田昌典は70年サイクルという 歴史的な周期から、今ある成功法則は 無意味なものになる可能性を示唆している。 そのためには、歴史的観点から 大きく物事をとらえなければならないとしている。 1958年、渡部昇一がドイツに留学中、 東西ドイツの光景を目の当たりにした。 当時はベルリンの壁もなく往来は可能。 しかし、2つの世界を見比べた時に 西ドイツの繁栄と東ドイツの停滞の差は 社会における夢の有無にあったと知る。 そして、左翼思想が幅を利かす日本に、 夢のある社会を知ってもらおうと あの名著『マーフィー眠りながら成功する』が 翻訳者・大島淳一の手で生まれた。 何を隠そう、渡部のペンネームである。 この本を当時20代で手にした神田は 外資系の会社に入社する際に 年収1000万円を手に入れる……。 そんなひとつの書物から始まった出会いは、 父と子に相当する歴史観の違いを埋めていく。 父が歴史を語り、子が現代に読み解く。 こうした作業によって生まれた 日本人のための不変の法則は、 これからの価値観の変化に対応できる 唯一の考え方かもしれない。Amazonからの引用

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