往還道をあるいて見た 山陽道における江戸時代の国境4_備前国と播磨国_玖珂郡和木町~広島県大竹市

江戸時代の王冠道街道を歩く番組ですえ 今回も山陽堂における江戸時代の国境に ついてお伝えし ますえ今いるのは山口県久賀郡脇町脇のえ 小川のそばでえ後ろの橋はえ大和橋と言い ますまちょっとでも車の音があ少ないよう に下に降りてきたんですけれどもえそして え数回前からえっとこの小川のそばから 番組を始めてますけれどもそれは小川が 江戸時代のえ秋の国とえスの国の国境だっ たからですねえそして前回この小川の加工 部あたりは古代には実であったりえ歩いて 渡れたりしたようだということを言いまし たけれどもえこちらの絵をご覧ください この絵は秋の国山手beau絵というもの でえ原14移すと書いてあるのでま原6 14年より前に作成されたものなん でしょうえ真ん中流れているのがえっと 大川でえ加部にえこのところえ川の中央 国境と書いてありますそしてここに描かれ てるのはこれ日型日型って書いてあります このように中須とかサスがあったので歩い て渡れたんでしょうか江戸時代には川の 中央に食が打ってあってそれがハの境を 示していたようですそしてえ赤い楕円の中 に村の名前が書いてあります加工の近に えっと大竹村黒川村あ黒川村ってのは今の 山陽自動車道大竹インターの入口の辺り ですねえそれからえさらにえ上流を見ると このとこより海上までえ川の中央国境と 書いてありますんで小川がもうかなり上流 からずっと国境であったということですね それから前回あの川を挟んでえ大竹と脇は え1つの村でえ大竹村と呼ばれていたと いう話をしましたけれどもえそのことがえ ク軍士という江戸時代後期のえ共和2年に 変換された岩国料の知子に書かれていまし たえっとこうちょっと読みますねえっと 脇村え救命大滝村というその後脇村と改め と書いてありましてえちょっと中略します けれどもえ諸日本木あえっと平安時代の 歴史書の職日本木にえ大竹川とありえこの 川は芸州大竹防水脇の中を流れてえ川の 繁生を房を境とすること明白なりとえ そしてえ大竹川といえば芸州の何よりで 川野とせように聞こえるとえさにあらずゲ も某も大竹村と言えるねえ川の向こうも こっちも元々は大竹村だったということ ですそれからえっと1年ぐらい前ですかね あの瀬戸山道編で紹介したえ室町幕府の役 にしてえ家人のえ今川佐代がえ将軍の足 義光の島産経にえ追行した時に書いたえ六 イドのえ五島モにもあの脇村と大滝村の ことが書いてあるよと区画軍に書いてある んですねえっと脇村を大竹と唱しと芸州

大竹を向こう大竹と言えると書かれている んですねねえつまりこちら側脇町の側を えっと脇大滝脇の方にあるんで脇大滝 そしてえ向こう側を向こう大滝と呼んだと いうことですま難しい話はこれぐらいにし ましてえ今回はですねえ国境らしい国境峠 の国境を紹介しますえそれはえ美前の国と 春馬の国の国境ですね現代のえ岡山県美前 市とえ兵庫県上郡町のま県境会市座会です えその峠までにはですねえっと美前市に 入ってから3つぐらい大きな峠を超えない とその国境の峠にたどり着けないんです けれどもえ今回はそのえっと県境国境の ところの会だけを紹介しますえ岡山県編の 最終回ですえそしてえこの動画を見て いただいてる間に私はえ大和橋を渡って 小川の向こうに行こうと思いますそれでは ご覧ください山陽ドゥえ岡山県辺の最終回 え張間の国と美前の国の国境 ですえ岡山県美前市三石市をえ前前回から 歩いていますえ今後ろ流れてる川がえ 船坂川でえ橋がえ亀の甲橋ですねそして橋 の上にですねバステがあります船坂峠入口 ですま船坂峠の入口というにはですねまだ ちょっと遠ような気もするんですけれども ねあの正面に見えてる山ですねあれを越え ていくようになると思うんですけれども あの峠はですねえ岡山県と兵庫県の県境 です左の狭い方の道に入ってき ます亀の甲橋から200m弱歩いてきた ところでえ工程期を見てくださいえ何か ありましたっけこれが国境の船坂峠ですね で今ここ歩いてるんですけどここにえ船坂 っていう村の名前がが書いてあります船坂 峠の船坂って三石の方からの読み方なん ですねあ確かにえ昔は峠のあっちとこっち とで峠の呼び名が違うっていうことがあり ましたよねあの自分の住んでる方側のま村 の名前を峠につけるっていうところがね ここにも船坂村って書いてあるんですよえ 岡山にも兵庫にも船坂という村があったん ですかうんただしですね岡山県側は江戸 時代にも三石村の中の船坂村だったんです けれども兵庫県側の船坂村はですね昭和 30年いわゆるえ昭和の大合併まで自治体 としての船坂村っていうのがあったんです ね今は合併して上郡町になってますけど じゃあ住み ましょう山陽本線のえ第1船坂踏切ですえ これ登り線なんですけれどもこの踏切 面白いと思いませんかちょっと変わって ませんかえ普通だと思いますけど山陽本線 複線なのにこれ登り線この線しかないん ですあなんでそんなことになっちゃってる んですかえっとあの昭和30年代に電荷あ

つまりあのSLやディーゼルカーからあの 電車に帰る時にですねえ電線を引こうとし たらですねトンネルの高さが足りなかった んですねえそれであの上り線だけこちらに 移してえトンネルを掘ったということなん ですねでもうすぐ国道2号に出ますえ国道 2号まで出てきましたここを左に曲がって いきますえ坂になります国道2号に合流し てから600m近くやってきましたえっと 右に美前市またのおいでをお待ちしますっ ていうことでビ市はもうすぐそこまでと いうことですねでえここを左に入っていく んですがここにえっと案内版があります 小島三郎高船坂山席の地これより分れて約 400m小島三高あそれはだから400m 登ったところにあの石碑がありますんでで そこで説明しましょう はい300mぐらい来ましたかねでこの道 は今あのダンプが通れるぐらい広いんです けれどもそれはこの先に工場があるからな んですねで山陽道はですねここから右に 折れて自転車歩行車専用道路に入ってき ます自転車歩行車専用道路に入ってきて 200m弱なんですけどその先にですね また石碑がありますえ船坂山憩いの広場 って書いてありますね憩いの広場です えっとで隣はですねえ船坂山義教の日に ついてって書いてあって小島三郎高って いうのがありましたねはいはいその小島 三郎高についての船坂義教の日っていうの がこの上にあるんですねちょっと上がって みましょうはい100m弱なんですけれど もこれが小島三郎高に関するあの石碑です ねえ船坂山義の後って書いてあります後 ですね何があったんですかあのですね5 大子天皇え5大子天皇がえ鎌倉バフを 倒そうとするんですねところが失敗してえ 島根の沖に流されることになったんですね でそれを救出しようとしたのがえ小島三郎 高なんですよそれがここところが小島高は あの5大子天皇の救出には失敗するんです ねえというのはこの船坂峠通るだろうと思 ここで待ち構えてたんですところがバ側も それを察したのか姫路から出雲の方に 抜けるルートを通っていったんですねだ からここで救出することはできなかったん ですえっとこの先ちょっと100mほど 行き ます義alsoの後の日からまだ100m ぐらい来たんですけれどもその先に立札が あります春馬国境の日それがこの下にあり ますあの木の向こうですねちょっと降りて みましょう この表中ですね石中ですねえっとここには これより

西美前の国まこれは何年に建てられたもの か分からないんですけれども江戸時代に 建てられたものなんでしょうねということ はですよ山陽道ってここを通ってたんです かね確かにま向こうはもう行けないですし こっちももちろん行けないんですけどもま これがずっと先ほどの自転車道の方に ずっと繋がっていたということでしょう うんうんでえこもう一度工程機を見てみ ましょう はいえっとここが国境で船坂峠と書いて ありますここに表中が1本書いてあります ねはい国境の日下ということでこっから先 が兵庫県になりますじゃあ今回はここまで ですねいやあのここでどっちにも行けない のでちょっと下の道まで降りますさっきの とこまで はいはい居の日についてという石板の ところまで戻ってきましたえ100mて 100mのところに国境日があったという ことはあと200mぐらいで県境の何か印 があるはずですよねですねでこの左にあり ますねあ兵庫県下は消えてますけれども 上郡町ですねでえ兵庫県え赤 郡船坂村お船坂村そしてこちらには岡山県 美前市ここからという標式がありますねと いうことでえ岡山県内の山陽道と です今は県境を示すものはないです ね大和橋を渡ると40mぐらいでしょうか え信号のある交差点ですでこの交差点の角 にえ道があります右広島 上道あの小川の向こうにもあの道シベが あって広島道って書いてありましたけれど も川を渡ってここでえ右に曲がって進んで いくのが広島の中心地に行く道だという ことですねそしてここにはですね髪型道 って書いてありますけどあのよく山陽道の こと髪型道て言いますけれどもここは 山陽道ではありません山陽道はこの国境の シリーズの最初にお伝えしたえっとこの あこからえっと小川をちょっと上流にき ます山を超えるんですねしかしこれ行き ますとねあと2kmぐらいでその山陽道と 合流しますでこっちの側面を見てみますと え左岩に下関道と書いてありますそれで 1番見て欲しかったのはこの広島髪型道の 反対側なんですけど こっち右この村この村っていうのは今言っ たあの山陽道の私があったところですねで この村え石州道岩見の国に行く道まいわば 石州街道なんですよね先ほどの絵図をもう 1回見てくださいえこれ見ますとこれが 小川でえ加工よりちょっと登ったこの辺り にいますでずっと上流の方見ますとここに 岩見の国って書いてあるんですねだからま

小川はちょっとこうで曲がってますけれど もこれずっと登っていくと弱の国に行くと いうことですだからこれ石道と言ってもま 悪くはないですよねもう1つのということ で次回どうしましょうこの石州街道も歩き たいんですけれどもでも石中街道というと あの山口から津に抜けるあの道あの紹介が 今山口のえ道場門前一坂川とこで止まっ てるんですよねあっちを先に紹介しなきゃ いけないかとも思うしこちらも歩いてみ たいしどうするましょう次回 えっと次回もお楽しみに [音楽]

#江戸時代の街道を歩く番組です。古地図を使って歴史散策。
出演・監修・撮影・編集は久保田修治
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