上越新幹線が北陸新幹線よりも早く開業できた本当の理由
[音楽] こんにちは2024年3月16日北陸新 幹線の金沢敦賀間が開業します首都県から 福井県まで1本の列車で行けるようになり 所要時間は東京福井間が2時間51分東京 敦賀間が3時間8分と大きく短縮されます 首都県から北陸までの移動が一層便利に なりますね北陸新幹線は1997年長野間 の通称長野新幹線の開業を始まりとしてい ますそこから福井県内に延伸されるまで 27年もかかったわけです同じく首都圏と 日本海側を結ぶ上越新幹線が1982年に 一気に開業したのとは対象的ですねそんな 北陸新幹線ですが2015年に長野金沢間 が開業してからは首都県から富山県石川県 へアクセスする人が大きく増え整備新幹線 の成功例ととして評価されるようになり ましたネット上では首都圏と日本海側を 結ぶ新幹線路線として北陸新幹線は上越新 幹線よりも優先して開業されるべきだった という意見も少なくありません北陸新幹線 は長野県内や北陸地方の各使用都市を結ん でいる上最終的には大阪方面まで延伸さ れる予定で将来的には東海道新幹線の大体 路線の役割も期待されていますそのため 関東以外のが新潟県内に限られる上越新 幹線は優先度が低いとみなされることが 多いようです2015年に北陸新幹線が 金沢駅まで延伸開業された際に上越新幹線 の列車の本数が減り上越新幹線の重要性の 低下が心配されるようになったことも影響 しているのかもしれませんまた上越新幹線 の必要性を語る上で当時限界を迎えていた 高崎線の輸送力打開が理由として上げ られることが多いですが陸新幹線を優先し て建設すれば解決できたのではないかと いう意見も存在します上越新幹線について は計画段階で新潟県の大物政治家が深く 関わっており上越新幹線が政治的な理由で 作られたと思われていることもこのような 北陸新幹線優先論に影響しているようです でも結論を言うと北陸新幹線を上越新幹線 よりも先に開業させることは不可能でした 今回は上越幹線が北陸新幹線よりも先に 開業した理由北陸新幹線が上越新幹線より も先に開業できなかった理由について 詳しく見ていき ましょう上越新幹線が計画されていた 1970年当時高崎線は遠距離旅客輸送 需要や貨物輸送需要の増大沿線人口の増加 による通勤輸送需要の増大により列車の 増発が繰り返されていました高崎線は 1952年までに全区間の伏線電荷が完了 していましたが増え続ける輸送料には対応 しきれず1974年から1977年頃に
線路要領が限界を迎えると予想されてい ました限界を迎えつつあった高崎線の輸送 を打開するため上越新幹線は1976年度 の開業を目標として1971年に着工され たのですではもし仮にこのタイミングで 上越新幹線の代わりに現のルートで北陸新 幹線を建設しようとした場合どんなことが 問題になるでしょうか答えを言うと1番 大きな障壁は車両関連の技術です北陸新 幹線は一部区間で急勾配が連続するルート となっています具体的には安中春な軽い沢 間で30パーミル程度の勾配が30km 程度軽座は大間で20パミ程度の勾配が 10km程度続きますさらに飯山トンネル は飯山方面から上越明光方面へ向かう場合 にほぼ一貫して下り勾配であり大半の区間 で30%M程度の勾配が連続するルートと なっています黒部宇月温泉富山間にも 30%Mの勾配が点在する区間があります 新幹線鉄道構造規則では最終勾配が減速 15パーミル以下に設定されていて上越新 幹線は最勾配が15パーミル連続勾配が 12パーミル以下となっています 北陸新幹線がいかに急勾配であるかが 分かりますね現在ではE7系電車が北陸新 幹線を走っていますが昔の新幹線車両は このような急行バイク感を生きすることが 困難でしたまず新幹線車両は高速走行に 最適化させるためにギ費が高く設定されて いて加速力と粘着力が低くなる傾向にあり ますそしてスピードアップと輸送力増強を 目指した結果在来線よりも車体がが大型化 しその分重量が大きくなっていますさらに 車体の素材にアルミニウム合金を使用する 現在と異なり初期の新幹線車両では車体の 強度確保とコスト削減を両立させる目的で 車体に重量の大きい普通口が使用されてい たためその分車体の重量が増加しました 200系電車ではアルミニウム合金の車体 が採用されましたがこれは体感大切装備に よる重量増加を抑えることが目的であり 車両全体の軽量化という観点では十分とは 言えませんでしたアルミニウムの加工技術 が発展途上だった時代車体の軽量化には 限度があったのですそのため国鉄時代の新 幹線車両特に0系電車は交配に弱く連続 する登り勾配では速度が落ちやすくなって いましたまた登り勾配が連続する区間で 速度維持のためにモーターをフる稼働させ 続けるとモーターが加熱状態となり故障や の原因となります実際最初の新幹線路線で ある東海道新幹線では関ヶ原付近に最勾配 20パミ連続勾配15パーミルの区間が ありますが0系電車がこの急勾配区間を 上り勾配で走行した際モーターの温度上昇
が限界に達してしまうことがありましたで も新幹線車両が勾配を生きする場合さらに 問題となるのは下り勾配の方です連続する 下り勾配を高速で走行するためには ブレーキで運動エネルギーを吸収する必要 がありますでも時速200km程度での 走行が前提の新幹線車両では機械ブレーキ に頼るとブレーキディスクの温度が上昇し 最悪ブレーキが破損する可能性があります そこでモーターを発電機として活用して 運動エネルギーを電力に変換する発電 ブレーキを使用します国鉄時代の新幹線 車両である0系電車や100系電車200 系電車の場合モーターを利用して発電 ブレーキで得られた電力を抵抗機で熱 エネルギーに変換することで下り勾配に 対処していましたでも時速200km程度 で走る新幹線電車が北陸新幹線のような急 勾配を下る場合莫大な量のエネルギーを 吸収する必要があります従来の抵抗器の 性能では時速200km程度の走行で 生じる莫大なエネルギーを吸収しきれず ブレーキが効かなくなる可能性があります そのため急行バイク感を有する路線の場合 は発電ブレーキ用に容量の大きい抵抗機を 積む必要があるの ですですが大容量の抵抗機を搭載すると 車重が大きく増加します大容量の抵抗機に よる車重の増大は勾配を苦手とする新幹線 の弱点に発射をかける形となり当時目標と して掲げられていた最高速度時速 260kmへのスピードアップについも ハードルが大きく上がります実際当時の 国鉄も発電ブレーキの強化による急勾配の 克服について現実的な手段ではないと判断 していて北陸新幹線用の車両については 従来の発電ブレーキを使用せず改正 ブレーキを採用する方針に固まっていた ようですですがここで問題となったのは 国鉄時代の新幹線車両が電動機として直流 モーターを採用していたことです新幹線は 電源として2万5000vの交流電源を 使用しますが当時の技術では交流モーター の回転数を制御することが難しく交流車両 でも直流モーターが使用されていました この場合モーターで発生した直流電力を 交流電力に変換してから河川に戻す必要が あるのですが0系に採用されたタップ制御 ではその仕組みの都合上改正ブレーキの 搭載が困難とされていました1969年に 作られた試験車両の95011系電車や 後年に登場した100系電車と200系 電車では立体操制御が採用されましたが やはり直流電力を質の良い交流電力に変換 するのが容易ではなく変電所側に特殊な
装置を整備する必要がありましたさらに サイリスタ制御方式では在来戦での運用 実績から改正ブレーキの安定性があまり 良くないことが判明し結局国鉄時代の新 幹線車両に改正ブレーキは搭載されなかっ たのですこのような事情が影響して山陽新 幹線と東北上越新幹線ではさらなる スピードアップのために東海道新幹線より も勾配を緩くする方向となり原則として最 勾配が15パーミル連続勾配が12 パーミル以下となりました北陸新幹線に 対応できる車両の登場にはより多くの時間 が必要だったのです高崎長野間の開業時に 登場したe2系電車やに登場した7系電車 は交流モーターとVVVFインバータ制御 改正ブレーキを採用しアルミニウム加工 技術の発展により車体をさらに軽量化でき たため北陸新幹線の勾配に問題なく対処 することが可能です上越新幹線の計画が 進められた1970年頃は現在の北陸新 幹線のルートに対応可能な車両を実現する ための技術が十分ではなかったのです上越 新幹線に長大トンネルが多いのも当時の 車両技術の水準に合わせて勾配をなるべく 小さくするという目的が大きかったよう です ねでは北陸新幹線を建設する際に急行 バイク間を回避してルートを設定すること はできなかったのでしょうか実は当初の案 では最勾配を15パーミル以下とした ルートも検討されていましたこの案では 高崎軽い沢感について薄い峠を北側に 大きく迂回するルートとするかあるいはは 薄い峠と軽井沢の南側を橋梁と長大 トンネルで大きく迂回するルートとする こと長野富山間についてはひ山脈の直下に 長大トンネルを通して最短距離で 走り抜けることにより勾配をなるべく 小さくすることが可能とされていました ですが薄い峠を北側に大きく迂回する ルートでは路線距離が大きくなり所要時間 短縮につながらない上に建設費も大きく 増えてしまいます薄い峠と軽い沢を側に 迂回するルートも同様の理由で建設費が大 になることに加え当時の国鉄が軽井沢を 経由しないルートに難色を示していたこと がマイナスに作用しました軽井沢は当時 年間80万人もの観光客が訪れる1大 リゾート地であり首都県軽井沢間の特急 列車の利用需要が莫大でした当時の国鉄が 軽井沢駅の利用需要の多さを一番理解して いたはずですから軽い沢を経由しない ルートは到底受け入れられなかったこと でしょ建設費をなるべく抑えつつ軽い沢を 経由するルートとするには現在のような
急行バイク感を受け入れる必要があったの ですまた長野富山間についても日山脈の 直下に長大トンネルを通すルートでは全長 70kmにも及ぶ前代未の超長大トンネル となる上高熱の盤や大量の有子ガ板破壊に よりトンネルの掘工事が南することが予想 されたことから現実的ではないと判断され ましたこれらの理由から最勾配15 パーミル以下のルートは断念され右接を経 て最大30パーミルの急勾配を採用する 現在のルートとなったのですやはり当時の 技術では北陸新幹線の開業は不可能だった と見るべきでしょう高崎線の輸送を打開 する目的で新幹線を建設する場合上越新 幹線が1番現実的なルートだったの です今度は輸送需要の面から考えて ましょう上越新幹線と北陸新幹線の開業前 は上越線と新越本線が特急街道として首都 圏から日本海側長野方面への旅客輸送を 担っていました上越線については特急時が 1962年の運行開始以降増発を繰り返し ていて1970年に6往復1972年に復 1973年には13往復にさらに上越経由 で金沢方面に向かう特急白が1往復商内 秋田方面へ向かう特急稲穂が2往復あり 1973年の時点で上越線の定期中高特急 列車は16往復設定されていました一方 首都県を発着して新越本線を経由する定期 中高特急列車は1973年の時点で金沢 方面に向かう特急白山が3往復長野方面の 特急浅が6往復の合計復特急の本数は上越 線の方が新越本線よりも多かったのです さらに定期中行急行列車の本数も新越本線 が8本なのに対し上越線は12本であり 急行列車を合わせた場合でも上越線の方が 多い状態でした当時の上越線では特急列車 に加えて急行サや急行草急行ゆけ急行 イカホ急行赤木など多数の急行列車が運行 されていて そこに普通列車や貨物列車も加わります 速度の異なる多数の列車が同じ線路の上を 走るのですから上越線の線路容量は意外と 余裕がありませんでした実際1973年の ダイヤ改正では特急時が3往復増発される 代わりに急行差の特急退避が増えて所要 時間が伸びており高崎線のみならず上越線 でも輸送力の限界が見え始めていたのです なぜ上越線の方が越よりも東列車が多く 設定されていたのでしょうか第一の理由と して新潟県の人口が多いことが挙げられ ます実は新潟県の人口は昔も今も富山県と 石川県を合わせた数字より大きく1970 年当時は全都道府県中12番目に人口の 多い県でした2020年現在も全都道府県 中15番目に人口の多い県であり長野県を
上回る規模 ですが多ければ輸送需要も大きくなるのは 想像しやすいですよ ね2つ目の理由は首都圏から中越加越地方 への鉄道輸送について上越線が事実上唯一 のルートとして機能していたことです新潟 県は上越中越加越サドの4地方に分かれ ますがそのうち中越と加越の2地方だけで 県内の人口の9割以上を占めます特急時や 急行さについては特急や急行のの停車駅を 地域の玄関口として自動車によるアクセス の拠点としさらに新潟駅や長岡駅東三条駅 を別路線との乗り換え駅とすることで中越 カの主要都市を概ねカバーすることができ ました加越地方の北部については特急 イナホで柏崎市や上越地方については特急 博多でアクセスすることもできましたこの ように首都県から新潟県内への旅客輸送に おいて上越経由の優等列車は重要な役割を 果たしていて上越線は潜在需要の大きい エリアを抱えている状態でした実際 1970年の時点で高崎線と上越線を 合わせた沿線人口は900万人程度と 見積もられており山陽新幹線の1400万 人や東北本線の1300万人と比較しても 見劣りしない規模と評価されていたのです この流れはメインルートが上越新幹線と なった後も続いていて新潟県内の各駅を線 との乗り換えや自動車によるアクセスの 拠点とすることで中越越地方への移動需要 に幅広く対応していますそのため2023 年現在でも首都圏を発着する定期列車は 北陸新幹線の博多と輝きの合計22往復に 対して上越新幹線の時は24往復であり実 は時の方が本数が多く設定されているの です3つ目の理由は都県から富山石川方面 長野方面への輸送需要が複数のルートに 分散していたことです首都県から富山石川 方面への移動については新越本線や上越線 だけでなく東海道新幹線経由のルートも 使えたため輸送需要が3ルートに分散して いました特に東海道新幹線経由のルートは 1972年の時点で名古屋駅を発着する 特急白さが4往復前原駅を発着する急行龍 が6往復設定 さらに特急来や白北越への乗り換えもでき たため列車本数で新越本線や上越線に対し 優位な状態所要時間についても上野金沢間 で特急博多が6時間20分特急発散が6 時間28分かかっていたのに対し東海道新 幹線経由のルートでは東京金沢間が最短5 時間35分程度急行流を利用した場合でも 6時間10分程度であり東海道新幹線経由 のルートの方が優位でした首都県から長野 県内への移動についても新越本線経由だけ
でなく中央本線経由のルートもあるため 輸送需要が2ルートに分散し新越本線が カバーするエリアは北進地方と等身地方の 2地方に限定されましたこのような事情 から首都圏を発着する新越本線経由の定期 中行優等列車については上越線よりも 少ない本数にとまる結果となったのです 上越線を走る優等列車の本数が多く上越線 の輸送力の限界が見えている点から上越新 幹線の方が北陸新幹線よりも優先されるの は自然な流れではないでしょうかさらに 上越新幹線であれば首都圏から日本海側の 各都市への所要時間の短縮を高範囲で実現 することが可能です例えば小内秋田方面へ の旅客輸送については新潟駅で在来線特急 に接続する形にすればは所要時間の大きな 短縮につながりますこれは新潟駅を発着 する特急イホとして実現し新幹線開業前は 6時間13分かかっていた上の坂田間が 1986年には最短で4時間33分に短縮 されましたさらに富山石川方面への列車に ついても長岡駅で上越新幹線から在来線 特急に乗り換える形にすれば所要時間を 従来よりも短縮することができますこれは は特急北越や特急来朝特急白鳥特急輝きが 長岡駅で上越新幹線に接続する形で実現し 上野金沢間の最短所要時間が1986年に 4時間35分1988年には4時間10分 に 短縮1997年の北越急行北北西の開業後 は一湯沢駅を発着する特急博多に受け継が れ東京金沢間の所要時間が4時間切るよう になりましたこれ以降首都県から富山石川 方面への移動については上越新幹線経由の ルートがメインとなっています上越新幹線 の開業により高崎線と上越線の輸送力増強 首都圏から日本海側の各都市への所要時間 短縮新潟県内の広域輸送の充実化が一気に 実現したのですそう考えると上越新幹線は かなり合理的なルートと言えるのではない でしょうか いかがだったでしょうか当時の技術水準に 合わせてなるべく合理的なルートで首都圏 と日本海側を結ぶ新幹線路線を作る場合 上越新幹線が唯一実現可能な案だったと 考えるべきでしょう北陸新幹線の実現に ついては車両技術の発展によるルート選定 の自由度向上が前提だったのです上越新 幹線が政治新幹線と呼ばれていることに ついては当初から首都圏と日本海側を結ぶ 重要なルートとして構想されていたのが 政治的な思惑によって早期実現の方向に 動いたというのが真実ではないでしょうか もし上越新幹線よりも北陸新幹線を先に 開業させるべきだったという方がいたら
是非この動画の内容を思い出し上越新幹線 が北陸新幹線よりも先に開業したのは必然 ですと自信を持っていって ください今回の動画は以上となりますご 視聴ありがとうございました [音楽] で
タイトル通りです。2022年11月に開業40周年を迎えた上越新幹線ですが、東海道山陽新幹線や東北新幹線と比べて路線距離が短く、沿線人口が少ないように見えること、北陸新幹線の開業により支線化しているイメージが強いことから、上越新幹線よりも北陸新幹線の建設を優先すべきだったという意見があるそうです。本動画では上越新幹線が北陸新幹線よりも早くつくられた理由について、その背景とともに詳しく見ていきましょう。
単発リスト→https://www.youtube.com/playlist?list=PLHnVGUO3xDjIIvlxTukTbByH8cRV3swLx&disable_polymer=true
シリーズ国鉄破綻→https://www.youtube.com/playlist?list=PLHnVGUO3xDjLZpR8esykQtF55TAL5b545
新幹線開業前夜シリーズ→https://www.youtube.com/playlist?list=PLHnVGUO3xDjKFIuo95dDLUMIXqGuUoCg7
東海道新幹線開業史シリーズ→https://www.youtube.com/playlist?list=PLHnVGUO3xDjIpR6yA0LldTNdDMW-SJrcT
シリーズ中山トンネル→https://www.youtube.com/playlist?list=PLHnVGUO3xDjLR-Zd9JE6m8aNPWnRb6j4w
48件のコメント
前からの質問の流れでこうなるだろうなとは思ってましたが、上越新幹線不要論なんか誰か言ってましたっけ?
今となってはどちらでもいい話ですし
そもそも田中角栄自体が新潟の土建会社の社長だったわけだから、当然他の地域の議員よりルート選定や工費なんかの事情に詳しかったわけで。
そりゃ、ただ通してってお願いするしかできない他の地域より大分有利なのは少し考えればわかるよね。
国鉄「うーん線路容量も車両繰りも難しいしラッシュに急行車両を普通として高崎線走らせたろw」
「程度」という日本語の使い方に違和感を覚える!
あろ?
都リチウムは『たまご かけ ごはん』からOEM供給になったのか?
単純に特急ときが雪のせいですぐ運休するからでは
北陸新幹線ならではの問題としては他に
周波数の問題もあったはず
(軽井沢から先は
50kHz60kHzが入り乱れてる)
田角栄さんの力がおおきいと思います。
・新潟は北陸方面だけでなく庄内や秋田方面とも接続(当時は秋田新幹線はない)
・碓氷峠がない(超大事)
・周波数切替がない
・今の北陸新幹線は沿線人口が上越の1.7倍だけど、線路の長さも1.6倍になるからコスパは大差なし
そら新潟が先になるでしょ。当時北陸を先に建設してたら、山形秋田からブーイングが来るよ。
JRになったら、上越は北陸と違ってJR東が単独でコントロールできるから運用しやすいし、JR東としては今でもおいしい新幹線だよ。
角栄さんの力
間違いなく「上越新幹線」のあおりを受けたのは東北新幹線なのは間違いなく、「盛岡」止まりになったのも大宮暫定開業になったのもねぇ
1874~76年、新潟県は都道府県単位で人口1位でした。
新潟県はそれくらい人口が多かったのです。
1877~81年には石川県が1位になりますが、現在の石川県と富山県、及び福井県の多くを編入していたためなので、事情が異なります。
北陸新幹線に比べ影が薄くなってしまった上越新幹線の本来の建設意義が良く分かりました。確かに、東京⇌新潟の需要だけで考えると物足りなく思えますが、本州の最も太い部分を横断し、首都圏と日本海側を結ぶ基幹路線として考えると、東北の次に優先度が高かったのも納得です。
但し、現実の上越新幹線が些か過大投資であり、その建設費が北陸新幹線に悪影響を与えて、豪華な設備を持て余しているのも事実です。以下のようにすべきだったと思います。
・「上越新幹線」という名称は、「上越妙高駅」と紛らわしい上に、ローカルな新幹線との印象を与えてしまうので自動車道と同じく「関越新幹線」とする。
・路線距離の長さを考慮して高崎駅は北陸新幹線を本線とし、減速せず分岐できる構造とする。上越新幹線の列車は高崎を高速通過する必要が薄いので、分岐器で減速しても問題ない。
・高崎より先の駅は2面2線で通過線不要。越後湯沢と長岡は、引上線と羽越新幹線への分岐を考慮して、片側を島式とした2面3線とする。
確かに上越新幹線の建設理由がこのようにしっかりしている以上、今の我々は受け入れれるのだと思う。しかし田中角栄氏の日本改造論に国鉄が振り回された過去がある以上、どうしてもクロのイメージが付きまとう。
あと、新潟は江戸時代末期から明治時代にかけて海外貿易の拠点となっていた港(いわゆる、五港)の1つだったので
新幹線計画時の人達の中にも「新潟を優先的に」という声もあったのかもしれませんね。
鉄道唱歌でも新潟は”戸数万余の大都会”と歌われてますし。
北陸新幹線が大阪まで 早期実現を望みます。
高崎ー新潟をリニアにしてくれたら新幹線無くても案考える。上越線は存続、縮小で維持👌
田中角栄の力
長野行新幹線は軽井沢駅までフル規格でそこから先はミニ新幹線という構想が有力だったらしいが(長野五輪でひっくり返った)、今思うとほくほく線をフル規格新幹線にした方が良かったのかも。
新潟市は本州の日本海地域で一番人口の多い都市なので、東京と日本海地域を新幹線で結ぼうとしたときにまず最初に新潟が選ばれたのは不自然な流れではないと思います。新潟市は今では本州の日本海地域で唯一の政令指定都市なので、上越新幹線は建設されるべくして建設された路線と言えるかもしれません。
飯山トンネル工事は同じ膨張性地山である鍋立山トンネルの経験が生かされていますね
技術は先人が残してくれた遺産。感謝の気持ちを忘れてはいけませんね
ただでさえ通勤時間帯に普通列車が来ないから殺人的な乗車率なのに呑気に順法闘争とかやってチンタラ走っていたら乗客が暴動起こした上尾事件。あれも大宮から先列車が混んでるから「上野行きって言ったけど大宮で運転打ち切りにしまーす」とか呑気なアナウンスしたから客がキレた。
それくらい朝の高崎線には普通列車が来なかったのです。
田中角栄先生万歳、万歳、万歳
機関士だったジジイいわく「札幌まで新幹線造るのに使うはずのカネを、いろいろ理由つけて分捕って無理やり造らせたのが上越新幹線」
でも、新潟から先の延伸が無いのは何故?さらに、特急が走ってる路線はすべて新幹線にすべきでは?
田中角栄の家が火事になりました。
現状、上越は北陸の枝線、、
信越本線は上越線より先に開業したけどね
次々、色々な新幹線開通してるけど稼働率、収益はどうなんですか?
東海道新幹線以外赤字新幹線多い様な感じが、、
この辺りは義母が南魚沼市が郷里の為当時の背景を宴席や集落の人々、そして故・田中角栄氏ご本人から伺った事があり「政治新幹線」と呼ばれる事に関しては意外と好意的でした。
理由について伺うと『田中角栄が地元でテストケースを造り、それを皆が見聞する事によって同様のケースを広めたい。』と言う物があり、喧々諤々だった新幹線開業前の「新幹線不要論」や「田畑の中を通る新幹線が繁栄するはずがない」と言う建設意義を打ち壊したかったとの事でした。
義母の祖母の姉にあたる方は角栄大先生の言葉を聞いて『それなら新幹線が通る場所の田畑を譲ってやんよ!。』と言い、新幹線反対者の家に縁戚と角栄大先生が土下座をして『自民党や角栄の為ではなく新潟を、そして日本を変える為に先祖代々の土地を譲ってください。』とお願いをしに行った話を見聞しますと「政治新幹線」である事は否定できませんが、その先にあった「日本列島総幸福論」の大計であった事は間違いないのではないかと思います。
この時に土地を譲ってもらう交渉の時に資金の工面をすべく角栄大先生の隣に居た人が角栄鞄持ちから悪党党の党首になった武闘派ハマコーこと故・浜田幸一先生だったりします。
角栄が広げた新幹線の絵図と言うのは高崎線の逼迫だけでなく、在来線を近距離客・新幹線を遠距離客・通常貨物を在来線で分離し、今流行の回転寿司店の注文配線サービスの様な「日持ちをしない物」「速報性が必要な媒体」を新幹線貨物で運ぶと言う分離策を試したかったと言う物があるそうで、ハマコーさんはこの事について『夕刻に日本海側の鮮度の良い酒と魚を新幹線輸送して、夜に日本海から直送でやって来た物を新橋や川崎の居酒屋に並ぶなんて言う贅があればこそ労働者は明日も頑張れるんだよ。』と言うコミカルな表現でその有効性について語っておられましたね。
安中榛名駅の開業経緯からして、北陸新幹線が先に開業していたら安中榛名駅はなかったんだろうな。
東京〜長野・富山・金沢のルートが複数あるって視点は考えたことなかった
田中角栄さんの力ときいている。
上越新幹線を北陸新幹線より先に作ったの
そんな不思議なことかね
北陸三県足しても人口が静岡県よりはるかに少なく
茨城県といい勝負であることからもお察し。
県民総生産など各種経済系指標は茨城以下。
そもそも3県あってもひとつひとつが大した事ない。
勝てるのは米の生産量くらい。
江戸時代なら凄い指標だけど。
次は東北新幹線の最初の開業区間が盛岡までだった理由を解説して下さい
碓氷峠の工事が難しそうだったからなあ
上越新幹線は、田中角栄元首相によって開業し
ました。
並行在来線は、第三セクターにならずに、JR
のままです。
新幹線開業前の上越線の急行+特急の本数(約25往復)が今のサンダーバードの本数と同じって考えると正直敦賀-新大阪も新幹線造って欲しい。安易に挙げるのもどうかと思うけど、阪和線一部と大阪環状線は特急毎時3本(1日48往復)と一般列車毎時12本を複線で捌いてる訳でʕ´•ᴥ•`ʔ
東北新幹線の盛岡開業と同時期に開業したんですが
上越新幹線は延伸せず輸送密度・利用者頭打ちなのが問われます
東北新幹線は八戸、新青森、新函館北斗と延伸し既存の整備した路線が生かされます
北陸新幹線も数か月後に福井まで延伸されて今以上に利用者を増やすでしょう
単純な自治体の人口で比較するのではなく
税金で鉄道の整備する場合は沿線の人口で比較すべきだと思いました
北陸新幹線は当初、東京~甲府~松本~富山~の最短ルート案もあったらしい。また上越新幹線開業後は、ほぼ現北越急行ルートに沿って北陸新幹線を国鉄がやりたかったのを角榮氏が長野市を通す方へ持って行ったという。(田中角榮語録)
とりあえず北陸沿線民がやっかんでるというのはこのシリーズの動画のコメ欄からも分かるw
今では北陸新幹線もちゃんと開業したっていうのに''わざわざ''コメントつけてくるんだから。
田中角栄先生の従順者→小沢一郎、原口一博、山本太郎など。
田中角栄先生の裏切り者→竹下登
、中曽根康弘、竹中平蔵など👽
上越新幹線と北陸新幹線の事がよくわかってよかったです。この様な話題の動画を他のYouTubeのチャンネルでも見たことがありますが当方が見た中で1番わかりやすく客観的に解説していてよかったです。
「かがやき」+「はくたか」の数より「とき」の方が多いとは!
角栄さんのおかげかと思ってたけど色んな背景があったんですねー
'70年代、高崎線は輸送力の限界を超過し、通勤ラッシュ時は暴動が起きたほどだった。優先されたのは当然。
上越線の清水トンネル複線化がたった10年ちょいで(ほぼ)無駄になったのがねぇ