「MACF礼拝映像」2024年2月4日

神よあなたの言葉は私の足の 灯しび私の道の 光あなたの進めからそれないように心を 尽くしてあなたを 求める私は大世を心に抱くあなたのさきを 示してください神をあなたの言葉を生涯を 守れるように豊かな恵みを与えてください えの偉大さを悟とれるように私の目を開い てください一言祈ります恵深い天の父なる 神様こういう形で御言葉を分かち合うこと ができることを心から感謝しますどうぞ あなたの御言葉が私の心を照らし私たちの 行くべき道を示しまた私がなすべきことが 分かりますようにそしてどうぞ心を 柔らかくしてあなたの思い通りに生きる ことができますように導いてください主を どうぞ病のとにある方々の上に癒しを もたらしてくださいますように疲れている 方々の上に主夜どうか励ましをお与え くださいますようにまた様々な形で本当に 苦労しておられる方々1人1人の底に立っ てくださって主よ一緒に泣き一緒に喜びお 支えくださいますようにそしてそういう ことのために私たちにできることがあれば どうぞお示しくださいますように これからの礼拝を導いてください主イエス キリストの皆によってお祈りします アーメン皆さんおはようございます関根か ですえ2月の4日え今日は茶水 クリスチャンセンターでも礼拝が行われて いますえしかし様々な事情でえ参加でき ない方々このYouTubeの礼拝でえ心 に御言葉を心に恵をしっかり受け取って いただけたらと思います進めてまいり ましょうMFではえ第日曜日その月の第1 日曜日に生産式を行いまたその月の誕生日 を迎える方々の祝福を祈るということを やってきました今日もえ今月生まれた方々 2月生の方々のための祝福を祈りしたいと 思います祈ります恵天のなる神様mafの の中にそして数多くのこのYouTube を見てくださってる方々の中に2月前の 方々いらっしゃいます主どうぞそういう 方々1人1人のその誕生日を祝福しそして そっから始まる1年間をどうか豊かに恵み を持って育て養い豊かに祝福してください ますようにこの2月前の方々 が心からあなたを喜びながら生きていく ことができますように主を祝福して ください主イエスキリストの皆によってお 祈りします [音楽] アーメンいこ イエス キリストの中

に神の 光は 輝き キリストの中 にこそ 神の 御 が現されて いるさら に [音楽] 深く キリストの 恵 と 葉 を 求め ながら すみ [音楽] 行こ [音楽] [拍手] H さらに 深く キリストの 恵 と 葉 を 求め なら [音楽] すみこ [音楽] 主の祈りを一緒にお祈りしたいと思います 主の 祈り天におられる私たちの父よ空の彼方で はなく万物を支える見えない世界天にいて 人の世の低みを見捨てず絶対的な保護者と してそこにいてくださる私たちの父なる神 様皆が生とされますようにあなたをそのお 名前通り聖なる愛と恵みに溢れ誠実なお方 であると全ての人が認め 国が来ますように三国すなわち救いと平和 と喜びによる神の支配が現実の生活の中に もたらされそれによって私たちが神と人と を愛しつつ生きられますよう に見が天に行われる通り地にも行われます ように神のおられる天で実現されている神 の見がこの地上でも実現されることを願う 心を持てますよう に私たちの事の糧を今日もお与え

ください私たちの今日の分の食事仕事必要 物を感謝と共に受け取れますよう に私たちの罪をお許しください私たちも人 を許します私たちの不信いつ 不誠実をお許しくださいまた許されるため にどれほど大きな犠牲が必要だったかを 私たちに思い知らせてくださいそれによっ て人を許せるようになれますよう に私たちを誘惑に陥らせず悪からお救い ください私たちにとって1番の有は自分の 弱さ不なさに絶望することやり直す努力を 放棄することですまた何事も争わず対立せ ず波風を立てずに納めたいという思いも 大きな誘惑です私たちの優しさが不正に 見した体制を支えることになりませんよう に私たちが互いに絶望することなくこの 世の中で生きられますように国と力と栄光 は永遠にあなたのものですメン 主の祈りの本文を一緒に祈りましょう主の 祈り天におられる私たちの父を皆が生とさ れますように御国が来ますように見が天に 行われる通り地にも行われますように 私たちのひごの糧を今日もお与えください 私たちの罪をお許しください私たちも人を 許します私たちを誘惑に陥らせず悪からお 救いください国と力と栄光は永遠にあなた のものです [音楽] アーメンこの世 の エと共に 歩む我 ら行手 は春か 夢 見る天の ふさ と あさ 導かれ 天の 住ま [音楽] に父 なる神の 荷 に主イエスと共 にこの世の 旅イエスは耐えず愛で 包み行手 に せまる 闇 も より添いた

も 愛され 導か れ 天の 住まい に父 なる神の 見元 に主イエスと共 [音楽] に [音楽] [拍手] [音楽] 8 [音楽] 愛され 導かれ 天の 住まい に父 なる神の 見元 に主イエスと共に 父 なる神の 身 に主イエスと共 [音楽] に主イエスと共 [音楽] [拍手] に [音楽] 今日の聖書の箇所ですけれども新役聖書の ヘブラ恵への手紙え第3章の7節からの ところですだから精霊がこう言われる通り です今日あなたたちが神の声を聞くなら あれので試を受けた頃神に反抗した時の ように心を固くにしてはならないあれので あなたたちの先祖は私を 試み 試し40年の間私の技を見ただから私は その時代の者たちに対して生きとってこう 言った彼らはいつも心が迷っており私の道 を認めなかったそのため私は怒って誓った 彼らを決して私の暗に預からせはしないと 兄弟たちあなた方のうちに信仰のない悪い 心を抱いて生ける神から離れてしまうもの がないように注意しなさいあなた方のうち 誰1人罪に惑わされて固くにならないよう に今日という日のうちに日々励まし合い なさい私たちは最初の確信を最後まで しっかりと持ち続けるならキリストにつる

ものとなるのですそれについては次のよう に言われています今日あなたたちが神の声 を聞くなら神に反抗した時のように心を 固くにしてはならない一体誰が神の声を 聞いたのに反抗したのかモーセを指導者と してエジプト出た全てのものではなかった か一体誰に対して神は40年間行きだられ たのか罪を犯して死骸をあのにさらした ものに対してではなかったか一体誰にに 対してご自分の安則に預からせはしないと 誓われたのか従わなかったものに対してで はなかったかこのようにして彼らが安則に 預かることができなかったのは不信仰の せいであったことが私たちに分かるのです キリストは神の家を納める大祭祀であり このお方につながり信頼を深めることで 私たちは希望を持って生きることができる ようになるということを私たちは学びまし た えしかし今日読んだところを見ると ヘブライ人への手紙を書いた著者は旧約 時代における大事件を引き合いにしてま 注意喚起してるわけですねそれは神への 不信と自らを人生の決定権を持つ人間に 仕立ててしまうという傲慢さへの警告です ね今日あなたたちが神の声を聞くならあれ ので試練を受けた頃神に反抗した時のよう に心を固くにしてはならないという言葉を 今朝私たちはしっかり心に受け止めたいと 思います実はこの箇所は市辺の95編から のま引用でもあるんですけれども支援の 95編こんな風に書かれています主に 向かって喜び歌おう救いの岩に向かって 喜びの叫びをあげよう見舞に進み感謝を 捧げ学の根に合わせて喜びの叫びを あげよう主は大いなる神全ての神を超えて 大いなる王深い地の底も見のうちにあり 山々のいきも主のもの海も主のものそれを 作られたのは主陸もまた未によって形作ら れた私たちを作られた方主の見舞にひこう 共にひれ伏しふし拝もう主は私たちの神 私たちは主の民主に養われる群のうにある 羊 主の声に聞き従わなければならないあの日 荒れ野のメリバやマサでしたように心を 固くにしてはならないあの時あなたたちの 先祖は私を試みた私の技を見ながらなお私 を試した40年の間私はその世代をいい心 の迷う民と呼んだ彼らは私の道を知ろうと しなかった私は怒り彼らを私の憩の地に 入れないと誓った という言葉です ねあの日アデノのメリバやマサでしたよう に心を固くにしてはならないという言葉が 市辺の方には書いてありますこの

ヘブライ人の手紙にはえメリバやマサと いう言葉は出てこないんですけれど えーどちらもですね民が不平を言いモーセ に逆らいえーま神様に立ついたという 出来事なんですけれどももあのこのメリバ での出来事というのはえエジプトから脱出 して間もなくの頃の出来事でありマサでの 出来事というのはエジプトから脱出後随分 後の方の出来事でしたつまりアレのでの 最初の頃から終わりの頃まで神への闘争心 と言いますか神への不信とかリーダーに 対する不満とかというのは渦巻いていたと いうことなんですよ ね確かに水がないという事は深刻な試練で あり困難な出来事だった でしょうしかしそこで彼らは神様に信頼 するということを学ばなければなりません でしたつまり彼らはずっと自分たちが羊会 を必要とする羊であるということを知ら なければならなかったそれを思い出さ なければならなかったはずなんですねでも 彼らは羊会を必要としてる羊であるという ことを無視し羊会を勝手に追いやって しまうような態度を取ってきた来たモーセ を恨みなんで俺たちをエジプトからこんな ところに連れてきたんだとこう文句言うま 当初彼らがエジプトからこう導き出された 時神の偉大な未によって奇跡から奇跡そう いう出来事によって導き出されたという ことを彼らは知っていましたし経験してい ましたしそれを喜んでいたはずなんです けれどもちょっと辛い状況が出てくると もう早速不平不満の嵐になってなんで俺 たち俺たちはにいた時の方が良かったぜ みたいな話が出てくるんですよねで今日私 はこの短い言葉の中にある教という言葉に 注目したいと思うんですイスラエルの人 たちはそのあれので40年間彷徨うわけ ですけれど もうんそれはやっぱりこう考えてみると 今日という日の積み重ねなんですよね神様 私たちに対して 今日 今日私が語る私の思いを無視しないように 今日私からの促しを無視しないようにと 訴えていると理解できる でしょうそれを受けてま明日からやります から私の心を明日になったら整えて くださいというのではなくて今日神様が心 に促しを与えておられるのであればその声 に従うという意識を持つ必要があり主 よろしくお願いしますという思いを持つ 必要があるんですねそれは決して難しい ことでは なく今羊会が羊である私の状況を知り私に

導きの言葉をかけてくれてるのだと信じて 信頼すればいいわけですよねしかしそう いう出来事を難しくするのは私たちの心の 中にある固くな心と呼ばれてるものですね これはね 自分には自分なりの答えがあり神様からの 答えなど不要だといらないという思い あるいは自分はこの線で行くと決めたんだ から神様なんと言っても私はこの線を曲げ ないというような頑固な心です ねそれがあの片な心と呼ばれてるものです ね先ほど のヘブライ人の手紙のえ3章を見ると こんな風に書かれていましたのえ手紙の3 章です が兄弟たちあなた方のうちに信仰のない 悪い心を抱いて生ける神から離れてしまう ものがないように注意しなさいあなた方の うち誰1人罪に惑わされて固くにならない ように今日という日のうちに日々 励まし合いなさいという言葉は出てくるん ですね罪に惑わされて固くな頃にななら ないように罪に惑わされて片ないうのはね 大丈夫神なんていらないよお前が神に なれるよという誘いですね大丈夫神なんか に信頼しなくったってなんとかなるからと いうその誘いそれをこう間に受けて固くに なって神の願いを拒否する神の思いを拒否 するということがあるんですねそれ から今日という日のうちに日々励まし合い なさいという言葉がありまし た私たがこう神様に対して不信仰に 落ち込んでいくというま流れを作るものに 片の頃があると言いましたもう1つはね人 を励ましたり慰めたりする言葉を持たない あるいは良かったねありがとうごめん なさいと言える心を育てていないこれは またとても深刻な問題だと思いますそれは 自分のことにしか意識を向いてない人と 一緒に笑ったり内帯することはできない そこにあるのは孤独というよりもむしろ 孤立になってしまうですね誰かに励まされ 誰かを励ますというサイクルの中で私たち は人格的に整えられてくる ねあの誰も私の味方になってくれる人がい ませんという訴に対してあの カウンセリングの現場でね私は時々そう ですがそれは辛いですねとしっかり 受け止めたででもあなたは誰かの味方に なりたいと思ってますかとかあなたが味方 になりたい人はいますかと尋ねることが あり ます慰め合うとか味方であるというのは実 は相互関係なんですよねお互いにという ことですねでそのためにですね土台の部分

で最初の確信を共有できないとなかなか うまくいかないという面があると思います 14節私たちは最初の確信を最後まで しっかりと持ち続けるならキリストにつる ものとなるという言葉があるんですけども 最初の 確信実 は最初の確信というのはイエス様との 出会いイエス様の愛を知ること神様に愛さ れ許されているということをしっかり心に 受け止めていることまそっから来るこう私 は神に生かされているという確信私は神に 愛されているという確信ま礼拝を通して この最初の確信を共有し深めていくわけ ですねあの先ほど読んだ支援の95編の中 には最初賛美が出てくる礼拝が出てきます ね神を礼拝するという出来事を通して 私たちはイエス様との出会いイエス様の愛 を知ること神様に愛され許されていると いうことを深く味わうことになるで最初の 確信がこうしっかりこう揺らぐことない ものになっていくっということなんですね で実は振り返ってみると私たちの人生と いうのはまよくよく考えてみれば人生の 初めから終わりまで神様への不満とか社会 への不満水がないあれがないこれがないと いう欠乏の体験が満ちているのかもしれ ません例えばお金があったとしても他の 大事なこう絆がなかなか作れていないとか でそういうこう不平とか不満とか不安とか の中にこう埋没してしまうということが 起こるんですよね絶望してしまうもうダメ だなって いうそこで私たちは今今日ここで語って くださる神様からの慰めの言葉や行動を 促す言葉を心に 止めるそしてそれを受けて互いに 励まし合いながら前に住むということが 大事なことなんです ねまそれはまさに 試練の中にあっても神様が用意して くださる逃れの道を発見するという言い方 に通じるのかもしれません昨日も大変だっ た明日も大変かもしれないでも今日生かさ れてる中で神様が語ってくださっている 大切なメッセージに心を向ける生かされ てることに感謝しいてくれてありがとう 分かち合いながら心を落ち着かせて過ごす 意識というのがとても大事なことなのだと 思います その連続が永遠の希望につがっていくんだ と思います ね自分が羊であること神のこう牧場にぶさ れている羊であることを忘れてしまうとか 神が生かしてくださってるということを

忘れてしまうとか神の愛が届けられてきた ということを無視してしまうとか自分を神 として生きようとしてしまう 姿勢 うんそれはあの神様からの祝福を受け取ら ない生活になってしまうんですよねこれ 大きな損失だと思いますね心静かに今日神 様が何を語ってくださっているのか今日今 神様は私に何を求めておられるのか心を 探っていただきながら応答していくという ことが大事なことだと思いますで考えて みればきっと私たちはそれぞれに神様が 求めておられることというのうう知ってる と思うんですよね神様は1度だけではなく て何度も何度もいろんな形で私に促して くださってるはずなんですよねもしかし たら今与えられてる環境の中でもう少し 感謝したらどうだと言われてるかもしれ ないもしかしたらあの人にメールを出して 励ましてあげなさいということかもしれ ないあるいはあの人の話を黙って聞いて あげなさいということかもしれない個人 個人その内容は異なってるかもしれません 今日あなたたちが神の声を聞くならあれの で試練を受けた頃神に反抗した時のように 心を固くにしてはなら ない神様は今日私たちに語っておられるで その促しはねその自覚はとても大事なこと だと思います え坂村臣民という仏教主人がえ2度とない 人生だからという刺繍を出していますその 中に同じ題名の死があるんですけれども こんな死 です2度とない人生だから2度とない人生 だから一輪の花にも無限の愛を注いで いこう1話の鳥の声にも無心の心を傾けて いこう2度とない人生だから1匹のコでも 踏み殺すないように試していこうどんなに か喜ぶことだろう 2度とない人生だから一遍でも多く頼りを しよう返事は必ず書くことにしよう2度と ない人生だからまず1番身近なものたちに できるだけのことをしよう貧しいけれど心 豊かに接していこう2度とない人生だから つゆ草の梅雨にも巡り合いの不思議を思い 足をとめて見つめていこう2度とない人生 だから登る日沈む日丸い月かけていく月 それぞれの星星の光に触れて我が心を 洗い清めていこう2度とない人生だから 戦争のない世の実現に努力しそういう酒を いぺでも多く作っていこう私が死んだら後 を継いでくれる若い人たちのためにこの 対岸を書き続けて いこうまこれはこの詩人のまあ大切な大切 な心の思いと言いますかねそのその日を

丁寧に生きようというそんな思いが綴られ た死です私は大好きな死の1つ ですでもその意識と今日あなたたちが神の 声を聞くならあれので試練を受けた頃神に 反抗した時のように心を固くにしてはなら ないというこの言葉と通じるところがある ような気がしてならないんですよね神様が 促してくださっているメッセージは何 だろう か特別に大きなことをしろということでは ない神様 とまあなんて言うんでしょうね見ている ものを同じにすると言います か神様と一緒に歩いてるようなつもり で神様の後ろを少しね後ろをついていく つもりで神様は見つめている大事なものを 大事だと思って見つめていく そんな意識が私たちの中に育ったらきっと 私たちの言い方は変わってくると思うん ですよねそしてその 今日その出来事を含んだ今今日それが 積み上げられて永遠の希望へと繋がって いくのだと思います神様に逆らうという 出来事がどれほど深刻な損害をもたらすか 私たちはやっぱり心すべきだと思いますね 戦争は神様の思いに逆らっているものだと 思う人を殺すということ騙すという こと本当にそれは神様 が喜ばないことだと思います ね今日神の声を聞いたならあなたは心を 固くにしてはなら ないそれが多少勇気のいることであり 多少頑張らないとできないかなと思うよう なことだとしてもその方向に自分の向きを 変えていくという精霊はきっと御言葉は きっとあなたにそういう力を与えそういう 方向へと向きを変える意識を育てて くださるに違いない一言により ましょう恵控てのなる神様私たちが日々を 漫然と生きるというのではなく今日丁寧に 生きる今を大切に生きる今日あなたの言葉 を意識しながら生きる今日あなたの願いを 意識しながら生きるそんな生き方ができ ますようにそしてそういう1日1日の 積み重ねの中で本当にあなたの望んでおら れることことを1つ1つ実行していくこと ができるようにあなたの望んでるところに 向かっていくことができるように導いて ください あなたに背中汗になってしまうことがない ようにあなたを踏みにってしまうことが ないようにあなたを追い越してしまうこと がないように主を私たちを整えてください 青がは私たちの愛する救い主美女イエス キリストの恵みと父なる神の愛と精霊なる

神の親しい交わりとが私たち一度と共に 限りなく豊かにありますように メン [音楽] ガユ神の 見 が豊かにあなた の上に注がれますよう に ガユ神の 見 が豊かにあなたの 上に注がれますよう にあなたの心と体 と全ての 人波 が守られ支えられ [音楽] えれ 喜び 溢れるよう に私 は祈り ます ガユ [音楽] ガユBLyougod [音楽] BL 神の見守り がいつでも あなた の上に注がれますよう に あなたがどこにいるとしてもしても何を する て もいつでも神様が神 様共におられますよう に私 は祈り [音楽] ます with youwith you withwith youwithyougodbewith you Godbless yougodbless yougodblessyougod bless yougodbless yougodbless

Yougodblessyou God bless yougodblessyougod blessGod BlessblessGodbless yougod blessGodblessyougod blessyougodblessyou god blessGodblessyougod blessbless yougodbless yougodbless yougodblessBLyougod BL yougodbless yougodbless yougod blessGod [音楽] pru H え今日もこういう形でメッセージを語らせ ていただきましたえ2月になりましたもう 梅が咲き始めているというニュースが入っ ていますねえ比較的暖かい日が続いてい ますけれども風が強かったりとか急に寒く なったりとかそして相変わらずやっぱり コロナとかインフルエンザとかあるいは 花粉症とかそういうことでこう本当にこう 体調を崩してる方々が多いんですよね是非 健康に気をつけてえ皆さんお元気でお 過ごしくださいますようにえそしてまたえ もし礼拝に出られるようであればえ具体的 にこうお茶の水の方に来れるようであれば 是非足を運んでみてくださいそして一緒に 礼拝できる日があればなと思っていますえ 2月は第1週第2週第3週の日曜日にえ お茶の水クリスチャンセンターで礼拝が ありますえ3月は毎毎週5週間ですけれど もえ毎週礼拝がちの水でありますのでえ 是非お手くださいますようにえそしていつ ものことですけれども皆様からの様々な形 での応援支援献金本当に心から感謝をして いますえmafが保たれているのは皆さん の支えであり皆さんがいてくださるから こそなんですよね本当に心から感謝をして います礼拝が継続できるようにと心から 願っていますまた来週お会いできればと 思いますそれでは また

MACF礼拝説教要旨
2024年2月4日

【今日、神の声を聞いたなら

ヘブライ人への手紙3章

7だから、聖霊がこう言われるとおりです。
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
8荒れ野で試練を受けたころ、
神に反抗したときのように、
心をかたくなにしてはならない。
9-10荒れ野であなたたちの先祖はわたしを試み、験し、
四十年の間わたしの業を見た。
だから、わたしは、その時代の者たちに対して
憤ってこう言った。
『彼らはいつも心が迷っており、
わたしの道を認めなかった。』
11そのため、わたしは怒って誓った。
『彼らを決してわたしの安息に
あずからせはしない』と。」
12兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、        
生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。            
13あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、   
「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。             
14わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、      
キリストに連なる者となるのです。                     
15それについては、次のように言われています。
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
神に反抗したときのように、
心をかたくなにしてはならない。」
16いったいだれが、神の声を聞いたのに、反抗したのか。           
モーセを指導者としてエジプトを出たすべての者ではなかったか。        
17いったいだれに対して、神は四十年間憤られたのか。            
罪を犯して、死骸を荒れ野にさらした者に対してではなかったか。        
18いったいだれに対して、御自分の安息にあずからせはしないと、       
誓われたのか。従わなかった者に対してではなかったか。            
19このようにして、彼らが安息にあずかることができなかったのは、      
不信仰のせいであったことがわたしたちに分かるのです。
*******
キリストは神の家を治める大祭司であり、このお方につながり、信頼を深めることで私たちは希望を持って生きることができるようになるのです。
しかし、ヘブライ人への手紙の著者は旧約時代の大事件を引き合いに出して、注意喚起しています。
それは神への不信と自らを人生の決定権を持つ人間に仕立ててしまう傲慢への警告です。
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように心をかたくなにしてはならない」という言葉を今朝、私たちはしっかり心に受け止めたいと思います。

作者は詩編95編にある言葉を引用しています。

詩編95
1主に向かって喜び歌おう。
救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
2御前に進み、感謝をささげ
楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
3主は大いなる神
すべての神を超えて大いなる王。
4深い地の底も御手の内にあり
山々の頂も主のもの。
5海も主のもの、それを造られたのは主。
陸もまた、御手によって形づくられた。
6わたしたちを造られた方
主の御前にひざまずこう。
共にひれ伏し、伏し拝もう。
7主はわたしたちの神、わたしたちは主の民
主に養われる群れ、御手の内にある羊。
今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。
8「あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように
心を頑にしてはならない。
9あのとき、あなたたちの先祖はわたしを試みた。
わたしの業を見ながら、なおわたしを試した。
10四十年の間、わたしはその世代をいとい
心の迷う民と呼んだ。
彼らはわたしの道を知ろうとしなかった。
11わたしは怒り
彼らをわたしの憩いの地に入れないと誓った。」
詩編では「あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように、心を頑なにしてはならない」となっています。メリバとマサでの事件はどちらも水がなくて民が不平を言い、モーセに逆らい、神の心に楯突いた
出来事ですが、メリバはエジプトを脱出してまもなくの出来事、マサでの事件はエジプトから脱出後、
後半の出来事でした。つまり、荒れ野での最初の頃から終わりの頃まで「神への闘争」「神への不信」「リーダーへの不満」は渦巻いていたのです。
確かに水がないという出来事は深刻な試練であり、困難な状況でした。
でも、そこで彼らは神様に信頼することを学ばなければならなかったはずなのです。
つまり、彼らはずっと自分たちが羊飼いを必要とする羊であることを無視し、羊飼いを勝手に追いやってしまうような態度をとっていたのです。モーセを恨み、どうして俺たちをエジプトからこんな荒れ野に連れてきたのだと彼らは文句を言いました。
当初、彼らは神様の偉大な御手によって導き出されたことを経験し、大いに喜んでいたはずですのに。

さて、この短い言葉のなかにある「今日」という言葉に注目したいと思います。
イスラエルの人たちの荒れ野での40年も「今日」の積み重ねでした。
神様は私たちに対して「今日、わたしが語る私の思いを無視しないように」「今日、私からの促しを無視しないように」と訴えているのです。

明日からやりますから、私の心を明日になったら整えてください、というのではなく、今日、神様が心に促しを与えておられるなら、その声に従う意識を持つ必要があります。
それは決して、難しいことではなく、今、羊飼いが羊である私の状況を知り、私に導きの
言葉をかけてくださっているのだと信頼できればよいのです。

その際、その心をゆがめるのは「頑なな心」であう。
これは「自分には自分なりの答えがあり、神様からの答えなど不要だ」という思いです。
自分はこの線で行くと決めたら神様がなんといってもそれを曲げないような頑固な心です。

さらに、「人を励ましたり慰めたりする言葉をもたない」「よかったね、ありがとう、ごめんなさいと言える心を育てていない」ことも深刻な問題になります。
それは自分のことにしか意識が向いていないので、人と一緒に笑ったり泣いたりできないのです。そこにあるのは孤独ではなくむしろ、孤立です。誰かに励まされ、誰かを励ますというサイクルは私たちの人格的な成長のために重要です。

「誰も私の味方になってくれる人がいません」という訴えに対して、わたしは「あなたが味方になりたい人はいますか」と尋ねることがあります。
慰め合ったり、味方でいるということは相互関係なのです。

それは、土台の部分で「最初の確信」を共有できないとなかなかうまくいきません。
最初の確信とは「イエス様との出会い」「イエス様の愛を知ること」「神様に愛され許されていることをしっかり心に受け止めていること」から来る「わたしは生かされていると言う確信」です。礼拝を通して、この最初の確信を共有し、深めていくわけです。

私たちの人生ははじめから終わりまで神様への不満や社会への不満、水がない、あれがないこれがないという欠乏の体験が満ちているのかもしれません。
でも、そこでそれらの「不安や不満」のなかに埋没しないで「今、今日、ここで」語ってくださる神様からの慰めの言葉や行動を促す言葉に心を止めて、互いに励まし合いながら前に進むことが大切なのだと語られているのです。それはまさに試練の中にあっても、神様が用意してくださる逃れの道を発見する生き方にも通じています。

昨日も大変だった、明日も大変かもしれない、でも、今日、生かされている中で神様が語ってくださっている大切なメッセージに心を向け、生かされていることを感謝し、いてくれてありがとうを分かち合いながら今、心を落ち着かせて、過ごす意識がとても大事です。
その連続が永遠の希望につながっていくのです。

自分が羊であることを忘れ、神が生かしてくださっていることを忘れ、神の愛が届けられていることを無視し、自分を神として生きる姿勢は、神様がそれぞれに用意してくださっている祝福を受け取ることがないまま、この世の旅路を終わることになるでしょう。
それは大きな損失です。

心静かに「今日」神様が何を語ってくださっているのか、今日、今、神様は私に
何を求めておられるのか、心をさぐっていただきながら、応答していきたいですね。
おそらく、わたしたちは神様が何を求めておられるのかうっすらとわかっているはずです。
それを先延ばししたり、言い訳しながら拒絶したりしてはいないでしょうか。
もしかしたら、それは、今与えられている環境について「神様に感謝しながら生きなさい」ということかもしれないし、「あの人にメールを出して励ましてあげなさい」ということかもしれないし、「あの人の話を黙って聞いてあげなさい」ということかもしれません。
個人個人、語られている内容は異なっているかもしれません。

「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、荒れ野で試練を受けたころ、
神に反抗したときのように心をかたくなにしてはならない」
この言葉があなたの心にどのように響くでしょうか。

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