古賀達也@吉野ヶ里出土石棺と卑弥呼の墓④キャンパスプラザ京都@新春古代史講演会@20240121@09:59@DSCN3334
てない大体ま平均取ると50代50歳 ぐらいなんですよで長生きした人でも60 歳もちろん70歳80歳でもいるんです けどあの大体そんなもんなんですだから 日本の現代のあの質とした骨のね人骨の 分析でも大体え縄文時代から野時代かけて の年齢大体40歳ぐらいで失てて死んで いくんですよそんな長いできないところが あの歳80歳90歳って言ってびっくりし て書かれ中国でもこんなあのたまたま 100歳の人がいたんじゃていう書き方 じゃないんですよ聞いたらこんな答えが次 から次に帰ってきたからそれを報告してる わけですねこれは結論から言うとね当時の 日本人の年齢の数え方は1年2歳なんです よ2倍年齢とんだ1年2歳と数え年齢なん ですだからあの聞いたらその50歳から 4045歳になるわけだ一でわったこたら 大体当時の年齢のあの標準的なボ年齢に なるんですねだからこの研究にこの和人殿 の研究によってども野時代の日本では1年 2歳と数える2倍年齢というねえこういう 風習があったということが分かってきまし たでえまこれもまついてに申しますとこの 風習は古代においては和国日本だけじゃ なくてねえヨーロッパとかインドとかね そこら辺でもどうあったというのがあの え分かってきましたねえそれをあの ちょっとこの英文論文も書いてちょっと 発表しとくんですけども あのもしそれが認められたとんでもない ことあるんですよあの世界4大文明って ありますよあのあれでしょあのエジプト 文明とかチレスを連文明とかねあれ エジプト文明がやたらあの古かったんです ですよ他の4大文明にてなんでこんなに 古いだというぐらいエジプト文明古いん ですよたらエジプトの文明なんで古いか どういう計算してるか言ったらなんとか 王朝のなんとかという王様は何年間国を 統治したと書いてあるあのエジプト期と いう本がありましてその本をずっと書いて それを現在から逆算すると紀元前あの 6000年とかそこまで行ってしまうわけ ですよだからやったら古にあのピラミッド 他の国にはまとてもまそんなにことがない ねであれも2倍年歴だと思ったんですよ1 年2歳でだからあれもあの2で終わったら 古いエジプト文明がざーっと1000年 ぐらい当たんですよそうすると他の4体 文明の他の文明と大体同じことになるで さらにこの理解は中国の古い王朝あの委の 王朝とかね州の王朝あのあの時代もどう やら1年2歳ず計算してるんですよそう いうのが州の初代の王様の没年齢が100
歳90歳はあの4台連続つわけですよ いくらたまたま分かりましがって100歳 1人出たもねその子供ままてずっと80歳 100歳なんてありえないですよそういう 今書いたあの芝線の式にということはあの 時代の古い中国も2パ年歴なんですそう すると何が起こるかと言うと中国4000 年の歴史いうのが実は中国3000年前当 なってしまうんですよだからあれこれは今 の中国政策は非常に困るんですよ 中国の歴史がこんだけ古いってのが今の 中国政府のなんて言うんかあのま誇りって いうのかなま気持ちとしては分かります それが実はそうじゃない あの古賀の研究によればそれが1000年 ぐらい短くなってしまうとで同じように 日本の天皇家もですね初代の事務天皇とか 古い本の天皇の年はねやっぱり100歳と かね90歳だずらいるわけですよそんな 長良できるわくないだろうとだからそれ から逆てえ期限は2700年でやって しまったわけところはそれも2年終ったら 大体 え標準的な人間の事業になるということで 古代の日本はあのえ一年2さえて数えると いう数え方この和人前にありえ今の日本 孤食とか日本主にもそれが採用されてある ところの天皇まではどうも当たらないで あるところから不の年齢なるんですよえ そういうのがうまく説明ができるという ことでえこのこの2倍年歴というこの和国 における2倍年歴この概念をね私の本師の 古田武彦のこ発表しておりましたんでそ 和人殿研究っていうのはあのいわゆる山大 国がどこにあったかだけではなくてねえ 当時のえ年齢の抱え方とかええそういう いろんな風習が明らかになるとでそれが 和国だけ日本だけでとまらず中国に行っ たりえインドもそうなんですねあの いろんないろんな矛盾があったのが全部2 倍年歴で 新しくでなるとこういうことがまだんだん 分かってきていますまこれもいずれあの 世界のね歴史学てあのまもちろん反対見が あってもいいんですがそういう説もあると いうところでその歴史学をもう一度研究 するということを世界の研究者がやればね え人師がまた大きく一歩前進するんじゃ ないかなとま私は思っております であとはですね あの九州にはあの不適な伝承ありますね 神宮工合伝承三観西橋朝鮮半島神宮先ほど 言った神宮工合が攻めていくという伝承が これ基本主も持っておりますでまそれが 歴史術かどうかま一応月としてそういう
伝承が残ってるんですところが北部九州に も神宮工合伝承にあるんですがこの北部 九州の神宮工合はですねあのこの感じまじ という2つのこの丸い玉が あの1つのあのキーアイテムなるんですよ 要するに白い玉投げたら塩がすっと引い てくと青い玉開けたら塩がバーっと見ると でそれをカマの差を利用して敵兵を溺れ させて勝ったんだという前章が残ってるん ですでその貫中まじを見つけたのはその 先ほど言った あの淀姫伝説のヨる神宮皇后の妹妹役なん ですけどね伝承ではそういうのが残ってる わけですだからこっちは日本初期のある 元則絵なんですけど九州の神宮前書で必ず この貫中まじという白い玉と青い玉が絵に 書かれてるんです ね ねまここら辺はもあの最後はこういう神宮 高校の妹のま与姫が一緒にえ神宮校を起っ ていって あの佐県武吉の温泉で22歳の任になく なったとかねそういう電車が今も残って おりますただこれがま歴史事実かどうかは まだ分からないけどまこういう現象が残っ ておりますんでねえ今後調査したいと思っ ており ますまこれが姫神社ですでこのだ変な あそこの肥前の小犬ここら辺の小犬と違う 変な形してるんですよ不思議な形の小犬 ざでえ今申しましたそのいわゆる山田国で はなくて山国なんだとでえ一が75mだ から博多湾がにあったんだとこの説を最初 に発表したの私の本の古田武彦でこの山太 国はなかったというえ当時旭日新聞社ええ 1971年に発された今から50年以上前 にですねこれがもう売れに売れました ベストヘラになりました当時ででこの読者 が中心となって私たち古田市学の会などが 作られてこの後継の研究者が入って研究を ま現在もこう続けてるわけでございます そしてこういう講演会を通じてこの恩師の 学説をねよにあの知っていただこうという まそういう活動をしておりますのでえもし あの応援していただける方があればえ会議 に誘拐していただけば大変ありがたい あるいは私本も出しておりますので買って いただけば大変ありがたいと思いますでえ この山田がなかったの50年後に作ったの がこのひかと山一国というこの本を作り ました要するにこの50年間でどれだけえ デシが研究を発展させたかというがこの本 でございますえこれもちょっと持ってきて おりますんでねあのもしえお買い上げ いただければ外とつんていますえこれあの
熊野の夏大社でえ右がえ鈴田先生左からえ 30年前の3年前 020年前の私でまだ若い頃でございます ま大変懐かしいえ写真でございますはい 以上あのちょっと最後だいぶはってしまっ て申し訳ございませんけどえそういう大枠 で えい山国がどこにあったかとかまテレビと か新本とかメディアでね聞かれたら今いっ た私の話をちょっと思い出してもらったの でえ理解のねえより捕まるんじゃないよ 思ってさせていただきましたどもご聴 ありがとうござい [拍手] ますね時間があるたあの最後にちょっと あの応をですねたらしいと思いますが えっと古賀さんでもあのそれから本家さん も来ていただいてます